算命学余話 #R44

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算命学余話 #R44 (page 1)

 前回の余話#R43では、龍高星と調舒星の人(主星にあるという意味)はこれらの星を持たない人たちから全く理解されないという話をしました。逆に云えば同じ龍高星や調舒星を持っている人になら理解してもらえるということです。十大主星は全部で十種類なので、単純計算すれば十人に一人は龍高星・調舒星の人です。十人に一人は理解者が見つかるのだ、と前向きに考える龍高星・調舒星に運勢アップの期待が持てるのは当然です。
 くどいようですが、「自分は理解されないのだ」という内向きの思考にウットリしているような人は、龍高星・調舒星でなくても運勢はダダ下がりです。なぜならこういう人は次に期待しようという未来への希望が持たないため、それ以上外界と関わろうとせず、結果的に他者との「気の交流」を自ら放棄することになるからです。
 停滞した運勢を動かすには気の対流が必要で、その第一歩は刺激です。その刺激は場合によっては痛いものかもしれませんが、その刺激のひと押しで澱んだ水が流れていくのなら安いものです。運勢が停滞して身動きとれなくなっている人は、積極的に他者と交流して刺激をもらいましょう。その刺激の後で動き出した気をどういう方向へ持って行くかは、本人の工夫次第です。そのために算命学の知恵を借りてもいいですし、人生経験豊かな人から生き方のヒントを得てもいい。でも最初の刺激を怖がって拒否するのなら、事態は何も変わらないのだと理解して下さい。ストップをかけているのは自分以外にあり得ません。
 
 ところで龍高星でも調舒星でもないのに人から理解されないと訴える人がたまにいます。こういう人はずばり、皆に嫌われているだけです。日頃の行いや態度が悪いので、周囲が敬遠して近寄らず、孤立しているにすぎません。「理解されない」のではなく単に「嫌がられている」のです。
 こういう人たちと龍高星・調舒星をいっしょくたにされては困ります。しかしこういう人に限って「自分に非はない」と言い張るのです。そして原因は宿命にあるに違いないと血眼になって探すのですが、そういう人の宿命には大抵「人に嫌われる要素」が見つかります。今回の余話はそうしたテーマを取り上げます。
 
 前回触れた通り、私は自身が龍高星なので龍高星の気持ちは判ります。龍高星が感じている周囲の無理解がどういう種類のものなのかを、自身の体験として知っているということです。(あいにく調舒星は持っていないので、調舒星の人を占う時は「調舒星はこういう性質だ、こういう思考で動いている」という算命学の理論を基に鑑定しています。)
 余話#R42「龍高星が苦しい時」で解説したように、龍高星が周囲とのギャップを痛感するテーマには傾向があります。従ってこうした傾向から外れた「無理解」であるならば、それが龍高星という宿命によって生じた現象ではないということが知れるのです。例えば以下のような宇宙人的見解を聞いて、思い至ることがある人は龍高星であるか、龍高星に理解を示す人であります。しかし思い至ることのない人で、且つ周囲の無理解に苦しんでいる方は、単に周囲から嫌われているだけの人という具合に判断できるでしょう。
 
(1)歩きタバコを禁止したがる人たちの中に、指に挟んだタバコの高さがちょうど子供の顔の高さに当たって危険だからと理由付けする母親たちがいる。しかし宇宙人の見解では、通行人の掲げる火のついたタバコに顔を突っ込むようなぼんやりした子供は注意力や危機意識が足りないので、いっそ火傷をして教訓を得ることで将来注意力のある大人になれるだろうし、こうした母親たちの訴えを通せば注意力散漫な子供が増えて、タバコによる火傷よりももっと重篤な事故に遭遇する危険性が高まるから、わが子の安全を主張する彼女らの言い分は本末転倒であるし、仮に子供が顔に火傷を負ったとしても「お前がぼんやりしているからだ!」と叱れない母親は母親失格であるし、そもそも歩きながらタバコを吸わねばならぬほど我慢も配慮も足りない喫煙者の幼稚な脳ミソにも文句がある。つまりどこを見ても下らない人間ばかり。世の中に下らない人間がいなければ、こんな下らぬ議論そのものも存在しないはずである。
 
