無人駅の駅長

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『西方指南抄』と『嘆異抄』


 親鸞はその最晩年八十歳代後半を費やして、師法然の言行録「西方指南抄」を書写した。この書物は法然伝記の最古のもののひとつだ。この書物が親鸞によって編集されたのか、それとも誰かが編集したものを親鸞が書き写したものか、わからない。それは親鸞なる人物が同時代の記録に乏しい人物であるだけでなく、浄土宗と浄土真宗教団の確執も関わる。浄土宗は親鸞の存在を無視したがる。法然の弟子たちの一人に親鸞がいたと名前を出す程度で、親鸞を黙殺する。それに対して浄土真宗側も「西方指南抄」を大変軽視する。それはこの本の内容が親鸞の自著の内容と齟齬するため、教学的説明が困難だからである。実際に読んでみると「顕浄土真実教行証文類」などにみえる親鸞の主張と小さくない隔たりがあるのである。そのため真宗の学僧たちは「西方指南抄」の扱いに苦慮してしまう。

 それはそうとして、九〇歳近くなり目も耳が不自由になった親鸞が人生最後の精魂をふりしぼって書写したこの本である。犯罪人扱いされる師法然の言行をなんとしてでも後世に伝えておきたかったのだろう。そんな意味で「西方指南抄」は「嘆異抄」と立ち位置が似ている。死が近い事を悟った老境の著者が書き残した本である。

 この二書はそれぞれ著者名(編者名)不明なことが共通する。「西方指南抄」について親鸞は自分が写したと記すのみである。自分が編集したとも、他の誰々が編集したとも書かない。「嘆異抄」が著者不明であることは有名である。

 そのことについて私はこの二書が「お経」である故だろうと思う。

 お経に著者名はない。数千あるお経はすべて「私はこのようにブッダから聞いた」という出だしで始まる。お経はブッダ自身が筆を持って書いた本でないのだ。すべてブッダの説法を聞いて感激した誰かが、私はこのように聞いた、と感動を伴ってこしらえたのである。それだから「仏説なになに経」という外見の体裁がなくても、その人に仏道を伝えてくれた方の言行録はお経だと言えないだろうか。

 仏道を伝えてくださったありがい方は如からこの私のためにわざわざやってきてくださった方である。もしもあの方に遇うことがなかったならば、私は生涯虚しく過ごし、虚しく死んでいったことだろう。なんと遇信のありがたいことか。師の恩のなんとありがたいことであろうか。そう思うものである。師はこの私にとって如から来てくださったのだから私にとって「如来」である。如から来てくださった方の言行録はお経である。

 ここで私は「西方指南抄」と「嘆異抄」の二書に署名が無いゆえんを思う。親鸞と、一般に嘆異抄の著者とされる唯円はお経に著者名がないことを熟知していたに違いないからである。

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くるっと回る時間の感覚


 太陽暦、より正確に言うとグレゴリウス暦。それにもうひとつ、干支。十二支ともいう。月の動きを基本とする太陰太陽暦。人々が昔から使っていた暦だ。今年は己亥である。新月に始まり次に新月の前日に一ヶ月が終わるこれを使っていると時間が回る感覚がしだいに身につく。おもしろい。

 やせっぽちな月が太っていき、毎月十五日前後に最大に肥満する。すると翌日から痩せ始め、おおむね二十九日ごろ痩せきった月が不可視になり、その一ヶ月が終わる。月が出る位置沈む位置も毎日移動する。太陰太陽暦の月末(これが本当の月の末だ)には決まって「一まわり終わったな」と思う。明日から新しい一回転の開始だと。

 太陽暦は一直線暦だ。グレゴリオ暦だけ使っていると時間が回転する感覚がない。太陽暦の時間感覚は、果てしない過去から続く時間が、現今という一瞬を経て、これまた無限に続くであろう永遠の未来へ真っ直ぐ駆けていく、そんな感じだ。

 くるっと回るカレンダーと、無限の直線を進むカレンダー。おもしろい対比。

 使用する暦によりその社会や時代が重要な影響を受けるだろう。

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断れない契約は法的効力を持つか


 断れない契約は合法なのだろうか。

 法的には契約形式でありながら、現実には命令と受諾である法律行為が世の中にある。たくさんある。契約する両者に力の違いがありすぎると契約の名の下の命令が行われる。

 例を挙げればきりがない。

 昔は奉公というのがあった。貧しい家庭に生まれた子供が何年契約という条件の賃金前払いで、商店などに住み込んで働いた。奉公の条件は雇う商家の方が一方的に決めた。貧しい家のほうは口を挟めなかった。わが祖父も尋常小学校一年生中退して奉公に出された。今でも同様の低賃銀労働の強制が行われている。さすがに奉公などという古めかしい言葉は使わず、いっけん華やかなカタカナ言葉に置き換えているが、していることは昔の奉公同様である。

