神理の書 4

神理の書 4( 2 / 6 )

 

                                                                    例えば、『 哲学 』 に、

その希(のぞみ)を託そうと、

どうにも思わしく想われません。

 

なぜなら、『 西洋哲学 』 は、

今なおデカルト的懐疑の牢獄に、

『 自我 』 を幽閉し続けたまま、

解放の手立てすら見出せないでいますし、

『 東洋哲学 』 にあっては、

そもそもからして 『 超越の最たる 』、

『 天 』 を以って 『 個 』 に優先される、

『 老子 』 の教えを根本にも引き継いでは、

今日現代にあってさえ尚も、

それすら超えられないかの有様なのです。

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                                                                   望むらくも願わくば、

そうもした洋の東西を併(あわ)せ持ち、

しかも現実の有りの儘(まま)にも即すべく、

一切合切(いっさいがっさい)齟齬(そご)矛盾の無い、

『 中庸(ちゅうよう) 』 教えにも適(かな)う 、

『 天人合一 』 こその、

名実共にも成し遂げられもすれば、

それに優ろう事などの有ろうはずも無いのですが・・・

 

生憎にも 『 言うは易(やす)く、行なうは難(かた)し 』、

それのまさに至難にも他ならないのです。

 

 

神理の書 4( 4 / 6 )

 

              飛躍を遂げるには

                                                                    奇しくも2020年、

まさに降って湧いたように、

世界的感染拡大を招いたコロナ危機こその、

いかにも国境を越えたグローバル化の、

もはや避けては先に進めぬ必至さを、

涙ながらに痛感させられると共に、

それに伴う生みの苦しみの、

まさかこれ程までとは・・・と、

熟(つくづく)思い知らせられでもするかのように、

やはり相も変わらず多聞に漏れず、

尊くも多大な犠牲こその、

無性に遣り切れなくも嘆かわしいばかりに、

払わされずにも措かれませんでした!

 

さても、旧態依然たる現況を打破し、

文字通りにも一大飛躍を遂げるには、

こうも手酷く思い知らされずにも措かれないものなのか、

そうもした今更ながらの忸怩(じくじ)たる感慨こその、

その達成・成就(じょうじゅ)の必然の感共々、

自ずからにも改めて、

抑え難いばかりに胸に迫っては、

それこそいかにも迫真の焦眉(しょうび)のさながらに、

嗚咽(おえつ)ながらに込み上げもしたのではないでしょうか?

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             犠牲を尊び試練に学ぶ

                                                                    苦難・災禍に見舞われるたび、

已む無く払わされずに済まされなかった、

死傷さえを伴う多大な犠牲の尊さを、

けして軽んじ、況(ま)してや無駄に、

時の流れのままに任せて、

忘却の彼方へ忘れ去られようことなどの、

断じてもけっしてあってはならないのです!

 

とかく 『 至り尽くせない』 のが当然の私たちには、

自ら招くにせよ招かざるにせよ、

被(こうむ)らずにも措かれない苦難・災禍の、

それこそ絶えることの無いのですから・・・

それゆえ、せめてにも、

努めて怠(おこた)りなくも、

能力の有らん限りに尽力(じんりょく)を尽くし、

篤(とく)と試練に学ぶよりないのです。

                                          

shinrikyusai
作家:主代 宗元
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