算命学余話 #G8

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算命学余話 #G8 (page 1)

 昨今のコロナウィルスに関連して、老人について考察します。『算命学余話#G5』では生物学から知恵を拝借しつつ、「人間は集団の生き物である」という算命学の見解を展開しました。その集団とは無論、人間集団であるわけですが、そこには老若男女が含まれます。老人だけとか、若者だけ、という前提ではない。世代も性別も入り混じっているのが自然な姿です。
 しかし近代以降の社会では生産効率を優先するため、仕事の分業と並行して人間の分別化が進みました。子供は物心がつけば学校などの教育機関へ集められ、同年代の子供たちばかりと付き合うようになります。大人になると、社会人として多少幅のある世代を集めた空間で多くの労働時間をすごしますが、そこには子供や赤ん坊はいないのが普通で、引退年齢の老人もいません。或いは能力による分別化によって、同世代であっても顔を合わせる相手とそうでない相手に二分されます。労働の効率化のためには、その方が都合がいいからです。
 但し、男女に至っては、近代化以降の方が男女混交の比率が上がったかもしれません。社会に出て働く女性の少なかった時代には、男性同士の付合いと、女性同士の付合いに、より二分化されていたように思われます。それは男の仕事と女の仕事との間に、はっきりした境界線が引かれていたからです。現代社会ではそれがやや崩れています。

 我々の生きる社会というのは、集団の質に偏りがあります。それは主に世代で区分けされている。つまり、異なる世代間の交流が希薄な社会だということです。近代以前と比較すれば判りやすいのですが、江戸時代などは子供が生まれても保育園や学校をどうするかとか悩む親はいませんでした。
 昔は子供を普通に自宅で育て、弟妹が生まれたら兄姉がその面倒を見、やがて両親の仕事の手伝いを始め、ゆくゆくは大人となって跡を継いだり家を出たりする。家庭内の老人は自宅で老衰するのが普通であり、子も孫も人間の老いと死を自宅で眺めたのです。そして、周囲には村や町の住民同士の付合いがありますから、家庭サイズから少し拡大した社会の範囲で、こうした老若男女の営みを身近に眺めながら、人は一生を暮らしていた。

 その範囲がそれほど広範でなかったのは、現在のような交通の便も長距離移動の必要性もなかったからです。そのため、『算命学余話#G5』で述べたように、十世代も同じ場所に住んでいれば、所属する町村集団はほぼ全員が血縁者となり、「町内に生まれた子供はもはや自分の子供である」という認識に近くなる。それが愛郷心にもなる。
 しかし現代社会は違います。現代人の行動範囲は広がり、遠方からの移住者も増えたことから、近隣住民間の遺伝子レベルの近親性は希薄になりました。たとえお隣さんに子供が生まれても、もはや「自分の子供だ」とは思わないのが普通です。まあ、その子の成長を身近に眺めて暮らすうちに、隣人にそういう感情が醸成されることはあるでしょうが、それにもある程度の年月が必要です。

 この状態を、どうやら自然は「不自然だ」と見做したようです。本来集団の生き物であったはずの人間が、世代間で分裂し、生活集団範囲内でも繋がりが薄れて、互いに親近感や一体感を得られにくくなくなった状態は、数億年に及ぶ生物の歴史の流れにそぐわない。これでは個体が孤立して、生物として立ち行かなくなる。だから自然はより「自然な姿」へと人間を引き戻す手段に出た。その一つがコロナウィルスの登場だという考え方は、非常に算命学的です。
 コロナウィルスが肺炎を引き起こすことで、そもそも肺炎による死亡率の高い老人の寿命を早めている事態は、『余話#G5』にも書いた通り、生物としての人類全体にとっては延命・刷新効果があります。冷たい言い方かもしれませんが、それほど嘆かわしい事態ではないということです。しかしそれとは別に、コロナウィルスの致死率の低さとは裏腹に、コロナウィルスが現代人の社会生活に与えた影響は甚大です。

 感染拡大を防ぐための措置として、まず人の集まる大規模イベントが中止され、人々は一か所に密集して集まれなくなりました。次に学校が閉鎖され、子供たちは各家庭に分散して暮らすことになりました。大勢の同世代の子供たちとは接する機会がなくなり、代わりに世代の違う家族やご近所との接触時間が増えました。親たちも仕事を在宅でするようになり、子供と過ごす時間が増えましたし、或いは子供の面倒を見てもらうために老いた両親に助っ人を頼む家も増えたことでしょう。つまり世代間の交流が増進・活性化したというわけです。
 コロナウィルスのせいで図らずも現代人は、近代以前の密接な世代間交流を復活させたのです。算命学的視点では、コロナウィルスとは、いくつかある役目の一つとして、こういう役目を担った自然現象であると捉えています。そのウィルスとしての出自が自然であったか人為であったかは、問題ではありません。実際にこの世にある特定の作用を及ぼすために、宇宙なり自然なりが招いた現象なのです。

 ここで注目したいのは、やはり老人です。何もコロナで死ぬ老人が、社会に害なす有害老人ばかりだとは言いません。周囲に愛された老人であっても、生き方が宿命から外れていたのなら淘汰の優先上位に上がりますし、そもそも人間には寿命というものがあります。総じてコロナウィルスは老人の命を狙う病であり、順番として老人が若人より先に死ぬのは自然に即しています。では社会における老人の役割とは何なのでしょう。この点について、算命学は哲学的とも呼ぶべき解釈を提示しています。
 というわけで今回の余話のテーマは老人の星、天堂星です。天堂星の性質を知ると、人間がどのように老いていくのが良いか、その高潔な老い方について学ぶことができます。アンチエイジングという軽薄な流行に惑わされて、老いることを忌み恐れるようになった現代人に向けて、見た目ではなく中身で勝負する老人の美しい老い方とその役割を、算命学は数先年の昔から、以下のように考えています。
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