算命学余話 #U60玄

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算命学余話 #U60玄 (page 1)

 小説というのは著者の経験を基に組立てられるものなので、娯楽小説でもない限り、作家の思想が経験則に基づいて述べられています。その実体験が苦痛に満ちているほど読者の心に迫るものがありますが、やわな苦痛だと却って失笑を買うことになります。
 今の日本は平和で豊かな時代が続いているので、例えば流行りの鬱病などは贅沢病ともいうべきで、たとえどんなに当人が苦しんでいると訴えようとも、空爆されて手足をもがれた民間人や冤罪で老人になるまで監獄に入れられていた人に比べれば、手を振って一笑に付されても仕方ないわけです。上には上がいる。空爆や冤罪の被害よりもっと酷い事態だってあるでしょう。そんなものを競って優劣つけても何の解決にもならないので、人類はこうした事態が今後起きないように各事案を研究分析し、再発防止に励まなければなりません。

 私はかねてから明言している通り鬱病の人が嫌いなのですが、いくつかある理由のうちの一つは、鬱病になった人がどうして鬱になったのか自己を省みることをせず、従って原因の大部分は自分にあるのだという紛れもない事実を直視せず、ただどんなに苦しかったかとか周囲の理解がなかったかとか恨みつらみを並べるばかりで、将来の再発防止のために頭をめぐらそうとしないところなのです。そこに知恵はありません。私は知恵をもっているのに行使しない人間が嫌いなのであり、その知恵の欠如こそが鬱病を発症させると考えております。
 一旦欝になったからには回復までにある程度の年月を費やしますが、一体何のために人生のかなりの時間を潰してまでそういう状態に身を置くことになったのか、もちろんそこには意味や学びがあるはずなのに、そのことに全然思いを馳せることなく、ただ不運で無駄な経験として打ち捨てておきながら、本人はまるで自慢するかのように被害者づらなのです。世間では鬱病患者には厳しい言葉をかけてはならないとしていますが、なぜ欝になったのか少しは自分で考えろ、と厳しい口調で言ってみたら却ってすぐに社会復帰できるんじゃないかと思うのですが、皆さんは如何でしょう。

 算命学の見地からいえば、空爆や冤罪やその他の猛烈な理不尽でさえも本人に原因があり、そこに至るまでの歴史、端的にいえば先祖の所業の積み重ねが結実したのが現状なのです。しかし先祖といえども集団社会の中で生きていたのだから、当然所属する一集団の所業が今日の我々と環境を作ってきたのであり、広義の集団といえば人類全体になるわけです。
 そういう意味では、ある事件や理不尽に対し、誰が加害者だとか、会社が加害者だとか、法律が不十分だとか、あの民族が悪いとか、この宗教のせいだとか、どの国家のせいだとかは、どれも言いがかりに過ぎず、我々の痛みは我々の先人たち、つまり人類全体が作った贈り物なので、怒りの矛先を特定のどこかに向けるのは当たっていないし、同時にどこへ向けても正解だということになります。
 我々は事件が起きると犯人を捕まえて裁判にかけたり罰したり、敵とみなして攻撃したり、新たな法律を作って抑止を目論んだりしますが、そのどれもがなぜかピントがずれているような気がするのは、こうした理由からなのかもしれません。(ピントがずれていると思わない方、あなたの知恵は正常に稼働していないので、メンテナンスに行って下さい。)

 算命学余話も今回で60回となりました。よく続いたものです。読者の皆さんのお陰です。読者がゼロだったらやめようと思っていましたが、お陰様で毎回の読者を細々ながら得られておりますので、当分継続する意欲であります。
 還暦をひと巡りとする算命学では60回は特別な区切りであり、また今回は玄番、12回毎に設けている玄人向けの回です。値段のせいもあって玄番の読者は少ないのですが、やはりゼロではないことに勇気を得て、今回も鑑定とは関係ない、算命学の思想面について考える重めの講話です。鑑定技術や鑑定事例を提示するものではありませんので、予めご了承下さい。

