算命学余話 #R65

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算命学余話 #R65 (page 1)

 以前、ロシアのシンクロ金メダリストが訓練の末に、本来人間にはないアザラシの持つ機能を身に付けたという科学調査の話を紹介しました。
 人間は通常陸に暮らして一生を終えますが、ロシアの選手は技術向上のため一日の大半をプールに浸かって生活し、水中に潜り、長時間息を止めるという酸欠な日常を繰り返した結果、体の方が「もう自分は陸上では暮らせないんだ。一生水の中で生きて行くんだ」と覚悟を決めたらしく、ある時点から膵臓にあるという酸欠解消機能を稼働させ、通常の選手にはまねできないほど長時間水中に潜り、激しく運動することが可能になったというのです。この膵臓の機能は水中で獲物を探すアザラシにあることが知られ、人間の膵臓に潜在的に備わってはいても、陸に暮らす限りは生涯開花させることのない機能だということです。
 
 これを単なるオモシロ話と捉えた人は多かったと思いますが、私の真意はそこではありません。先の冬季五輪から国家によるドーピング関与を疑われ、未だ制裁が解除されていないロシアの、疑惑の是非については論じません。私が注目したいのは、薬物による一時的な身体能力の増強と、過度な訓練により人間をやめてアザラシになることを比較した場合、どちらがよりやばいか、という点です。
 薬物は所詮服用直後しか作用しません。薬が切れればそれで元に戻ります。尤も、薬の常用や副作用によってその後の健康が損なわれる危険性は見過ごせません。しかし、薬をやめれば基本的には元に戻りますし、薬物患者であっても依然として人間であることに変わりはありません。しかし激しい訓練の末にアザラシになってしまった人間は、どうしたらよいのでしょう。訓練をやめれば元の人間の膵臓に戻れるのでしょうか。その後の健康に悪影響はないのでしょうか。
 
 算命学の視点で見ると、どちらも「正常な人間の身体から逸脱した」等しい行為に映ります。しかし社会はドーピングの選手を糾弾し、アザラシになって優勝した選手を称えている。理由は、ドーピングが人間の作ったルールによって禁止されているからです。前者は不正であり、後者は不正でない。
 算命学は自然思想なので、自然の法則は尊重しますが、人間の作った法律や決まり事には敬意を払いません。人間が作った法は、人間が自分の利得のために勝手に作ったもの、時代によってコロコロ変わる当てにならないもの、いつの時代もどういう状況でも通用する普遍性を備えていないもの、と見做しているからです。
 スポーツにおける薬物禁止には、その後の健康被害というよりは競技における公平性に重きが置かれています。薬のお蔭で強くなった選手が勝つのは不公平だというわけです。ならば選手全員が薬物を許可されれば公平性は保てます。そういう意見もあります。人体の究極の限界に挑戦するのがアスリートならば、というわけです。そこでようやく「健康が」という話になる。つまり健康は二の次です。
 
 ロシアでは、スターリンの時代に収容所で何年も暮らした男を、その猫背から見分けることができたといいます。収容所では多くの囚人を収容するため、寝床は蚕棚のように何段も設けられ、横になると簡単には起き上がれず、頭を打ちつけないよういつも首をすぼめていなければならない。だから独特の猫背になり、釈放後もその姿勢が治らなかったのです。
 私はこれを、アザラシの話の類話と捉えます。そして囚人の猫背も薬物中毒もアザラシ化も、まとめて職業病とくくってしまいます。ロシアの話がたまたま重なりましたが、職業病はなにもロシアに限ったことではなく、我々の社会にも、世界中にも、広く普遍的に存在します。算命学は、世界をこのように整理して、普遍性に照らして事象を判断していきます。
 
 前回の余話では、そんな算命学が「残酷だ」とか「無情だ」とか呼ばれる点に触れました。今回はその話を引き継いで、最近世間を騒がせた殺人事件について考えてみます。内容は、算命学がどれほど現代人の価値観と離れているか、どうしてそうなるのか、その無情の根幹には何があるのか、というもので、鑑定技法の話ではありません。ありませんが、鑑定の腕を上げたい方には、算命学の理解を深めるために知っておくべき内容です。
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