平成30年秋から冬 想定外すぎてあなたにお任せブログ


ーーサイボーグ完成と退院ーー


(2018年年末まとめ あなたにお任せブログ 夫の入院話 3回目


さて、ここまではダンナの本格的治療の前段階のちょっとしたお遊びであった。

*12月3日、月曜日、満を持して(多分医者たちが)ステント挿入当日となった。

私も7時45分にはタクシーで出発。

しかし待ち惚けとなり、ダンナも飲まず食わずで待つこと数時間、

やっと13時から始まったらしい。出てきたのが夕方5時ごろ。


4時間ぶっ続けでステントを続々と、まるで消音ピストルの様に打ち込まれたという。次々にステントの大きさを変えて最後はかなり大きなサイズであったらしい、何しろ、唯一背中側に生きている冠動脈なのだ。これが医者も驚くほど硬化してしまっていたのだ。

他の動脈は完全に壊れている。


いくら憎らしいダンナでも病室で待っていると悪い方にばかり想像して気が紛れない。

唯一紛れたのは、看護師が突然飛び込んできて別棟へ(隣だが重篤な人用)移ると

言った時。あっという間にすべてのものをかき集め車椅子に乗せて

5B棟から5C棟49室に移動。日本ならありえない番号。


胸に鋼鉄の?輪っかをつなげられて、別の生き物になった様なダンナは、49号室にもどったがその後また6時間の身動き厳禁の我慢を強いられ、私も11時まで残った。

ついに看護師がもうおかえりくださいと言った。


帰りのタクシーは幸いにも女性運転手で、いい匂いといい音楽があった。

その話を後でするとダンナはそれを訝しがった。

夜中に女性が客を乗せるなんて危なすぎる。

そこで私の案、多分彼女が引っ掛けようとしていたのかも、

なるほどそうだったかもと二人の意見が一致。私で残念でした。

こんなタクシーは初めてですと私が言った時の彼女の乾いた笑い声が、

確かにあれ?という感じだった、今から思えば。



*ステントで血管を補強し、さて、ペースメーカーが入ったのは12月11日である。

その間の日々、以前は歩き回っていたのにずっと機械につながれっぱなしで、ダンナは新しいMacの本を読んで過ごしたらしい。

おまけに、心臓の様子に注目される余り、糖尿病治療のC棟への移行引き継ぎがいい加減になったらしく、利尿剤が使われなくなっていた。次第に脚がまたもや腫れてきた。


手術の前夜は結構深刻な気分でお別れを言いたそうだったが、

そんなことに巻きこまれるものかとばかり、私は軽くいなして別れた。


当日やや遅くなり私が9時半に着くといなかった。どこに行ったのかわからない。

8時の予定だったのそろそろ終わるかと思って私は遅く来たのだ。

手術そのものは救急でもするほどの日常茶飯事のはずだと聞く、基本的には。


と思って、朝食をカフェで摂り、そろそろいいかなと49号室に戻ると

思いがけなくも、掃除担当の女性が部屋を拭き始めた。

そして彼は一晩は下にいるだろうからこの部屋を空けてもらうとのたまう。

いつでも次が控えているのだ。


また車椅子難民風となり、ナースステーションで足を止めて事情を尋ねると、

ともかくまだ下なので、一晩だけなので荷物はここの小部屋に預かっておくからと

親切に?言ってくれる。

こちらも図に乗って、ひょっとして麻酔時間の長さとか分かりませんか、と尋ねてみたが

「こちらでは細かいことは云々」

尋ねた私が馬鹿だったと悟り、ダンナの大事な証明書などあったが

そこはもうお任せで荷物を託した。


さて、ロビーで張り込みだ。いつかここにエレベーターで登ってくるから。


ちっとも出てこない。

ベッドのまま運ばれ、また戻ってくる人はたくさんいるのに。

もう7時間がすぎた。午後4時半だ。

その時、誰かから私は聞いた。ダンナはICUにいる、と。それが誰だったのか書いている今、思い出せない。2階です、ブザーがあるので押すといいです。とその人は言った。誰だったろう。親切さを感じた。

誰だったろう。そうだ、ナースの一人だ。あ、あの顔の人だ、また戻ってくるだろうから荷物は一晩預かると言ってくれた。顔の記憶が乏しい。


結局、後でダンナから聞いたところでは、手術は10時ごろ始まり終わったが、5時まで手術室におかれていた。人々が来ては出て行くが、自分だけはそのまま観察下にあった。


それからやっとICUに運ばれたところに私がやってきたのだ。

顔色がよかった。もう心臓がよく働かされているのか?

