対馬の闇Ⅳ

 大野は、だらしない自分をさらけ出しているようで気まずくなった。酔いが一気にさめ、酔える気持ちになれなくなった。「妹さんでしたか。先輩に妹さんがいるのは聞かされていました。それにしても、こんなところでお会いするとは」沢富は、気持ちを和らげることにした。「まあ、そう、固くならないで。今日は、飲もうじゃないか。出口巡査長は、のっぴきならない事故だったと思うよ。人には、運命というものがあると思うんだ。そう、みずえさん、すずに似てるよな。大野君、好みのタイプじゃないのか?」大野の顔が真っ赤になった。「何言ってるんですか。まったく。からかわないでください」沢富は、追い打ちをかけた。「そうだ。大野君、今、彼女、いないって、言ってたじゃないか。付き合ったらどうだ。みずえさんも、彼氏いないらしいから」

 

 大野は、あたりをキョロキョロ見回して話題を変えた。「まったく、冗談が過ぎますよ。いや、こんなところで言うことじゃないと思いますが。はっきり言って、先輩は、事故死じゃありません。僕が、きっと、仇をとって見せます。任せてください、みずえさん」大野巡査も事故死でないと確信していることに目を丸くした。瑞恵は質問した。「ということは、何か、心当たりがあるんですか?事故死ではないという。大野は、マジな顔つきで返事した。「事故って、どんな事故が、考えられるって、いうんですか?先輩は、対馬を知り尽くし、運動神経も抜群なんです。事故死なんて、考えられません。きっと、犯人がいるはずです。必ず、見つけ出して見せます。僕は、毎日、聞き込みをやっているんです。必ず、手掛かりを見つけてみます」

 

 大野巡査が、そこまで出口巡査長の事故死を疑っているとは思っていなかった。沢富も事故死を疑っていたが、全く、手掛かりはつかめていなかった。殺害されていたとしても、今のところ、目撃者は現れていない。とにかく、地道に聞き込みをやって、目撃者を探し出す以外に解決方法はない。「ホ~、事故死じゃない。でも、だれ一人、目撃者がいないわけだから、まったく、難解な事件だ。大野君、何か手掛かりらしきものは、あるのか?」大野は、顔を左右に振った。「残念ですが、今のところは。でも、どこかに目撃者がいるように思えるんです。とにかく、これからも、聞き込みを続けるつもりです」沢富は、ちょっと、不安になった。万が一、ヤクザが絡んでいたとして、奴らが大野巡査の執念深い捜査を知ったなら、大野巡査は消される可能性がある。沢富は、大野巡査に何と言って捜査をやめさせるべきか悩んだ。

 

 

 沢富は、一呼吸おいて諭すように話し始めた。「確かに、出口巡査長の事故死には、疑問は残る。でも、この事件は、処理されたことだし、僕も、不慮の事故じゃないかと思っている。具体的にはわからないが、転落事故なのかもしれないし、もしかしたら、自殺かもしれない。大野君は、過去の事件にかかわらず、今の仕事に集中したほうがいい。出口巡査長もそう願ってると思うよ」大野は、黙ってうつむいていた。彼も悩んでいた。どんなに聞き込みをしても手掛かりがつかめず、途方に暮れていた。もう、あきらめたほうがいいのではないかと思い始めていた。心の底では、自殺ではないかと思いつつ、そうであってほしくないという思いが込み上げていた。もし、自殺だったら、その理由を知りたくもあった。なんども気持ちを切り替えようと試みてはみたが、どうしても、心は晴れなかった。

 

 瑞恵も沢富の意見に賛成だった。万が一、ヤクザがらみで兄が殺されたのであれば、大野も同じように事故に見せかけられて殺される可能性がる。兄と同じ悲劇は、二度と起きてほしくなかった。「大野さん、沢富さんの言う通りよ。兄は、悩んでいたの。もしかしたら、自殺じゃないかと。だから、大野さんは、兄の事件のことは忘れて、将来のことを考えて。兄のことで、大野さんが上司ににらまれて、イジメにでもあったら、私、悲しい」大野は、みんなに迷惑をかけているように思えて、気の毒になってきた。この場は、二人の意見を呑むことにした。グラスを空けると一つうなずき返事した。「はい。わかりました。もうこれ以上、聞き込みは致しません。もし、自殺だったら、残念でなりません。できれば、ほんの少しでもいいから、相談してほしかった」両手を握りしめた大野は、ガクンとうなだれ、涙をこらえた。

 

 今のところ、出口巡査長の謎の死の手掛かりは、全くなかったが、沢富は、偶然、見つかるような期待を持っていた。事故死か?自殺か?他殺か?まったく見当がつかなかったが、麻薬密輸捜査をきっかけに、何か、ヒントがつかめるような気がしていた。万が一、警察が麻薬密輸にかかわっていたなら、必ず、シッポを出すとにらんだ。北署か?南署か?沢富は、出口巡査長の死から、北署が怪しいとにらんでいた。しかし、今のところ、これといった不審な動きは見られなかった。湿った空気を感じた沢富は、話題を変えることにした。「大野君、みずえさんもホークスファンだし、今度、2人でホークスの試合観戦に行ってみてはどうだ。みずえさん、どうですか?」瑞恵は、うなずき返事した。「誘ってくだされば、喜んで」大野は、笑顔を作り、グラスを手に取った。

 

 

           不気味な別荘

 

