算命学余話 #U32

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算命学余話 #U32 (page 1)

 余話では、ここ2回に渡って持って生まれた宿命星の陰と陽の両面性について採り上げてきました。この2回に留まらず、これまでの余話をお読みの方には算命学の陰陽論がどこまで示唆しているのかだんだん見えてきたかと思います。こうした理論が判ってくれば、宿命にこの星があるから金持ちになるとか、頭がいいとか、一面的に決めつけることはできないことも自ずと判ってくると思います。
 だから宿命だけから人を判断はできないし、その人が歩んできた経歴の聞き取りも重要だし、生まれたばかりの子供を占っても意味がない。ましてや未来の予測など、算命学は追及していない。ある程度の予想や見立てはできてもそれが100%だとは言えないし言う利点もない、という態度で臨まなければより正確な鑑定結果には至りません。
 算命学は、道に迷ってしまった人に道標を示して本来の道に戻すのが大きな役割の一つです。歩く意志のない人を導くことはできないし、まだ歩んでもいないうちから一番いい道を教えてくれという要望にも応えられません。どの道にも困難はあり、それを乗り越えてもいない人に更に先の道を示すことはできないのです。

 とはいえ算命学は、宿命によって変えられるものと変えられないものがあるとしているので、変えられないものについては個性と考えて、これを変革するのではなく有効活用する道を探るのが得策です。変わらぬ個性は時と場所を選べば長所として活かすことができるのです。逆に、時と場所を間違えれば短所となり、人に嫌われます。
 しかし私の私見では、個性をうまく活用できる人の方が、できない人よりずっと少ないです。これは現代社会という便利で平等性を求める世界においては、際立った個性は必要とされにくいという事情が影響していると思われます。
 子供の運動会でも手を繋いで全員でゴールするとかいう気持ちワルイ教育方針の現場もあるくらいですから、優秀であっても突出していることはどうも周囲の和を乱すとして嫌われてしまう傾向にある。これでは優れた人の足を引っ張る人間を奨励する社会になってしまうし、或いはちょっと落ち着きのない子は、病名を付けられて身障者扱いにされてしまう。誰もが平均化を望むなら、両極端は弾かれてしまうのです。
 算命学では、こうした社会を平和の行き過ぎとして警告しています。前回も指摘した通り、陰陽はどちらかが勝ちすぎるとバランスを失って反転するからです。平和の反対は戦争です。行き過ぎた平和は次の戦争の到来を早めるのです。

 戦争の話は物騒なので別の機会に譲るとして、今回は陰転と陽転が守護神に関係するという話をします。依頼人から依頼を受けて鑑定する場合、その宿命の部分部分が陰転しているか陽転しているかは、依頼人の経歴と現状を聞き取ることである程度把握できるので、実際の鑑定もそれを重視して問題解決を探っていきますが、もっと大きな事象に直面している場合、例えば戦時にいるか平時にいるかでは、同じ宿命であっても活かせる部分と活かせない部分が異なり、場合によっては全く逆転します。
 戦時のような大きな社会的非常事態は、個人が価値観を変えたり仕事を変えたり離婚したりといった小さな変化ではどうにも対抗できません。個人がいくら陽転しようと頑張ってもなかなか成果は上がらないものですし、鑑定者からも「こうすれば陽転しますよ」と強い助言は出しにくいです。また、上述のように個性的に生まれた人は、平時にあっては排除対象と見做される危険があり、これもまた本人が努力しても社会を説得することは難しい。そういう意味では、こうした大きな環境や事態において宿命星の「変えられない部分」というのは増えることがあるのです。

 今回は、時代が味方にならないと活かせない星や宿命というのがある、というテーマについて、守護神と純星、濁星の関係を考えてみます。そもそも守護神の取り方自体、宿命によって一様には語れないのですが、その辺りについても少し突っ込んで論じてみたいと思います。
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