2015年センターの恨み

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プロローグ( 1 / 1 )

20151日、深夜──

 立ち寄ったコンビニのガラス窓、通りがかりの車のミラー、そしてカーブミラーというだろうか、道端にある大きな丸い鏡。  

 それら自分の視界に映る、全ての背後を写すものに、その人影は映っていた。人間の心の機微に疎いと言われる理系でも、尾行されていることに気づかないことがあろうか、いやない。

 黒ずくめの服装で、パーカーのフードを被った相手は身元がバレないように細心の注意を払っているのだろう。しかし不審者のような格好は襲撃する相手である自分の警戒心を引き出すだけだ。実際に自分は警戒して────他に被害の出ないように、人通りのない所に誘導した。 さぁ襲え。殺るなら俺だ。

 駅前では紺色に見えた夜空は、もはや彩度を落とし座標系のように果てが見えない。都会並みに空を漂う排気ガスが多く、田舎並みに街灯の少ない研究所の街、T 市の標準的な夜空だという妹の言葉を思い出す。友人は安易にこの空を穴のようだと表現した。頭上の穴から襲撃者が落ちてくるとは思わないが、そして地球がいきなり重力を失うことも考えられないが、彼は 背後の襲撃者を忘れて思わず人間を落としそうな夜空を見上げる。

 襲撃を覚悟するほど、今年のセンター試験の平均点はいつも以上に低かった。自分の範囲だけ見ても、これはちょっとやらかしたなと思うほどだった。妹いわく、今まで一回も出したことのない範囲からの出題は、きっと多くの受験生を驚かせただろうとのことだった。それなら驚きと緊張で焦り単純なミスで取りこぼした問題もあっただろう。そして、目標にしていた点数がとれずに志望大学に入れなかった受験生もいるだろう。

 一つの目標に向かい走っていたのに、それに至る道を試験結果に邪魔されたと考える人間は今まで何人も自分の前に現れてきた。一つごとに集中していると、人間はどうしても視野が狭くなるのを知っている。人間には終わりが見えることも分かる。そのほかにもいろんな事に煽られて絶望して、自分で終わりを選択した者も知っている。そうなるのなら、一時的な責任転嫁の逆恨みくらい。自分達はどうせ人間じゃないんだ、ちょっとの刺し傷くらいは引き受けら れる。

 ……でも、襲われるのは自分でいい。小さな子供の姿の相方、大事な妹、その家族──彼らを思い出していけばいくほど誰も襲われて欲しくない。だから自分が襲われるのだ。どうせすぐ直るし支障は感じない。

(反撃はしない。一度刺させたら顔を確認する。──悪いことをした罰は受けさせなくちゃな らない)

 決めていることを確認してから、気持ちを落ち着かせるために深呼吸した。素数を数えたりするのは良くない、夢中になって襲撃犯の顔が見えなくなる。冷たい冬の、深夜の空気が体の中を冷やしていく。

 深い呼吸が、恐怖心を体の底に押し込んでいった。

 思考がクリアになっていき、最後にしっかりと相手の顔を見るために振り返る。これは犯人の特徴を覚えてこれから起きる事件の早期解決に繋げるためと、せめて刺す相手の表情を見ながら刺してみろ──犯人に対しそう考えるのは教育現場で生まれたせいか。

 

 そして、この時初めてスウガクは、自分を襲う相手の顔を見た。

 

 なんでこいつがこんなことを。  予想外の顔であり──見覚えのある顔だった。

それに驚いている隙に──スウガクは冷たい感触を腹に感じた。

 脇腹に冷えた刃物が刺さり抜けたと気づいたのは、相手が体を離した直後。振り返ってすぐ にスウガクは、相手を捕まえようと手を伸ばす──

 がり、と妙に硬い手応えに、思わずすまんと謝りながら──想定外の予想が当たったことを知る。つまり、俺を刺したあいつはあいつだ。でもどうして? 謎に思いながら逃げるあいつ を見送り、彼は妙に暖かい下半身を見る。

 暖かく体を濡らすのは、あぁ、血か。暖かい血は冷たい外気に晒されて冷えて蒸発して、ああこの現象なんて言うんだっけ、寒くて寒くて何も分からない。スウガクは自分の傷口を抱き込むように体を丸めた。 こんこんと腹から永遠に湧き出てくるような血の感触。きっと傷は 深いだろう。どこか他人事のようにぼんやりと状況を把握した。

 現実を把握するとそれだけで、人間を模した身体は耐えがたい痛みを訴えてくる。

 傷口を塞ぐように押さえても、手の指の間から漏れ出す血液。その感触に背筋が冷えた。いや背筋だけじゃない、身体全体が寒くて寒い。がたがた震える自分の身体に、コントロールの 効かない身体に思わず恐怖する。

 別に血が流れても、教育カリキュラムから消えない限り自分が死ぬことはないのに。スウガクの体中に恐怖心が沸き起こる。

 一月深夜のアスファルトは、べったりと地面に座るスウガクの体から、容赦なく体温を奪っていく。寒いというより身震いが止まらない、不快感がたまらない。そして意識が、目の前が暗くなっていく。このまま寝たら、死ぬかも知れない。襲ってくるありえない恐怖に、スウガクは必死に目を開けていようとした。

 だが、ずり落ちて来る瞼を、ひっくり返る目玉を叱咤しても、視界はどんどん暗くなって ──

 

 

 

 

 どのくらい経っただろうか。

「……! 大丈夫!? 誰か! 救急車呼んでください!」

 頑張った甲斐か、遠くから助けの声がする。助かったんだ。しかし視界が暗くなって相手が

見えない。

「スウガク!? うっわ、マジか…… あんた、」

 誰かに抱き起こされた感触を最期に、スウガクは意識を失った。

 

 

 2015129日、6時頃 事件発覚

 

 

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