算命学余話 #R27

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算命学余話 #R27 (page 1)

 先日「ニュースザップ」で面白い見ものがありました。討論させると必ず真っ向対立して大体勝つ方はいつも決まっているのですが、詩人アーサー・ビナードとモーリー・ロバートソンの一騎打ちは、今回もビナード氏快勝の雰囲気で終了した感がありました(モーリー氏が絶句して言葉が継げなくなったので)。尤も、算命学に染まった頭から見れば、ビナード氏の主張も幾分的外れのものに響きます。例えばこんな場面がありました。
 
 米国が世界の最先端を行っていて他国はこれを遅れて追いかけるだけという考えからおそらく死ぬまで抜けられないであろうモーリー氏が、そもそも移民国家としてスタートした米国の移民政策を(元より移民国家ではない)日本も早く模倣すべきだと主張し、「例えば医者の足りない日本の田舎に、優秀でも低収入に甘んじているインドやパキスタンの医師を移民させることで、生活を豊かにできる」とおめでたい提案をすると、ビナード氏がすかさず「それが上から目線だというの。足りないなら余所から買ってくればいいという発想自体がもう時代遅れ」と猛反発。
 その途上国の医者は安くても雇われてくれる今だから来てくれるというだけで、同じ賃金になったらもう来ない。20年前は中国の人件費が激安だったから日本の企業は中国に工場を建てて商品を生産し、それを日本に逆輸入してもまだ利益が多かった。しかしそうして仕事を得た中国人がいつまでも低賃金に甘んじているとどうして言えるでしょう。今や中国も人件費が上がり、これに輸入にかかる経費を加えれば大した利益は上がらなくなってきた。同じことを今度は移民で繰り返そうというのがモーリー氏の発想であり、ビナード氏は移民政策の先にあるのは米国のような人種差別社会か、欧州のような移民排斥運動だと看破している。(もちろん医者を輸出した途上国には医者不足という新たな問題が生じるであろうが、その点には触れられなかった。)
 
 番組の雰囲気はもちろんビナード氏に軍配を上げました。「足りないなら余所から安く持ってくればいい」というモーリー氏の発想は、「持ってきた後」のことを全く考慮しておらず、それは米国という国の建国自体が移民をじゃんじゃん入れた「後」のことなど考えていなかったことからすれば当然の発想ですが、それはつまり米国という歴史が短く考えの浅い国家に洗脳された米国民の宿痾であり、昨今の例で云えば原発建設・廃炉の話にも通底します。建設する時には廃炉のことなど誰も考慮しませんでした。「40年もつ」とは言われましたが、その後どうするかは誰も考えなかったし、考えたくもなかった。しかしもう40年経ったのです。建設した当時の責任者たちはもう他界したかもしれませんが、後に残った子孫は廃炉という生産性もなく健康に良くない活動に、今後何十年も精力を注がなければなりません。
 算命学が「先祖」の所業を重視するのは、このように考えなしの先祖のせいで子孫が苦労するという自然の法則に則った因果関係を、この世の理は、人間が作った法律のようには決して「チャラ」にしないということを明言したいからです(「算命学余話#R25」参照)。算命学の陰陽五行説は循環思想ですから、リサイクル思想と同じです。「余所から持ってきた」後どうなるかも当然視野に入れなければ、算命学の理論は破綻します。そういう意味で、算命学は常に未来を予測する態度を崩さず、同時に未来予測のヒントを過去の事例に求めています。世界はひとつの環でつながっているので、未来が遠くて見えにくいなら、近くの過去を当たってみれば大体似たような事例が見つかるものなのです。
 
 算命学の立場からすれば、上述の討論は当然ビナード氏に軍配が上がるのですが、彼の意見に常に賛成というわけではないのは、例えば以下のようなビナード氏の発言が引っ掛かるからです。
 完璧なリサイクル社会だった江戸時代を引き合いに出して曰く、「現代人は江戸時代より確実に貧しくなった。(ここでモーリーが前近代の乳幼児の死亡率や病気、飢餓等保健衛生的な観点から猛反発する態度を見せたが、これを制して)確かに乳幼児の死亡率は江戸時代より下がったし、病気や栄養失調で死ぬ確率も減ったかもしれないが、江戸時代には大気汚染なんかなかったから喘息もなかった。添加物まみれの食べ物もなかったから肥満もなかったし、不妊もこんなにはなかった。放射能汚染の食べ物もなかったし、汚染されて住めない土地もなかった。江戸時代の方が今よりずっと安心安全な社会だった」。
 
