タラコ唇

           おばあさん曰(いわ)く

 

 67日(日)鳥羽は、少し早いと思ったが、岐志(きし)魚港1150分発の渡船”ひめしま”に間に合うように11時に寮を出立することにした。幸運にも窓から空を見上げると快晴であった。福岡県では、コロナも収束に近づいてはいたが、念のためにマスクをすることにした。腕時計の11時の表示を確認すると、ライダージャケットに腕を通し、ヘルメットを右脇に抱え、駐輪場にかけていった。鳥羽は、素早く、アドレス110を引き出し、長い脚を振り上げ、シートにまたがった。そして、左手でリアブレーキレバーを引き、右手の親指でスタータスイッチをプッシュした。セルの心地よいブルルル~~という音が体に伝わってきた。その瞬間、甲高い声が、鳥羽を呼び止めた。「鳥羽ク~~ン。お出かけなの?どこ行くの?食事?食事だったら、付き合うけど」よりによってこんな時に小悪魔に絡まれるとは、ついてない、と思ったが、返事だけはすることにした。「ちょっと、用事があるんだ」

 

 小悪魔は、追い打ちをかけてきた。「用事って?そんなに、急ぎなの?美緒も手伝おうか?」そういい終えた時には、美緒の右手が鳥羽の肩にあった。鳥羽は、無駄話をしていては、渡船の出発時刻に間に合わなくなると思い、これからのことを話すことにした。「いや、用事って、姫島に行くんだ。ちょっと、急ぐんだ。悪いな」美緒は、即座に返事した。「姫島だったら、一緒に行きたい。いいでしょ~~。デートってわけじゃないんでしょ。一人でしょ。美緒、行きた~~い。行きたい、行きたい。お願い」美緒のお願いを断っていたら、出発時刻に間に合わなくなると思い、承諾してしまった。「別にいいけど」美緒は、笑顔で返事した。「そいじゃ、美緒のクロスビーに乗って」鳥羽は、原チャリを駐輪場に戻すと女子寮の駐車場に向かった。

 

 出発前に無駄話をしたが、岐志漁港には1130分過ぎについた。待合室に入ると、だれもいなかった。「僕たちだけか。思ったより早く到着した。美緒さんの車のおかげだ。助かったよ」美緒は、感謝されて有頂天になった。「そう、鳥羽君のお役にたてて、すっごくうれしい。これからも、遠出することがあったら、いつでも言って。美緒って、尽くすタイプだから」美緒は、人はいいんだが、なんとなく気味が悪い。悪く言うわけじゃないが、豊富な男経験からくる異様な馴れ馴れしさに虫ずが走る。時々、平然と男心をくすぐるようなことを口走る。用心。用心。

 

 

 鳥羽は、美緒の横顔を覗き見た。「今日は、予定があったんじゃないのか。悪いな~~。付き合わさせて」美緒は、目を丸くして、鳥羽を見つめた。「とんでもない。今、彼氏いないんだから。わかってるくせに。男友達は、鳥羽君だけよ。なんだか、こうやって鳥羽君の隣に座っていると・・・」美緒は、うふふと小さな笑い声をあげた。鳥羽は、腕時計に目をやり、出発時刻の5分前に立ち上がった。「さ、行こうか」美緒も立ち上がり、二人は渡船場に向かった。二人は、行きの乗船券を船長に渡すと美緒を窓際の席に、鳥羽は通路側に腰掛けた。渡船”ひめしま”は、小さな波にゆっくりと揺れていた。「美緒さん、姫島は初めて?」美緒は、窓から海を見つめながら返事した。「初めて。船も、子供のころ、呼子の遊覧船に乗って以来。船酔いしなければ、いいんだけど」

 

 乗船時間は、16分だから、酔わないとは思ったが、酔わない方法を教えた。「16分の辛抱だ。気持ち悪くなってきたら、舟の動きに合わせて、体を動かせばいい。そして、大きく深呼吸するんだ」美緒は、エンジンの振動が気になったが、なるべく外の景色を眺めて、何も考えないことにした。美緒は、ぼんやりとピカピカと輝く海を眺めていた。少し気分が落ち着くとおしゃべりをしたくなった。「そういえば、用事があるんだよね。どんな用事なの?」鳥羽は、ちょっと説明しづらかったが、沈黙するわけにもいかず、それかと言って、話せないとも言えなかった。この件は、話しても特に問題ないように思え、話すことにした。「用事というのは、マヒト君にお願いされたことなんだ」美緒は、即座に返事した。「あ~~、あのときの青白い顔のマヒト君ね」

 

 鳥羽は、話を続けた。「先日、マヒト君から電話があって、タケルが住んでいた家を見てきてほしいといわれたんだ。実は、タケルは、昨年、福岡市に引っ越して、その後、音沙汰がないんだ。ちょっと気になるから、その家が、今、どうなっているか、見てきてほしいと頼まれたんだ。それで、今から、見に行くってわけ」美緒は、”まむしの湯”のレストランでの話を思い出していた。「サッカー少年のタケル君ね。そう~、安徳天皇の生まれ変わりとか言ってたわよね。へ~~、福岡市に引っ越したの」鳥羽は、首をかしげて返事した。「そうなんだ。でも、その後、タケルとは、まったく、連絡がつかないんだ。それで、マヒト君は、心配になって・・」美緒も目じりを下げて安否を気遣うように小さな声で返事した。「そうなの。それは、心配ね。タケル君、本当に、天皇の子孫かもね。災いが、降りかからなけばいいけど」鳥羽も大きくうなずいた。「音信不通だろ、ちょっと、気にかかるんだ。無事でいてくれることを願うしかないんだけど」

