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P2P と現金取引の類似性


 インターネット世界の情報のやり取りの方法の多くがサーバー・クライアント型と言われるものだ。ウェブサイトとか電子メールとかは大抵の場合、どこかのサーバ・コンピューターに所蔵されている。その世界に「公有地」は存在しないから、すべて「私有地」だから、サーバ・コンピューターは必ずどこかの誰か(または会社か政府)が所有している。

 ぼくたちがなにかのサイトを見たいと思ったら、URLを入力するだろう。または検索して提示された、URLをクリックするだろう。どちらも同じことだ。クリックすると、そのオーダー(命令)が世界中のコンピューターを経由して、目的のサイトを持っているサーバ・コンピューターに到達する。そこで、コンピュータ語でコンコンとノックして「ぼくは A というサイトを見たい。見せてくれ」と伝える。すると親切なサーバ・コンピューターが「あいよ」と扉をあけて、そのサイトをぼくたちのコンピュータに見せてくれるわけだ。インターネットの仕組みを大雑把に端折って説明するとこういうことになる。

 レストランに例えるとわかりやすいだろう。来店した客が、私は和食、妻にフランス料理、子どもたちはお子様ランチ、それにビールを一本など伝える(オーダー)する。しばらく待つと店の奥から注文どおりの料理が運ばれる(サーヴされる)。お客たちが世界中のクライエント(客という意味)コンピュータで、サーバ・コンピューターがお店の役割をするわけだ。

 それなのでサーバー・クライアント型の場合、サーバーを運営する会社(または個人)は自分にアクセスしてきたコンピュータの情報をすべて入手している。ちょうどレストランがお客のオーダーを記憶しているように。何月何日の何時何分何秒にどこの国のなんというコンピュータが何というサイトを閲覧したのか、ぜんぶサーバー・クライアント型記録している。

 サーバー・クライアント型においては情報の非対称が生じる。サーバ管理者が情報勝者となる。蒐めた情報をいろいろな用途に活用できるわけだ。良いことにも悪いことにも。

 ところで、インターネット世界がすべてサーバー・クライアント型かというとそうでなく、サーバを通過しないで直接に個人と個人が情報をやり取りするシステムもある。誤解しないでほしいのだが通常の電子メールとかラインとかはサーバー・クライアントシステムであって、全部の情報がサーバー運営会社を通過している。だから巨額の利益を生むのである。いまここで述べるのはそういった通常のメイルとかではない。純粋にサーバ不要な情報のやり取りである。

 そういうのを P2P と呼ぶ。 P はピアという英語の頭文字だ。パーソン(人)の頭文字と理解してもいいだろう。P からP へと直接に情報を伝達するので P2P という。直感的にわかりやすいサーバー・クライアント型と比較してちょっとわかりにくい。技術的にも難しい。すくなくとも現時点では難しい。一般人はなかなか使えない。でも P2P はだんだんと拡まっている。ビットコインなどの仮想通貨。ファイル交換ソフト、セキュアなチャットなどがこれだ。その世界にサーバーは存在しない。サーヴィスを提供する人と受け取る人という非対称関係が存在しないのである。サーバがないから、特定の人または会社に個人情報が集中蓄積する現象が起きない。

 突飛かもしれないが P2P は現実世界の現金取引と似ている。お店で、または友達とお金のやり取りをする。これにはコンピュータ世界のサーバに相当する組織が存在しない。紙幣や硬貨は、サーバーのような中央管理組織なしに個人間を自由に流通して経済を滑らかに動かしている。

 これに対して、クレジットカード、銀行、交通系IC カード、なんとかペイ を利用する買い物をサーバー・クライアント型に比喩できるだろう。いづれにもそのお金のやりとり体型を集中的に管理する中央統制型組織の会社が存在する。クレジットカード会社やなんとかペイの運営会社である。このシステムでは情報の顕著な非対称がうまれる。運営会社は顧客の情報のすべてを知っている。顧客はなんにも知らない。この非対称が運営会社へ巨額の利潤をもたらすのである。

