算命学余話 #R42

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算命学余話 #R42 (page 1)

 当ブログでは、閲覧者のアクセス数やアクセスの多かった記事ランキング、検索ワードランキングなどが自動的に報告される仕組みなのですが、大体常に検索されているワードは「龍高星」です。このところ特に多いですが、どなたか龍高星について何かお探しですか。
 龍高星は調舒星と並んでお騒がせ星と云われますが、算命学に他に類のない際立った彩りを添えているこの二つの星を、当ブログの昔の記事でそれぞれ「発狂」と「自殺」に関わる星だと述べたことから、その記事に着目される読者が訪問を繰り返しているようです。あんまり閲覧者数が多いので、その記事を引き下げて『余話』に格上げして有料にしようかと思ったくらいですが、見知らぬ読者たちの呼び水になっていることも否めないためそのままにしてあります。
 
 龍高星は十大主星のうちの一つなので、単純計算すれば十人に一人は龍高星を持っています。そして世の中の人間の十人に一人も発狂してはいません。従って龍高星があるから即発狂だという発想にならないことは、英明なる読者には自明のことと思われます。調舒星と自殺の関連性についても然りです。
 龍高星と調舒星は発狂や自殺の要素を先天的に持っている、というだけであり、実際に発狂・自殺に至るにはまだまだ他の要素が必要です。そうした諸要素が宿命にあるのかないのか、後天運で回って来たとき強化されるのか、或いは緩和されるのか。星を人物に置き換えたとき、実際の近親者の浮沈がどう宿命に作用するものなのか。或いは実生活で積み重ねた経験や業績は、発狂や自殺を抑制すべく作用するものなのか。そもそも宿命に龍高星も調舒星もない人でも発狂や自殺に至るのはなぜなのか。
 
 算命学の実践においては、このように多様な要素をあちらこちらから眺めて「この可能性が一番高い」という見立てを出していくので、100%こうなるという鑑定結果などは出ませんし、百歩譲って「いま現在」は100%と云えたとしても、明日になれば後天運はもう次に移行しています。更に月や年や大運が移行すれば、いずれの後天運も「いま」とは違うものになる。では後天運が毎日変わるのを見越して、毎日見立てを更新すればいいのでしょうか。そんな時間があったら今日一日をもっと有意義に過ごせ、というのが算命学者の本音です。
 毎度繰り返すようですが、立派に賢く生きている人には占いなど必要ありません。自然に生きているだけで物事を正しく認識し、結果的に正しい道を歩むことができるからです。算命学を頼るのは、迷いが生じた時だけでいいのです。そしてそうした迷いは人生に何度か訪れるのが自然であり、なにも龍高星や調舒星の専売特許ではないのです。龍高星や調舒星が宿命にあるからといって自分を特別扱いするような人は、もうそれだけで「立派で賢い人」たちに随分水をあけられています。自分を特別視してウットリする暇があったら、もっと建設的で実践的な作業に時間を費やして下さい。その方が運勢は上がります。
 
 さてかく言う私も龍高星が支配的な星並びなので、同類たる龍高星諸君をくさすのはこのくらいにしておきましょう。もちろん龍高星には龍高星の心が判ります。(調舒星については自分は持っておりません。あしからず。)他の星に全く理解されない龍高星諸君を、同じ龍高星の私が理解してあげなくてどうするのでしょう。というわけで、今回の余話のテーマは、理解者の少ない龍高星のための慰労話です。宿命に龍高星のない方には退屈な内容かもしれませんが、誰しもいずれは後天運で回ってくるので、全く参考にならない話にはならないかと思います。興味のある方はご購読下さい。
 
