空なる我  下巻

私の「 持論 」として、「意識は電磁波の構造を持つ」(C)としていますので、この流れと私の「 仏教の解釈 」の流れをどうにか統合したいと思います。

(C)において、宇宙(自然)エネルギーと生命エネルギーが合流した気(ki)が、生命体を貫き、頭脳も心臓もすべての臓器を動かす「 無意識 」(A)の形の気(ki)が人体を動かしていると思います。

右脳や左脳などの頭脳の中の「 意識 」はDNEの働きで、各自が独特なDNAから「 派生 」したもので、生命エネルギーの発露(空即是色)だろうと思います。

もし、この世が、「 色即是空 空即是色 」=「 万物は流転する 」={ E=MC² }=無常(B)でありますなら、人間個人も他の自然物と同様に、エネルギーが形として現れた「 ひとつの現象 」であり、(D)を形成する「 意識 」(A)も「 無意識 」(A”)も他の動物と同じく、エネルギーから「 派生 」した独特のものであるとします。

(C)の考えで、DNAなどにより内容の違いがあっても、同じ「 派生 」したものですから、個人を区別する特有のエネルギーが無いという意味で、生来は「 無我 」であるのに、自らの環境に適応するため、情報を統合して「 個体の自分の可能性 」を蓄積する「 自我 」(D)が現れるのだと思います。(これは、論理などを担当とする左脳)

 人体が、自然界から受け取るのは、自然界に共通する「 無意識 」(A”)で以て獲得し、それを(D)と比較することによって「 自然界の中の存在感 」である「 気持ち 」の内容を「 不安な気持ち 」や「 安心の気持ち 」(A”)に変化させ(これは感情や直観を担当する右脳)、「 自我 」(D)を変化させるのだと思います。

この自然界での無意識(A“)が「 因果 」のことわりで、右脳は主観的な感情や空間意識などの「 無意識 」で自然界に連動するから、自然界に共通な世界(B)に属し、左脳は因果の時間意識や客観的な論理などの「 意識 」の人間特有の世界(A)と、解釈します。

左脳の「 時間 」意識によって右脳から「 因果の法則 」が発見されると思いますが、これは動物は皆持つ本能から来る判断と同じで、これが「 輪廻転生 」を産む煩悩の始まりであるから、お釈迦様は「 因果 」を中心にして生前も死後も妥当すると思って、「 縁起、縁滅 」を説かれたのだと思います。

右脳において、(B)の中の(A)は、「 無知 」であれば「 不安 」を生み(狭い空間や高い空間は生命への不安)、左脳において(A)の中の(B)は、「 無知 」であれば概念の破壊や新しいものに概念を与えて安心させるから、無意識の「 気持ち 」は、最後は安心という形で終わると思います。

 

「 無知 」から煩悩が生まれ、「 知 」への道を閉ざすと申しますが、「 無知 」には(B)という地球が自転しなければ不明なものと、(A)という、自分の認識が至らぬため不明のものがあり、般若心経では、前者を「 空(kuu)」と呼び、後者を「 無 」と呼ぶんだと思います。

天体からくる無知(B)と、人間の認識からくる無知(A)があると思い、それはアインシュタイン氏が言われる「 無知 」の種類が一致します。

 AIは生物ではないですから、(B)を持たず、従って「 空(kuu)」の概念で物を認識できず、ただ否定に終わる「 無 」の概念しか持っていないため、人間の認識について(A)の無知は指摘できても(B)の無知は指摘出来ない、つまり神のような将来の天体予想は出来ないと思います。

「 顕教 」~意識界(無意識A”)~「 唯識論」~「 縁起、縁滅 」という考え~(A)

「 密教 」~自然エネルギー界~「 般若心経 」~「 色即是空 空即是色 」という考え~{E=MC²}~(B)

「 意識は電磁波の構造を持つ 」という私の持論~(C)

 「 自我 」~自然界の中の自分という存在感~無意識~(D)

 最後の「 自我 」と「 無我 」ですが、仏教の教えとは違って、「 我 」を否定するものですが存在するので「 空 」であり、エネルギーであり、それは宇宙(自然)エネルギーが生命エネルギーとなったのであり、後者は「 呼吸 」などで前者がなければ存在しないという意味で、自然物を形作る宇宙(自然)エネルギーに独自なものはなく、「 無 」というのが、現象に現れない無限のエネルギーという意味での「 無 」と「 我 」であるというのが私の考えです(これは、「 空なる我 」と大きな違いはないと思います)。

無我が自己の生命維持のために無意識の力(エネルギー)を集めたものが「 自我 」というエネルギーで、「 空なる我 」を「 煩悩 」というエネルギーで満たしたものだと考えます。

