ぱるす通信〜こころのくすり箱〜第28号

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西端春枝の一口法話( 1 / 1 )

『子 鹿』

 今年、9月12日のお月見はきれいなお月さまでした。

 皆さん、ウサギさんがなぜお月さまの中にいるかご存知ですか? もちろん寓話です。

 

 昔々、仲のよいサル、キツネ、ウサギがいました。仏さまがどれほど仲がよいのか試そうと、おじいさんに変身して近寄ってきました。

 「サルさん、皆さん、私はとてもお腹が空いて歩けないのです。何か恵んでください」と、声をかけました。

 サルはすぐ木に登り木の実を採って差し出しました。

 キツネは川に潜り魚を捕ってきました。何も採れないウサギはじーっと考えていました。そしてサルに言うのです。

 「ねえ、山へ行ってシバを取ってきて積み上げて……」、そしてキツネに「ねえ、火をつけて……」。勢いよく燃え上がる火を眺めながら、ウサギは「おじいちゃん、丸焼けになった私をお上がりください」と。

 ウサギが火に飛び込もうとしたとき、おじいさんは、あっという間にもとの仏さまの姿に戻り、ウサギを抱いてお月さまに帰られたのでした。


 このお話は、「人さまには身を捧げるくらいに親切にするんだよ」との教えですが、卯年の私の母はこの話をするとき、とても誇らしげに話すのでした。

 母は幼少の頃から足が悪かったものですから、歩き方が他の子どもと違う姿に異常を感じ、何度も母に訴えたそうです。が、「そのうち治るよ」と、ノンキな人だったと言っておりました。

 広い寺の庭で弟や妹の子守ばかりしている母に、同じことを何度も言えず、ひとりでお医者さんに行ったのですが、そこは内科でした。先生は内科と外科の説明をしてくださり、母はまた、ひとりで外科の門を叩いたのです。結果、「来るのが遅かったね。もう手術はできなくなっているよ」と言われたそうです。さりとて親を責められず、子守ばかりしている母が恨めしく、涙を流したと言っていました。

 でも、お仏飯で育ってきた人でしたから、「私の前世の宿業なの」と、受け入れ、お念仏を申しておりました。

 きれいなお月さまを見ると懐かしく思い出す話です。

 さて、前段が長くなりましたが、今回の左藤義詮先生のお話は『子鹿』です。


 昔、横川の草庵にという立派なお坊さんがいて、いつも一切経の経本を読んでおられました。

 ある日、庭先の物音に障子を開けてみると可愛い子鹿が紛れ込んでいました。どうやらお腹を空かしている様子に食べ物を与えると、終わるとすぐに眠ってしまいました。

 それから子鹿は、毎日のように草庵を訪ね、食べ物をもらい、やがてお坊さんの膝に甘えて眠るようになりました。

 その可愛い寝顔に、お坊さんも毎日、子鹿を心待ちするようになり、幸せな日々が続くのでした。

 ある日、恵心僧都さまは、心を許して眠っている子鹿を眺め、「私は今、人間と鹿を超えて、愛しい心が芽生えていました」と思い至りました。

 このまま鹿が大きくなって、いつの日か人里に降りた場合、人間を信じて猟銃で打たれると、気づいたお坊さんは、翌日からすり寄ってきた子鹿を、隠し持った鞭で打つのでした。

 驚きながらも子鹿は立ち去りません。お坊さんの顔を見る仕草に、心で涙を流しつつ、お坊さんは、子鹿をまた烈しく鞭打つのでした。

 ようやく納得したのか、子鹿は悲しい声を張り上げつつ、庵を去っていくのでした。外はの雪の中……。

「愛情が愛情のままで貫き通せないのが、悲しい地上のさだめなんだよ。許しておくれ、許しおくれ」と、手を合わせ、お坊さんは涙ながらに詫びるのでした。


 愛とか恋とか、言えない、聞けない、当時、中学生の私たちにとって、海外留学も終えられた先生のお話は、夢の園にいるようでした。

 「因縁により来たり、因縁により去る」。ではまた。


【にしばたはるえ】

大正11年(1922年)、大阪の浄土真宗勝光寺の長女として生まれる。昭和25年(1950年)、北区天神橋筋に一坪半の衣料品ハトヤを開業。同38年(1963年)、株式会社ニチイ創立と共にゼネラルカンセラー、人事部長、教育部長を歴任。49年(1974年)にニチイ退職、浄信寺の法務につく。


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