算命学余話 #G13

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算命学余話 #G13 (page 1)

 一般市民が普段遭遇することのない社会の裏側を紹介してくれる教養動画番組『裏社会ジャーニー』に登場した元闇カジノディーラーが、以下のような愉快な体験談を披露していました。

 ギャンブル依存症の客がある晩高額で賭け続けていたが、持ち金が底を突いたので遂にその場で借金してゲームを続けた。闇カジノの借金元と言ったら、勿論極道である。ギャンブルで頭が焼けちゃっているその客は、結局大負けして多額の借金を背負うこととなった。一生かかって働いても返せない額であり、相手は自己破産に応じない極道だ。これはやっぱり死ぬしかないな、と誰もが思う。
「その人はその場で殺されたんですか?」
 とのインタビュアーの問いに、目撃証人である元ディーラーが答えて曰く、
「いえ、その時は帰してもらえたんですが、数日後に亡くなられましたね」
「ど、どういう死に方を?」
「まあ、寿命をお迎えになったのだと」――
 そんなタイミング良く寿命の来るわけがないだろう、とインタビュアーは突っ込みますが、元ディーラーにとっては、このように突然寿命を迎える不運な客に遭遇するのは珍しくなかったようです。

 この話を聞いて思わず膝をポンと打ったのは、算命学の見地からすればこれは確かに「寿命」と捉えられるからです。人間の死というのは、突然来るものではありません。人生の坂道には上りと下りがあって、下りが続いて加速している状態であったり、急激に上り詰めた直後だったりすると、ちょっとした刺激で人間は命を落とすことがあるのです。
 宿命を見ればこうした上り坂や下り坂を確認することはできますが、当人がこの上り下りをどう歩むのかまでは判りません。慎重に上り下りしている分には問題は生じませんが、軽率だったり無理をしたりして押し進めば、制御を失って事故を起こします。従って、実際の生き方を見てみないからには、命に係わるほどの事態に発展するかどうかの判断はできないのです。

 この場合を想像するに、この客は数年をかけて依存症となった。この間は下り坂です。それでも道を引き返す機会は何度かあったはずです。この機会が上り坂に当たります。しかし最終的に更生の機会の全てを振り切って最後の一線を越え、完全に道を見失います。これが下り坂の加速がついた状態。あとは極道に借金して負けるだけ。負けた日なのか始末された日なのかは定かではありませんが、この人の寿命を一気に引き寄せた何らかの後天運が、その日に集中していたか、蓄積していた。算命学的にはこんな見立てになります。あくまで推測ですが。
 そもそもこの人が最初の下り坂を下っている時にギャンブルに手を出していなければ、このタイミングでの寿命を引き寄せることにはならなかったでしょう。或いはその後の小さな上り坂が何度か現れた時に、家族や友人が殴ってでも止めてくれたなら、この人が最後の賭場に足を踏み入れることはなかったかもしれない。持ち金を全部すった時にカジノ側から借金するのを踏みとどまっていたなら、ただの不運な一夜で済んでいたかもしれない。

 このように、本来の寿命(自然死の時期)がずっと後に控えているにも拘らず、その寿命を急激に前倒しにする過程には、それを制止しようとする力学が何度か働きます。それは家族や友人の働きかけであったり、仕事での転機であったり、転居であったり、他に興味をそそる対象との遭遇であったりとさまざまですが、こうした力学に素直に乗って上昇下降を繰り返しているうちに、元いた道に戻れたりするのです。その際は、こうした乱高下を「あの時は人生の波乱期だった」と後になって思い起こす程度の事件で済むのです。
 命を落とすまでに至るには、こうした外的・内的作用を全て振り切るほどの思い切りなり盲目的行為なりが必要で、そこまでの決断をさせるには、余程の事情があるか、正常な判断力を完全に失うなどの極端な状態が整っていなければならない。そこに至る道のりには幾つものステップがあって、それらを全部こなさないうちは死を手繰り寄せることはできない、と算命学は考えています。要するに、横死といえども一夜にして成らず、というわけです。

 宿命を見さえすればその人の死期や死に方が判る、というのは誇張です。人の人生を決めるのは宿命が半分、生き方が半分といった割合ですから、宿命が「70歳頃に死ぬ可能性が高い」と言っていても、生き方次第で実際の死は前にも後ろにも倒れます。だからあまり死期や死に方を気にして生きるのは意味がない。自然な死に方をしたいのなら、宿命を無理なく消化できる生き方をした方が、余程確実です。

 今回の余話のテーマは「基礎から考える」シリーズの天胡星です。天胡星は病人の星です。前の段階の天堂星は老人でした。現役を退いた老人が病んで死に至るまでの過程が、天胡星に当たります。だからといって、天胡星を持って生まれた人が病気がちであるとか、死にやすいとかいうことではありません。老いて死にかけた人とはどういう性質を帯びているものなのか、どういう態度で世界と向き合っているものなのか、そうしたことが性格や価値基準、行動に現れるという意味になります。
 「棺桶に片足を突っ込んでいる」と揶揄される天胡星は、死を目前に控えながらも、この世であるこちら側に顔を向けています。その目はこう言っています。「自分はまだ生きている」のだと。
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