算命学余話 #U75

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算命学余話 #U75 (page 1)

 前回の余話は基礎的な内容だったにも拘わらず、人気の回となりました。日干甲生まれから順次解説している守護神の回はあまり人気がないので、この種のタテ割りなテーマは関心が低いのかと思っておりましたが、そうでもなかったようです。甲生まれより己生まれの方が、命式に係わる話に興味が湧きやすかったのかもしれません。
 鑑定を請け負っていると、依頼人に多く見受けられる日干が何であるかはある程度傾向が判ってくるのですが、私の経験では甲も己もどちらも依頼は少ない方です。なぜかと思考を遊ばせますと、おそらく甲も己も自分を変えるのが困難な性質であるからです。
 樹木である甲はその場にまっすぐ立っていること自体に意義があり、動くということは伐採されるということです。一方田園である己もやはりその場を離れることはできず、人の手によって作物を植えられ、収穫を待つという宿命を負うことから、自分から何かを変えるという発想が生じにくいのです。そういう意味で、甲も己も基本的に他人の助言や意見を聞こうという姿勢になかなかならないものであり、それが鑑定依頼の少なさに現れるのだと、私は考えています。
 
 もちろん、甲や己の生まれの人の誰もが人の意見に耳を貸さないというわけではありません。真っ直ぐに立つ樹木や作物を実らせる田園の、そうした揺るがない性質を強固に支えるものが宿命にあるかないかで運勢が変わってくることは、前回お話した通りです。揺るがないことが良いとも悪いとも算命学は認めておりません。
 揺るがないということは良い面(陽転)で出れば意志強固ということですし、悪い面(陰転)で出れば頑固で融通が利かないということになります。こうした性質が命式によって強固に支えられている方がいいのか、ゆるく柔軟性を持ち合わせている方がいいのかは、本人がどう生きたいかによって解釈が変わります。だからこそ、人生に迷う人には「自分はどうしたいのか」という希望や理想の姿をまず自分なりに深く考え、少なくともぼんやりとは思い浮かべる努力が必要なのです。
 迷ったから易者に占ってもらって鵜呑みにする、というのでは、一体誰のための人生なのかわかりません。易者だって赤の他人の人生の選択を押し付けられるのは迷惑です。そうではなく、依頼人はまず自分がどうありたいのかを真面目に自問し、自分なりの判断基準を持ち、その上で易者に相談し、もしもその判断基準が間違っていれば易者が指摘して改善を促す、という両者の相互作業が、正しい算命学の使い方だと私は考えております。
 
 ところで最近、日本の首相が「努力が報われる社会に」とか「失敗してもリスタートできる仕組みを」とか耳ざわりのいい言葉を演説に盛り込んでおりますが、自然思想を積み上げた算命学の理論からすると、かなり考えの甘いスローガンだと言わざるを得ません。人生経験の浅い若者的発想と云っても良いでしょう。
 努力が報われるかどうかは、その努力がどの方向へ向けられていたかで全然違う結果となり、はっきり言って無駄な努力をいくらしても実りにはなりません。奇しくも前回取り上げた己(田園)が実りを得るのに何が必要なのかを地支の違いによって解説したように、人生においては正しい努力だけが実りをもたらすのです。しかもよく言われる宿命中殺の人に至っては、正しい努力をしていてさえも思うような結果が得られないという、一見理不尽な運命に甘んじなければなりません。厳密にいえば、宿命中殺の人が行う正しい努力は最終的には報われるのですが、それが本人の望む形でなかったり、死後の評価になったりすることがあるので、次の選挙が気になる政治家がそんな先のことまで考えて発言しているとは到底思えません。つまり口先だけの甘言で、長い人生について深く洞察した人の意見だとは言えないわけです。
 リスタートにしても、算命学は物事の開始を非常に重視しています。陸上競技を見ても判る通り、スタートでコケたらまず金メダルはありません。だから選手たちはスタートする前に鍛錬を積むのです。彼らにリスタートはありえません。一旦物事を始めたら取り返しはつかないのです。人生も同じであり、あとでいくらでもやり直せるという気構えでは大事は成し遂げられませんし、そういう人は万事に慎重を欠く体質となるため、どちらに転んでも人生の時間の多くを無駄に過ごしてしまうのです。リスタートなどという安易な言葉に頼ろうという人は、せいぜいホームレスから脱出できるくらいで、本来持って生まれた才能を堅実に発揮できるような舞台には立てません。この国の首相は国民にそんな底辺の人生を保証して人気取りしようとしているのです。だから多くの賢い国民たちは拍手喝采する気にならないのです。
 
 というわけで、今回のテーマは物事の初めが大切という話です。ついでに前回の己(きど)のシリーズを引っ張って、庚(こうきん)についても少し触れてみます。庚はそのままでは岩石であり、製錬すれば鋼鉄の刃になるので、鍛えたか鍛えなかったかで運勢に大きな差が出てくる宿命を帯びています。しかし鍛冶の現場を見た人には判る通り、鉄の製錬には道具と技術が必要です。作物を育てるのに水と日光が不可欠であったように、鋼鉄の刃を作るには何が必要なのか。それはつまり正しい努力とは何かを物語っているのです。
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