光の寝床 ヒルコの夢 -2-

第3章 岐路( 1 / 4 )

  

 翌朝、姫香たちが起きた時には、龍覇は病院に出勤したあとだった。朝食用のパンを買ってくると言って静那と夏希を連れて日那子が車を運転していった。出がけに夏希が姫香に耳打ちした。

「いい、姫香は部屋から絶対動いちゃ駄目だよ」

「うん、わかった」

 しばらくすると庭から渚の呼び声がした。

「姫香いるかい?」

 障子を開けて廊下にでる。ブルーのシャツが目に飛びこんできた。渚がおずおずと姫香に声をかけた。

「おはよう」

「おは……よう」

「あ、さっき荷物が届いたんだ」

 渚がブルーのシャツを指さした。

「そう、よかったね」

「ああ、うん。よかった」

 渚と目を合わせずに姫香は縁側に腰を下ろした。姫香の横に渚が気まずそうに座った。

「無神経な言葉でおまえを傷つけた。ごめんよ」

「……」

 喉に詰まった鉛のように言葉がでない。

「おれ、もう隠し事はしない。約束する」

 ぽろりと涙が落ちた。

「ほ、ほんとにごめんな」

「ううん、そうじゃないの。渚がそんな風に言ってくれたから、それがうれしかったの」

「そうか」

 ほっと息をついて渚が視線をそらした。

「実は……もう一つおまえに言ってないことがあるんだ」

「そう」

 うれしかった気持ちがしぼんでいく。

「おまえにも話しておくな」

「……うん」

「異界から帰ってから時々見るようになった夢だ」

 ちいさく渚がため息をついた。

「おれは年老いた男の背後に立っているんだ。その老人がおれを振り返るんだが、顏はぼけていてはっきりしない。そして、言うんだ……わたしは恐ろしい。わたしは見た。あれは……って」

