算命学余話 #R115

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算命学余話 #R115 (page 1)

 クリスマスの季節が近づいてきました。クリスマスは本来キリスト教徒の宗教的イベントであり、日本の文化とは関係がありません。その日本でクリスマスが広まったのは商業的利益のためです。クリスマスの装飾や食卓、音楽や各種イベントはきらびやかで上品だし(少なくともハロウィンよりは)、プレゼント交換もあることから、大人から子供まで楽しむことができ、財布の紐も緩みます。日本固有の文化である正月に並んで経済効果が高く、経済人はこういう年間行事を廃れさせるわけにはいきません。だから毎年あれこれ趣向を凝らして商品やイベントを更新するのです。
 逆の見方をすれば、経済効果のない年間行事というのは衰退を余儀なくされます。この世に陰陽があるように、物事には発展と衰退がある。クリスマスやハロウィンといった外来の行事が幅を利かせると、相対的に日本の伝統行事が勢力を弱めます。節分や雛祭り、端午の節句、七夕などはまだ生きていますが、五節句つながりでは重陽の節句はほぼ姿を消しました。季節柄、栗ご飯を食べるくらいしか一般向けの形態としては残っていません。(まあ五節句自体が平安時代に中国から輸入した風習ではありますが。)

 なぜ重陽の節句だけ消えたかを考えるに、どうも子供が関係しないことが原因のようです。重陽の節句は9月9日に邪気を払うために菊酒を飲んだり、菊を鑑賞して詩を詠んだりといった、平安貴族が好んだ大人のイベントでした。今でも華道の世界では重陽の節句は重要ですが、それは菊の花が関係しているからです。
 現代は花屋に行けば菊以外の花も買えますし、バラとかランの方が華やかで人気です。つまりまず菊の人気が外来種によって下火になった。次いで酒は大人の飲み物だけど今はワインもシャンパンもあるし、即興で詩を詠める教養人もいなくなったし、ということで大人もやらなくなった。そもそも子供向けイベントでもなかった。豆撒きのようなアトラクションもないし。子供が喜ばないなら親も敢えてやらない。すると経済効果もない。だから廃れた、ということではないでしょうか。

 親が子に注ぐ費用は膨大で、他の出費を抑えてまでもここへ注ぎ込もうとする。親の愛情としては健全ですが、子供の将来を考えるのなら同時に忍耐をも教えるべきです。子供の要求するままに何でも買って与えるのは、商業主義にまんまと乗せられた親馬鹿のすることです。商業主義は禄ですから、禄に強く支配される人は考える力(印)を弱めます。子に対する親の愛情は本来無償でなければならず、これは印の愛です。しかしその無償の愛が商業主義に支配されてしまっては、本末転倒です。禄に惑わされない親の愛とはどういうものか、せっかくの年一回のクリスマスを機会に考えてみて下さい。(『算命学余話#R110』参照)

 ところで、肝心のクリスマス当日である12月25日は、キリストの誕生日ではありません。この日はキリストの誕生日を祝う日だというのに、キリストの誕生日は実は不明なのです。ではなぜこの日がキリストの誕生日として世界に知れ渡っているかというと、まあ商用が始めだったとは言いませんが、キリスト教を利用したい政治的思惑の結果だと思われます。なにしろキリスト教は、気にくわない奴に異端者のレッテルを貼って火炙りにしてきた乱暴な宗教です。人民を支配するために、不明のままだったキリストの誕生日を適当に設定することなど何でもなかったでしょう。
 なおなぜ12月25日にしたかといえば、この日は元々西洋にあった冬至祭りに当たっています。キリスト教以前の当地の土着宗教が、春の訪れの最先端である冬至を祝って雪の屋外に針葉樹を立てたのが起源です。これが現在のクリスマスツリーの原型であり、大して寒くもない中東出身のキリストとは何の関係もありません。そもそも土着宗教の祭りを上書きするようにキリストの誕生日をバッティングさせるという行為が、マウンティングのような邪な意図を感じさせます。
 土着宗教の痕跡を消し去るために敢えてこの日をクリスマスにしたという動機を考えれば、西欧人ご自慢の「文明性」にも大いなる疑いの目を向けなければなりませんし、日本の文化とは何の関係もないこうしたクリスマスを日本人が無邪気に祝ったり騒いだりする世相に対しても、距離を取って冷静に見つめる態度が求められるでしょう。

 さて今回の余話のテーマは、こうした視点を踏まえて、宗教と学問についてです。こう聞くと堅い話と思われるかもしれませんが、算命学の学習者の中には、算命学を宗教のように信奉している人がたまに見受けられます。算命学の実践が占いであることから、そういう方面に流れていくのもやむなしとは思いますが、本来算命学はその名の通り学問なのであり、陰陽五行で宇宙の様相を解き明かそうとする思想科学です。或いは、暦の作成のために天体観測もしていますから、自然科学と言ってもそう外れてはいませんし、「人はなぜこの世に生まれてくるのか」という永遠の命題に取り組んでいることを考えれば、哲学という括りにもなります。とはいえ、世間一般の自然科学や哲学とは何となく一致しないような印象もまた拭えません。
 算命学は宗教ではないので信仰の対象にはならないし、うっかり信仰すると却って目が曇ります。では算命学を追求するとはどういうことなのか、どういう姿勢で臨むべきなのか。そういった「算命学に対する心構え」の話をします。
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