対馬の闇Ⅲ

 麻薬探知犬と聞いた伊達も首をかしげた。「麻薬探知犬を飼いたいと言ってるのか。現役の麻薬探知犬を飼うことはできないから、引退した老犬ということになるが、どうするつもりなのかな~~」沢富もひろ子の考えがよくわからなかった。麻薬探知犬と言っても老犬になれば、嗅覚も劣るし、健康状態も不安定になっている。そんな老犬を飼っても飼い主が苦労するのは目に見えている。現在の飼い主も誰にでも譲るということはしない。愛犬家で老後をしっかり面倒見てくれる人でなければ、譲らないはず。「まったく、困ったものです。ひろ子さんは、麻薬探知犬を簡単に譲ってもらえると考えているんですよ。麻薬探知犬は国家のために働いた犬なんです。安易な気持ちで国家の犬を預かることはできないのです。しかも、老犬です。病気をさせて、病死させたりしたら、僕が責任を取らなければならないんです。先輩から、あきらめるように、言ってもらえませんか」

 

 腕組みをした伊達は、何度もうなずきながら、話に聞き入っていた。沢富が言っていることは、至極もっともだと思った。「老犬を譲ってもらっても、飼うのは、マジ、大変じゃないか。老犬って、何歳ぐらいなんだ?」佐世保市の飼い主から聞いた年齢を伝えた。「それがですね、なんと、人間の年齢に換算すれば、70歳を超えているそうなんです。今は病気はしていないそうなんですが、あと何年生きることやら」70歳以上と聞いて、こんな老犬を飼っても死に水をとるために飼うようなものだと思った。「おい、70歳以上かよ。死にかけじゃないか。散歩もろくにできないんじゃないか?そんな老犬、やめとけ、やめとけ」困り果てた表情の沢富は、冷たくなったコーヒーをグイっと飲み干した。ひろ子には、老犬であることは、伝えたが、ひろ子はそれでも飼いたいと駄々をこねていた。

 

 肩を落とした沢富は、あきれた顔で返事した。「先輩もそう思いますよね。70歳以上の老犬だから、飼うのは難しいと何度も言ったんです。それでも、欲しいというんです。先輩から、何とか言ってください。僕の話を聞かないんですから。まったく、あんなに頑固だとは思いませんでした。先が思いやられます」いやな役を押し付けられた伊達は、即座に返事した。「おい、俺に押し付けるなよ。頼まれたのは、お前じゃないか。今から、尻に敷かれて、どうするんだ。ダメなものは、ダメと、ガツンと言ってやれ」眉を八の字にした沢富は、ティファールの湯沸かしポットに水を入れるために席を立った。テーブルに戻ってくるとセットしたポットのスイッチをカチンと押して、ため息をついた。

 


 ドスンと腰を落とした沢富は、ぼやくようにつぶやいた。「死にかけの老犬を飼って、どうする気ですかね。老犬に麻薬探知の仕事をさせる気でしょうか?まったく、老犬にとっては、拷問じゃないですか。早死にさせる気ですかね~~。まったく、ひろ子さんの性格がわかりません。結婚生活、うまくやれるんでしょうか?やっぱ、早まったかな~~。もう一度、考え直したほうがいいですかね?」伊達は、目を丸くした。ちょっとまずい方向に向かっていると感じた伊達は、助け舟を出すことにした。「おい、そう、悲観するな。女性というものは、男には理解できない妖怪みたいな動物だ。今から弱気でどおする。わかった、俺が説得してやる。おい、ひろ子さんを呼べ。今すぐ、電話しろ」パッと沢富の顔に笑顔が浮かんだ。伊達の気持ちが変わらないうちにと思い、即座にスマホを手にした。

 

 ひろ子は2月からヤマネコタクシーで働いていた。”水の星に愛をこめて”の着メロが鳴った時、比田勝港国際ターミナルのタクシー乗り場でお客を待っていた。沢富からと確認したひろ子は、即座に応答した。「ナニ。うまくいったの?」言いにくそうに沢富は、返事した。「まあ、何とか、なるかもしれないけれど、今のところ、何とも言えない。ところで、今日、先輩のマンションに来れないかな~~。ナオ子さんも一緒に」ひろ子はうまくいったと勘違いして、即座に返事した。「わかった。今日は、4時には上がるから。また、行く前に電話する」電話を切った沢富は、笑顔で報告した。「今晩、来るそうです。先輩、頼みますよ」伊達は、勢いで引き受けたもののちょっと不安になってきた。

 

 説得するためにも70歳を超えた老犬についての情報を得ることにした。「そうか。ところで、その老犬なんだが、どんな犬だ。シェパードか?ラブラドールか?俺は、犬を飼ったことがないから、犬のことはよくわからん。ペットを飼うって、大変なんだろな~~」佐世保市の老犬についてわかっている範囲で、話すことにした。「僕も麻薬探知犬といえば、シェパードとかラブラドールだと思っていたんですが、その老犬は、オスのかわいいビーグル犬なんです。名前は、ビヨンド号というそうです。でも、やはり老犬ですから、散歩もヨロヨロして危なっかしいそうです。今は、病気していないそうですが、食事も少なくて、長生きしそうにないそうです。散歩以外は、のんびりとリビングで寝ているそうです。後、23年じゃないかと言ってました」

 

 

 


 

