タラコ唇

            嘘(うそ)も方便(ほうべん) 

 

 68()鳥羽のもとに真人からの郵便物が届いた。封筒を机の上に置き、しばらく考えた。即座に処分すべきか?それとも、一度開封し、中身を確認したうえで、それから処分すべきか?即座に、処分しようと一度は決めたものの、なんとなく、どんな毛髪が入っているか見てみたくなった。一度見て、処分することにした。ハサミで封を切ると、中には、折りたたまれた便せんが入っていた。そっと引き出すとタラコ先生とタケルと書かれた氏名の下に、それぞれ一本の毛髪がテープで張り付けられていた。鳥羽は、毛髪をしばらく見つめていた。二人は、父子なのか?DNA鑑定をやってみなければわからない。真人には、すでに、DNA鑑定はできないことを伝えた。もはや、DNA鑑定の必要はない。

 

 鳥羽は、DNA鑑定に興味がわいてきた。万が一、DNA鑑定ができたとしても、もはや、真人には伝える必要はない。というより、伝えるべきではない。もし、伝えれば、真人に災難が降りかかるような不吉な予感がしたからだ。DNA鑑定を教授に依頼するとして、何といえば、依頼を引き受けてくれるだろうか。当然、真人からの依頼だといえば、即座に断られる。では何といえばいいか?タケルは、僕の友達で、タケル本人からの依頼といえばどうか?嘘も方便というではないか。一か八か、ダメもとで、嘘をついてみるか。意外と、子供のお願いならば、うまくいくような気がしてきた。明日、教授に話してみよう。

 

 69日(火)午後6時。鳥羽は、教授の研究室に入った。教授のデスクの前に立つと、神社で神様にお願いするように、一礼して、心からお願いを始めた。「お願いがあるのですが、聞いていただけますか?」教授は、お願いと聞いて、怪訝な顔をした。いまだかつて、学生からお願いされたことは、一度もなかった。「お願い。いったいなんだ。手短にな!」鳥羽は、少し間をおいて、話し始めた。「お願いというのは、DNA鑑定に関することなんです。DNA鑑定は、この大学でも、できるものなのでしょうか?」教授は、いったい何を言いたいのだろうかと鳥羽の顔を覗き見た。「当然できるさ。法医学にでも、興味がわいたっていうのか?」法医学と聞いた瞬間、鳥羽の頭に、ドラマ”科捜研の女”の沢口靖子の顔が浮かんだ。「ドラマで科捜研が、犯人を割り出すときに、DNA鑑定をやりますよね。精子とか?毛髪とか?皮膚とか?使って」

 

 

 教授は、ドラマの話と勘違いした。「あ~~、ドラマの話か。確かに、有罪判決後に、DNA鑑定で冤罪(えんざい)となった例がある。医学の貢献だな」鳥羽は、うなずき話を続けた。「父子関係もDNA鑑定で分かりますよね。もし、依頼があれば、やってもらえるものでしょうか?」教授は、首をかしげた。「依頼はないはずだが。この大学では、鑑定依頼を引き受ける契約はしていない」鳥羽は、ちょっと、顔をしかめた。「そうですか?でも、鑑定はできるんですよね。実を言うと、依頼があるんです。特別に、ということは、できませんか?」教授は、鳥羽の懇願する表情に疑問を感じた。「特別に?いったいどういうことだ?父子DNA鑑定には、専門機関がある。当然有料だが。依頼の相談があったのなら、そう伝えるがいい」

 

 鳥羽は、しばらく黙って思案した。有料の専門機関がるのは知っていたが、当然のことだが、第三者はできない規定になってる。どんな嘘が効果的か?両手を握りしめた。情に訴えるしかない、と思い話を続けた。「そうなんですが、依頼者というのが、中学生なんです。本当の父親かどうか知りたいと相談を受けたんです。専門機関を紹介しようかと思ったのですが、有料だし、父親に内緒でやりたいというんです。それで、できるものなら、ここでやっていただけたらと、思いまして、ムリでしょうか?」教授は、即座に、無理といいかけたが、一応事情だけは聴いてみることにした。「その中学生というのは、君の友達なのか?確かに、実の子供かどうか?の父親からの依頼はよくあることだ。子供からの依頼か?どういうことだ?」認知のために、父子DNA鑑定は、よく聞く。どういえばいいか、首をかしげた。

 