またもや身動きしてはならず、特に右肩は厳重だった。

麻酔はあっという間だった、と話した。それは私も体験している、まるで黒い緞帳がどしんと落ちる様に真暗になる。黒だ。


よく世話されている様だった。熟練のと言う感じの陽気な看護師が、私の携帯番号を書きつけた。そして何か意味不明な短い語を発した。何度言われても理解できずぼーと立っているとダンナが代わりに答えた、「妻です」。


「あなたは、え~と」と私が名乗るのを待っていたのだ。

こちらでは妻も婚約者も愛人もほぼ同等である。おまけに姉妹、友人、の可能性もあるでしょ、と彼女が笑っているので「ええ、母親かもね」と私が言うと、

「それは考えませんでしたよ」と答えた。面白い。


1時間ほど居たのち、最終バスで帰った。夕食はサンドイッチを買っておいたのでいつものレストランには今日は来れないと電話しておいた。風邪気味がひどくなっていた。

勝つか負けるかわからなかった。



*これでめでたしめでたし、とそろそろ話が終わりそうなものだが、現実はそうはいかない。しばしご辛抱を。

翌日はまず、ベトナム人の店で暖かいズボンを2本買った。20ユーロだ。自分の。

寒くてたまらない。


昼前に到着、今までの病棟に行こうとすると、もう入り口で例の掃除係が、

荷物は物置に入れてあるので、そこでも邪魔なので持っていけと言う。

どこへ? ダンナはどこに居る? 知らない。

ナースに訊く気も失せて杖や車椅子、あれこれ抱えていつものロビーにでた。


病院難民、とまた思った。誰も自分以外人の仕事のことを知らない。

何かを確かめ決めるまでが議論相談待機である。

今もICUに居るのか、別の病棟に移ったのか、それが問題だ。

ICUには15時以降しか入っていけないと書いてあった。待とう。


このおいてけぼりの背後には単に、彼女らが情報を持っていない可能性と、個人情報云々で口外してはいけない可能性と、実はもう一つ理由があった。それはダンナの口から聞いたことだ。


何を考えてか、考えるためにか、私はロビーで座ってじっとしていた。

考えはまとまらない。


そのロビーには不思議にも秘書室があって、その人には時刻を前回尋ねたとき親切だったのを知っていた、プリンタが壊れたときもよほどその人に印刷をお願いしようかとウロウロしたりもした。

そんな親切を狙ってでもいた私だったろうか。


目の前にアムネスティー関連の雑誌が突然、誰かの手によって置かれた。

そこに並んでいる言葉に惹かれて、少し読んだ。世界人権宣言が出てから70年だそうだ。人権という考えが確立したがために戦争が増えた、という人間のうっとおしい面も新たに現れたらしい。


もう午後3時ごろだろうか、誰も知らない。知っていても何も教えてくれない、私にもわかっている、妻であっても教えてくれないのだ。死んで人権がなくなったら教えてくれるのだろう。今どこで何をされているのか。

またアムネスティーのあちこちをさらに読んだ。

人助けをしたい自分がいる。でも何もしない。これは例の宇宙の智慧のヒントであろうか。予想外の提案であろうか。


するとエレベーターから前回の手術後に顔を見知っている美人の若い女医が出てきて、

ハローと軽くあいさつする、単に習慣として。

これを逃してなるものかと私が声をかけた、私の夫がどこにいるか知りませんか? 