 やはり死にかけの老犬と判断した伊達は、うまく説得できそうな気分になった。「やっぱりな。死にかけか。ひろ子さんも、ヨボヨボで、後、23年と言ってやれば、あきらめるさ。任せとけ」ちょっと心配だったが、沢富は引きつった顔でうなずいた。沢富はひろ子の考えていることが、さっぱりわからなかった。麻薬探知犬と言っても、散歩も危なっかしい老犬だから、麻薬探知の仕事はできないはず。それなのに、なぜ、そこまで欲しがるのか不思議でならなかった。「先輩、ひろ子さん、麻薬探知犬を飼って、どうするつもりなんでしょうかね~~。散歩もろくにできない老犬ですよ、麻薬探知の仕事は、できませんよ。さっぱりわかりません」

 

 伊達は、犬を飼ったことがなく、あまりピンとこなかったが、おいぼれで死にかけの犬を飼っても、大変な世話を強いられて、飼い主が困るだけのように思えた。沢富が言うようにいったい何のために老犬を飼う気なのか不思議だった。「まったく、サワの言うとおりだな。おそらく、麻薬探知犬としては、使い物にならないと思うな。まあ、たとえ、麻薬のにおいを覚えていたとしてもだな~、麻薬を発見させるには、優秀なハンドラーがいなくてはならないんだ。ハンドラーがいての麻薬探知犬だから、ひろ子さんが連れて回っても、意味がないってことだ。おそらく、ハンドラーのことがわかってないんじゃないか」沢富は、目を輝かせてうなずいた。「そうです。その通りです。僕も聞いたことがあります。確かに、犬も優秀でなければなりませんが、麻薬探知犬を活かすには、ハンドラーの腕にかかっていると。先輩、ガツンと言ってやってください」

 

 沢富は、伊達の説得に期待が持てそうで気分がよくなってきた。「ところで、クラブ・アリランのほうは、うまくいってますか?今日は、何時から仕事ですか?」ママがスタッフを管理していたため、伊達は、いつも8時過ぎにクラブ・アリランに顔を出していた。幸運にも3月には若くてかわいいホステスたちが入って来た。「俺は、いつも、8時過ぎに顔を出すことにしている。ママが取り仕切っているから、心配はいらん。今のところ、怪しいやつは現れていない。でも、きっと、北署内にマフィアとつながっている奴がいる。サワ、お前にかかっている。頼むぞ」

 


            失恋自殺?

 

 沢富も北署内に必ずいると思った。昨年、出口巡査長が謎の事故死をしたことを考えると、大村警察署から赴任してきた須賀巡査長は、必ず、密輸にかかわるとにらんでいた。新しく赴任してきた須賀巡査長は、かつて、長崎警察署時代、安倍警部補の部下だったらしい。当然、密輸は、何人かのグループでやっている。中国マフィア、韓国マフィア、国内の暴力団、日本の警察、が絡んだ大掛かりな密輸に違いない。いや、市会議員も絡んでいる可能性もある。彼らは、摘発されやすい旅客機や客船を使わないはず。きっと、漁船を使っている。漁船を使って持ち込まれた麻薬は、どこの港に運び込まれ、だれが、どこに運び込んでいるのか?対馬に運び込まれた麻薬をどのような方法で関東、関西に運び込んでいるのか?その時、警察がどのようにかかわっているのか?

 

 小さな漁船であればどこの岸にでも接岸できる。となれば、対馬沿岸だけでなく、長崎沿岸、佐賀沿岸、福岡沿岸、山口沿岸、島根沿岸、それら辺りであれば容易に接岸できるはず。いや、あまり広範囲に考えても手掛かりはつかめない。やはり、突破口は警察官とのかかわり。「先輩、今回赴任してきた須賀巡査長がにおいます。とにかく、彼と親しくなって情報をとってみます。ところで、マトリの鹿取さんと草凪さんから、何か情報は入ってますか」マトリの二人は、今のところ何一つ手掛かりがつかめないことに焦っていた。「いや、まったくこれといった手掛かりはない。密輸のプログループだ、そう簡単には尻尾を出すまい。今回の手掛かりは、何といっても、出口巡査長の事故死だ。必ず、警察内部に仲間がいる。警部か?警部補か?いや、警察署長か?疑えば、きりがないが、必ず、出口巡査長に指示を出していたやつがいるはずだ」

 

 沢富は、ドリッパーにブラウンのペーパーフィルターを押し込むと、タッパーウェアのキリマンジャロコーヒーの粉をメジャースプーンで約20グラムほどすくって入れた。次に、ドリップポットで小さな”の”の字を書くようにゆっくりとお湯を注ぎ、サーバーに落とした。二つのコーヒーを淹れると一つを伊達に差し出した。「どうですか、キリマン。おいしいでしょ」伊達は、コーヒーを淹れるのが面倒くさくて、いつもお茶を飲んでいた。「サワは、まめだな~~。確かに、うまい。いい香りだし、プロみたいじゃないか。いつも、こうやって飲んでいるのか?」サワは、ドヤ顔で返事した。「はい。コーヒーを淹れるのが、趣味みたいなもので。コーヒーの香りをかぎながら、ゆっくりと淹れていると、心が落ち着くんです」伊達は淹れたてのコーヒーがおいしいことに納得したが、自分で淹れて飲む気にはならなかった。「対馬にいる間は、サワのコーヒーが飲めるということだな。感謝するよ」


春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅲ
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