(2)従来の通説では、腎臓は尿を作る器官であり、尿は老廃物として対外に放出されるとされてきた。一方で尿を飲むという健康法があり、例えば水の飲めない過酷な環境下でも自分の尿を飲んで生き延びた事例は多く知られている。老廃物として体から排出された尿を飲んでなぜ体を壊さないのか。体内にあっては有毒だから体外へ放出された尿ではなかったか、と宇宙人は永らく得心がいかなかった。しかし最新の研究では、腎臓は老廃物としての尿を作っているのではなく、たとえ有用であっても多すぎると有害となりえる養分を必要な分だけ体内に残し、余った分を尿にまぜて排出していることが判明した。つまり尿の成分は毎回変動していて、確かに老廃物も入ってはいるが、うっかり摂り過ぎた栄養分も大いに混じっている。そして体外に捨てている。もったいないことではあるが、これで尿を飲んでも体にいいという長年のもやもやが晴れた。
 
(3)世界史ではヨーロッパ人が大航海時代にアメリカ大陸を発見した事件を「新大陸発見」と呼びならわしているが、もともとそこにあった大陸の存在を自分達が知らなかっただけなのに、それを「新しい」と呼ぶのはおかしいと常々思う。もともとそこに暮らしている先住民にとって自分達の土地は新しくも何ともないからだ。つくづくヨーロッパ人は独りよがりで自分中心にしか物を考えられない、相手を馬鹿にした民族だと思う。こうした民族の価値観が世界を覆っている現代社会に間違いが多いのは当然だ。ごく最近、北米大陸の最高峰マッキンリーがその名称をデナリに変えた。マッキンリーは命名当時の米国大統領(もちろん白人)の名前であり、デナリは現地の先住民による呼び名だ。先住民の存在を無視した呼称を撤回したというわけだ。恥を知って結構である。近い将来、「新大陸発見」も別の呼び名になることを期待しよう。
 
 如何ですか。龍高星ならこうした話に膝を打って大笑いするか、思わず含み笑いをするのですが、全然笑えない、何が面白いのかさっぱり判らない、という人で「自分は人に理解されていない」と思っている方は、それはあなたの性格が悪くて嫌われているだけのことです。
 
 では本題に移りましょう。そんなあなたはどうして嫌われる性格なのでしょう。生まれつきなのでしょうか、それとも育ちが悪かったのでしょうか。算命学は両方に原因があるという立場です。仮に持って生まれた宿命に「性格が悪い」という要素が認められたとしても、それが実際に表に出て来るかどうかはその人の生き方次第です。
 「自分にはこういう負の側面があるから直そう」と思って努力すれば現象の発現は抑えられますし、或いは自分で意識しなくても性格のいい人たちに囲まれて生活していれば、自然とその人たちを真似るようになりますから、悪い要素は磨かれず表に出にくくなります。表に出て来るには別の刺激なり要素なりが必要で、宿命内で云えば、いくつか悪い要素が折り重なることで「性格の悪さ」が顕現して来るのです。
 
 今回の副題は「利己的な雨」です。雨とは癸水のことですが、雨は普通万人に平等に降り注ぐものです。しかしもし雨が一部の土地にしか降らず、そこにしか作物が実らないとしたらどうでしょう。そういう命式を算命学は認めています。但し、それだけでは一概に「悪い」とは云えません。そんな利己的な雨が災いとなって実害をもたらすには、その他の要素も必要です。今回はそうしたケースについて例を挙げて解説してみます。鑑定技法に関わるので購読料にご注意下さい。また余話#U27の内容にも触れます。
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