算命学余話 #U58

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算命学余話 #U58 (page 1)

 『チェルノブイリの森』の報告によると、放射能汚染により立入禁止となった広大な区域は今や野生動物の楽園だそうです。人間の入植により棲息範囲を狭められた動物はこの百年ばかりの間に絶滅危惧種になっていたけれども、人間が去ったお蔭で個体数が回復し、順調に増えているのです。穀物を守るために人間が駆除に邁進してきたネズミが大繁殖した結果、それを捕食する肉食動物が域外から集まってきて、生態系は一挙に回復。しかもネズミがこれ以上増えようと繁殖しても食べ放題のエリアが限られるため、個体数は飽和状態となって間もなくネズミの餓死が発生し、結果的に人間が介入せず放置したままの森は過不足なくバランスのとれた本来の生態系が維持できているそうです。自然保護を提唱して正義を振りかざす人類の努力は独りよがりの自己満足に過ぎないということを、チェルノブイリの原発史が証明してくれました。

 放射能による害としてよく言われる奇形の発生についても、確かに域外の同種の生物と比べれば特徴的な変異は見られるものの、個体差があって必ずしも奇形になるとは限らないし、驚くべきは、奇形という観点だけからすれば例えば北米の牧場を抱える森林の方が奇形生物の発生率は高いということです。これは牛に寄生する寄生虫が原因で、牛の糞から寄生虫をうつされた野生動物が奇形を発する。チェルノブイリは人間がいくらもいないし農業活動は禁止されているので、当然牛も飼っていない。従って寄生虫による奇形変異も見られない。数からすればチェルノブイリの奇形率は北米の牧場周辺よりずっと低いのです。こうした事実を我々人間はどのように受け止めていかなければならないのでしょうか。

 チェルノブイリ周辺地区では災害復興のシンボルにコウノトリをモチーフとして採り入れているのですが、コウノトリは未だにこの野生の王国には戻っていない。なぜならコウノトリというのは人間の生活に依存して繁栄してきた鳥類で、悪くいえば人間のおこぼれをもらって生きてきた寄生生物なのです。現地の住民はどういうわけかこのコウノトリを平和と幸運の象徴と捉えているのですが、コウノトリが繁栄していた頃に絶滅の危機に瀕していたその他の鳥類は、人間がいなくなったチェルノブイリでようやく本来の繁栄を取り戻したわけです。彼らにとっては原発事故さまさまです。人間は放射能をまき散らした己の罪を拭おうと「自然生態系の回復」を目指して励んでいますが、その努力が実った暁にはまた入植を始めるのだから、動物たちはまたしても絶滅の危機に逆戻りするかもしれない。コウノトリは平和の象徴でも何でもなく、悪魔の手先なのかもしれない。
 神様が原発事故によって人類に教えようとしていることは、実はこういう生物界の真実の姿なのかもしれません。つくづく人間の理解というのは自分の都合を第一に定めて生じせしめた手前勝手なものなのだと、思い知らせることなのかもしれません。

 私はこうした今日主流の人間中心の思考パターンが、人間至上主義をモットーとするヨーロッパ人による産物だと考えてこれを苦々しく思っているのですが、そんなヨーロッパがまだ文字も持たなかった時代に既に漢字も合理的理論も駆使していた古代中国が、人間を中央に据えずにありのままの自然を観察することで体系化した算命学を生み出したことは、こうした今日の人類の驕りを制御する手立てになりえると思うのですが、算命学余話の読者の皆さんは如何でしょうか。

 前回の余話で金白水清と木秀火明をテーマにしたところ、やはり読者の関心の高さがうかがえたのですが、同時にこの種の話、つまり才色兼備という判りやすくも卑俗な「占いらしい」言葉に飛びつく読者も現れて、本文で警告したにも拘わらず思わず「失笑する」問合せが来たりしました。「人類の偏った見解と行き過ぎを警告する」といった巨視的な目的のための手段としての算命学の可能性を考えたい筆者としては、がっかりです。
 才色兼備を意味する命式が自然風景の明媚さに起因していることは、前回述べた通りです。自分や近親者が他人より容貌が優れているとか頭がいいとかを気にする人の心象風景に、そもそも風光明媚があり得るか、説明するまでもありません。
 またその命式だからといって必ずこうなるという道理を算命学が認めていないことは、これまで何度も述べてきた通りです。近いところでは#U56と#U57を参照下さい。木火土金水いずれの干に生まれようとも、周囲の環境と人間関係から逃れることはできず、方々から必ず影響を受け、またこちらからも相手に影響を与え、命式はそうした相互の作用によって美しくも醜くもなるのです。

 生態系では食物連鎖が狂うために絶滅種が生まれるわけで、絶滅を食い止めたいなら人間の介入を辞めて、自然本来の繁殖と捕食の関係がいかにバランスのとれたものであったかを知り、それに委ねることです。繁殖と捕食は命のやりとりですが、どちらかに偏っても生物は存続できません。算命学の鑑定も同様な観点ですすめるべきであり、頭がいいとか容姿が優れるとか、そんな単純で表面的な基準で人間の優劣を測ることはできません。もちろん読者の皆さんの大多数は、算命学の本質についてあれこれ思考を巡らし、熟考ゆえに沈黙しているものと推測致します。

 前振りが長くなってしまいましたが、今回の余話は前回に引き続き五行のコンビネーションについてです。甲の守護神の続きを語る前に、十干同士の組合せがどういう可能性を秘めているか一例を挙げ、その理屈をやはり自然を眺めることで紐解いてみたいと思います。
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