「そのあとは?」

 渚が言いにくそうに天を見上げた。

「そこで飛び起きてしまうんだ」

「悪夢なのね」

「秘密にしてて、ごめん」

 渚が深く頭を下げた。

「あたしこそ、渚が苦しんでいたのに気がつかなくてごめんなさい」

「たかが夢なのに、おれ、カッコ悪いな」

「そんなことない。言ってくれてうれしい。その方が安心する」

 姫香が渚にとんと体を預けた。正直に話してもらえたことがうれしくて姫香は自然と微笑んでいた。

「おまえ、かわいすぎ」

 急にぎゅっと抱きしめられた。その時、玄関先に車の停止する音が聞こえた。渚がぱっと縁側から立った。

「静那のご帰還だな。じゃ、あとで」

 不意に、姫香の頬にくちづけを一つ残して、渚が庭から消えた。

「び……びっくりしたぁ」

 キスされた頬に手をやる。驚きがうれしさに変わっていた。

 静那がばたばたと廊下を走り、勢いよく部屋に入ってきた。

「ただいまー、姫ちゃーん!」

「あ、おかえり」

 静那が姫香の顔を見ておでこに手をやった。

「元気そうやけど、なんや顔が赤いで。熱あるんとちゃうか?」

「ああ、平気。ちょっと……その……待っている間、腹筋してて」

「は、腹筋?」

「ははは、腹筋できるなら元気だね」

 夏希が笑いながら入ってきた。大きな袋と小さな袋を手にさげている。大きな袋を机に置くとふわんといい香りがした。

「おまえ、なにするのも遅いねん。さっさとせんかい」

「ああ、かわいそうに」

「あせらされても困るよね。女の子はデリケートなのにねぇ」

 大げさに夏希が姫香を抱きしめた。

「そんなもんなんか」

「そういうもの。ね、姫香」

「う、うん。セイちゃん、ごめんね」

「そっか、なら、ぼく台所に先に行くわ。おい、それ貸せ」

 机の上の袋を静那が持ち上げた。袋からパンのいい香りが鼻をつく。

「わ、おいしそう……」

「やろう。焼き立てほかほかやで。ここのパン屋、むちゃ、うまいんや。用事すんだらおいでや。ほなな」

 あまりにも簡単に静那が引き上げたことに姫香は驚いた。

「夏希、どんな魔法使ったの?」

「ほい、姫香」

 夏希が手に持っていた小さな袋を姫香の膝に置いた。開けると袋の中には生理用ナプキンが入っていた。

「やだ、これ」

 姫香が目を丸くした。

「姫香のためにじっくり時間をかけて探したんだよ。女の子はデリケートだから、ねっ!」

 にんまり笑ってピースしている夏希の顔を見て姫香は笑いをふきだした。

「やだぁ、夏希ったら」

「ははは、姫香のためにってのは嘘じゃないもんね。腹筋てのにはまいったけどさ」

 二人でひとしきり笑って、ひと息ついた。

「その笑顔なら、先輩と仲直りできたんだね」

「うん。夏希、ありがとう」

「よかったね」

「わたし、夏希がセイちゃんのこと好きになるなんて思いもしなかった」

「はあぁっ?」

 夏希が顎がはずれそうなほど口をあけた。

「だって、そうでしょ?」

 頬をあからめ夏希が手を振りまくった。

「好きとかそんなんじゃないし。だいたいあいつ、あんたと水那ちゃんいのちだし」

「うふふ、セイちゃんが待ってるよ。さ、行こっ」

「こ、こらっ、姫香。だーかーらー、変な勘違いはやめてよねっ!」

 転げるように笑いながら姫香と夏希が台所にいくと、日那子と渚が神妙な顔で綾乃と話をしていた。

「どうかしたの?」

 誰に言うともなく姫香が声をかけた。綾乃が困ったように口角をあげた。

「水那、また熱が出てしもうて。そやから、みんなだけで出かけてほしい思てんのよ」

「奈良、今日はやめて。水奈ちゃんが治ったらまた出かけましょうよ。ね?」

 夏希の言葉に姫香と渚がうなずいた。綾乃が言いにくそうに頬に手をあてた。

「それはそれで、水那も気ぃ使うしねぇ」

 トースターがチンと音を立ててパンをはきだした。綾乃がミルクと果物の置かれたお盆にパンを乗せるのを見て、姫香がお盆に手をかけた。

「わたしが持って行きます」

 二階の水那子の部屋へ姫香たちが行った。その後ろ姿をながめながら、綾乃が小さくため息をついた。

「水那にはかわいそうやけど、いつものことやしねぇ」

「どこがお悪いんですか?」

  渚に日那子がすこし笑みを作った。

「興奮すると昔から熱が出るねん。昨日からはしゃいでたし、しゃぁないのよ」

 姫香たちが部屋に入ると水那子の布団の横に静那がいた。

「姫ちゃんが朝ご飯、持ってきたくれたで。水奈、ここのパン大好きやろ」

「うん、好き。でも、いまは食べとうない」

 水那子がほてった顔で力なさそうに答えた。静那が水那子の顔を覗きこんだ。

「ほんまに姫ちゃんたちと遊びに行っていいんか?」

「うん、いい。あんな……うちな、お願いがあるんやけど」

「なんや」

「うち、おみやげほし」

「わかった、わかった。うてくるよってな。水那はちゃんと寝とくんやで」

  静那が水那子の頭をやさしく撫ぜた。

  

 朝食をすませ、日那子の運転で四人はでかけた。駐車場に車を入れ、清水寺へと続く清水坂をみんなで歩く。明日が大文字の送り火ということもあって、それほど広くない道が観光客でごったがえしている。

人の波に押されながら、土産物屋を見て歩く。夏希があたりを見てつぶやいた。

「修学旅行で来た時は気がつかなかったけど、京都はどこに行っても鈴のがするね」

 店先の風鈴を見て日那子が笑った。

「東京じゃ、風鈴って珍しいん?」

「いえ、鈴ですよ、鈴。ほら、リンリンって。でも、どこから鳴っているんだろう」

 キョロキョロと見まわす夏希の頭を静那がこづいた。

「痛っ」

「おまえ、アホか。鈴の音なんか、なんもしとらんわい」

「アホはあんたでしょ。はっきり鳴ってるじゃん。ね、姫香」

「わたしにも聞こえないよ」

 姫香が渚を見た。

「おれも聞こえない」

「ほんとにあたしだけ?  勘弁してよぉ」

 夏希の顔がどんどん蒼ざめていく。

「待って、父に聞いてみるわ」

 日那子が小道の脇に寄って携帯電話をかけた。

「あ、もしもし……うん、話があるんやけど。あ、うん、そう、夏希ちゃん。鈴の音が聞こえるって……あ、うん、うん……はい、わかりました」

 電源を切って日那子がみんなに笑顔を向けた。

「父がね、理由はわかっているから安心してって言うてたわ」

「お父ちゃんがそう言うなら大丈夫や」

 静那がしたり顔で言った。

 姫香と渚はほっと胸をなでおろした。夏希がとびきり明るく笑った。

「よかったぁ。ホッとしたぁ。観光、楽しむぞぉ。あの店のお茶碗、かわいいっ!  姫香、見に行こっ!」

「うん、行こ、行こ」

 みんなで店に向かった。そのあとに続く渚の足が止まった。図体の大きい少年が渚の肩を強くつかんでいた。

「なにかご用ですか?」

 渚は相手をざっと見て、自分より年下だと判断した。

「おまえ、ちょっと、こっち来いや」

 少年がちらっと視線をやった店先では、静那が口の端に笑みを浮かべいる。

(ふぅん、そういうことか)

 少年にうながされるまま渚は路地に入った。

 清水坂からそれほど離れていないのに先ほどまでの賑わいが嘘のように人通りが無く静かだった。

「かわいい女をいっぱい連れていいご身分やんけ。ちょっと、痛い目をみてもらおか」

 渚をぐるりと5人の少年が囲んだ。

(用意周到だな……)

 下目使いに周囲の気配をうかがう。一人、離れた所で腕を組んでいる少年に目をつけた。

「おれは伊佐渚。きみがリーダーだね」

「高階や」

「高階くんはなぜこんなことをするのかな?」

「つべこべうるさいわ。おい、おまえら、いてまえ!」

「おおっ!」

 少年たちが渚に殴りかかった。

  

