算命学余話 #U31

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算命学余話 #U31 (page 1)

 シーシキンの『手紙』では、1900年の義和団事件を戦死者報告担当のロシア軍兵士の視点から描いています。こうした歴史的事件を描く際、作家は入念に当時の記録を調べますから、当時の中国政府が初めは義和団の取締りをして秩序がどうにか保たれていたのに、いつの間にかその支援をするようになって治安が劣悪になったことや、そうした中国人のポリシーのなさやどうにも拭えない嘘つき体質、中国人の報復行為における残虐性などが実にリアルに描かれていて(こうした描写は日本人兵士による第二次大戦中の体験記にもまったく同様のものが見られてその一致に驚きます)、今日の中国の傍若無人な外交政策や非道な少数民族対策とも通底する中国人という不可解な現象について、一般的ロシア人は嫌悪しか覚えない、といった素朴な感情を記す一方で、その兵士は同時に「彼らにとっては僕らこそが犬の頭をした怪物なのではないか」と、中国大陸にあっては自分達こそ招かれざる異邦人であり、自国の住民を守るためという名義があるとはいえ、余所の国を武器で荒らす権利も正義も自分達にはないのではないか、と自問します。そしてこんな馬鹿げた紛争で死ぬなど名誉ある戦死とはいえない、生きて早く故郷に帰りたい、と厭戦と望郷の念を強めます。

 日本の兵役体験者からも望郷の声が強く上がっていたことはよく知られておりますが、それは単に死ぬのが怖いとか食糧が足りないとかいった物理的な不満よりも、このロシア兵のようにわざわざ遠くまで来て馬鹿な事業に従事している自分に気付き、もっと有意義で人の役に立つ活動の為に人生を費やしたいという人としての欲求が、結果的に元いた場所に戻りたいという願望を強めたことが大きかったのではないでしょうか。そしてそんな風に自分が馬鹿げた作業をしていると悟るには、普段の自己の視点を脱して他者の立場に立って見た客観、或いはもっと上から見た俯瞰という別アングルからの視線が有効です。

 人は主観で生きており、「客観的」になったり「客観視」できたりはしても所詮客観そのものにはなれません。だから人は概ね主観で生きて良いし、主観を前提に物事を組み立てて進めて良いのですが、誰もが主観で生きるとなると当然衝突や軋轢が生じます。それを「客観的」に自己を見つめることで他者と折衝し、どちらかが一方的に損にならない中間辺りでお互い妥協し合うのが、賢い大人の社会生活と言えるでしょう。自我を張って自分の領土ばかり広げると周囲の反感を買っていつか総攻撃を食らうリスクを高めるし、かといって譲歩ばかりしても生存条件が維持できず、自立できなくなって卑屈に生きるのもよくない。丁度いい中間辺りでバランスを保つのが良いのですが、実際にバランスを取り続けるのは容易ではありません。ましてや文化の異なる外国人同士とあっては尚更です。

 前回の余話では、財運が借金をも含むこと、名誉運が不名誉な知名度をも含むことに触れ、そうした営みを冷ややかに見つめる知性星の立場を紹介しましたが、知性運といえどもこのバランスの両極端に振れる危険性があることを見逃してはなりません。知性星があるといって、それが有効に機能しなければないも同じであり、また「悪知恵」という言葉があるように知性が陰転すれば社会に害を及ぼすこと著しいのです。知能犯というのは知性星の陰転して活躍する姿の表れです。
 そして龍高星に代表されるように、煮詰まった知性の行き着く先は発狂です。発狂とは知性の崩壊から幼児退行を意味します。知性星を多く持つ人はこの危険と隣り合わせであることを、鑑定者は認識しておく必要があります。
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