タラコ唇

 8時を少し回ったころ、波多江先生にコールした。先生は、即座に応答した。「はい。波多江です」真人は恐縮した小さな声で話し始めた。「カスガマヒトです。夜分、申し訳ありません。お久しぶりです。電話では、失礼と思いましたが、お尋ねしたいことがありまして、お電話いたしました。今、お時間よろしいでしょうか?」波多江先生は、突然の電話にちょっと驚いた様子だったが、タケルの件であることは即座に察知した。「タケルのことでしょ。それが、いまだ、連絡がないんです」予測はしていたが、連絡がないことを知って、言葉に詰まってしまった。「は~~、そうですか?やはり、ありませんか。心配ですよね~~」

 

 波多江先生もタケルのことが心配で、引っ越ししてからずっと気にかけていた。「タケルは、私の携帯番号を知っているんです。だから、連絡できるはずなんです。なのに、連絡がないということは、何らかの事情があるということです。気をもんでも、どうにもならないですし、じっと、連絡を待つ以外ありません」真人は大きくうなずいた。「先生は、今も、姫島分校でいらっしゃるんですか?」波多江先生は、気まずそうに返事した。「いや、4月から、糸島市内の中学校に赴任しました。でも、捜索は続けています。福岡市に引っ越していたなら、福岡市内の中学校に通っているはずなんです。知り合いの先生を通じて、聞き込みをやっています」思っていた以上に、波多江先生は、やさしい方だと感じ入った。「僕は、どうすればいいか、よくわからないんです。捜索しようにも、全く手掛かりがないし。しかも、横浜にいますから」

 

 波多江先生は、即座に返事した。「マヒトさん、タケルから連絡があれば、即座に、ご連絡いたします。心配いただき、ありがとうございます。タケル、元気で、サッカーをやっていればいいんですが。僕は、悪い方向には、考えたくないんです。きっと、ご両親の都合があるんだとい思います。元気な声を聞けると確信しています。待てば海路の日和(ひより)あり、です」真人も悪い方向に考えたくなかった。大きくうなずき、返事した。「はい、そうですよね。元気で、サッカーをやってますよね。先生の連絡を楽しみに待っています。コロナ感染が収束したならば、先生に、ご挨拶に伺います。お会いできるのを楽しみにしています」波多江先生も真人の人柄が気に入っていた。「きっと、連絡は、あります。今度、お会いできたら、糸島を案内します」真人は、お礼を言うと電話を切った。

 タケルから連絡がないということは、予測していたことだったが、はっきりと知らされると気がめいってきた。今のところ、捜索の手掛かりが全くない。その上、コロナ自粛で聞き込みもできない。いったい、何から始めればいいのか?そういえば、タケルが住んでいた家は、今、どうなっているんだろう?誰かが住んでいるのか?それとも、空き家なのか?もしかすれば、何らかの手掛かりが、家のどこかにあるかもしれない。でも、すでに誰かが住んでいるとすれば、家探しはできない。とにかく空き家かどうかの確認だ。鳥羽君に確認してもらおう。悪いとは思ったが、頭髪の郵送の報告を兼ねて、早速電話することにした。

 

 一回のコールで反応した鳥羽は、パソコン横に置いていたスマホを左手に取った。真人は、頭を下げながら、声を発した。「鳥羽君、今いい?」鳥羽は、冷静な声で返事した。「あ~~、いいとも。今日、頭髪を郵送してくれたんだろ。5日後には、着くんじゃないか。やるだけのことは、やってみる」真人は、さらに頭をペコペコさせて話し始めた。「まことに、申し訳ない。ついでというのは、なんだけど、ちょっと、お願いがあるんだ」鳥羽は、いやな表情を作ったが、真人のお節介に感心しているところでもあった。「それで、どんな?」真人は、言いにくそうな口調で話し始めた。「お願いというのは、タケルが住んでいた家なんだけど、今、どうなっているか、知りたいんだ。鳥羽君、知ってる?」鳥羽は、即座に返事した。「いや、知らない」

 

 真人は、正座してお願いすることにした。「鳥羽君、誠に申し訳ないんだが、今、その家がどうなっているか、調べてくれないか?」お願いすると頭をフロアにつくまで深々と下げた。お願いの意味がよくわからなかった。「どういうことだ?意味が分からないんだけど」真人は、自分の考えを話すことにした。「いや~~。無駄かもしれないんだけど、もし、空き家だったら、家の中を調べようと思って。何か、手掛かりがあるかも?ヤッパ、ムダかな~~」鳥羽は、あきれた顔をしたが、真人の熱心さには恐れ入った。「ほ~~、空き家をね~。今度の日曜日に、姫島に行ってみるよ。でも、マヒト君は、マジ、探偵みたいだね~~」真人は、跳びあがってお礼を言った。「ありがとう。もし、空き家だったら、すぐに、姫島に行くよ。何か、手掛かりがあると思うんだ」

