神 理 の 書 15
無常観の無知蒙昧
古今東西、とかくこの世は、
『 無常 』 すなわち 『 常に移り変わる定め難いもの 』 であり、
よって、『 頼りなくも儚(はかな)い 』 、
つまりは、『 夢幻(ゆめまぼろし)のようなもの 』 にもすぎない、
とさえ想われてもなりません。
さては、そうも想い遣(や)られてならないからこそ、
『 この世・現世 』 は、
『 仮の世 』 とも見做(みな)され、
『 真の世・世界 』 こその、外(ほか)にある、
ともされずに措(お)かれなかったのです。
果たしては、『 この世・現世 』 の、
『 厭離穢土(えんりえど)』 とも見下され、
『 真の世・世界 』 こその、本来あるべく望ましくもある、
『 欣求浄土(ごんぐじょうど)』 とばかりに、
想い為されてもならなかったのです。
さて、そうもした考えにして想い込みこその、
間違いの無く本当に正しくもあるのでしょうか?
いえ、断じてもけっして、そんなはずなどありません!
それにもかかわらず、
そうも想われてならないのは、
偏(ひとえ)にして専(もっぱ)らにも、
そうも思う人の、つまりは、
『 無知蒙昧(むちもうまい)』 がためにも、
他ならないに違いないのですから。
なぜかと言えば、
次のような理由にして、
根拠からにも他ならないのですから。