 IT 系の経済雑誌の記事は現金取引を時代遅れだとか口を極めて散々に貶す。ふつうのひとびとに現金取引をやめさせたいからだろう。一人でも多くの人が現金取引からサーバー・クライアント型取引に移行してくれたら儲けが増えるのだから。ただし一般人は少々の便利さと引き換えに自由と独立を自ら捨てている事実を認識せずばなるまい。

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薬食


 興味深い経験をした。食品と健康についてのことで。

 必要だが人体に必須でない重要なアミノ酸を含む市販の健康食品について私はひらめいた。必須でない、とはそのアミノ酸は人体の中で作れるので、必ずしも食事から摂取する必要はないという意味である。その物質自体は人が生きていゆくために絶対必要だ。しかし仮に外からまったく摂取しなくても人体内部で生産できるのでなんとかなるという意味である。

 その物質とはグルタミン酸のことである。単純でありふれたアミノ酸である。多くの食品が含んでいる。例えば昆布の旨味成分とか納豆のネバネバ成分とかだ。

 グルタミン酸は興奮性神経伝達物質である。平たく言えばそれは脳神経の活動を活発にする。

 ただし何でも多く摂りすぎては害があるもので、グルタミン酸を過剰に摂取すると神経過敏になる。アメリカでむかし、東洋系以外のアメリカ人たちが中華料理を食べたあと、そこに含まれる大量のグルタミン酸のせいで泡を吹いて倒れたりした。中華料理シンドロームなどと言われた。興奮性神経伝達物資であるからドーパミンやノルエピネフリンと似た作用をするのだ。そこへいくと私たち東洋人の伝統的食事はグルタミン酸の含有量が多いので、私たちは幼少時からグルタミン酸に慣れていて、ほかの文化の人たちよりグルタミン酸の害に耐えられる。

 しかしそれにも限度がある。体内で生成するほかに、多くの食品と調味料と、食品添加物から、私たちはグルタミン酸を摂取している。ラーメンには大量に入っている。お店で加工食品の成分表シールを読むと「アミノ酸等」と書かれてある商品が多いだろう。それはたいがいグルタミン酸のことである。グルタミン酸を添加すると旨味が出て美味しいのである。グルタミン酸以外のアミノ酸も少々使っているから「アミノ酸等」と表示してある。これは合法である。

 このように私たちは必要以上にグルタミン酸を摂っている。そのうえに健康食品サプリメントからグルタミン酸を摂ったらどうなるだろう。平気な人は平気だろう。グルタミン酸は栄養素なのだから。代謝されて、例えば心を穏やかにさせる作用があるギャバという物質に変化する。不要なグルタミン酸は排泄される。だが世の中には体内に入れたグルタミン酸を上手に代謝できない人もいるのだ。その人がそれを知らずにグルタミン酸が大量に入っているサプリメントをのんだら体内にグルタミン酸がどんどん貯留してしまう。興奮性物質が貯まる。すると神経がたかぶってイライラして眠れなくなったり怒りっぽくなったりするはずだ。

 せんだって雑談の中で友人の医者にこのことを話した。かれは優秀な医師で、患者の話の聞き上手。さらに思考が柔軟である。医師に珍しいタイプだ。わたしはてっきりかれがこの話に肯定的反応をすると思った。

 ところが懐疑的反応だった。「たかがサプリメントでねえ? そんな作用をするかなあ。」と。かれとは価値観が合うつもりだった。

 憮然として私は帰宅した。でも数日して「ああそうか」「そういうことか」と気づいた。かれは六年間も西洋医学をしっかりと学んだ人だからなんだ。彼としたらあたりまえの反応なのだ。

 西洋医学の根底にはクリスト教がある。


 クリスト教は知恵ある人間と知恵なき生物(並びに無生物)を厳格に峻別する。絶対者にして創造主である神が自分に似せて人間を創り、人間にために人以外の生物と無生物を創造したとクリスト教は語る。人と人以外の間には質を異にする上下関係があるのである。その影響下に発達した西洋医学は知恵ある人間が製造した医薬品と、知恵なき生物である生薬等を峻別するのだ。当然のことながら、医薬品が上位で、自然物が下位である。こういう厳格な秩序を西洋医学は基礎としている。まじめに医学部で学んできたかれはその価値観を常識として身につけた。かれは本人も知らぬ間にクリスト教を身につけたと言ってもいいだろう。

