杜胡道士曰く

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上巻

杜胡道士いわく、「失敗があるから、成功があるのであり、あくまでも、無に対して、有はあるのだよ。」

1985/2/17

 

杜胡道士いわく、「問題について、質問の仕方がまずかったのではないか。また、はっきりとした問いとして提出されていただろうか。そうでないなら、いくら考えても、考えていたことにはならない。問いがあるから答えがあるのであり、答えがあるから問いがあるのではない。」

1985/2/22

 

杜胡道士いわく、「日本人の西洋びいきは、全体的なものだ。」

1986/3/27

 

杜胡道士いわく、「真に自分の能力を理解する者は、極限に挑もうとするものだ。それが社会に対して、ひとつの文句も言わせることなく、経済的にも、ある程度の満足を得られる道なのだ。」

1986/4/27

 

杜胡道士いわく、「本当の意味で、新しい価値を、拠点としての強さを日本は持つべきである。原点を失った文化には、ただの惰性しか存在しない。その仕事ができる人は、あまりいないでしょう。本当の戦士でなければ、決して成し遂げられるものではない。」

1986/4/29

 

杜胡道士いわく、「才能がないことのために、時間を費やしてはならない。時間、金、精力を興味あることに、好みに合うことに費やすこと。」

1986/6/13

 

杜胡道士いわく、「基本的に、言葉は感じるもの、慣れるもの、そして、使うものであって、教えられるものではないと考える。」

1987/2/10

 

杜胡道士いわく、「その人は、何をしているのか。その人は、何ができるのか。何をやらせてもらえているのか。または、生かされているのかについては、もう何も言いたくないのが、大都市の恐怖である。」

1987/6/30

 

杜胡道士いわく、「あくまでも、社会に対する商品とする目的による以上、社会としての全体、集団に関することである必要があり、自分だけにしか問題でないことは、ストレートに出すべきではない。」

1987/8/30

 

杜胡道士いわく、「ものは、どっちから見るかで、見え方が異なる。たとえ、同じものであってもだ。善と悪の境目もまたしかりで、そんなものは決まっていない。誰にも決められないと思うね。イギリス人の善が日本人の悪であることだってありえるし、ある人Aとある人Bのそれが、100%反対になっていることぐらいいくらでも考えられる話だよ。

 

なぜそうなっているのか、私達が知ることはできないのだから、その必要もないかもしれず、それは、人の仕事ではないと思う。生きるという仕事は、十分に活かすことであり、何か分かりもしないことに対して、屁理屈を並べることではない。」

1987/10/10

 

杜胡道士いわく、「歴史は逆進しないし、飛び越えたりもしない。」

1989/1/07

 

杜胡道士いわく、「コピーはオリジナルを超えることができない。」

1989/1/29

 

杜胡道士いわく、「好き嫌いは、とてもいい加減なことであるが、何をしに生まれてきたかの問いに答えられるのは、重大なことである。」

1989/3/17

 

杜胡道士いわく、「どこまで行っても、答えが存在していないに等しいから、この道を行く。」

1991/7/02

 

杜胡道士いわく、「相手が決めるのであって、私が決めてしまうわけではない。」

1992/2/08

 

杜胡道士いわく、「相対的なものとしてではなく、本質的なものとして、私は一人しかいないのだから、他人が何というかは、問題にならない。」

1992/12/11

 

杜胡道士いわく、「ただ死なない程度に生かされているだけの人が、勝つことはあるまい。何においても戦いはあるもので、それに勝っていて初めて、勝者じゃないだろうか。」

1992/12/11

 

杜胡道士いわく、「老いて捨てられることを望んでいる人々の仲間には、なりたくないものです。彼らが捨てられるのは、心に相手が存在していないからです。シュリーマンほどではないにしても、熱き思いを持っていないからです。」

1992/12/11

 

杜胡道士いわく、「ただマルクスだのと言っていても始まらない。状況をもっと知ろうとする必要がある。その上で判断してしまえばいいのであって、一方的な意見は要らない。日本も日本人も、総じて、実におかしいのであって、世界の動きは、また、それ以上に大きい。その中にあっては、理解しにくいことの一つや二つあっても、驚くに値しない。一つの連続体としての世代が、創りだす状況を見るべきである。全ては、それからだ。」

1992/12/22

 

杜胡道士いわく、「誰だって、自分が間違っているとは思いたくないものです。」

1993/5/28

 

杜胡道士いわく、「何でも、二度ずつ挑戦していけば、そのうちに、自分の勝ちやすいところややるべきことも分かるんじゃないかと思う。どうしても、未完成で、未了で気になっているのであれば、それをまず完成して、完了することを考えれば、いいんじゃないだろうか。」

