算命学余話 #R49

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算命学余話 #R49 (page 1)

 都内有数の由緒ある神社、富岡八幡宮で恐ろしい骨肉の争いがありました。加害者も被害者も死亡したため事件の解明は憶測の域を出ないものとなるでしょうが、こういうお宅は算命学の家系論に掛ければ興味深い符合がいくつも見つかりそうです。
 今回の事件については論じませんが、長く続いている家系で、その土地に大きな影響を与え続けた家系というのは、その歴史の中で何らかの不都合な事情を抱えているものです。それは重く長い歴史を受け継ぐ過程で生じる家系の澱ともいうべきもので、華やかな栄光の影に泣いた名もなき犠牲者が後世へ残す一粒の種です。この種はいつ芽吹くとも知れませんが、消えてなくなるものではありません。家系が栄えている時はじっと動かずあたかも歴史に埋もれたかに見えますが、時機到来と見ると急に芽を出してこう叫ぶのです。「王様の耳はロバの耳」と。
 こうした叫びを青天の霹靂のように感じてあたふたするようでは、歴史ある家系は務まりません。よく見て下さい。あたふたしているのは世間やマスコミだけです。事件のあった家系は慌てているでしょうか。そこは報道されませんが、慌てているのであれば、この家系は終焉を迎えるでしょう。慌てていなければ、この種の事件に一族はもう慣れっこということです。長い歴史の中で既に経験済みなので、今更驚かない。「王様の耳はロバの耳」がどうした、そんなこと誰も隠してはおらぬわ。こんな感じです。これぐらいの肝の太さがないと、伝統家系は続きません。
 
 伝統的な家系が尊ばれるのは、一般人が及びもつかないような異常性を内在させたまま、崩壊もせず存続しているからです。耐性のない家系はこうした異常事態に慄いてしまい、その後健全な子孫を憂いなく残すことができない。その感覚はマトモですが、マトモさが仇となって家系を長期継続できないのです。それだけ家系を長く保つということは難しいことなのです。
 古今東西「玉の輿」に乗りたがる男女は絶えませんが、いざ乗ってみたら内部の異常性に耐えきれず病気になったという例はよくあります。算命学からすればそれは当たり前のことであり、古い家系というものを甘く見ている、考えの足りない嫁なり婿なりが悪いのです。病気になりたくなければ、自分の身の丈にあった相手と結婚すべきです。
 それでもうっかり伝統家系に飛び込んでしまったらどうなるか。その人の命式が嫁や入り婿として強い輝きを放つものであるなら、家系にうまく馴染むでしょう。そうでない場合は、上述のような名もなき犠牲者となって何らかの禍根の種を後世に残すのではないでしょうか。
 
 今回の余話のテーマは、そんな人生の意味についてです。上述のように家系、或いは国家や集団の犠牲となって歴史の闇に葬られてしまうような人々は、その人生が無意味であったと言えるのでしょうか。無意味な人生というものが、果たしてこの世にあるのでしょうか。この点を算命学の視点から考えてみます。
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