私の日々は、宝物。そして戦い

過去を恨む気持ち、悲しむ気持ち、

深い人生を生きる人は、この気持ちを知っているはずです。

しかし、どうしても許せない、受け入れられない過去も、

間違いなく、今の幸せを作っています。

私は一時、創価学会に熱心になり、自分の罪、悲しみと、過去を乗り越えようとしましたが、

やはり、どうしても受け入れられない過去もあるもので、

全てに感謝などできない、むしろ、辛かったことを押しのけて、上昇するパワーに変えようとしたとき、

私には創価学会は必要なくなっていました。

私は学会員が大切にする、ご本尊さまという、尊いはずの紙をファイルにはさみ、

仏壇に、私の宝物の貝殻のピンを貼り付けました。

辛い過去、それは、現状維持や、みんなが助かる世界を否定しています。

助けてくれた人には感謝、自分を虐げた人は、上昇するパワーに変える、

その強い意志があれば、宗教は必要ないのではないでしょうか。

宗教は、現状維持、みんなが幸せになる世界を現状維持するものです。

でも、感謝と、悲しみ、憎しみ、全部の気持ちを自分自身で昇華できる強さがあれば、

人は永遠に戦うもの。

幸せは、受け取るものでなく、勝ち取るものです。

私は、ある人の影響で創価学会に入りました。

しかし、入った途端、私の哲学が幕を閉じ、次第に受け身の人生になっていくのです。

何があっても、南無妙法蓮華経と唱えればいつか罪は消え、霊山という天国に行ける、、、

おかしくないですか?

つらいことは、自分の次の道、前進へのステップです。

南無妙法蓮華経で、全てが解決するのなら、そこで人としての成長が止まるのでは?

私は思い切って、創価学会の、ご本尊さま、と呼ばれるお守りの紙を仏壇からはずし、

ファイルにはさみ、仏壇には、私の宝物のピンをくっつけました。

創価学会では、憎しみは、許されない感情。

しかし、私を入会させた人にも、絶対に許せないという気持ちがあることを私は見極め、

心で創価学会を超える道を選びました。
私が本気で好きになった人は、三人います。

一人は、建築会社の社長、二人目は精神科医、三人目は、精神病患者の男性です。

今、三人目を本気で好きになり、一人目はもう汚らわしい思い出でしかなく、(私はその人に精神病を差別されたので)

二人目の精神科医の先生への気持ちも、今はマイナスの思い出でしかありません。

精神科医の先生だから、特別?という訳ではなく、

三人目の、精神病患者の男性の、本当の心の美しさと、強さと、愛の深さに比べ、

あの、正しいことしか言えない精神科医のO先生は、何と浅かったのだろう、と思います。

私の中で、精神科医を、患者が超えたのです!!

精神病は、弱い人間がかかる病気ではありません。

三人目に好きになった彼は、強く、優しく、少し厳しく、何より、正義と正しさを超えるほどの自我を持っています。
私は今、真剣な恋愛をやっと44歳で経験しています。

私は精神病患者、相手も精神病患者です。

お互い、主治医もこのことを知っており、見守ってくださっています。

私は長い間、差別の中にいました。

苦しんでいました。

しかし、私が愛する人は、差別をものともせず、その器の大きさで、精神病をものともせず、世の中をすごい力で泳いで生きています。

こんな逆境を、生き抜くパワーは、他に見たことがない、

私はもがいていた、しかし、この人と出会うためにもがいていたのだ、

私はそうして恋におちました。

karinomaki
私の日々は、宝物。そして戦い
0
  • 0円
  • ダウンロード

1 / 8

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント