算命学余話 #U90

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算命学余話 #U90 (page 1)

「人権は宗教である」というのは佐藤優氏の言葉です。この言葉が佐藤氏のオリジナルなのか誰か先人の言葉なのかはともかく、今日我々が近代社会と呼んでいる社会の常識として通用している人権や平等、民主主義や博愛主義といった概念は、せいぜいフランス革命以降に広まった二百年余りの歴史しかなく、人類全体の歴史に比べれば取るに足らない長さです。
 これに対して数千年あるいはそれ以上の歴史を生き続けた人間生活の普遍的価値基準には、男女の結婚があり、性別差があり、宗教があり、ごく自然な老いや死があり、食用に足るだけの殺生があり、責任ある立場にある限られた人間による決定権があり、愛情を向ける対象への優先順位がありました。どれも近代社会が提唱する「こうあるべき姿」とは反するものばかりですが、実際には人類はこれらの伝統的価値基準で数千年を生きてきました。二百年余りの近代社会の価値基準は、この先数千年を生きられるでしょうか。現代のペースで人類が活動した場合、人類全体の寿命はあと二百年との分析もあるくらいですから、今日の常識的価値基準とやらは、どうも人類の存続に貢献するものではなさそうです。
 
 比較的新しい概念である人権が、当初の高邁な意味合いを逸脱して訴訟合戦に堕してしまっている今日、人権はただ自分の利益をより多くぶん捕るための方便にすぎず、それは自分だけの神様を拝んで御利益を得ようとし、御札を掲げて「不信心者よ、ひれ伏せ」と叫ぶ狂信者の姿に似ている。だから人権は宗教の一形態にすぎない。
 平等もまたまやかしで、男女の歴然たる生物学的差異や、持って生まれた特性・個性があたかもなかったものとして一律平らにならそうという思想は、異なる風土と文化に暮らす万人の現実に適合しているとは言い難く、これもまた一部の信奉者が満足するに過ぎない宗教に近い。愛情を万人に平等に振り撒かなければならないとすれば、ザミャーチンが『われら』で描いたアンチ・ユートピアのように、女性はあらゆる男性の性欲に平等に応えなければならなくなる。マサイの男なら眉を顰めてこう言うだろう。「獣以下だ」。
 
 近代中国史・モンゴル史が専門で大戦前後の日中関係を詳らかに分析する宮脇淳子氏は、その正論且つ過激な口調で、「多数決の民主主義は大体間違った方向へ行くと私は思う。その理由は、優秀な人間は少数だからだ」と実にもっともな意見を吠えるように述べています。加えて「大衆はよく知らないことには口を出すべきではない」とも言い、どこかで聞いたセリフだと思ったら、惑星科学者である松井孝典教授の「専門家でもない人間がそのへんで拾ったような浅い知識をさも正論のように語っている昨今のメディア」批判の話と重なりました。深い知識と洞察をもつ彼ら専門家は、確かに少数であります。今日の民主主義もまた知識の浅い狂信者の宗教に過ぎなくなってきているようです。民主主義はまた、責任の所在が誰にあるかをうやむやにする力があり、現代社会の病巣の一因ともなっています。
 
 古代に生まれた算命学は、もちろん数千年の人類の伝統的営みの側に立っていますから、現代社会の掲げる自由や平等、人権や民主主義から同性婚に至る近年の価値に対しては冷笑的です。陰陽五行の自然思想で世界を認識する算命学にとって、これらは自然に則しているとはいえないイレギュラーの産物であり、早晩淘汰されるものと見做しているからです。そんなかりそめの思想に惑わされるより、もっと普遍的で揺るぎない価値基準で判断した方がブレずに済み、問題もこじれず、幸せへの近道にもなるのだというのが、算命学の自然思想です。
 
 前回の余話では同性婚や同性愛について考え、同性愛を生じる命式の1つとして八相局(はっそうきょく)を挙げました。八相局は偏った五行が特徴の局法ですが、同性愛を生じる原因はまさにその偏りです。今回は、こうした五行の極端な偏りが臨界を超えるとどうなるか、という点から八相局の意味するところについて少し掘り下げてみます。
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