1993/11/13

 

杜胡道士いわく、「問題があると思うか、思わないかは個人の勝手。ないと思えば、立ち止まらず、あると思えば、立ち止まるしかない。しかし、課題からは、逃れられない。どのレベルのことであっても、何であるかという特定は、必要なく、課題からは、逃れることができないと思われる。ある人は、物を運び、ある人は、物を売るだろう。」

1995/4/16

 

杜胡道士いわく、「能力の高低は、すぐに見れば分かる。頭がいいに越したことはないが、「目的」を忘れると意味がなくなる。」

1996/6/13

 

杜胡道士いわく、「小さい階段でも、上がっていくことが重要である。」

1996/8/31

 

杜胡道士いわく、「基本タイプというものは、個人としての本性で、社会性を考える必要がない。行動や活動として、どうしても避けられないものである。したがって、他人が満足しようが、それは彼らが決めることであって、私が、とにかく基本性の上にそれをやらざるを得ないとする見方は正しい。なぜなら、この作業をやめさせようとすることは、基本を殺すことに加担しており、とても人間がすることではない。」

1996/12/09

 

杜胡道士いわく、「全て理念、目的や最終目的地があっての判断で、それなしでは結果的に意味を持つことができなかった。」

1996/12/11

 

杜胡道士いわく、「哲人は、会社・組織には住まない。会社や役所にいるのは、労働者とその管理者であって、『考えすぎる』人ではない。」

1996/12/12

 

杜胡道士いわく、「新しい時代が来る必要がある。または、来なければならないと思っている人は多くいるだろうが、時代を画するような思想はまだ生まれていないと思います。」

1996/12/15

 

杜胡道士いわく、「なぜ、彼らがただの労働者でしかないのに、ダリや空海は偉大なのか。始まりの課題、命題が個人に深く根差しているのかいないのかの差ではないのか。能力が超絶していただけではないように思う。確率的には今の日本人にも、彼ら以上の知能と能力を潜在的に持っている人はいるはずだが、そのような人は、とんと見当たらない。」

1997/5/25

 

杜胡道士いわく、「まず、60年代に急ぎすぎた。オイルショックからの対処が悪かった。財政再建は何度も失敗して、掛け声だけで、いっそう悪くなった。バブル自体もかなり人為的な側面が大きかったと見られる。戦後50年の急速な社会壊しによって状況が変化しすぎている。その進度は、どの国よりも大きいと見られ、欧米先進国の2から3倍の勢いであった。頂点まで来れば、後は下がっていくだけだ。妥当な水準までね。個人の努力では戦争への道が止められなかったように、明治維新が回避できなかったように、これからのドラマは、個人の意向に全く関係なく進んでいくのです。だから、予見が必要だ。備えて、そして、次の時代に対して撃つ心構えがあればいい。」

1997/6/06

 

杜胡道士いわく、「組織は、人としての誠実さを欺く場合がある。だから、単なる個人の素朴すぎる疑問、質問が重要な意味を持ち、そして、命を持っている。集団としての人は、虚言が多い。孤独な単独者に嘘は必要ない。あるのは心の目だけだ。官僚や閣僚の言い訳答弁ほど見苦しいものはない。国会の参考人や証人の不誠実な答弁ほど空々しいものもない。」

1997/6/06

 

杜胡道士いわく、「知る努力をしなければ、分からないものだ。単に自分として、嘘を本当と思い込んでいる場合もある。また、5年や10年も経てば、全く状況が違っているということは、経験上知っているが、しかし、知識が更新されていないと、それを全てに適用させようとするだろう。それでは、全く意味がないのだ。」

1999/6/25

 

杜胡道士いわく、「最初から、失敗すると分かりきっているものの方には行かない。近づかないようにするだけでも成功する確率は上げられる。」

2001/8/31

 

杜胡道士いわく、「色々好きでもない労働のために、話したくもないことをいちいち聞かれるより、私は、私の仕事とともに去りたい。その結果によって(おいて)、最後の審判を受ける。結果はどうであれ、その時みんな分かる。それでいいじゃないですか。慌てなくても、その時は必ず来る。」

2002/5/17

 

杜胡道士いわく、「嫌いなことを好きになることは難しく、好きなものは理由など要らない。

 

性格も多少は、人為的に変えられるが、四六時中、正反対ではいられまい。程度に限度というものがある。能力面では、よほどかけ離れていない限り、努力でカバーできる面も多く、すぐに諦めるには及ばない。何もしない前からその程度を知ることは難しく、とにかく、1回は体験した上でないと、なんとも言えない。

