算命学余話 #G10

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算命学余話 #G10 (page 1)

 前回の余話#G9では、人間のプライドというものが星の持つ性質によって異なる様相を帯びる、ということについて論じました。その一例として「入墓の星」である天庫星を挙げた際に、「家系を大事にする家は、長男が家を継いで墓を守るものである」と述べました。この理屈だと、次男・三男は問答無用で家を出なければならず、娘に至っては全員嫁ぐのが前提だということになります。現代風の平等主義からすれば、とんだ差別に聞こえたかもしれません。
 でもよく見て下さい。最初に「家系を大事にする家は」と断っています。あなたは自分の家系を大事にして暮らしていますか。いないでしょう。いない人ほど現代的な意味の平等主義に賛同するのです。家系を大事にする人や、望んでいなくとも大事にしなければならない人は、いい取り分もあるかもしれませんが、同時に責任も負わされます。自分の代で家系を途絶えさせるわけにはいかないからです。そのためには、自分の私的な生活や欲求をある程度犠牲にする覚悟がなければならない。つまり、それほど自由には生きられないということです。この点、次男三男は気楽なものです。

 ではそれほどまでに家系は大事なものなのか、という疑問はここでは置いておきましょう。大事な家系であっても途絶えてしまうことはあるし、大事にしていない家系なのになぜだか長く続いてしまう場合もあるからです。
 ここで論じたいのは、家系の存続のためになぜ長男が必要なのかということです。どうして次男や三男ではだめなのか。長女でもだめなのか。長男が早く死んだらどうなるのか。女が家を継いだらどうなるのか。DNAやら染色体やらの生物学的知識のなかった時代に成立した算命学が、よもやY染色体を認識していたとも思えないし、Y染色体でいいなら次男三男だって構わないではないかという話になってきます。だいたい、女性にだって天庫星を持って生まれる人は山ほどいます。家を継がないならこの天庫星はどうすればいいのか。
 こうした疑問、現代の日常生活にはおよそ関係なさそうな疑問について、算命学の見解を眺めてみます。
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