空なる我  上巻

ですから、イエスが宇宙(自然)エネルギーだけが体内に働くのなら、人間とは違った「 奇跡 」といわれる事もできるかもしれません。

イエスのエネルギーは宇宙(自然)エネルギーと同質のものであり宇宙(自然)エネルギーそのものと同化していますから、彼の行為からは、宇宙(自然)エネルギーがあふれ出して来ることも考えられますし、彼の行動や彼の言葉はエネルギーそのもので、それらの中には、間違いがないどころか、福音書にもありますように予言も可能なのかも知れません。

彼が話す「 神 」の言葉は、「 無明で盲目のエネルギー 」が現象となったものですから、自然エネルギーが意思を持った状態で、私たち人間のように迷うこともなく、「 宇宙(自然)」の意思として語られ、イエスもご自分の言葉どおりの死を迎えられるのでしょう。

では、なぜ「 死 」を迎えるのかですが、宇宙(自然)エネルギーが生命エネルギーとなったとしても、生命エネルギーの衰退と同様に物質の変遷が起きて「 死 」という形をとると思いますが、習合しているのが宇宙(自然)エネルギーだけですので、輪廻転生することはないでしょう。

私は、人間が誕生から死後へと向かうことについては、全く恣意的な考えをしています。

 

宇宙(自然)エネルギーと生命エネルギーの習合したのが人間ですが、この宇宙(自然)エネルギーが如何にして生まれたかですが、「 無 」と「 現象 」を示す「 有 」ですが、完全均衡状態のエネルギーが何かの間違いでその対(ペア)となるぶきエネルギーから外れて、他のエネルギーと結びついて(いわば「 浮気 」のようなもの)、物質(浮気の結果の子供)が出来てしまい、「 安定 」し「 均衡 」しますが、宇宙(自然)エネルギーは、本来、安定し均衡すべき対(ペア)のエネルギの存在を欠いていますから、人体の中で安定しているように見えても、絶えず消滅すべき対(ペア)のエネルギーを求めていますから(例えば結婚しても浮気するように)に、人体の中で「 不安定 」を提供し、それが、新陳代謝の「 古い細胞を破壊する神 」となり、「 生きる原動力 」でもありますが「 死 」へと駆り立てるエネルギーにもなるんじゃなかろうかと思います。

ですから、キリスト教では「 神 」を「 父なる神 」と呼ばせ、自分の頭脳の中で「 創造 」を担当する神となり、不均衡から均衡へと動かせるゆえに創造の「 神 」の働きである「 創造 」を重視しているんじゃあないかと思います。

この世に「 破壊の神 」や「 創造の神 」がおわすのではなく、この世を構成する宇宙(自然)エネルギーが、そもそも「 無 」あるいは「 無限 」のエネルギーの対称の中から偶然にも飛び出して、他の受容体「 有 」なる「 現象 」を作り出すところから、それら二つの神の働きを持っている、即ち「 万物は流転する 」ことを可能にしているから、「 現象 」を次の「 現象 」に変えるのであり、「 無常 」を引き出しているのであり、この「 無常 」を感じることが「 神 」を感じることで、天災などに見舞われたときに、「 破壊する神 」を感じるのも、「 神の存在 」を確認する契機になるのかも知れません。

天災の被害を苦しむ人をみて、「 あれは、俺たちとは違う 」と、あざわらい、冷たく突き放すひとは、「 神 」を知らない人であり、その人こそ「 無宗教 」で享楽以外は何も持ち合わせていない動物のようなもので、「 神 」を信じる人であるとは思われません。

イエスの「 死 」でも、「 空なる我 」を構成していた生命エネルギーとして働いた宇宙(自然)エネルギーと純然たる宇宙エネルギーが宇宙に還流するのですから、イエスを構成していた「 空なる我 」は、消滅せず、人間にイエスの現象の残像とともに、生きているイエスを見た人の中に残るのでしょう。

kandk55
作家:高口克則
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