 

これにもうひとつ価値観という概念を加えることができる。自分として、価値あるものとしているものも、変わりにくく、変え難い。」

2007/1/29

 

杜胡道士いわく、「変になっているものをいくらつついても、それまでなので、より原形を求める努力がいるな。」

2009/7/07

 

杜胡道士いわく、「バランスが崩れたとき、崩壊は速い。」

2010/6/26

 

杜胡道士いわく、「思いついたら、3日はやれ。」

2011/10/21 

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下巻

杜胡道士いわく、「15才の少年では、不確定の要素が多く、不明としか言いようがない。半分ほどは見えるが、20才以前の人は、かなり伸び代があると思います。」

2012/3/28

 

杜胡道士いわく、「まあ、我が強いと、生得的に問題が生じやすくなるでしょう。人間ってだいたいはそういうものですよ。」

2012/3/28

 

杜胡道士いわく、「人を理解するのは難しいということです。やはり、適、不適というのはあるよね。

 

まあ、人としての性質ですよ。

 

どのくらいを期待して良いか。期待すべきか。適正水準、妥当性、荷は重すぎても、軽すぎてもいけない。効率が悪くなる。これも、あまり事前にはよく分かりません。成人するまでの様相で、推測することぐらいは可能と思いますが、これは結果の問題のような気がする。条件を増やすとよく分からなくなりますね。三つ分かれば、正確さは増すように思いますが、そこまでは神でもないので分かりません。興味と性格を大体押さえていれば、十分なんじゃないですかね。事前の当たりとしてはそれぐらいで基本条件はクリアーしていると思います。このふたつは、どうしても外さないほうがよいと強く思います。嫌いな仕事なんか続けられませんし、性格に合わない仕事なら、失敗続きになるよね。能力的上下感は後での問題。その中で、スライドして、神が調整するぐらいに思っていればよい。

 

一に興味、ニに性格、三に能力ですかね、見て分かりやすいのは。何もやる前から、能力を問題にはしにくい。何もしていないのに、妥当か不当かを即断できる人は少ない。

 

進学の場合は、シュプランガーの6分類が有効かもしれない。方向性はだいたい見える。ホランド理論には、宗教という因子がない。宗教系の選択肢もあるので、多少厳しいかと思っていた。審美、理論、社会、経済、権力、宗教。大きく分けると、理系と文系なんだろうか。この分け方が万能ということもないので、困る。人か物かに、だいたい相当はしますが、それだけでは、割り切れない難しさがある。まあ、善良な人なら、選択に成功する人は少ないだろうと思います。」

2012/11/30

 

杜胡道士いわく、「精神医学というものは、一体何をやるものなるや? 精神に正常と異常の境目はない。人間存在のあり方からすれば、全く取るに足りないことだね。『実存は本質に先立つ。』人間は、あるようにあるのだと思えば、それでよし。私は、ただの傍観者にすぎん。」

2012/12/04

 

杜胡道士いわく、「社会と、人々と、共有されるべき私の真言として、97116日からノートにあるものを完全に杜胡道士は言われたにし尽くす。私の言葉とし、そこから全てをまた歴史逆回転して、始めましょう。十分な内容と十分な分量があります。ノート約24ページ分もありました。そのまま行くと、盗作になりますので、社会に対して共有されるべき真言として、私が改めて、語り直します。英語版と韓国語版を作ります。『杜胡道士真言集』ということにしておきます。15年経っているのですね。すでに、偉大な仕事はなされていたのでしょうね。見ないで写すや戻し翻訳など、活用すれば、杜胡道士は言われた云々にできるでしょう。1回なったら、限りなく直しが入るので、元は消える。問題ない。大体、人が言っていることは、同じようなことですからね。より直接的に引き写してしまうから、盗作呼ばわりされるのですよ。本当の核心部分だけです。真言というものは実に単純なものなのです、仏の直観みたいなものですから。」

2012/12/06

 

杜胡道士いわく、「言いたいこと、真言は、スポット的に短い。直観的にすぐに分かるものが、仏の真言です。」

2012/12/06

 

杜胡道士いわく、「私には道はないが、通ってきた所ならある。『何を幸せと考えるかを問いながら、自分らしい仕事を手さぐりしてほしい』」

2012/12/09

 

杜胡道士いわく、「人の住んている世界は、自然法則などと同じ程度に論理的じゃありませんものね。」

2013/1/19

 

杜胡道士いわく、「失敗するには、失敗するだけの理由がある。」

2013/4/29

 

杜胡道士いわく、「流動性と言えば、聞こえはいいが、流浪の民の量産です。」

2013/4/29

 

