算命学余話 #G6

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算命学余話 #G6 (page 1)

 前回の『算命学余話#G5』では、人間が集団の生き物であるという点について、生物学の見解を拝借しながら論じてみました。世代交代の話については、昨今世界を騒がせているコロナウィルスとも無縁ではありません。このウィルスが人類に何を語っているか、薄々気付かれた方も多いと思います。なに、気付かない? では気付かなかった人は、お手数ですが『余話#G5』を再読の上、今回の余話もご購読下さい。
 既に気付かれた方には、議論を先に進めましょう。今回も引き続き生物学の観点を踏まえながら、算命学の考える「人生の質」を考察してみます。

 前回の余話では、所属集団への貢献度が人間の寿命を伸縮させると述べました。これは生物学が導き出した見解です。しかし同時に、生物学はこれとは異なる視点の研究結果も報告しています。それは、そもそも生物というものの寿命は、その動作に代表される活動の密度によって伸縮するものだということです。
 哺乳類を例に取ると判りやすいのですが、リスやネズミなどの小動物は動きが素早いです。その心臓の心拍も、安静時であっても非常に速い。そして寿命は2年ほどです。逆にゾウなどの大型動物は動きがゆったりしていて、そりゃ本気で走れば人間よりは速いですが、何しろ体重も重いですし、素早く動くことはできません。心拍も人間に比べて倍ほども遅いです。そしてその寿命は数十年に及びます。
 このことから判るように、一般に生物というのは小型で素早く動くものほど寿命が短く、大型でゆったり動くものほど寿命が長いということです。現代の人間は文明によって寿命を延ばし、ゾウに匹敵する長い人生を手に入れましたが、文明以前は20年ほどの寿命であり、その長さは体のサイズと概ね一致しています。

 野生動物の世界では、生存目的の活動が全てです。餌を獲り、天敵から身を守り、子孫を残す。そのために大型であった方が都合がいいのか、小型の方がいいのかは、その種の選んだ選択肢に過ぎず、ここに優劣はありません。
 しかし人間について論じるのであれば、ただ生きているだけでは幸せとは言えません。いくら死なないからといって、植物人間のように眠り続ける人生を幸福な人生とは見做しませんし、奴隷のような激しい肉体労働を強いられる人生も、できれば回避したいです。つまり人間は人生というものを、時間的な寿命の長さよりも、その生きた内容で量りたいと思っている。そういう生き物だということです。
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