 東洋流の薬食同源思想を身体化している私の思考法はかれとかなり違うわけだ。

 それに私は仏教徒である。佛教の縁起説、一切衆生悉有平等を身体に信知している。佛教に創造思想はなく創造主もいない。人も馬も虎も植物も魚も昆虫も、数え切れないほど多数の因と縁がこの一瞬たまたま集合して現れているだけ。一切の命は等しいと佛教はとらえる。

 ゆえに私は厚生労働省認可の西洋薬も、漢方薬も、薬草も、日々の食事内容も同列に視るのだ。どれも平等な命だからだ。わたしから視ればそれらに区別はない。体に影響を与える(であろう)物質は同一視点で効能や善悪を判断する。だから食品やサプリメントからグルタミン酸を過剰摂取した場合の悪影響についてかんがえたのだ。

 しかしこうした非クリスト教発想は西洋医学を真剣に学んだかれに通じにくかった。どちらが優れているとか劣っているとかではない。通じにくいということなのである

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壜のなかで


ぼくがすきなことを世の中の人はみんな嫌う。

世の中の人が好きなことにぼくは興味をもてない。

 幼い時から自分の嗜好がずれているらしいことに気づいてはいた。ぼくが好きなことに人は興味を示さない。そして人が好きなことにぼくは興味がない。

 小学生のとき図書室の本を読むのが大好きになった。三年生くらいのとき世界地理のシリーズに魅かれ全册読了した。アフリカと南米の巻がとくに好きで何回か読み返した。今もアフリカの本が好きだ。つぎに歴史の本が好きになり日本歴史シリーズをこれまた全巻読み通した。その次は古文(日本語古典)が好きになった。六年のときだったかとおもう。平家物語の出だしの有名なところをすっかり暗記してしまった。今でも暗誦できる。

 おなじころインヴェーダーゲイムが流行した。家庭用ヴィデオゲイム機も世の中に出た。同級生はこれに夢中だった。だがどんなに努力してもぼくは興味をもてなかった。やらなければ仲間はずれだから一所懸命努力はした。同級生のを借りてやってみたけれどただただ苦痛だった。私はいまだにコムピュータ・ゲイムの類が苦手だ。家でも外でもいっさいしない。またパチンコ店とゲイムセンターに入ることもない。音と匂いと煙と。刺激が強すぎて苦しい。私にとって快楽は一切ない。ただ苦しい場所。難行苦行なのである。新宿渋谷にも用がない限りは行かない。やはり刺激が強すぎる。あそこでは息ができない。

 こどものころぼくはテレビがない環境で育った。それでも学校に行って友達の話題がわからないこと以外に辛いと思ったことがなかった。がんらいテレビ番組に興味がなかったからだ。そんなわけで現在もテレビを持っていない。旅先の宿屋でたまにテレビをつけるととても疲れる。テレビ視聴とは案外に体力を使う仕事なのだなとおもう。

 味覚の嗜好だってぼくは孤独なようだ。コンビニエンスストアの食べ物のほとんどが苦手。とくに弁当を食べるときまって食後に気分が悪くなる。吐瀉しそうになる。でもごく稀なのだが、美味しいと感じるジュースが棚に並ぶことがあって、珍しいことだから嬉しくなって日に二度も三度もそれを買って飲む。ところが半月もしないうちにその商品が棚から消えてしまう。いつもそうだ。おそらく売れなかったのだろう。シビアな業界だから売れない商品はたちまち棚から消える。そういうことがあるたびに、ぼくが好きな食べ物は世の中の人には人気がないのだと、いやでも気づかされる。