 (B)の中の(A)に「 無知 」があれば「 不安 」を生じさせるし、(A)の中で(B)が「 無知 」であることを発見した時は、従来の概念の破壊か新たな概念を要求して、「 安全 」に向かうと思います。

(C)により、「 空間 」が、感情や空間意識を担当する右脳、「 我 」は「 時間的な形成物で、言語や論理や因果や時間意識を担当する左脳で主に行われ、その「 安定 」した状態で、海馬で自然界にも流れ出す本能と変わらない自然界共通の「 無意識 」の形をしたエネルギー(可能性の無意識)として蓄えられたのが「 自我 」(D)であると考えます。

自我は、自然界の動物のままの「 無意識 」を持ち、因果を知る能力なのかも知れません。

 

(C)により、この一連の流れを可能にするのが宇宙(自然)エネルギーが生命エネルギーとなった「 空なる我 」というエネルギーであり、結果が「 自分 」だと考えます(空即是色)。

 私の考えでは、お釈迦様は「 縁起、縁滅 」を言われているようですから、(B)の中の(A)の無知が「 不安 」や「 苦 」を生み出すから、完全な「 知 」を求め、「 自我 」と比較することにより「 不安 」を生じるので、「 無我 」(「 空なる我 」)を要求したのではないかと思います。

ですが、いかにコンピューターを並べても、これから来たりくる「 未知 」ともいうべき「 無知 」に備える「 空なる我 」をコンピュータは所持しないから、この不安は防げませんから、達成まではほど遠く、それより(B)と認めて、人知を超えて、自然物と同様に人間を考えると、「 無我 」(空なる我)に到達しやすく、「 苦 」からも逃れ得るかも知れません。 

私は、もし「 色即是空 空即是色 」=「 万物は流転する 」={ E=MC² 」}=無常が成立するならば、人間が現象であると言いました。

その後「 無我 」は「 無 」ではなくて「 空 」であり、「 自我 」は否定さるべきかも知れないが、「 我 」自体は「 空 」、即ちエネルギーであるとしました。( 色即是空 )

 このエネルギーの周りに、自己の生命維持のために周囲からの力(エネルギー)を引き付けて煩悩にまみれた「 自我 」になると思いますが、このエネルギーは何でしよう?

 私の「 持論 」から、そのエネルギーは宇宙(自然)エネルギーと生命エネルギーが混然一体となった「 気(ki) 」(霊)であろうとします。

 

生命と申しますが「 命 」が、「 我 」というエネルギーとしませんと、なぜ動物が生きるのかわかりません。

これは、私の考えですが、

 この「 命 」は「 気(ki)」でありますが、呼吸その他により宇宙(自然)エネルギーを内部に取り込むことは必須ですから、本当の根源は宇宙(自然)エネルギーであり、それは地上の全ての生物と同じく「 宇宙(自然)エネルギーの現出するもの(般若心経の「色」)という意味での現象である 」ことになります。

それは、当然、「 色即是空 空即是色 」や「 縁起縁滅 」や「 無我 」などを包摂するエネルギーであり、人間の認識を可能とするものだということになります。

ですから、人間は単なる物質ではなく、エネルギーの現出(空即是色)でありますから、「 誕生 」とか「 死亡 」などは、エネルギーの単なる通過点にすぎなく、将来、人間に宿るのは「 霊 」などではなく、エネルギーが循環して、また現れることになり、私の持論であります「 誕生前は無明というエネルギーであり、死後は生命エネルギーと宇宙(自然)エネルギーが分離して、エネルギーとして故郷に戻る 」ことになります。

ここでは、「 人間はエネルギーの現出した姿 」( 空即是色 )としておきます。

般若心経の解釈

( Ⅰ ) 「 空なる我 」般若心経の解釈その1」

<有名な日本仏教は、大乗仏教であり、その源である「 般若心経 」を考える>

 

私は、「 般若心経の解説(般若心経の話)・フルバージョン 」というユーチューブを拝聴しまして、それに私の「 空はエネルギーである 」という持論を交えて、以下のような解釈をしました。

こういう解釈をすれば、お釈迦様の十二縁起や四諦八正道を否定することになると思うのですが、「 五蘊 」が「 空(エネルギー)」のひとつの現象と考えても、「 度一切苦厄 」の状態を得られるのではなかろうかと思います。

しかし、自分が生存している間の「 知 」が般若心経がいう最高の「 知 」であるとは限りませんから、これ以上の「 知 」はないと申しましても、「 苦 」を避ける「 知 」ではそれで良いのかも知れませんが、現在の相対論や量子理論も包摂するような最高の「 知 」を求めるべきで、ただ念仏していれば最高の知を得るとは思いません。

これは、私立の法学部卒業の仏教については、ほとんど無知である私の考えですので、間違いでしょうが「 空なる我 」というものを中心に据えた関係で書きました。

kandk55
作家:高口 克則
 空なる我  下巻
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