 ところで龍高星については既に余話のU番で何度か取り上げたことがありますが、知性を司る龍高星の頭の良さというのは、いわゆるガリ勉的な知能とは違います。問題を解く能力ではなく、問題を見つける能力に長けている、と言った方が実情に近いです。それは広く社会にあっては世の中の矛盾を見抜く力であり、それを指さして笑ったり糾弾したりする力です。こうした笑いや糾弾する姿が龍高星を「狂人」に見せているのです。なぜなら余人にとっては何が笑えるのか、何がおかしいのかが判らないからです。
 従って、龍高星が正しく機能している時は、龍高星の人は世にはびこる矛盾の数々が見えているので、大抵イライラしています。イライラしていない時は、何か別の矛盾していない物事に対して没頭している時です。(この没頭状態もまた龍高星を狂人たらしめています。)
 そして、あまり言いたくはありませんが、前回余話で「福寿禄官印」の歪んだ機能の仕方について社会現象を引き合いに論じたように、龍高星もまた歪んで機能している時は、こうした矛盾が見えなくなっています。要するに知が鈍っている。
 あなたの龍高星は鈍っていませんか。ちゃんと正しく機能していますか。それを見分けるために、以下の文章を用意しました。当ブログで最近紹介した佐藤優著『いま生きる階級論』からの引用です。この図書が大変役に立つというのは、例えば以下のような指摘を受けてハッとするかどうかで、あなたの印星の感度が知れるからです。知性を司る印星は龍高星の他に玉堂星もありますから、玉堂星の方も合わせてご覧下さい。また印星のない人でも、『余話#R39』のように実生活から知性を身に付けることはできますから、興味のある方は軽いテストと思ってお試し下さい。
 
――戦前においては、高等学校もしくは専門学校以上の人たちが持っていたのが「教養」なんです。尋常小学校とか高等小学校を卒業した人たちには、教養は必要ないとされた。その代り、教養の代わりに必要とされたのが「修養」です。戦前は修養と教養は分かれていた。…修養がないと教養は身に付かない。「人の意見を最後まで聞きましょう」とか「会った時は挨拶をしましょう」とか「乱暴な言葉遣いをやめましょう」とかいうのは修養です。(ここで数年前の橋下徹氏と桜井誠氏の口論を取り上げ、両者ともまず修養がなく、同時に教養もないことが知れたと述べられます。)
 
――教養は英語でリベラルアーツですが、このリベラルとは自由民だということです。つまり奴隷ではないという意味合いです。奴隷でない市民が勉強するものが教養です。それに対して奴隷が勉強することは技術、技法、テクネと呼ばれるものです。…これら工学は奴隷の学問だった。
 
――「イスラム国」の国家モデルは自立できない。彼らは石油をかっぱらって売りさばくが、売り先は自分たちが敵としている既存の帝国主義システムです。つまり世界の資本主義システムに寄生している。だから米国に代表される帝国主義システムが倒れてしまったら「イスラム国」も倒れる。しかし逆はない。…(世界は非対称であり、中心軸を経済だけで推し量ろうとすると現実と合わなくなる。一方で経済を、もう一方で国家を考え、真円ではなく楕円のような姿をとる真理について、このあと話が展開していきます。)
 
――われわれは国家に対して税金を支払わなければならない。社会契約説においては、自然人のままだと誰も守ってくれないから、われわれは国家と契約を結んだのだというのだけれども、いつ国家と契約を結びましたか? そんな覚えは全くない。けれども税金を払わないとわれわれは国家によって捕まえられるわけです。どうして国家は税金を取ることができるのか? それは、最終的には説明できない。説明できないところに大きな意味があって、国家の実体は官僚なんです。国家を成り立たせている官僚はひとつの階級です。その階級が生きていくために社会全体から税を収奪してくるわけです。その収奪はイデオロギーによって隠蔽されています。
 
――毎日のようにアベノミクスだ、円安だ、株価がどうだとか言われていても、我々の人生とは本質的に関係はないと判ってくる。同時に「ルーブルが0.9%下がったからロシアは経済危機に陥るのでは」という記事と、「円が下がって株価が上がって良かった」という記事が同じ紙面に出ているのは矛盾しているんじゃないかと気付くようにもなる。同時に、これに気付かない人は、実証性や客観性とは別の、何らかのイデオロギーによって支配されているのだとも我々は気付く。例えば株式至上主義といったイデオロギーに。…反知性主義というのは、実証性や客観性を無視あるいは軽視して、自分が欲するように世界を理解する態度のことです。
 
 如何でしたか。ハッとしましたか、しませんでしたか。された方は続きをご覧下さい。
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