 

 

 

 

 話に夢中になっていると姫島港に到着していた。「もう、ついちゃったの。あっという間ね。酔わなくてよかった」鳥羽も美緒の元気な顔を見て、笑顔を作った。「タケルの家は、姫島神社の近くなんだ。港から西に歩いていけば、すぐにつく」美緒は、小さな階段を上り甲板に出た。少し船が揺れふらついた。とっさに鳥羽は、美緒の左腕を取って、体を支えた。美緒は、ニコッと笑顔を作り、ゆっくりと下船した。「こっちの方向だ」と言って、鳥羽は西に向かって海岸沿いの小道を歩き出した。美緒は、鳥羽の右側を歩き始めた。「なんだか、さみしい島ね。タケル君の気持ちわかるわ」鳥羽は、尋ねた。「どういうこと?」美緒は、呆れた顔で、即座に返事した。「当然、じゃない。こんなさみしいとこ、住めないわよ。私だったら、3日いたら、引っ越したくなる。なんだか怖くなってきた」

 

 姫島育ちの鳥羽は、そこまでさみしいとは思わなかった。でも、若い人は姫島にやってこない。ますます、人口は減っている。美緒の感想は、もっともだった。「やっぱ、さみしいよな~~。遊ぶところもないし、子供はいないし。全く、何にもない。あるのは、漁船だけか」美緒は、鳥羽が姫島育ちであることを思い出した。ハッとした美緒は、明るい声で話し始めた。「でも、空気はいいし、健康にはいいわよね。ア、かわいいネコちゃん。ほら、あそこにも、こっちにも」鳥羽は、笑顔で返事した。「この島は、ネコには、楽園なんだ。みんな、ネコをかわいがるんだ。魚は、食べ放題だし。西側の岸辺にもたくさんいるよ」美緒は、玄関先で寝転がっている三毛猫に近づいた。

 

 猫たちは、エサをくれると勘違いして、美緒に近づいてきた。「あら、ネコちゃんたち、集まってきた。え~~、マジ、すごい。ネコ島じゃん」鳥羽は、ワハハと笑い声をあげた。「いっただろ。ここは、ネコの楽園なんだ。人より、ネコのほうが多いんだ。姫島神社は、すぐそこ」鳥羽は、美緒をおいて歩き出した。置いてきぼりにされた美緒は、鳥羽を追いかけた。「待ってよ、鳥羽ク~~ン。せっかちなんだから」鳥羽は、小さな路地を右に折れた。古びた家の前に立つと表札を確認した。まだ、表札には、近衛(このえ)の表記があった。開き戸に手をかけ、力を入れてみた。ガラガラとドアが開いた。鳥羽は、タケルとサッカーをしたときのことを思い出した。あの時も、タケルはドアに鍵をかけずに飛び出していった。

 

 

 

 ハ~ハ~息を切らしてやってきた美緒が、中を覗き込んだ。「だれも住んでいないみたい。でも、表札は、あるじゃない。ってことは、戻ってくるってこと?」鳥羽は、首をかしげて返事した。「どうなんだろ~。引っ越したのは、間違いない。確かに、人が住んでる気配は、ないな~。でも、いずれ戻ってくるのかもしれないね。でも、空き家にしてると、物騒じゃないか。そうだ、隣のおばあさんに、ちょっと聞いてみよう」鳥羽は、隣の家に向かった。インターホンがないため、大きな声で叫んだ。「ごめんください。ごめんください。ちょっと、お尋ねしたいんですが」すると、中からおばあさんの声が返ってきた。「はい。はい。そう、そうおらばんでも、すぐ行くから」

 

 ガラガラとドアが開くと70代半ばとみられるおばあさんが顔を出した。「まったく、うるさか~。そんなに、おらばんでも、聞こえちょる。耳は遠くなか。なんね、ニィ~ちゃん」鳥羽は、頭をかきながら返事した。「大きな声を出して、すみません。お隣のことでお聞きしたいんです」おばあさんは、じろっと鳥羽を見つめて返事した。「この前も、色白のニィ~ちゃんが、同じこと聞きよった。隣は、引っ越したばい。今は、だれも、住んどらん。なんか、用ね」鳥羽は、ちょっと言葉に詰まったが、話をつないだ。「用事って、ほどのことはないんですが、ここに住んでいたタケル君と友達なんです。でも、連絡が取れないもので。知っておられたら、教えていただきたいと思いまして」

 

 またもや、じろっと鳥羽を見つめたおばあさんは、怪訝そうな顔つきで返事した。「あのときのニィ~ちゃんと同じこと聞くね~。あんたも、タケルの友達ね。タケルは、あいらしかった。タケルが、おらんくなって、さみしか~。そう、立ち話しも、なんやけん、うちに、はいりんしゃい」二人は、ちょっと薄暗い土間に入っていった。「ここに、座りんしゃい」小さな声を残して、腰を曲げたおばあさんは、奥に引っ込んだ。二人は、遠慮がちに、上(あ)がり框(かまち)に並んで腰かけた。しばらくすると、静かにお茶を運んできた。おばさんは、正座して話し始めた。「タケルは、いい子やった。明るくて、サッカー、バッカ、やっとった。いったい、どうしたんやろ。突然、去年の夏休みに、引っ越してしもうた。挨拶もせんと、おらんくなったとばい。まあ、しょうがなか。若いもんは、みんな、島ば、出ていく。ここには、ジジババしかおらん」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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