 それから学校の入学試験手数料。受験料。

 高校でも大学でも現実的に義務教育または準義務教育となっているから、受験料を支払わざるを得ない。私事で恐縮であるが、貧しい家庭に生まれたため受験料三万円の支払いにわたしは苦慮した。日常の生活費のやりくりでせいいっぱいな暮らしであったから、食費を削って受験料をなんとか工面した。結果的に入学できなっかたので、ただ腹をすかしてその学校にお金をプレゼントしただけのことになった。

 受験料とは、学校と受験者との契約ではある。契約だから契約条件にノーと言うことはできる。双方とも。ただしそれが単なる建前なことを誰でも知っている。

「受験料金をいったん払い込んだらいかなる理由であろうと返還しない」との契約条件を受験生側は拒否できない。拒否したら進学できないだけだ。

 契約の形式を採った命令である。

 もう一例。

 スマートフォンは現代の必需品だ。これを持たない人の就職は難しい。

 誰でも知っているように、スマートフォンはアップル社のものと、グーグル社のアンドロイド、二種類だけ。どちらかを選ぶしかない。どちらにしたところで、アップルかグーグルの規約画面が出た時「同意します」をタップしなければならないわけだ。就職のために、生活費用を稼ぐために、二社のうちどちらかの規約に「同意」しなければならない。

 同意しない、を選んだら使用できないのだから。ここでも私たちにはスマートフォン利用規約(契約条件)の一部変更を交渉する自由がない。丸呑みするしかないわけだ。

 ほとんどの人が規約の内容なんか読まないで「同意」しているだろうけど、仔細を読んでみると、利用者としてはびっくりするようなすごいことも書いてある。世界中のスマート電話使用者がそれに同意したことになっている。

 当事者の片方だけが選ぶ自由をもたない法行為は契約としての法的効力を持つか。

 当事者の片方に選択の自由がない契約は法的に合法なのだろうか?

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浮雲


 作文が苦手だ。原稿用紙何千枚か書いてきた物書き稼業をしているのに作文が苦手だ。

 文章が書けない。何を書いていいのかわからない。

 子供のじぶんからずっとそうだった。国語の授業は好きだった。勉強しなかったがいつも試験では高得点だった。古文漢文と文法が特に好きだった。だが作文だけはどうにも苦手で書けなかった。先生が題を出す課題作文、黒板に書かれた先生の字を何べん見ても何のことやら、何を書けばいいのか、さっぱりわからなかった。

 それから夏休みの自由作文、あれはもっと書けなかった。

 課題作文とは、大人の言葉に強引に置き換えると受注生産だ。注文に応じて書く作業は、一般の多くの人の想像に反し、細かな注文条件をつけてもらえるほど楽である。縛ってもらえると楽なのだ。対して自由作文とは自主生産である。創りたいものがあるならば自主生産とは愉しい作業だが、そんなものがない者にとって、何でも自由に書きなさいと言われても困る。作詞と詩人の詩を比喩したらいいだろう。注文主の注文に応じて作詞する作詞家と、自分の書きたい詩を創る詩人と。後者は、インスピレーションが湧くか降ってきたら書けるけれども、湧かない時は書けない。何も書けない。自由とは辛いものだ。だから人は自由から逃走するのだ。自由を奪ってくれる人を求めるのだ。

 すこしく話題がそれてしまった。

 ぼくは課題作文も自由作文も書けなかったのだ。学校の作文時間は、一文字も書けないから時間を持てあまし、教室の窓の外にぽっかり浮かぶ白く大きな雲がゆうくり動くさまを眺めていた。

 学校を出ると就職面接だとか、公務員採用試験に作文があった。これまた書けなかった。試験監督員が黒板に課題文を書く。もしくは課題が書かれた髪を黒板に貼る。それから数分間後、規定の時刻なるとに厳かに

「始め」

という。

 周りの人はその声がした瞬間に鉛筆を持って一斉に紙に書き出した。数十人の受験者が走らせるサラサラという鉛筆の音が鳴る部屋で、ぼく一人何も書けないで悶々としていた。何を書けばいいのか全然わからないのであった。紙に書き付けるべき文字が一文字も浮かばなかった。ぼく以外の全員が天才に見えた。どうして競馬馬みたいにラッパが鳴ったら一斉に書けるのだろう?

 作文の成績かどうかわからないが、ぼくの公務員試験受験成績は一四戦全敗。〇勝一四敗。一四回受けてすべて落ちた。もっとも、数学と理科の成績も最低に近かったから作文だけの祟りかどうかは分からぬ。

 そんな人間がなんの因果であるか物書きをしている。著書も何冊か出させてもらった。しかし今でも作文苦手は変わらぬ性分だ。相変わらず書けない書けないでうんうん言っている。

金井隆久
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