 年老いたビーグル犬のビヨンド号は、ひろ子の実家で飼われることになった。ひろ子の父親は、4畳半の納戸をビヨンドの犬部屋にした。ビヨンドは高齢のため、日々の観察と介護を必要としていた。このことは、譲り受ける前から覚悟していたことだったが、ビヨンドの老衰はひろ子が思っていたよりひどかった。というのも、散歩に連れて行っても、ふらふらした歩きで、散歩に時間がかかるだけでなく、しばらく歩くと、寝込んでしまうのだった。麻薬探知犬であることから、散歩の途中でクンクンと鼻を利かせて、麻薬の匂いをかいでくれると期待していたにもかかわらず、全く、鼻を利かせるそぶりも見せなかった。天才麻薬探知犬として何度も表彰されたというビヨンドということで、念書まで書いて譲り受けたものの、いざ、飼ってみると世話のかかるただの老犬に過ぎなかった。

 

 107日(月)非番だったひろ子は、いつものようにビヨンドをスイフトに乗せてさゆりの民宿近くの別荘周辺を散歩させたが、ちょっと歩いては、休憩していた。全くやる気のないビヨンドに、ひろ子はガックリしてしまった。やはり天才犬でも年を取れば、人間のように認知症になってアホになるのかと思い、譲り受けたことを後悔した。今日の午前中は、ちょっと暇ということで、ひろ子はビヨンドを連れて、さゆりに愚痴をこぼしに行くことにした。やせ細ったビヨンドを抱きかかえたひろ子は、後部座席の手提げバスケットにビヨンドを寝かせつけ、さゆりの民宿に向かった。民宿についたひろ子は、バスケットを提げて玄関に向かった。玄関では、是非、名犬ビヨンドを見たいと言っていたさゆりが、バスケットの中でしっかり目を閉じて寝ているビヨンドを見つめ、目を丸くして尋ねた。「どうしたの?病気?」

 

 ひろ子は呆れた顔で返事した。「病気じゃないの。とにかく、やる気がないのよ。グ~たらなだけ。まったく、ア~~、もう、絶望。こんなはずじゃなかったのに」いったいどういうことなのか訳が分からなかったが、とにかく、二階で話を聞くことにした。二階に上がったひろ子は、しばらく、能天気に寝ているビヨンドを苦々しく見つめ、日当たりのいいベランダにバスケットをそっと置いた。中央のテーブルに戻ったひろ子は、さゆりを見つめ、ア~~ア~~と大きなため息をついた。さゆりは、いったい何があたのかと尋ねた。「どうしたのよ。そんなに落ち込んで。やっとの思いで、譲ってもらったビヨンドでしょ。ナニ、ため息なんかついてるのよ」ひろ子は、愚痴を言って恥をさらしたくなかったが、誰かに愚痴を聞いてもらわなければ、気が変になりそうだった。

 

 ひろ子は、今にも息が絶えそうなか細い声で話し始めた。「もうダメ。まさか、こんなにアホだとは思わなかった。きっと認知症。何が、天才よ。まったく、役たたず。どうしてくれるのよ。念書まで書いて、頭まで下げて、もらってきたというのに、何よ、あの無様な姿。ア~~、当てが外れた。ア~~、もう死にたい。ビヨンドのアホタレ」ビヨンドは、数々の賞を受賞した名犬だと聞いていた。さゆりは名犬を見れるのを楽しみにしていたが、ビヨンドを認知症だとか、アホタレだとか、言って、いったいどういうことだろうかと思った。確かに、老犬だから、弱っているのはわかるが、犬の鼻は、そう簡単には、衰えない。ただ、元気がないだけで、麻薬の匂いを嗅げば、きっと、反応を示すと信じたかった。

 

 ひろ子の態度は、ビヨンドに対し、あまりにも失礼だと思い意見をすることにした。「ひろ子、ちょっとビヨンドに失礼じゃない。認知症だとか、アホだとか、やる気がないだとか、言い過ぎよ。老犬なのよ。もっといたわってあげなよ。若かりし頃は、名犬としてバリバリ仕事をやっていたというじゃない。もっと、尊敬すべきじゃない」ひろ子は、もっともな話だとは思ったが、あのぐうたらな姿を見ると愚痴を言わずにはいられなかった。「いや、私が、バカだった。まさか、あそこまで、おいぼれだとは。もっと、確認すればよかったのよ。いったい、これからどうすればいいのよ。あれじゃ、そこいらの老いぼれ犬と同じじゃない。あ~~、夢も、希望も、すべて消え去った。神は、私を見捨てたのよ。今まで、信じてきた私は、バカだった」

 

 確かに、ひろ子がビヨンドに大きな期待をかけていたことはわかっていたが、まだ、本当に認知症で、鼻が利かなくなったとは言い切れない。散歩をしているうちに、回復することだってありうる。あきらめるのは、まだ早いと言い聞かせることにした。「ひろ子、ビヨンドは名犬だったのよ。ちょっと、元気がないからといって、鼻が利かなくなったと決めつけるのは、ビヨンドに失礼よ。ビヨンドを信じてあげなよ。麻薬の匂いをかげば、きっと、反応して、教えてくれるから。ひろ子が、そんなようじゃ、ビヨンドは、ますます、へそを曲げて、そっぽむいちゃうんじゃない。これからじゃない。ビヨンドを信じるのよ」目じりを下げて、ひろ子は小さくうなずいた。「まあ、信じてあげるか。後悔しても始まらないし。どんなにジジ~~でも、かつては、名犬だったわけだし。マ、イッカ」

 

春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅳ
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