 ロシアの作家ワシーリー・グロスマンの『万物は流転する』を以前ブログで紹介しましたが、これよりも更に長編の『人生と運命』の方が作品としては有名です。なぜ有名なのかは本書あとがきやネットでも調べられるのでここでは割愛しますが、この作品はいわゆるユダヤ人問題を大きく取り上げており、グロスマンもまたユダヤ人であることから、第二次大戦中の迫害で家族を失うという実体験を小説に盛り込んでいます。
 しかし私が批判した鬱病患者とは違い、そこに安易な恨みつらみは見受けられません。加害者であるドイツ人に対する非難さえありません。では人間に対する非難はあるかといえば確かにありますが、その矛先は何と自分自身やユダヤ人に対してさえ向けられているのです。それも単なる投げやりな自虐趣味ではなく、冷静に分析を重ねた結果の苦渋の結論なのです。そんな内容だから世界の読書界で絶賛されているし、ソ連時代は社会を揺るがしかねないとして禁書になったのです。

 私が感銘を受けたのは以下の点です。グロスマンの母親は大戦当時ウクライナに住んでいて、ロシア在住のグロスマンとは離れていました。両国は国としてはソ連として一体でした。その後ドイツ軍がウクライナを占領すると、当地のユダヤ人をその他の民族から隔離し、最終的に殺害します。グロスマンの母親もここで落命しました。このくだりは『人生と運命』に形を変えて描かれています。
 その後ドイツに勝利した戦後のソ連は、引き続きスターリンの恐怖時代で、ドイツに対抗するための象徴でもあった国内のユダヤ人は、次第に立場が逆転して非難の対象となっていく。そんな時にスターリン暗殺を企てたとする「ユダヤ人医師団事件」が起こり、大勢いるソ連のユダヤ人はこれらの暗殺容疑者たちを糾弾する文書にサインを強いられます。踏み絵というわけです。

 グロスマンは当時既に著名なジャーナリストでしたが、この時サインをしています。それは己の保身のためというよりは、それが全体的に正しいと判断したからです。しかし心の奥底には「ただでさえ覚えめでたくない我が民族(ユダヤ人)の大部分の今後の安泰を、この数名の医師を犠牲にすることで確保できるなら」という期待があった。この非難には当たらないような気もする歪んだ期待を、グロスマンは決して許さず、サインしたことをひどく後悔します。「自分がサインしたことは、ウクライナで非業の死を遂げた母親の殺害に手を貸すことと同じではないか」。この苦悩も小説の中で取り上げられています。
 しかしもしサインしなかったなら、スターリン体制下のソ連ではあっという間に収容所に送られ、家族もそうなる。そしてすぐ死ぬ。そういう時代だったのです。それでもグロスマンは自分の罪から目を背けて生きることはしなかった。時代のせいにはしなかった。結局、小説は発禁となり、本人も晩年は不遇に終わります。しかし作品は数少ない友人の手から手に渡って国外へ脱出し、まず欧州で日の目を見、やがてゴルバチョフの時代にソ連でも出版され、その苦痛の思想は世界に伝播しました。
 この作品の重い問題提起に対し、我々はいまだ解決策を見出せていませんし、それどころか世界で翻訳されているとはいっても読者の数は多いとは云えず、上述の鬱病患者が自分の小さな痛みを主張するばかりでそもそもの原因に目を向けないが如く、この人類病に対して真剣に目を向ける人はいくらもいないのが現状です。

 算命学でグロスマンを論じたいわけではないので、小説の話はこれくらいにして、今回の副題は「宗教と民族の運命」です。『人生と運命』にシャレたわけではないのですが、算命学が宗教という人類規模、民族規模の現象をどう捉えているか、そもそも宗教とは何なのかについて、考えてみたいと思います。
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