算命学余話 #U106

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算命学余話 #U106 (page 1 )

 ロシア移民のニコライ・リリンがイタリア語で書いた自伝小説『シベリアの掟』(原題『シベリア流教育』)が発表されたのは2009年で、当地でベストセラーとなった後の2013年、イタリアを代表する映画監督サルヴァトーレスによって映画化された。日本では『ゴッド・オブ・バイオレンス シベリアの狼たち』の邦訳で公開されたようだが、私はこのロシア語吹き替え版を先に見てから原作を読んだ。両者の違いは明らかで、これはとりもなおさずイタリア人とロシア人の価値観及び美意識の差であると認識している。端的に云って原作の方が数倍面白いし、内容が深い。これに比べれば映画の方はハリウッドに倣った単なる娯楽商品である。
 西側世界は破綻した旧東側世界に対し優越感を抱いているが、この映画と原作を見比べればその精神世界の豊かさにおいてどちらに軍配が上がるかは明白だ。尤も、イタリアの読者層の多くは原作を支持したのだから、彼らの頭と映画の薄さとを一緒にしてはいけないかもしれない。それに、著者の書きたかったことがソ連崩壊後に訪れた西側流消費社会によって壊滅していったロシア文化の一形態とその思想であったのに対し、映画は興行収入を得るための活劇にスポットを当てたのだから、自ずと表現するものが違ってしまったのは致し方ない。興味のある方は両方を見比べてみて下さい。どちらか一方なら断然小説の方がお勧めです。
 
 その原作の中に散りばめられた含蓄深い文言のうち、我々現代人の耳に痛い名句をご紹介しよう。ソ連時代に国家権力による理不尽な暴力に苦しめられ、それに対し同じく暴力によって抵抗を示してきた主人公の属する社会は、相互の助け合いによって支え合い、そこにはルールも善悪の区別も団結もあった。しかし世間は彼らを犯罪者と呼び、主人公もまたこの生き方がひどく極端なものであることに気付き始める。そんな主人公の目には、暴力と無縁な一般社会もまた奇異に映っている。
 
「人々は他人の問題に対してはもちろん、自分の問題にすら目を覆い耳を塞いでいるように見えた。人々は何も共有するものを持たず、何かを分かち合う喜びも感じることなく、ただ分断されている。誰もが他人を勝手に評価し、その人生を批判するくせに、自分はテレビの前で夜を過ごし、安い食品で冷蔵庫を満たし、家族のパーティで皆で酔っ払い、他人を嫉妬し他人からは嫉妬されようと必死になる人生を送っている。周りの人々に何もかもうまくいっている、「ビジネス」は順調だ、と言いふらす。その実は搾取され続けているだけのただの労働者で、自分の人生の真実に目を向けることができないだけなのに。ソ連崩壊以降のロシアに広まった消費至上主義は、私のような人間にとっては衝撃的だった。私は疲れ、途方に暮れ、この世界の中に善良で有益な生き方を見出す自信をまったく失っていた。」
 
 これが殺人未遂で二度少年院に入れられたアウトロー青年の現代批評なのである。イタリア語で書かれたとはいえ、まさしくロシア文学の伝統を引き継いでいる。ロシア文学はドストエフスキーの時代から、或いはもっと前からずっとこのテーマを扱っているが、とうとうイタリア文学に進出してきたというわけだ。このテーマの解決方法は未だ見つかっておらず、この作家も答えに至らない暫定意見としてこう締めくくっている。
 
「人間の正義はおぞましい。そして間違っている。神様だけが正義を下すことができるのはそれゆえだ。だが罪深き私たちは時に、その裁きを待たずして正義を行うことを強いられてしまう。」
 
 今回の余話のテーマは、社会における陰陽についてです。『シベリアの掟』に描かれる犯罪者コミュニティは、一般社会から見れば明らかに裏社会です。日陰者の社会であり、日に当たることはなく、小説に書いて発表でもしなければ世間の誰も目を向けず、気付くこともない。しかし彼らの世界には我々の知らない文化があり、理性もあり、道理もあり、その中で人々は生き生きと生活している。彼らから見れば、一般社会のシステムは自由を奪われた奴隷を量産する工場にも見える。両者の価値観は対極にあり、交わることはない。
 これは算命学の陰陽論の根幹でもあります。日本では裏社会というと暴力団や密輸といった違法行為がはびこる特殊な世界を思い浮かべますが、高倉健が多数出演した往年のやくざ映画が安保紛争の時代に人気を博したように、あの世界にも仁義や人情があり、異常な暴力愛好者や道理の通じない変質者は問答無用に排除の対象となっていました。翻って我々の一般社会はどうでしょう。無差別殺人や弱者虐待といった狂気の犯人を捕まえても、その罰し方は余人の納得のいくものでしょうか。被害者よりも加害者の人権を尊重し、精神異常と診断しては釈放するような世の中です。そこにはけじめがなく、責任を取りたくない人の思惑がちらつきます。どちらがより正しい社会なのか、我々には判断つきかねます。正義を知っているのはまさしく神様だけというわけです。
 算命学は神様を論じませんので、こうした事情は陰陽で斬っていきます。今回は陰陽思想の話がメインですが、話を判りやすくするために「守護神帝王」と「忌神帝王」の対照性についても取り上げます。
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