信とはなんだかわからない対象を確かだと信じこむことではない。
信とはあてにならない人を完全無欠なる指導者だと信じこみその指示に従属することではない。
信とは疑うことである。信とは疑い問うことである。
信とは自己を疑うことである。
信とは社会を問うことである。
信とは疑うことである。疑こそが信である。
同時に、信とは疑ではない。信は疑を離れることである。
信と疑は不一不二である。
ゆえに、信は知ることである。
信は賢くなることである。
信はちっとはましなにんげんに成ることである。成ってゆくことである。
信を獲るとはその内面に慚愧と歓喜の思いがこみあげることである。
見えていなかった己の虚偽の姿、世の中の嘘偽り様相が見える自分に変わってゆくからだ。
世の中をよくするために己が微力を捧げなければやまない情熱が湧く。その熱意は生涯つづく。
これこそ佛教の信のご利益である。
偶像