算命学余話 #R26

算命学余話 #R26300の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #R26を購入

算命学余話 #R26 (page 1)

 前回の余話#25は昨今の物の見方に対抗するような内容だったにも拘わらず、いつもより多くの読者に読んで頂けました。現在世間に広く普及している価値観のうち外来のものは、その来歴を知っておけば、それを盲従してよいかどうか判断するのはさほど難しくはありません。いま起きている不可解な事件や事象についても、その原因は必ずあり、歴史を遡れば道理を見つけることは可能です。
 繰り返しますが、歴史を知ることが自分自身を知ることになるのです。歴史を重視しない人、顧みない人、歪めようとする人は、必然的に自分自身をも見失い、道標を失った旅人のように遭難を余儀なくされる。だから眼前に不可解な事件が勃発すると、「異常です」とか「信じられません」といった陳腐で思考停止を露呈したセリフしか出てこないのです。この世に起こる事件や事象は、いつの時代も大差ありません。「信じられない」のはその人の知識が浅く、歴史の中にとうに先例があることに思いが至らないからです。
 
 宿命はその人の歴史そのものです。三柱のうち左柱は今を生きる本人のものですが、中柱は家系や環境を、右柱は祖先(両親)を表しており、これはつまり宿命のうち2/3は本人の意思ではどうにもならないことを意味しています。従って、身に覚えのない理不尽や不条理と思える事件に遭遇した時は、その原因が宿命の2/3のうちのどこかにあると考えてそこを探した方が、納得のいく道筋を見つけられるのです。
 昔の日本人は先祖を意識して生きていました。「ご先祖様に顔向けできない」とかいう慣用句がありましたし、墓を建てて節目ごとにお祀りするのも本来インド仏教にはない習慣です。日本の神話の神々は、つまり日本人の先祖のことでした。しかしそんなご先祖様たちも外国人にとっては関係のない人々ですから、日本にあって先祖を意識しない、大事にしないということは、それだけでその人が外国人であることを示していると考えてもあながち間違いではないかもしれません。そんな外来の人間や文化が主張することを、日本人である我々が鵜呑みにし、自分自身の歴史そのものである先祖が善しとした価値基準を押しのけた結果、「信じられません」のセリフで思考停止するのが常套の今の社会になり下がったのではないでしょうか。
 このように世間の常識や価値観を疑う目を育てるのにも、算命学は役に立つと私は考えております。
 
 この種の思考を促す記事もそこそこ人気があることが判り、大変嬉しく思いますが、今回の余話は基本的な技術の話に立ち戻ります。十大主星の基礎話は印星、寿星、官星という相剋の順に取り上げてきましたが、今回は官星に剋される福星の貫索星についてです。
 福星は文字通り、幸せを司る星であり、本能としては守備本能を司っています。つまり幸せである人は、その幸せを手放すまいと守りに入り、余計な手出しはしないということです。逆に相剋関係にある官星(車騎星・牽牛星)は福星と相容れないということから、不幸せであると考えても間違いではないですし、不幸せであるが故に状況を打開しようと攻撃本能を旨として行動力を発揮すると考えてもいいわけです。
 こう考えると、福星は本来満足しており、変化を望まない人たちであると考えられます。そういう意味での頑固さがあり、この点については余話#U25「強星と濁り」に述べましたのでそちらをご参考下さい。
 
 福星のうち貫索星は、日干と同じ干を通じて生まれる星です。日干が甲なら甲を通せば貫索星が出ますし、日干が辛なら辛を通せば貫索星が出ます。見ての通り、最も単純で判りやすく、同じ干同士なので変化はありません。これが貫索星の基盤となります。
 
 変化がないということは、変質しないということであり、つまり純粋で、力強く、融通が利かない。変わりばえしないということはワンパターンで単純、一途、一本気、意志強固となり、その意志を貫くために自我は強く、他者を頼らぬワンマンであり、独立心が強く、頑固で意固地です。こうした性質が貫索星に付与されているのですが、それが人生にどのような影響を与えるのか、基本を押さえながら見ていきましょう。
算命学余話 #R26300の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
算命学余話 #R26を購入
土星の裏側
算命学余話 #R26
0
  • 300円
  • 購入

1 / 2

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • 購入
  • 設定

    文字サイズ

    フォント