杜胡道士いわく、「3年先がみえれば長者。長い先の未来も同じ。10年を超える先は、神の領域。5年なら、明確だ。勝手にやる。」

2013/5/23

 

杜胡道士いわく、「アイデアって、本当か嘘かはあまり関係がない。発想もまずは出してみないことには、是非は問えない。」

2014/4/09

 

杜胡道士いわく、「勝手に自分の妄想でも書いている方が気が楽だ。他人の著作権とかないので、自由だよね。単なる妄想は自分のものなので、誰からも文句は言われない。」

2014/4/09

 

杜胡道士いわく、「いちいち考えたら何も書けないので、1回全部書いた上で。」

2014/4/09

 

杜胡道士いわく、「なんか違うと思っていたら、本物を見せつけられて、西日本のものは本当に縄文なのかと思ったのが1979/3/18だった。佐賀県立博物館だった。縄文時代としてある土器がどうしても弥生土器に近く見えた。これは本当に縄文時代の土器なのですかと変に思ったのを覚えている。要するに、それが西日本、特に九州のスタンダードだったのだ。別に変でも何でもありませんでした。地味である。立体的造形性にとぼしい。縄文もはっきりしていない。」

2014/12/13

 

杜胡道士いわく、「一応、30年後をより明確に見て、教育は考えることだな。生きている個人に対しては、そうだな。より大きな集団である国民全体とかなら、少なくとも50年から100年後は見てない(見えてない)と、まずいだろう。正当な方向に教育を進めていくことが難しくなりそうだ。」

2014/12/13

 

杜胡道士いわく、「根本的に、人々の心の中から護憲という言葉が消え去りつつあるのかな、と思う今日でしたね。自民の策略でもあるし、時の流れでもあるし。5年もしたら、具現化しそうだな。2020年ですよ。」

2014/12/14

 

杜胡道士いわく、「第一に、それでは駄目だから、人のものでは駄目だから、創るわけですよ。この件はそれでいいですか。創らない以上、何を与えても無駄というものです。一刻も早く描きなさい。それは一時放置、本当に必要なものなら、いろいろ言う前に買っていますから、心配は要りません。お騒がせしました。申し訳ありません。」

2014/12/15

 

杜胡道士いわく、「どうしても要るとか、どうしてもほしいなら、何も言う前に手に入れているだろう。四の五の言っていられる間は、まだまだ考える余地があるということだ。名言集310番発動 「迷ったら、やらないほうがよい」、納得した。」

2014/12/15

 

杜胡道士いわく、「安倍君も2回目で相当慣れている感じですね。野党がその間に弱って死にかけている。共産以外は元来骨も筋もないからね。社民は本当に滅亡寸前です。今はもう黄色電話じゃなく、スマホの時代。話が通じません。「ゴケン、ゴケン」言ったって、若輩者には何のことだか、さっぱり分かりません。」

2014/12/16

 

杜胡道士いわく、「どう考えても、原発は、いろいろ絡んでいるから、どうしてもそっちが優遇になるな。国民は裏が見えないからね。しかし、財政赤字と核のゴミ、自民党(政権)は、広い意味での政治家は、どうしようと思っているのかな。どうにもならない状態に、もうすでになっているようなんですがね。そのうちに、自民党は無能なので、破裂するのは確実。」

 

杜胡道士いわく、「 『後は金目でしょ』かな。」

2014/12/16

 

杜胡道士いわく、「電気を大量に蓄める技術を確立することだな。

 

『原発』って、単なる発電設備と思っていたんだが、何かよく分からない「化物」ですよね。裏に何か得体の知れない妖怪がいっぱいくっついてるよね。

 

核のゴミのババ抜きが始まるぞ。これ全く成っていないはず、最終処理の件まで、全体を見てやってないのは、財政と全く同じと思われます。目が近すぎるから、足をすくわれる。要するに、それが、原発中毒になっていて、上から下まで、それなしには、何も考えられない病人、または、廃人になり下がらざるを得ない状態になっているのだろう。福島第一はよほど稀有なこととして、自分に都合の悪いものは存在しないか、起きないということにして、思考を回避しているからだろう。

 

まあ、必要悪か、毒は薬にもなるぐらいに思っているのでしょう。

 

自民であれ、何であれ、時が来れば、一回、国は滅びることになっている。そうして、歴史は単に繰り返されてきただけでしょう。一少国民はそれを甘受するだけしかできないようになっている。逃げ出す人もいるだろう。

 

小さな視点では、最善、最高のつもりであっても、全体に総合的に見たら、最悪ということもありえる。

 