全然、全く。と独特の冷たい投げやりな言い方だ。

いつもとても疲れていて極限心理だ。


病院の仲間たちはどんな身分であれなんだか仲がよかった。

幸いにも秘書はみんなに好かれていて女医さんも自然に秘書室に向かって行った。


私も荷物と一緒に移動してくっついて行った。困っている由を話すと、案の定、

二人で電話したり、じゃ荷物はここに置いて見てらっしゃい、とか

私が見てくるからとか、色々案が出るのだが決定には遠い。


その時、偶然に、車椅子の荷物に違う角度から近づいたので、

そこに初めて見る紙が挟んであるのが見えた。

「これはひょっとして重要な情報では?」と女医に見せると彼女は露骨に嫌な顔をして

ちらと見て、読みたくなさそうにした。そして観念して読み始め、重要だと言った。

そこで秘書が電話を女医の耳に当てる。


結果、秘書が出かけて言って聞いてきてくれた。

ご主人をICUからどの病室に入れるかが決まらない、とりあえず荷物と一緒に行ってくださいと。そこまでの決定にたどり着いたのが嬉しかった風に見えた。


お礼を言うついでに、口から出てきた言葉、

「ありがとうございました、折しもアムネスティーについて知る機会を得ることもできました。」

それだけが大事でもあるかの様に伝えると、すぐに出発、

女医さんはいつの間にか消えていた。


昨日も訪れたそのICU全体にはたくさん医者たちがいた。

患者はもう他には見かけなかった、個室にダンナだけだ。


顔を見ると彼は気が狂っていた。そう見えた。

声は枯れているのに、もっと潜めて言うので何を言っているかわからない、おまけに聞き取れたのが日本語、「彼らは嘘つき、嘘つき」と目を丸くして驚愕の情をあらわにしている。

私も一瞬ギョッとしたが、慣れているので大丈夫だ。

要はこうだ。

看護師や医師が続きの大部屋でしゃべっているのはまるまる聞こえる。

ダンナは全く眠っていなかった。それで知ったのだ。


部屋の、ベッドの争奪戦が嘘ばかりで行われていると。例えば救急車の無線を聞いた看護師がある病棟に電話して、患者はこちらを優先して、と頼みベッドを予約してしまう。

手術後の患者の受け入れ先を何が何でも確保、と言うことだ。

そしてその時も、部屋を探していますから、と看護師が電話をかけまくっていた。

そしてああ、ありがとうと言って切った。

振り返ると、「また5Cですよ、逆戻りね」


これが先に触れた、誰もが情報を公開しない3つ目の理由であるらしい。

それほどベッドも、看護師も不足している。

若い看護師見習いで細い子は、ベッドを押して移動させるのが仕事みたいなのだが、痛々しいほど。

数年して慣れた頃には大きなお尻の立派な看護師になる様だ。


凱旋して戻った部屋は5C棟の44号室であった。

迷信は通用しない。「よし」とも読めるし。



さて今のところ、介護人としての私の誇りは、ぺースメーカー手術の直前に、ダンナの長く汚くむさ苦しい髪をすっぱりハサミ3回で、チョキンチョキンと短くしたことである。ネクタイと背広の人間にならない証拠として長髪なのだそうだが、怪しい。

 別の悪徳があるはずだ。髪の変化に気づいた人は皆褒めてくれる。

 自分で自分を褒めたい気分で思い出すのが楽しい。


例の私の尾籠な話だが、今(12月15日)はありがたくも快癒している。しかしちゃっかり「燦然たる金剛身心」を忘れている。それでも文句を言う様なあなたではないですよね?



*徐々にドイツの医療事情などわかってはきているのだが、その一つ

(不整脈の薬は日本からのを十分服用していたのに)

私が血圧の薬だと思って飲んでいた薬が、実は不整脈用だったと後でわかった。

これは危険な誤解、失敗である。ドイツに長く住んでいる友人が、

全て理解しているつもりでも時々、重要なことを理解し損なっているので

注意が必要だと言ったことを思い出す。


また、システムがわかっていないので色々と無駄が多い。

そのいい例が、書いたこともあるバスの乗車券の値段。

病院に行くのに乗り換えるのだが、別々に券を買っていたら、今になってある運転手が、乗り換えたんでしょ、それなら最初から通して買えば安いんですよと教えてくれた。

知らないのが馬鹿だ。徐々にわかって行くだろう。

私だって、乗り換え含めて買うべきだろうとは推測していたが、

それを尋ねるのが面倒だったのだ。


次に書くときには全く違ったサイボーグダンナの姿となるはずである。

それが凶と出るか吉と出るか、またお任せというのであろう。

いずれにしろ想定外に決まっている。

サイボーク化も夢想だにしていなかったのに与えられたのだから。)



