算命学余話 #G1

算命学余話 #G1600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G1を購入

算命学余話 #G1 (page 1)

 前々回の余話#R119の補足です。環境少女グレタを契機にスウェーデンの実態と、算命学から見た家庭内の陰陽バランスについて触れました。今どきの日本は夫婦共働きの家庭が一般的だと思いますが、だからと言って共働き家庭の全てがスウェーデンのように「父親二人で母親不在」の様相を呈しているかといえば、そうではありません。
 ひと昔前の厳格な家庭では、唯一の稼ぎ手である父親は文字通り大黒柱であり、家事や育児には参加しませんでした。しかし昨今はこういうお父さんの方が珍しく、お母さんもフルタイムで働いていると一方的な経済依存という図式は成り立たず、そうなると家事・育児も夫婦でシェアしないと不公平だという感覚になります。

 つまり、算命学の陰陽で振り分けると、確かに「外で仕事をして稼ぎを持ち帰るのが父親の役目(陽)」で、「家にいて家庭内に憩いの場所を提供するのが母親の役目(陰)」というのが一番判りやすい図式にはなるのですが、これ以外に陰陽の振り分け方がないというわけではありません。母親が外で働いて出世に意欲を見せるなら、その突出分を父親の軟化によって補えば、陰陽の収支は等しくなります。妻の方が夫よりも稼ぎがいいのなら、職場で注力しない夫が代わりに早く帰宅して、食事の支度や子供の送り迎えをやってもいいわけです。
 妻が取った分の陽は、夫がその分を陰として引き受ければプラスマイナスはゼロです。要するに、家庭内の役割の陰陽がプラスマイナス・ゼロになることが、安定した家庭や健やかな子供の成育にとって好ましいのです。

 しかしスウェーデンの例では、どうやら夫が軟化しないことに問題があるようです。男性上位の文化圏に生まれ育った男の哀しい性でしょうか、妻の尻に敷かれることに、日本男性が覚えるほどのマゾヒズムを感じないようです。
 もともと日本人は全体的に女性的な国民性だと言われます。自己主張が少ないとか、自己の正当化に不熱心であるとか、自分が悪くなくてもとりあえず謝っておくとか(闘いたくないからです)。確かにこうしたユルイ性質は、算命学で言うところの「女性的・陰的」性質です。日本の男性がこうした性質を身に付けて人前に曝すことにさほど抵抗を感じないことは、夫婦間の陰陽シェアを容易に取り換えられるという柔軟性の表れです。

 一方のスウェーデンの男性は、なるほど子育てに協力はしていても、それは「理解ある優れた男」という社会的評価に関わるからであり、間違っても「妻の尻に敷かれてちょっとウレシイ」という陰的感覚からではありません。こういう軟化できない夫と、グレタが成長したような妻とで構成される家庭が「陽・陽」つまり「父親二人で母親不在」の家庭の典型例なのです。陽に対する過度の偏重が、子供の健やかな成育を妨げる。勿論、逆の「陰・陰」に偏っても同じことです。
 では補足はここまでにして、今回のテーマは新年である庚子についてです。まずは恒例の新年大予想です。2月4日の立春から算命学の新年が始まり、年干支が新しくなりました。奇しくも『算命学余話』もR番が120番まで一巡りして今回からG番が始まりますが、子年は十二支の筆頭ですからやはり「開始」という意味があります。その上に庚金という天干が載っています。まずこの風景を考えてみましょう。

 天干の庚金は陽金ですから、自然風景は岩です。一方地支の子水は陽水なので海や大河を表します。大波に洗われ飛沫を上げる海岸の岩や、断崖の間を流れる大河を想像して下さい。豪快で荒々しい風景です。
 本来、金性と水性は五行の中でも両隣で相生関係にあるため、相性はいいです。しかし庚子という干支の組み合わせとなると風景が荒く、ぶつかり合いが激しい。本来仲の悪い組み合わせではないのだけれども、どちらも自己主張をすればするほど、衝突に拍車がかかる。新年はそうした自己主張による衝突が始まる一年になるだろうと、ざっくり想像されます。

 具体的にどういう事態が考えられるかというと、まず庚金は名誉や献身を意味しますから、社会的な傾向として名誉や献身に関わる事業や行為がもてはやされます。これまでの金儲けや健康といった志向は、過去のアイテムとして扱われるでしょう。新年は、利他の心を以って自己犠牲的な奉仕活動することが善しとされ、そのことによって称賛を得ることがカッコイイ生き方だという考えが広まります。
 折しもグレタに始まる環境保護活動の末期症状は、意外にも新年の庚金による追い風を受ける可能性があります。但しこの庚金は一年限りですし、もっても二年目の辛金までです。三年目以降も継続させたいのなら、もっと中身のある、金儲け(土性)から離脱を果たした別の思想なり活動なりに切り替える必要があるでしょう。環境保護の思想自体は間違ってはいないのですから。
 自己犠牲と金儲けが両立することはありえず、新年は自己犠牲が流行る年になるでしょう。そこにはヒロイズムがあり、ヒロイズムというのは、憧憬が半分、冷笑が半分といった扱いを受けるものです。
算命学余話 #G1600の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #G1を購入
土星の裏側
算命学余話 #G1
0
  • 600円
  • 購入

1 / 2

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • 購入
  • 設定

    文字サイズ

    フォント