 

 鳥羽は、これ以上お願いされては、迷惑と電話を切ることにした。「とにかく、日曜日には、確認してみる。もう、お願いは、これだけだろうね」真人は、恐縮した顔つきで返事した。「もう、これっきりだ。本当にありがとう。勉強の邪魔をして、本当に、ごめん。もう切るよ。ありがとう」真人は、鳥羽には悪いことをしたようだったが、タケルのために、できる限りのことをしてやりたかった。仮に、空き家だとして、家探しができたとしても、何の手掛かりもないかもしれない。それでも、やらないよりはやったほうが気持ちの整理がつくように思えた。

 

 古びた空き家を思い浮かべた時、ふと、疑問が起きた。あの家の持ち主はだれだったのか?当初、亡くなった母親が空き家を買い取って住んでいたとする。であれば、家の所有者は、実の母親だ。その家に育ての親である妹とタケルが住んでいたとなれば、タケルを育てるという条件で、妹は、姉から無償で譲り受けた可能性がある。現在、家の所有者が、妹であれば、賃貸、もしくは売りに出されているかもしれない。それとも、そのままの状態で放置されているかも?もし、不動産会社に物件を依頼していたなら、不動産会社から、タケルの所在を知ることができるのではないか?でも、不動産会社を仲介していたとすれば、北朝の連中も同じくタケル一家の情報を不動産会社から入手できる。そう考えると、不動産会社の仲介はないと考えたほうがいい。とにかく、鳥羽君の連絡をまとう。

 

 

 

           おばあさん曰(いわ)く

 

 67日(日)鳥羽は、少し早いと思ったが、岐志(きし)魚港1150分発の渡船”ひめしま”に間に合うように11時に寮を出立することにした。幸運にも窓から空を見上げると快晴であった。福岡県では、コロナも収束に近づいてはいたが、念のためにマスクをすることにした。腕時計の11時の表示を確認すると、ライダージャケットに腕を通し、ヘルメットを右脇に抱え、駐輪場にかけていった。鳥羽は、素早く、アドレス110を引き出し、長い脚を振り上げ、シートにまたがった。そして、左手でリアブレーキレバーを引き、右手の親指でスタータスイッチをプッシュした。セルの心地よいブルルル~~という音が体に伝わってきた。その瞬間、甲高い声が、鳥羽を呼び止めた。「鳥羽ク~~ン。お出かけなの?どこ行くの?食事?食事だったら、付き合うけど」よりによってこんな時に小悪魔に絡まれるとは、ついてない、と思ったが、返事だけはすることにした。「ちょっと、用事があるんだ」

 

 小悪魔は、追い打ちをかけてきた。「用事って?そんなに、急ぎなの?美緒も手伝おうか?」そういい終えた時には、美緒の右手が鳥羽の肩にあった。鳥羽は、無駄話をしていては、渡船の出発時刻に間に合わなくなると思い、これからのことを話すことにした。「いや、用事って、姫島に行くんだ。ちょっと、急ぐんだ。悪いな」美緒は、即座に返事した。「姫島だったら、一緒に行きたい。いいでしょ~~。デートってわけじゃないんでしょ。一人でしょ。美緒、行きた~~い。行きたい、行きたい。お願い」美緒のお願いを断っていたら、出発時刻に間に合わなくなると思い、承諾してしまった。「別にいいけど」美緒は、笑顔で返事した。「そいじゃ、美緒のクロスビーに乗って」鳥羽は、原チャリを駐輪場に戻すと女子寮の駐車場に向かった。

 

 出発前に無駄話をしたが、岐志漁港には1130分過ぎについた。待合室に入ると、だれもいなかった。「僕たちだけか。思ったより早く到着した。美緒さんの車のおかげだ。助かったよ」美緒は、感謝されて有頂天になった。「そう、鳥羽君のお役にたてて、すっごくうれしい。これからも、遠出することがあったら、いつでも言って。美緒って、尽くすタイプだから」美緒は、人はいいんだが、なんとなく気味が悪い。悪く言うわけじゃないが、豊富な男経験からくる異様な馴れ馴れしさに虫ずが走る。時々、平然と男心をくすぐるようなことを口走る。用心。用心。

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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