 そもそもぼくは肉が嫌いなのだ。世の中の人は肉が好きらしい。ぼくのばあい菜食主義のような主義思想でなくて単純に美味しいと思えないから食べないのである。そのせいでぼくは若い頃から深刻なタンパク質不足だったらしい。中学生の時から白髪があった。二七歳で急に増え三〇歳のころに頭髪が真っ白になった。三三歳のときにはバスの中で親切な女子高生に席を譲られた。なんと若い老人だろう。げんざいは健康のためにクスリだと思って肉を食べるように気をつけている。だがどうしても不味いから、辛抱してエイっと呑み干すように嚥下するのだ。ぼくにとっては芋と野菜のほうがはるかに美味しいのだ。だが世の中の人は芋を嫌い肉を食す。

 このごろ電車のなかの化粧が減った気がする。ちょっと前の時代、若い女性がさかんに電車内でメイクするのをみて、じぶんの顔をみて怖くないのかな、とぼくは感心したものだ。皮肉や毒舌のつもりではない。ぼくが鏡恐怖症で鏡のなかの自分をみることができないのでそうおもったのだ。ぼくは鏡と写真が恐い。写真に撮影されるのがこわい。カメラを向けられるのは、ぼくにとってピストルの銃口を突きつけられるのと同じだ。死にそうなほど恐いのだ。呼吸が止まり体が硬直して冷や汗が出てしまう。ぼくのスナップ写真のなかでいちばん最近のものは二〇世紀に撮影したものである。そのとき交際していた女性が写真好き鏡好きで、ぼくに鏡を突きつけたりふたりのスナップ写真をしきりに撮りたがった。苦手だからやめてほしいと頼んだつもりだが聞いてもらえなかった。もし結婚していたらぼくにとってホラー映画のような恐怖が続いただろう。そうして彼女はつまらない男と一緒になったと後悔しただろう。二一世紀に入ってからは一度も写真を撮影されたことがない、警察の運転免許証を例外として。

 デパートはなぜ店内を鏡だらけにしたがるのだろう。あれのせいでぼくはデパートに入れない。せっぱ詰まった買い物のため入るしか選択肢が無いときは常にデパートの床を見て歩く。真っ直ぐ前を向いて歩いたりしたらどこに鏡が出現するかわからない。危ない危ない。不意の鏡出現とはぼくにとって通り魔に襲われることなのだ。息が止まり身体がフリーズしてしまう。それから何日もつづく心理トラウマに苦しめられる。

 それなのに世の中に人は鏡と写真が大好きらしい。なんとしても理解できないことである。自撮りはぼくにとって自殺と同義語である。自閉症者はいっぱんに身体接触を恐怖する。握手するとか肩をたたかれるだけでも息がつまり、死にそうになるそうだ。ぼくのばあい触られるのは何でもない。平気である。しかしその恐怖はぼくにとっての鏡と写真に相当するのだろう。そう考えると自閉症者の恐怖心がわかる気がする。ただし少数ながらも写真に撮られることを恐怖に感じる同類の人はいるようだ。何年か前、ほのぼの系ソーシャルネットワーキングサイトを覗いたら、写真被撮影嫌いな人のグループがあった。女性が多いようだった。

 そのほか例を挙げればきりがない。第一にぼくは左利きだ。いつのまにか右手も使えるようになってしまったが左利きだ。ぼくはクルマに乗らない。歩いて移動するほうが便利だから。

 幼少の時「右手で箸を使え、右手で字を書け」と矯正されて以来、僕は正常と違うと直されつづけた。多くの親切な人がぼくの前に現れては、「普通の人は」テレビが好きなものだ、「普通は」アニメとマンガが好きな物だお前は正常でない、「普通の人は」バイクとクルマに夢中になるものだ、とぼくを「ノーマル」にしようとした。そのどれにも感化されなかったぼくはとうとう十代にして「狂っている」ことにされてしまった。精神障害の初期ということにされてしまった。ぼくは.ぼくがぼくであることを否定されて育った。もしも世の中の多数者の趣味と嗜好が正しいとすれば、あらゆる少数者はみんな狂人にされてしまうだろうとぼくは感じた。