 さて算命学を学習される皆さんには、どちらの説が正しいと思われたでしょうか。正解はどちらも正しくありません。正解は、現代も江戸時代も同じ、です。確かにモーリー氏のような「直線的思考」つまり文明は一方向へ必ず発展・進歩するという考えは誤りです。それは文明の長所しか見ていない。短所を見れば、戦争やら汚染やらで進歩や発展とは逆行するような蛮行が同時進行で拡大されたのが近代であり、人類の歴史です。ではビナード氏の主張のように一方的に「退化」しているかといえば、そうとも言えない。モーリー氏が指摘するような利点も確かにあったのです。
 それやこれやを総合的に判断すると、結局のところ「差し引きゼロ」で落ち着く、というのが算命学の見解です。現代も江戸時代も、人間は変わらず悩み、文句を言ったり抗議したりし、改善したり挫折したり、うまく行って喜んだり、失敗してへこんだり、誰かに仕事をやらせたり、命令されて仕方なくやったり、我慢したりブチ切れたりを繰り返して、相応の結果物を子孫に残すのです。そして自分の身近な子孫の幸せを考えるのなら、つまらない負の遺産など残さず、自分が生きているうちに処理しておきたいと思うのが正常な人間の感覚です。「40年後にはもう自分はこの世にいないから」という言い回しをする人は正常な感覚の持ち主ではないので、こういう人に権力を握らせてはいけません。
 
 今回の余話は、こうした正常な感覚を確認する内容です。話のねたは日常にいくらでも転がっているので尽きることはないのですが、世の中は何でも「難しい問題」にしたがる、というかそのような取り上げ方をマスコミがするので、難しくないのに難しいと勘違いする市民が増えてしまっているように思われます。難しい問題というのは確かに存在し、それは「人間は何のために生まれて来るのか」といったような深淵でそもそも答えの出ないテーマには当てはまりますが、日常よくあるテーマで難しい問題などそうそうあるものではありません。皆さん勘違いしているだけです。多くは簡単に解けるのです。そうしたあれこれを、算命学の思想をヒントに考えてみます。
 算命学の鑑定技術とは必ずしも関係がありませんが、思想の理解には役立つ内容です。また例によって現代社会からは叩かれそうな話題も含まれるため、#R25同様の購読料と致します。興味のある方はご覧下さい。
 
 ところで、上述の番組でビナード氏が大変愉快で慧眼なる喩え話をしたので、ここに記して読者の皆さんに広めてもらおうと思います。この喩え話は算命学も全面的に支持します。
 「あなたにとってお金とは何か」という題目で各コメンテイターの意見を募るコーナーで、ビナード氏は「お金とは糞」と発言。普段から資本主義的大量消費社会を忌み嫌っているビナード氏は、しかし単に金銭が汚いからこう言っているのではないと説明。「100%リサイクル社会だった江戸の町では人糞(動物の排泄物も)は立派な資源であり、長屋の肥溜めに溜まったそれは専門業者によって回収・売買されていた。肥料として江戸近郊の農家に売られると、農家はこれを農地に均等にばら撒き、その養分で作物(つまり経済)がよく「成長」した。その結果農家は豊かになり、作物は都市に住む人々の生命を支えた。しかし近代以降は糞を肥料として使わなくなったため、糞は一カ所に集められて悪臭を放ち、環境を汚染した。カネもこれと同じで、一部の富豪や権力者に集中すると格差が生じて社会が歪んでいくが、これを上手にばら撒いて分配すれば、貧困という人々の不安が消えてテロも紛争も起きなくなる。」
 まるで教訓的昔話のようだと番組出演者は絶賛していました。算命学も同感です。なぜなら、算命学は五行が適度にばらけているのを善しとするからです。バランスを著しく欠くと淘汰されるので、そうならないために一極集中は避けた方がよい。算命学はそのような立場なので、この喩え話には賛成です。
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