神 理 の 書 4
世界人類的進化への飛躍
『 伝統宗教 』 は、
もはや時代錯誤も甚だしい、
文字通りの 『 時代遅れ 』 であり、
今を盛りに、なお進歩の進捗(しんちょく)著(いちじる)しい、
利便この上ないかの 『 科学 』 は、
良くも悪くも両刃の剣。
ならば、『 宗教 』 の遅れを補正し、
利器の 『 科学 』 を正しくも扱うべく、
その監視・統制・制御を果たす役割こその、
はたして一体何こそに、
求められるべきなのでしょうか?
さては、それの何かの見出されもすれば、
全世界全人類挙げての、
最たる希求にして、
最終目的ですら有り得よう、
いわば世界人類的進化こその、
果たされようことともなるのでしょうが・・・
例えば、『 哲学 』 に、
その希(のぞみ)を託そうと、
どうにも思わしく想われません。
なぜなら、『 西洋哲学 』 は、
今なおデカルト的懐疑の牢獄に、
『 自我 』 を幽閉し続けたまま、
解放の手立てすら見出せないでいますし、
『 東洋哲学 』 にあっては、
そもそもからして 『 超越の最たる 』、
『 天 』 を以って 『 個 』 に優先される、
『 老子 』 の教えを根本にも引き継いでは、
今日現代にあってさえ尚も、
それすら超えられないかの有様なのです。
望むらくも願わくば、
そうもした洋の東西を併(あわ)せ持ち、
しかも現実の有りの儘(まま)にも即すべく、
一切合切(いっさいがっさい)齟齬(そご)矛盾の無い、
『 中庸(ちゅうよう) 』 教えにも適(かな)う 、
『 天人合一 』 こその、
名実共にも成し遂げられもすれば、
それに優ろう事などの有ろうはずも無いのですが・・・
生憎にも 『 言うは易(やす)く、行なうは難(かた)し 』、
それのまさに至難にも他ならないのです。
飛躍を遂げるには
奇しくも2020年、
まさに降って湧いたように、
世界的感染拡大を招いたコロナ危機こその、
いかにも国境を越えたグローバル化の、
もはや避けては先に進めぬ必至さを、
涙ながらに痛感させられると共に、
それに伴う生みの苦しみの、
まさかこれ程までとは・・・と、
熟(つくづく)思い知らせられでもするかのように、
やはり相も変わらず多聞に漏れず、
尊くも多大な犠牲こその、
無性に遣り切れなくも嘆かわしいばかりに、
払わされずにも措かれませんでした!
さても、旧態依然たる現況を打破し、
文字通りにも一大飛躍を遂げるには、
こうも手酷く思い知らされずにも措かれないものなのか、
そうもした今更ながらの忸怩(じくじ)たる感慨こその、
その達成・成就(じょうじゅ)の必然の感共々、
自ずからにも改めて、
抑え難いばかりに胸に迫っては、
それこそいかにも迫真の焦眉(しょうび)のさながらに、
嗚咽(おえつ)ながらに込み上げもしたのではないでしょうか?