 鳥羽は、思い切ったドラマを作ることにした。「はい、タケルは姫島の子で、母子家庭です。母親というのは、育ての親で、実の母親は、亡くなっています。最近、育ての親に、先月、実の父親を紹介されたのですが、生後すぐに、生き別れとなり、実の父親の顔を全く知りません。だから、タケルは、本当に、実の父親かどうかを知りたい、というんです。できれば、願いをかなえてあげたいと思いまして」鳥羽は、頭を下げた。教授は、子供の気持ちはもっともだ、と思えた。だが、鑑定結果が、不幸をもたらす場合もある。腕組みをした教授は、ゆっくりと話し始めた。「タケル君の気持ちは、よくわかる。だが、鑑定結果が、必ずしも、幸福をもたらすとは限らない。万が一、実の父親でないという鑑定結果が出たら、大問題となる。やはり、ここでは、鑑定できない」

 

 鳥羽は、浅はかだったことに、ハッとした。そこまで考えていなかった。鑑定は無理といわれた。ドラマは、ここまでか、とそう思った時、口は動いていた。「教授、ご心配なさらないでください。万が一、実の父親でないと鑑定結果が出た場合、タケルには、結果を知らせません。育ての親は、何らかの理由で、実の父親といったわけです。こちらが、立ち入ることではないと思います。鑑定結果が、実の父親であった場合のみ、タケルに結果を知らせます。どうでしょう、勝手なお願いですが、やはり、ムリでしょうか?」教授は、目を閉じて、しばらく沈黙した。子供の気持ちを考えると父子鑑定をやってあげたい。でも、仮に、実の父親でないと結果が出た場合、絶対に他言はできない。きっと、大問題となり、鑑定の出所が表に出てしまう。これは、まずい。

 

 のけぞり、ギョロ目で天井を見つめた教授は、う~~と大きなため息を漏らした。「タケル君の気持ちは、よくわかる。実の父親であることが、はっきりすれば、きっと、心は晴れるだろう。鳥羽が、そこまで言うのなら、鳥羽を信用して、やってあげるか!」鳥羽は、目を輝かせ、お礼を言った。「ありがとうございます。約束は、必ず守ります。鑑定のための毛髪は、用意してます」鳥羽は、封筒を差し出した。教授は、受け取ると小さくうなずいた。「おそらく、5日後には、鑑定結果が出るだろう。約束は、必ず守るように。何らかの問題が起きたなら、全責任を負ってもらう。即刻、退学だ、いいな」一瞬鳥羽の顔が引きつったが、大きくうなずいた。「はい。教授に迷惑がかかるようなことは、一切いたしません。よろしくお願いします」

 

 依頼できたことはうれしかったが、結果を知ってしまった後の自分のことを考えると不安が込み上げてきた。実の父子でなければ、特段、問題はない。問題は、逆に、実の父子と鑑定結果が出た場合だ。東京にいる予備校講師の実の子供が、片田舎の福岡に住んでいる。しかも、タケルは、赤ちゃんの時に、生き別れになったといっている。いったい、どういうことだ。何か、深い事情があるに違いない。真人に知らせるべきだろうか?いや、この事実を知れば、きっと、真人に不幸が降りかかるような不吉な予感がする。

 615日(月)鳥羽は、教授に呼ばれた。鳥羽は、鑑定結果報告だと直感した。教授室をコン、コンと軽くノックした。中から返事があった。「どうぞ」ドアを開けると一礼した。ゆっくりと教授のデスクに向かった。「座るがいい」教授は、中央のソファーを指さした。ソファーの横で立ち止まり、教授がやってくるのを待った。教授が、腰掛けると少し斜め向かいに腰掛けた。教授は、一呼吸して話し始めた。「結果が出た。タケル君にとって、喜ばしい結果だ」鳥羽は、うなずいた。だが、笑顔は出なかった。教授は、話を続けた。「鑑定結果は、実の父子だ。ホッとした。こんなに、緊張したのは、初めてだ」鳥羽は、頭を下げて、お礼を言った。「本当に、ありがとうございます。タケルも、安心して、お父さんと呼べることでしょう」教授は、ホッとした表情で立ち上がった。鳥羽は、深々とお辞儀して、教授室を出た。

 

 実の父子という事実は、鳥羽の心に重くのしかかってきた。実のところ、心では、タラコ先生は、赤の他人であってくれ、と祈っていた。だが、今、実の父子という事実を知ってしまった。これから、どうすべきなのか?鳥羽は、後悔し始めた。父子鑑定を依頼すべきではなかったのではないか?もはや、後の祭りだ。タケルは、タラコ先生の実の子だ。そうだ、彼は、後醍醐天皇の子孫とも言ってた。どんな事情があって、父と子が、離れ離れになったかは、知るすべもないが、タケルの将来が気にかかる。いや、真人も心配だ。真人の好奇心は、ちょっと、危険だ。深入りしないように、忠告しなければ。そうだ、タケルを探し出して、安心させてあげるのが一番だ。近衛姓は、五摂家の一つ。全国でも、少ないはず。福岡市であれば、数えるほどだろう。近衛姓を片っ端からあたってみよう。

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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