私にできるのは、より確からしい事実を直視して「それ」を伝える口になることぐらいでしょう。それは避けられたとしても、不意打ちよりは事前に知っている、知らされているでは、全く対処の仕方が違います。結果も違います。」

2014/12/17

 

杜胡道士いわく、「徳政令にしろ、大政奉還にしろ、1945/8/15にしろ、人智には限界があることを思い知るよね。天命、宿命みたいなものかな。予期して来るのと、不意打ちでは、およそ結果に差が出るだろうと思いますね。

 

歴史に学びなさい。それでも人は生きていたし、生きてきた。歴史を学びなさい。それが不可避であると思い知れば、下々の者であったとしても、やれること、やるべきことはあろうかと存じます。1回死んでも、また立ち上がるのであれば、滅び切ってしまわないのであれば、次の(新しい)時代、世界、国がまた来る。そこでどうするか、どうできるかで人の真価が問われる。」

2014/12/17

 

杜胡道士いわく、「お上は単体でなく、根もない無責任な集団だから、平気でうそをつくよ。信用したら、自分の腹が痛くなる。」

2014/12/18

 

杜胡道士いわく、「ただ見ているだけより、手を動かして働くほうがよほど意味と価値があると思います。」

2014/12/18

 

杜胡道士いわく、「光がまぶしければ、闇が深い。表がきれいなら、裏は汚い。前が白なら、後ろは黒い。過剰なものには、無理がある。裏は見ないようにすればいいのかな、『原発』も。」

2014/12/20

 

杜胡道士いわく、「だます人にはだます人なりの才があり、だまされる人にも、その準備がすでにある。自虐的だったり、夢物語を受け入れたがっている人は、大方現実を見ないようにしている傾向があるということなのでしょう。」

2014/12/21

 

杜胡道士いわく、「要するに、消してはいけないもの、消えてはいけないものを基準として、選んでみるというのは方法としてありと思う。」

2014/12/22

 

杜胡道士いわく、「基本的には、事実というよりも、認識の問題だよな。黒が白になったり、白が黒になったりするおそれがある。」

2016/2/20

 

杜胡道士いわく、「何か、障害などと言われると、自動的に悪者みたいな気がするね。」

2016/2/26

 

杜胡道士いわく、「私は、私をいくらパクっても、誰も何も言わない。文句なんて、言う奴はいない。」

2016/2/26

 

杜胡道士いわく、「人の他案は、本当に否定できるかが、重要。それだけの根拠があるかが問題ですね。」

2016/2/28

 

杜胡道士いわく、「頭の中のもの全てです。私の商品のネタ、元、原料という発想は、今までもあったが、より明確化した。自分のものなので、自由に使えるしね。」

2016/3/21

 

杜胡道士いわく、「こんなことを全面的にする企業はないね。哲人を雇う会社はないね。哲人って、芸術家と科学者の上にある概念なので、なかなか厄介な人でしかありませんね。」

2016/3/21

 

杜胡道士いわく、「できるだけ競合しないものでないと勝てない。二、三歩、先にあるものですね。」

2016/3/21

 

杜胡道士いわく、「色々あるんだろうが、あまりにもありすぎて、思いが詰まって、思考のパイプも詰まって、なかなかうまく取り出せない。苦しくなるばかりです。」

 

杜胡道士いわく、「役に立つ、立たないは、まあ、脇に置いといて、とにかく、もう少し楽に取り出せるようにしないと、何も始まらないね。」

2016/3/22

 

杜胡道士いわく、「まあ、ひたすら書いていれば、少なからず前進はしているよ。」

2016/3/22

 

杜胡道士いわく、「1981/7から1982/3を『脱輪』として、ノート公開するか、全面はないとしても、20%ぐらい少し直せば、すぐに商品化できそうだ。」

2016/3/23

 

杜胡道士いわく、「『人間鑑定マニュアル』−持ち味(素質)を見抜け

 

迷える小羊に神のお言葉を」

2016/3/23

 

杜胡道士いわく、「楚簡に比べると、漢簡は時代が下っているので、原形を失っているところが大いにあると思いますね。」

2016/3/31

うしろ( 1 / 1 )

あとがき

『とこちゃん名言集』とも、『杜胡道士真言集』とも言われているものには、現在知られているだけで、450段ほど収められています。一つ一つは、非常に短いものが多のですが、含蓄もあり、機知にも飛んでいるものが多い。やや、難解なものもあるが、今回はその中から、できる限り、意味が不明ではないと思われる80段を抜粋しました。杜胡道士の説教は、現在も続いており、しかも、過去のものが際限なく発見されている状態です。今後、新発見があるかもしれません。

2016/10/18 21:40

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