算命学余話 #U117

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算命学余話 #U117 (page 1 )

 内田樹氏が『困難な成熟』の中で興味深いことを述べています。「労働とは何か」を突き詰めると、それは「生産」ではなく「管理」だというのです。人間は何か有用な物、必要な物を生産している時には喜びを感じて苦にならない。しかしその生産作業が誰かに強いられたり、ノルマを求められて尻を叩かれたり、気に食わない奴のためにタダ働きさせられたりすると、苦痛に感じる。それは生産活動そのものに対する苦痛ではなく、管理されていることから来る苦痛なのだと。
 狩猟採集していた頃の人類は、自然が供給してくれるものを受容して生存し、それで足りていたけれど、人口が増えて自然の供給では追いつかなくなった時、人類は農耕や牧畜を始めて「生産」せざるを得なくなった。「労働」とはこの生産の効果を上げるために発明された技術であり、更なる生産効率を追求すればそれは労働に対する管理を生む。人類は管理されるが故に「労働」が苦痛だと感じるようになったというわけです。
 内田氏は、「人類史とは『人間にとって必要なもの』を作り出す工程の高度化・複雑化のプロセスではなく、『人間にとって必要なものを作り出す工程の管理』の高度化・複雑化のプロセスだったのだ」と述べた上で、ではそのような世の中にあって我々人間は労働とどう向き合うべきかについては、「自然に近いところで働いて下さい」と緩やかに諭しています。
 「労働が『それができるといくら年収が増える』とか『どれくらい出世するか』というかたちで検証されるものではなく、『生物として生きる知恵と力が高まるか』ということを基準に成否の判定が下されるべきものだということです。…身体という自然に絶えず『これで、いいんだよね?』と自問しながら労働する。…この場合の自然とは海や山や森の中という意味ではなく、自身の身体という自然の近くで労働するということ。その仕事をしていると生きる力がなんとなく高まるような感じがする仕事をして下さい。」
 
 このくだりを読んでいて、私は算命学の論じる知性の姿だと思いました。算命学の定める知性とは受験勉強の類ではなく、人々が見過ごしがちな物事の本質を見極める力であると、これまで何度か申し上げてきました。本質とは精神と肉体の両方を貫いているものなので、頭脳とは切り離されて考えられがちな身体のことも当然踏まえていなければならないのですが、自ら武道家である内田氏には身体を度外視した知性が片手落ちであることを随分前から看破されており、算命学もまたこれに同意見です。
 知性とは決して頭でっかちなものではないことは、学歴や収入で人の優劣を論じることができないと感じている多くの人々の知るところであります。しかし同時に学歴や収入で人の知性を量ろうとしている人々もまた少なくない。彼らの声が大きいのは、知性が目に見えず、数値でも計れないものだからです。不可視の世界を無碍に否定する人にはそもそも知性が備わっていないので、当然知性の本質にも気付くことはない、というのが算命学の冷ややかな見解です。
 
 さて前回の余話#U116では陽的知性を司る龍高星に焦点を当て、陽的知性の守備範囲を読み解くことで龍高星の特徴を検証してみましたが、関心を持たれて読んだ方は多からず少なからずといった微妙な数でした。龍高星はお騒がせ星として注目度がもともと高いがためにある程度読者が集まったのかもしれず、他の星では読者を得られないかもしれませんが、試しにもう一件、陰的知性を旨とする玉堂星について同様のプロセスでその特徴を検証してみたいと思います。(これでもある程度の読者を得られたならば、残りの八星についても同様の検証を実施しましょう。)龍高星と並べることで、同じ知性であっても陰と陽とでこれほど違うという勘どころを押さえるのに役立つことを期待します。
 
 一般的な算命学の入門書には、玉堂星の特徴として以下のような単語が並んでいます。
 
知恵/学問/伝統/保守/理論/客観/理性/冷徹/現実的/創造/母性/安定
 
 これだけを見ると、例えば冷徹と母性は相反するような気がしますし、保守と創造も矛盾するような気がします。しかしそれは単語の羅列を眺めているからそのように感じるのであって、前回の龍高星の例でも判る通り、理屈を追って順繰りに考えていけば、これらの矛盾も筋の通ったものに変わります。その辺りを、理解しやすいよう龍高星の知性との違いを比較しながら論じてみます。
 
 玉堂星は日干を生じてくれる干を通じて出て来る知性星であり、龍高星とは違って陰干と陽干の組合せによって生じる陰星です。日干が甲木であるなら癸水を、日干が己土であるなら丙火を通せば玉堂星が出ます。
 龍高星と玉堂星は共に知性星ですが、その由縁は知性というものが親なり先人たちなりから授かるものであるという真理に依っています。生まれたばかりの赤ん坊は、母親なり周囲の大人なりからの助けがなくては1日も生きてはいけません。生存しているということ自体、周囲から恩恵を賜っているのですが、赤ん坊が成長して大人になるということは、それまでお世話になっていた人の手を借りずともある程度自立して生きていける技術を身に付けたということであり、その技術を今度は新たな後輩のために伝授できる立場になったということです。この2つができない大人は大人とは言えない。これが算命学の考えです。大人の定義が20歳からだとか18歳からだとかいうのは、算命学には失笑ものなのです。
 いずれにしても「授かる」という現象が「生じられる」現象と重なるため、知恵なり技術なりといった生存に必要な方便を習得する本能が、龍高星・玉堂星には生まれながらに色濃く備わっていることになります。そうしたわけで、よほどおかしな育ち方をしない限り、龍高星・玉堂星の人は頭の回転が速く、物事の本質を見極める力があり、何かを習得するスピードも速い。但し、陽星である龍高星は前回述べた通り混沌とした野性味があるので、既成の殻を打ち破る革新性や破壊性が伴うのに対し、陰星である玉堂星は逆に堅実さや保守性が特徴です。それは玉堂星が文字どおり「生みの母」であることに由来します。
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