*日々に現れてくるプラスマイナスの波動への対応、存在とシステムを定義づけ把握する試み、日常の介護の細々対処の中で自分の情緒を平静に保つことが大切となる。


ミセスGの正面衝突事故の知らせがラインで入った。よく乗せてもらった愛車は破棄となり、彼女は軽傷だったがぶつかって来た方は重症と。助手席に突撃してきたのだろう、そこにいつもあたしが座っていたところ。

 これを何と見る。これを避けるために渡独したとも考えられる。

 起こらなかったことには無知な我々である。


このことから思い至ったもう一つの智慧のプレゼント。

いつもJBゆえに不自由を強いられていると思って、自分を憐れんでいた。しかし、

それゆえにむしろ守られていたのかもしれない、自由に動き回っていたらぶつかったかもしれない種々の厄災から。



12/4 いわゆる大自然の知恵に体現されている一つの摂理なる太神へ、

一つの発言:人が人に出会うというこの世。

考えの変化は大変化を招くはず。

日々何かを成し遂げるが、擁護されていたこと、明日のために今があろうとも思わず、

意識の中に囚われている、

自動車事故を免れると知らずに狂乱に突入とか。)


(12/7 智慧なる存在へ。前回の 無知な我ら の流れ:悶々たる時を経て

予想外のこと賜る。避けていた薬局に天使がいた! 

沢登佳人「生命とは何か」再発見。

不自由を強いられていたのではなくて危険から守られていたのかも! 

Diakonie 身体障害者施設:青い目の燦然たる金剛心身と言葉を交わした。



*12月11日にJBのサイボーグ化成ったのだが、まずはそれに肉体が慣れるのに注意が向けられた、そう簡単なことではないようだ。半信半疑でキョロキョロするのみである。

このことの波動の実態は実に記述するのが難しい。

 プラスマイナスと単純に決めること不可能な絡み合いである。


12/13 私であるあなたへ、

全てが次第に整ってきたので私の行動が確認されるはずと。

魂は最小の単位なので死後もそのまま残る。

意識は消える。

生物or高等動物の魂が集まった地球こそ聖霊の存在そのものであり

外宇宙は物理的法則の展開のみ?

ところでTVで見た多重宇宙が不明。

瞬間の反射光の有難さまさに天国)


(12/17 全知の聖霊交渉。

「不幸な神の子ではない、父の魂に気遣われている」と実相の念を病気の友へ送る。

夫が望外の新生を与えられ私は困惑中とも伝えた。

この世をスピリチュアルにわたるコツ、

つまり存在と定義と仕組み(我々は無知)と決意(我々の為事)との絡み合う プラスマイナスの波 夫に話す)


(12/19 智慧なる聖霊へ、真理探究の話をした翌日18日から夫の目が覚醒したかに。

同時に意外にも悪化しだして退院延期に?

一方退院しても医療システムと季節関係の大騒動は避けられない。

心理的反応の是非、食事関連の問題もあり氷解には全知の智慧に任せる他ありません。

そりゃ自分が死ねば楽だけど。



12/23 叡智なる太神へ、物質の極小と極大の法則を感知し感知外の法則へと波動を馳せる、私の日々の眼前を行き来する時の流れの中の絵を

良きも悪しきも惑わされずに透徹し

燦然たる金剛世界を賛美する。

歌い笛を吹き身体を愛で動きを察知する、できる限り言葉に残す。

天国なのに天国は来ない、退屈だろうし)


(12/29 全存在を動かし時と運命を司る甘美の摂理へ。ワライカワセミを待っているらしきカワウのように霜で白い枯れ木の森を見渡す。聞こえない耳の中で鈴々と音楽が鳴る。闇の中に薄ぼんやりと岩山が光を放っている。

段ボールの家を作る。やはりナディアは友と思うべきか。愛が克つか? 

サイボーグへの別離の決意もあり!


_この項了


東天
平成30年秋から冬 想定外すぎてあなたにお任せブログ
0
  • 0円
  • ダウンロード

4 / 4

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント