ロックス・アンド・チェインズ

【SCENE  TWO】( 1 / 2 )

SCENE TWO

ギャラリーは15畳ほどの広さで、打ちっぱなしの壁にピクチャーレールを取り付け、アート作品を展示している。壁の低い箇所にはくりぬきがあり、そこに小さい作品を並べてあると言う寸法だ。

絵画はリトグラフが多いようだった。印象派に影響を受けたとおぼしき、黄色も鮮やかな菜の花畑の風景画とか、暮れてゆくセーヌ川の橋の下を、バトー・ルージュが渡っていく景色とか。


だが、写真アートは打って変わってモノクロが多く、梨の表面のぶつぶつを拡大した写真や、墓地の中に、日本人形が置いてある写真や、枯れた薔薇のつぼみの写真といった、いささかひねった作風のものばかりだった。後でその、薔薇のつぼみの写真が、サラ・ムーンの作だと分かった。

妻が水彩画を一時習っていたため、僕はこう見えても絵の技法や額縁の種類は知っている方だ。その僕から見ても、ちょっとこのギャラリーで扱う作品の質は、「?」な感じだった。質が低いと言うより、傾向に方向性が感じられないのだ。

絵画は、一般受けしそうな花やら風景の絵が多いのに、写真アートはかなりあくの強い、アーティスティックと言えば聞こえは良いが、アンダーグラウンドと言った方が当たっている作風ばかりであった……だが、それが逆に僕の遊び心をそそってもいた。

額に入った写真が4枚飾ってある一角の前に立った。その時、まるで僕を待っていたかのように、誰かににんまりと、笑いかけられたような錯覚を感じた。

 

モノクローム写真の中の若く美しい女性は、嬉しげに、しかし強い光をそのアーモンド型の目から発していた…アイシャドウで黒く縁取られた大きな目から。

 

彼女はスタンドカラーの、胸に細かいピンタックの揃った真っ白いブラウスを着ており、ゆるいウェーブがついた黒髪とのコントラストが際立っていた。モデルなのだから美しいのは当然としても、彼女の発散させている空気は、何かが違っていた。濃密と言うか、きらびやかで、しかもどこか老成していたのだ。

僕は吸い込まれるようにその写真を指差して、スタッフに、おいくらでしょう?と尋ねた。

10分後。僕はクレジット・カードを出していた。妻とレストランに行くので、写真は持ってゆかず、梱包して自宅に送って欲しい旨を伝え、伝票に港区芝の、自宅住所を書いた。もうその時には、包みをはがして、姿を現したその写真を眺めることを空想し、にやにやしていた。

【SCENE  TWO】( 2 / 2 )

SCENE  THREE

「えーーっ、なに、この写真!なんか…嫌だわ。エロだわ、いやらしい」

妻は開口一番、言った。僕はムキになって言い返した。

「どこがいやらしいんだよ。ヌードじゃなくてちゃんと服を着ているんだからエロじゃないだろう」

「そういう次元じゃないわ」妻はいかにも不服そうに眉をしかめて、写真をためつすがめつし、ちらりと僕に、なんと失礼なことには、憐れむような視線を投げた。

家人にこのような反応をされることは、多少は心配していたが、ここまではっきりと不快の念を表明されるとは、いささか意外であった。僕はただ、アートとして魅力的だし綺麗だと思っただけなのだから。いやらしいと受け取る方が不純だ! とはさすがに言えないが、女性にとっては、こういう構図は男尊女卑めいていて腹立たしいものかな、と、鼻白む。

そう、彼女がいかなるポーズをしていたのか、その説明をしなくてはならない…


写真の中の美女は、いかにも現代的なハイテクなビル群を背景にして立っているのだが、その両手をお祈りするような形に揃えて、顔の右側に持って来ていた。揃えているのは、両の手首が、ごつい手錠で繋がっているからなのだ。

手首を取り巻く金属や、暗い灰色の重そうな鎖が、なにやら高級なアクセサリーめいていて、柔らかげな女の皮膚の艶が、いやが上にも強調されている。

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都会の空の下、手錠で手を拘束された女が、目はひたと正面を見て、形の良い唇はふんわりとほころんでいるのだ。

その倒錯性が僕には粋で素敵だ、と映ったのだがどうやら、それを共有してくれる人は少数らしい…僕は舌打ちしたくなるのをこらえて妻に言った。

「アートと言うのは、ある意味性欲の代替行動なんだから、そりゃあ性的なものを感じさせることもあるにはあるさ」

妻はそうねえ、とは言ったが、まだその顔には嫌悪感の名残があって、逆にそれが滑稽だった。僕は、どこが具体的にいやなの? と軽い調子で言った。

「…なんだか、この女性ってすごい…媚びているんだよね、目が」

「えーっ、考え過ぎだよ。それにモデルなんだから撮る人に対して笑顔くらい作るさ」

「そういえばフォトグラファーは何という人」

「フォトグラファー? 」

「写真家よ。これの作者よ」妻は呆れて僕の顔を見返した。

【SCENE  THREE】( 1 / 1 )

SCENE  THREE

「あなた、作者名も知らないのに買ったの? 」

僕は、自分が店側に作者名を聞きもしなかったことに、初めて気がつき、ええっ、おれって、作者のことも気にせずに買っちゃったのか、とそのことにちょっと驚いた。そういえば、絵画ならば梱包の中に「作者略歴」とかが入っているものだ。いや、そのまえに、陳列されている時に、作者名も一緒に添えられているのが通常だ。

そう考えると、写真作品と言うのは、なんとも著作権者の扱いが軽いものだ…と、変な感慨を持ってしまう。

だが、今問題になっているのは、作者も知らないのに、お手頃とはいえ数万円のお金を払ってしまうくらいにこの写真に魅せられてしまった僕を、我が妻が快く思っていないということだ。

 

僕の妻は、ちょっと有名な作曲家の事務所で契約社員として働いている。そんな彼女が作品の著作権者について注意が向くのは自然なことだ。

 

というか、明らかに僕は、これを撮影した人間については完全に眼中に無かったのだ。要するにどうでも良かった。

興味があったのは、写真本体と、その中の女性だけ…黒髪の、白いブラウスの、手錠に手首を巻かれてうっとりと微笑んでいる美女。

 

見つめていると何か誘われているような、妙な気分になるのは、何故なのか。

そう、僕はこの彼女の姿を手元にとどめたい、見えるところにおきたいからこそ、購入したのだ。だが妻にはそんな微妙な、説明の難しい心情をわざわざ言う気になれない…

どうやら妻は、僕の「彼女」への思いを嗅ぎ付けてそれで嫉妬めいた不愉快さをもっているのだ。そうに違いない……とするとどうなるのだろうか?この写真は飾るのは断念し、押し入れにでもしまうのが良いのか?

【SCENE FOUR】( 1 / 3 )

SCENE FOUR

当初の予定では寝室に飾りたかったその写真は、妻がどうしても見たくないと言うので、結局僕のパソコンデスクの足元に置くことになった。妻の派手なスカーフをかぶせて。

パソコンスペースはリビングの隅なので、これならば、もし来客にお見せしたい時にはスカーフを取れば良いので簡便だからだ。押し入れや物置とまでは言いはらなかった妻に僕はほっとした。

 

だが、頭では妻の理解をありがたいと思おうとしたが感情はまた別のこと。心の数パーセントは、なんで隠さないといけないんだ、自分のものを家に飾れないなんて、と、釈然としなかったから。もっとも、僕と妻とでは、出勤時間がかなりずれている。彼女は8時に仕事に出かけるが、僕は早出の時以外は午後出勤だ。僕が家で一人でいる時間は、かなり多い。まあそのことが救いかな、と僕はこっそりうなずいたのだった。

 

僕の勤めている会社は、FX (外国為替証拠金取引)の会社である。リーマン・ショックを境に業績は右肩下がりだが、それでも健闘しているほうであろう。

僕は大切なお客様に、損をさせないように市場の雲行きを流す天気予報士みたいなものだ。

 

Cash selling rateだのCash buying rateだの、電信買相場(でんしんかいそうば)だのといった、お金ではなく「通貨の情報」ばかりを流して、こちらも受け取るという世界にいると、実態と、憶測との落差とを感じられなくなる人間になるのでは、と時々怖くなる。

実態が、自分が情報をかき集めてつくりあげた「憶測」と少々違っていても、無理矢理実態の、憶測と合致している部分をとりあげて「ほら、やはりこれはドイツの消費者物価指数の上昇幅と、リンクしているではないか。おれ様の思った通りだ」と言いはる人間になる、そんな奇態なことになりそうな予感がつきまとう。

 

というのは、現実にそんな奴らこそが、この世界で金融アナリストとかコラムニストなどという肩書きで活動しているからだ…僕はそんな虚名は要らない。

だが、お金は欲しい。なので、少しでも「実態を予測する手がかりになる」記事を残そうと励んで来たのだ…35歳の今日まで。
深良マユミ
ロックス・アンド・チェインズ
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