算命学余話 #G5

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算命学余話 #G5 (page 1)

 前回の『算命学余話#G4』は、生物の進化と絡めて算命学思想を紐解いてみました。意外にも人気の回となり、算命学を学習していない人にも好評でした。私自身もこの種の生物学的見解には興味を惹かれるので、今回も引き続き生物学と算命学の相似点を論じてみます。

 まずは同性愛についてです。同性婚という法的措置が算命学の議論の外にあることは何度も述べたので、ここでは繰り返しません。問題は同性愛の方です。同性愛は算命学でも命式としてあり得ると認めていますが、生物学の世界では既に、どういう人が同性愛になりやすいかという一つの結論を出しています。
 それは、その一族の女性が多産であるということです。親戚内の女性たちが数代遡っても妊娠・出産しやすい体質である。そういう女性が多く生まれる家系である。こういう条件の家系においては、男子が生まれると同性愛になる傾向が強いというのが、研究調査によって判明しています。(但し、女性の同性愛については元々数が少ないので、データ不足につき判定できないようです。)

 これが何を意味しているかというと、人間は個人の生き物である以前に集団の生き物であるということです。集団として子孫、つまり遺伝子を残せる可能性が高いのであれば、子孫を残せない個体が中に混じっていても痛手にはならない。だからそういう血縁集団の中に同性愛者が生まれやすい。
 逆に多産でない家系の場合は、同性愛者が生まれると子孫が絶える可能性が高いので、自然の摂理、或いは生物の生存欲求として同性愛者が生まれにくく、仮に生まれてその後家系が絶えたなら、その家系は既にこの世に存在していない。だから同性愛者の生まれる家系とそうでない家系は、概ね二分されている。こういうことです。じつに合理的な説明です。これが科学というものです。

 同性愛を生理的に嫌悪する人というのは、自然の本能として自分の家系・遺伝子が途絶えることを危惧している人なのでしょう。それは、自分の家系が多産でないことを、知識からではなく無意識レベルで知っているということでもあります。そういう本能的な知恵や警戒心が、人間には予め備わっている。
 同性愛がキモチワルイとか不自然だとか非生産的だとか言うのは、単なる後付けの言い訳に過ぎません。その人の本能が嫌がっているのなら、理由はどうとでも付け加えられます。またその人の本能に基づく拒否感、子孫断絶の危機感を取り除くことができない以上、その人を説得して同性愛を認めさせようという試みも無意味です。
 こう考えると、同性愛を認める・認めないで差別だ何だと騒ぐのは、ピントが外れています。この種の議論は平行線をたどるのが正しいあり方なのです。なぜなら両者は遺伝子レベルで折り合わないのですから。無駄な時間と労力を費やさずに済むよう、いっそ議論しない方がいいでしょう。算命学は議論しません。

 算命学が議論し、生物学の導き出した科学的結論に共鳴するのは、人間が集団の生き物だという点です。集団を形成するにはまず最小単位として家族があり、次に親族、更には一見して血縁のない所属社会集団へと拡大します。
 生物学的見解によれば、人間は概ね10代ほど代々その地域に住み続けると、ほぼ全ての地域住民と遺伝子的繋がりができると云います。地域のサイズにもよりますが、長距離移動の習慣のなかった時代なら、ご近所様は親戚とほぼ同義で、遺伝子がかぶっているから親近感も強くなる。どこかの家庭で子供が生まれれば、それはもう自分の子供であると言っても過言ではない。それほど遺伝子は近いということであり、これを拡大すれば愛郷心や愛国人に繋がります。

 どこかで子供が死んだり、誰かが悲惨な死を遂げたりするのを聞いた時、それが身近な人であるほど悲しく感じます。逆に縁もゆかりもない遠い国の話であるほど、悲しいとは感じません。これは心が冷たいからではなく、自分の属する集団の話でないからです。突き詰めれば、自分と同じ遺伝子を持つ者ではないからです。もっと言うなら、「自分の子供じゃないから」です。遺伝子的所属集団というのは、それほど威力があるのです。
 これが生物学の出した科学的結論であり、算命学が抱える家系論の根底にあるものなのです。だから余所の国で貧困に苦しむ子供たちを救おう、という呼びかけは、倫理的には立派であっても、生物学という合理的見地からすれば、そしてこれに更に輪を掛けてドライな算命学の見地からすれば、リアリティを無視した綺麗ごとに聞こえるわけです。
 それどころか算命学は、こうした過剰な正義に酔いしれるのは官星の悪い癖だと、バッサリ斬り捨てています。つまり、身を削ることで輝く官星の好む習性であっても、他の8つの星々の「喜び」にはならない行為だということです。(『算命学余話#G3』参照)

 このように、生物学の見解は意外にも算命学と親和性がありました。どちらも現実を直視して綺麗ごとを排除しているのです。ここから先は、世代交代の話と、男女の寿命差について、目からウロコな生物学的見解を算命学の目で眺めてみます。
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