算命学余話 #U62

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算命学余話 #U62 (page 1)

 漫画家の西原理恵子は当ブログでお馴染みの佐藤優とはコラム仲間であり、且つあまり笑わない私が数少ない笑いのお世話になっている岩井志麻子と「ちゃん」付けで呼び合う親しい間柄なのですが、二児の母でありアル中の夫を見送った妻である西原氏は、子育てについてのポイントは真っ当な人間に育つことだけであり、頭がいいとか学歴や就職がどうとか立派な人間になるとかは眼中にないといいます。曰く、「真っ当でない大人になると男の子は盗みを、女の子は売春をするしかない」。そうならないための教育は必要だが、それさえクリアできれば学校の成績が悪くても構わないし、将来の夢についてあれこれ期待しないという。実にシンプルで的を射た意見です。
 佐藤優氏が暴露している一部の外務官僚のように、学歴も社会的地位も一流なのに家庭では赤ちゃんプレイをして高学歴の妻を絶望させる部類の大人になるよりは、背伸びをしないで鬱病にもならない身の丈のままで社会に居場所を得た大人になる方がずっと賢いし、本人にとっても社会にとっても幸せなことなのです。
 
 ノーベル平和賞を最年少受賞したマララさんは女子教育の必要性を訴えていますが、彼女の生きている地域が女子の就学を禁じる勢力に支配されているのに比べれば、日本の教育事情は天国のように優良で、日本の教育に文句を言う人や学校が嫌いだという子供はバチが当たりそうなくらいです。しかし実際にはテロリストに狙われる心配もなく気楽に教育を受けているはずの子供たちの中にも、学校教育に不満や不条理を感じている子はどこにでもいます。
 最近よく話題に出るのは高等教育に金が掛かりすぎることで、家庭の経済力の格差が教育格差に反映されているというもの。大卒がもはや普通の今日では大学院を出ていないとエリートにはなれないというのはまだいい方で、私立の学校に入れるだけの資金が親になくて今後は高卒中卒が増えるだろうとの予測もある。返却が必要な奨学金を出世払いできずに踏み倒す若者は既に大勢いるらしいし、真面目な若者ほど借金を返そうと消費者金融を利用して身を持ち崩したりと、暗い話は方々で聞かれる。
 さしずめ西原氏なら、消費者金融に助けを求めようなどと考える頭は既に真っ当でないという判断になるのだろうが、確かにせっかく親が大金を投じて子供に高い教育を受けさせたのに、世間知らずがもとで極貧に陥るというのでは割が合わない。こんなことなら中卒でさっさと職人修行をさせてついでに世間の仕組みを学ばせ、成人までに分別の備わった大人に仕上げた方がよほど安上がりだし、間違いもなかったのに。どこで間違ったのだろう。
 
 ペルシャが舞台の小説を書くくらいイスラム圏にシンパシーのある私が言うのも変な気がしますが、実は私はマララさんがあまり好きではない。お父さんが校長先生だという教育者一家に生まれた彼女が暴力で人心を支配するタリバンに立ち向かう姿勢は立派なのですが、彼女が英語でスピーチしている姿を見ていると、出来の悪い生徒に容赦のない女教師を連想させるのです。自分の信念(もちろん同年代の子供には真似できない立派なものですが)に疑いがなく、その正当性を武器に周囲を黙らせる。国連の大人たちだってたじたじです。でもそんな風に自分の行為や意思に疑念がないという態度は、一面的であり、その他の側面や存在の価値を否定するものです。これは暴力と恐怖で社会を一色に統一しようとするタリバンとある意味同根ではないのか。彼女にとってはろくな教育も受けずに銃を乱射しているだけのタリバンは出来の悪い生徒になるだろうし、タリバンにとっては彼女こそが伝統文化への理解の足りない不勉強者に映る。両者の物の見方はコインの裏表のように似ている気がする。それが私には剣呑に感じるのです。まあ算命学の影響ですから、皆さんはご自分の価値基準で判断して下さい。
 
 平和ボケの我らが日本では、目下の教育問題はせいぜいゆとり教育の弊害が取り沙汰されるくらいですが、このゆとり教育、結果的に本来勉強すべきでなかった別の才能の持ち主が光り輝く原動力に確かになっていて、それはとりあえずスポーツの世界で顕著です。テニス、サッカー、フィギュアスケートなどかつては世界で上位を争う人材は偶発的にしか現れなかったのが、ゆとり世代では層が厚くなって途切れない。まさしく彼らはお塾に通って興味もない受験勉強に才能の研磨を妨げられていた人材が、遂に自由を得て自分の特技を伸ばす機会を得た世代なのです。(まあ勿論才能もないのに無理にスポーツを習わされているという子供もいるでしょうが。)
 というわけで、今回の余話はスポーツについて考えてみます。スポーツに適した星といえばやはり攻撃星が思い浮かびますが、では攻撃星がないとスポーツで活躍できないかといえば、決してそうではない。そもそもスポーツなどというものは近代の産物で、算命学の時代に職業としてのスポーツなどはなかった。では算命学はスポーツを一体何だと考えているのでしょうか。何のために人はスポーツをやっているのでしょうか。それは勿論、宿命を消化するためにやっているのです。
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