「母、家に帰る」
2005/3/11(金) 午後 1:13
某月某日 時計が午後10時を回った。そろそろ、座椅子でうたた寝をしている母を、おトイレへ連れて行き、洗顔し、歯磨きをさせて、寝床へいざなう時間だ。
「お袋ちゃん、お袋ちゃん、もう、寝よか?」
「うん、ここでとまるのん、イエかえりたいっ!」と、母。マンション生活は、母には馴染めないのだ。
「もう、イエかえろう?にいちゃん」
「ここが、お袋ちゃんの家やで」ゆっくり、納得させなければならない。
「ここどこやのんっ!」
「そやからな~、此処が、お袋ちゃんの家やんか~」と、やんわり。
「いやや、こんなとこ、しらん、わたしな~、さびしいねん、はよかえろうな~」
「忘れてしもうたんか、分かった、ほな、家帰ろうか?」これ以上、母を不安にしてはならないと判断。母の表情がそう言っているからだ。私は、母を座椅子から抱き起こし。
「外は寒いからこの服着よな」母にオーバーを着せ、玄関へ、ドアを開け、母の両手を手押し車に捕まらせ、リハビリシューズを履かせる。マンションの廊下に出る。エレベーターに乗せ1階のボタンを押し、階下へ降りる。1階のエントランスをぐるりと一回りして、再びエレベーターの前に戻る。
「さあ~、お袋ちゃん、これに乗って、家帰ろう~か!」
「これにのったら、イエにかえれるのん?」母の表情が明るくなる。
「うん、そうやで、早よ帰って、早よ寝よな、明日、学校やからな」
「あした、がっこうか?」
「そうやで、お袋ちゃん、学校好きやろ」
「がっこうで、なにすんの~」
「明日はなっ、カラオケ大会やで、お袋ちゃん、歌好きやろう」
「うん、ウタ、すきや!」
「さあ~着きましたよ、早よ家に入って、寝ましょうかっ!」
「どんな、ウタ、うたうのん?」
「そ~ら、ちゃんと先生がな、お袋ちゃんの唄いたい歌を、唄わしてくれんねんでぇ」
「それやったら、ウタうわ~」母が、ニッコリ笑って、嬉しそうに私の顔を見上げた。
「母のデコチンに私のデコチンを合わせて、ベーベー!」
「なにすんの~、このコは~」と母。その顔は笑ってる。
PS:10年前の阪神淡路大震災で我が家は半壊しました。それでいまは、このマンションに引越してきたわけです。以来、母は痴呆症(当時はそう呼んでいました、今は認知症)となりました。私は母を通して、同じような状況になられた沢山のご家族を見て来ました。最悪な事例は心中でした。いまでも、多くのご家族の方々が介護を巡って、悲惨な状況に追い込まれています。どんな状態になっても母は母であります。
「だれが、ふくん!」
2005/3/14(月) 午後 0:39
某月某日 今日も恙なく。
「お袋ちゃん、そろそろ寝ましょうか?もう、10時になったよ!」と、私は掛け時計を指さした。
「う~ん、もう、そんなじかんか~」母をトイレへ連れて行き、寝る前の家族二人きりの儀式が始まった。
「ここで、するんっ?」洋式のトイレを指さし。
「そうやでぇ」
「シィー、チョロチョロ、にいちゃん、でたわ、ふふふ~ん」と母がニッコリする。いい笑顔である。
「良かったな、ちゃんと出たな~」私が、トイレットペーパーを、グルグル巻くのを、母は悠然と眺めている。
「そんなよ~けいらんで」と、母は何時も言う。
「このくらい、無かったら、拭かれへんよ」
「どこ、ふくん」
「お袋ちゃん、のお尻やんか?」
「だれが、ふくん!」私もこのくらい、泰然としたいものだ。はい、もちろん私である。この家には、母と私の二人きりだ。
「わー、うれしいー!」
2005/3/16(水) 午後 1:17
某月某日 寒の戻りで、この数日は、粉雪が舞うほどの寒波。母は連日。「にいちゃん、さぶいねん、もっとかぶせて」と言う。毛布を二枚重ね、さらに羽毛布団、敷き布団も毛布に取り替えた。それでも、母は、夜中に幾度も目を覚まし。
「にいちゃん、さぶいぃー、さぶいやんか、かぶせてぇ~」と四つん這いで、私の寝床へやって来る。連日のこの母の波状攻撃には、さすがの私もダウン寸前である。
「お袋ちゃん、これだけ、かぶっとったら大丈夫やから、ゆっくり寝~や」と、連日母に言い聞かせる。
「カゼがな~くるねん、とぉ、しめてへんのんちがうかな~」
「戸はちゃんと閉めてあるよ、カーテンもほら締まってるやろ~」
「そうかな~」と母。
「そうやでぇ」と私。これ、真夜中の何度目かの会話である。私の起床時間の、午前6時半頃まで繰り返し続く。そして、夜明け。
「お袋ちゃん、お早うさん!」
「にいちゃんおはよう~」
「もうちょっと寝るか~?8時になったら起こしたるからな~」
「うん、ねむたいねん、もうちょっとねるわ~」飛鳥大仏のような、母の寝顔である。お湯を沸かし、お茶の用意、身支度を整え、5分で朝食を済ませ、母のデイケアへ出かける準備をする。今日は、入浴のある日だから、大きい方のカバンに、バスタオル、タオル、肌着上下、履くオムツ、お便り帳、腰痛ベルト等の一式。そして、これを忘れると母が本気で怒る、ティシュペーパー1箱。以前これを入れるのを忘れて母に、「わたしをバカにしてんのんかっー!」と叱られたことがあったのだ。朝食の用意が出来たので、母を起こす。
「さあ~、ご飯食べて学校(介護施設を母は学校と呼んでおります)行こなっ!」
「うん、きょうは、がっこうでなにすんのん?」
「お袋ちゃんの好きなカラオケ大会やで~」
「どんなウタ、うたうの~?」
「お袋ちゃん、の好きな歌やったら何でも、唄わしてくれるよ!」
「わ~、うれしいぃ~」と、母は満面の笑顔で。
「にいちゃんもいこう!」と言ってくれる。このところ、毎朝の、母と私の会話である。