 人の災難構わずカネ儲けに狂奔するkとが「正常」ならば、私は一生涯「狂っていよう」。

 おとなになってからわたしはそう決めた。

 本を出した時ぼくは一冊も売れないだろうとおもった。

 こういう人間、嗜好が世の中の人とさかさまの人間が書いた本である。売れるはずがない。だから海に流す瓶のつもりだった。ガラス瓶に封入した消息を大洋に流す。いつかだれかがひろって読んでくれるかもしれない。読まれないまま消えるかもしれない。それもいいとおもっていた。

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東へ西へ


 うまれつき地理に強い。初めての土地でも東西南北の方角がだいたいわかる。星月がない夜ですら直感的にわかる。幼児の時からそうだった。

 その代わり小学校三年生になっても右左がわからなかった。右も左もわからない、という表現があるが本当に右も左もわからない子だった。東西南北は絶対基準であるから幼児でもわかりやすかったのだ。誰にとっても、だれがどちらを向いても東は東である。しかるに左右という相対基準はわかりにくかった。私の「右」が私と向かい合う人にとっては「左」。私がくるっと回れ右するとそれまで「右」だった方向があっという間に「左」に変わってしまう。実に理解し難かった。

 だが三年生のとき地下鉄車内でふとわかったのだ。そのときなぜか右手に腕時計をしていた。私がどの方向を向いても時計をしている手の方向が右なのだ。同じように他人にとってもその人がどこをむこうともその人の右の手の方向が右なのだ。一〇歳間近にして私はようやく右と左を理解できた。

 ところで方向感覚が鋭いとは裏を返せば地理環境の変化に弱いということである。かつて新潟県に住んだときこのことを身にしみて知った。私は太平洋側育ちである。山と太陽は相い対するのが当たり前の世界で育った。そこでは山が北側に存在し、太陽は南側の空に浮かぶ。川はあたかも太陽を慕うかのように、北から南へ流れる。それが私にとって当たり前の世界であった。しかし越後の国では基本的に山と太陽が同じ方角に存在する。自分より南に山があり、太陽が山越しに登り沈むのである。そして川が太陽の方から流れ出て太陽方向から離れるように流れ下る。まさにあべこべの世界で、数ヶ月住んだものの最後まで慣れることができなかった。

 おなじ理由で私は城下町の地理に弱い。あれは男の兵隊の地理感覚を狂わすよう町割りしてあるのだろう。街区全体を真北よりややずらして設計し、細かい道路をやたらにくねくね曲がらせる。城下町を歩くと、何度も体を曲がらされて方向感覚がわからなくなる。

 私はあたかも鳥になったかのように空高い視点から地理を把握するのだ。そして例えば目的地が北東方角だから、あっちへ行けば良い、と判断して進む。しかし城下町の狭い道路は私の身体を何度も何度も曲がらせる。やがて私は方向感覚を失い、どちらへ行けば良いかわからなく、途方に暮れる。

 むかし交際していた女性が極端な方向音痴であった。彼女を観察して、私と根本的に違う地理把握をしていることがわかった。結論を言うと彼女は徹底的に具体的事物を基準に世界を把握していた。何という名前のお店がある交差点を左の手の方へ曲がる、という具合だ。「左」という抽象観念は彼女の中になく、左の手の方向へ曲がる、とあくまで具体的事物を記憶して判断していた。彼女は城下町に強かった。そもそも方向音痴なので方角を狂わされることがないのだ。いつも道案内役の私が城下町では案内してもらった。また地理環境の変化にも強かった。けれどもこの方法にも欠点があった。よく知っている土地しか一人で行けないことと、目印にしている店舗が閉店し建物ごと消えたりしたら彼女は困るのであった。

 私は道路付近の具体的事物を見ない。目には入っているが意識に上がらないのである。その代わり脳だけが空中にひらひらと舞い上がり、あたりをヴァーチャルに俯瞰して地理を把握する。私がとくに強いのは京都と札幌と古代条里制の名残がある各地の碁盤の目状の小都市である。北へ二本上がり東へ一本入る、というふうに論理的に明解だからだ。

 かように方向感覚に強いのだが、具体的なモノが意識内に存在しないため、城下町で迷うように、いったん方向感覚を喪失するとどうしうようもなくなるのである。

金井隆久
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