 店内には清水焼の湯のみや茶碗が沢山あり、その美しさに姫香も夏希も夢中になった。

「あそこの花柄のお茶碗もきれーい! あたし家に買って帰ろうかな」

 商品の値段が手ごろなせいか、店は満員だった。静那が人ごみを掻き分けてそばに来た。

「あれ、渚は?」

「さぁ、ぼく知らん」

「おれならここにいるよ」

  背後から聞こえた声に静那はぎょっとした。にこやかな顔で渚が立っている。

「お、おまえ。姫ちゃんが心配するやろ。どっか行くんやったら声かけて行け、ボケッ!  あ、姫ちゃん、ぼくはトイレに行くよってに心配せんといてや。あ、あと、おまえっ、ぼくがいいひんからって、姫ちゃんにまとわりつくなよ。ええなっ!」

 静那は店から離れ、急ぎ足で路地に向かった。

「あいつら、どないしよったんや」

 路地を回ると六人の男が苦しそうにかがみこんでいた。

「きゃっ」

 背後から女の声があがり、元の道へとばたばたと駆けていった。

「ちっ、油断しとった」

 見たことの無い女だった。静那の容姿につられて着いてきたのだろう。あえいでいる高階の横に静那はかがんだ。

「おい、大丈夫か」

「セイさん、あいつ、強すぎや。片手一本でこのざまや」

「話はあとや。はよどっかに行け。警察サツ呼ばれたらヤバイ」

「すんません。おい、行くぞ」

 苦しそうに体を折り曲げながら不良たちが横路地に消えた。 

第3章 岐路( 2 / 4 )

  

 水那子の頭の下に綾乃が冷えた水枕を入れた。

 リリリンと階下で電話のベルが鳴りだした。

「あら、誰かしら。水那はおとなしく寝とくんよ」

「うん」

 ぬるくなった水枕を持ち、綾乃はその場を離れた。電話は龍覇からだ。

「はい、そうやったんですか。わかりました」

 受話器を置いて綾乃は自室に入った。箪笥の一番上の引きだしから、着物の入っているたとう紙を取りだす。畳にそれを置き、紐をほどいて着物を引き上げた。

「懐かしわぁ」 

 綾乃は微笑んで白い絹の着物を衣紋掛けえもんかけにスルリとかけた。

 

 

 水那子はふと目を覚ました。ひんやりとした小さな手がおでこに乗っている。

「……あんた誰え?」

 10歳ぐらいのかわいい少年が水那子に向かってにっこりと笑いかけた。

「こんにちは、ぼくアワシマ」

 不思議な水色の髪の毛。白いポロシャツと濃紺の半ズボンが学校の制服みたいだ。

「水那ちゃん、熱のこと、ごめんね」

 少年が水色の頭をぴょこりとさげた。

「うち、体、弱いねん。いつものことや」

「でも、今回は……」

「ん、なに?」

「ううん、そのうち体は治るよ。ぼくの兄さまがそう約束してくれたから」

「お兄さん、お医者さんなん?」

「違うよ。お医者さんよりうんとすごいんだ」

「ふふっ、アワシマちゃんって不思議なコやなぁ」

 アワシマが水那子のおでこにまた手を置いた。

「手ぇ、冷とうて気持ちええわぁ」

 疲れてきたのか水那子の息が荒くなった。

「寝ていいよ。ぼくそばにいるから」

「うん……おおきに」

 冷たい手の感触が気持ちよく水那子は深い眠りに落ちていった。

「苦しい思いをさせてごめんね」

 少年が立ち上がり、二階の窓を開けた。カラスが飛んできて、トンと畳に着地した。

「これでよかったんだよね?」

 カラスの瞳が怪しく光った。

 

 

 がやがやした話し声と足音で水那子は目を覚ました。先ほどの少年は部屋にいない。

 襖の隙間から静那がそっとこちらを見ている。水那子は手を振って応えた。

「水那、どや、まだしんどいか?」

「ううん、もうようなった」

 静那に続いてみんなが入ってきた。水那子の額に手をあてて、日那子がほっとした顔をみせた。

「ほんまや。熱、引いてるな」

 起き上がろうとした水那子を姫香が手助けした。

「水那ちゃん、無理はしないでね」

 夏希がニコニコ顔で水那子に袋を渡した。

「ほーい、お楽しみのおみやげだよん」

  甘い香りがした。袋をのぞく。

「あ、下賀茂神社のみたらしだんご。うち大好きや」

「水那、食うなら起きて下に行くか?」

「うん、行く」

 淡いピンクのネグリジェの上にカーディガンを羽織り、水那子は仮病ではなかったのかと思えるほど元気に階段をぴょんぴょんと下りた。みんなで居間に入ると綾乃がお茶の用意を整えていた。

「甘もうて、おいしぃぃ!」

 水那子はうれしそうにみたらし団子をほおばった。ふと、気づくと水那子と綾乃だけが団子を食べていた。

「みんなは食べへんの?」

 みんなを見て、最後に渚と目があった。

「ぼくらはお店でいただいてきたんだ」

 渚が水那子に微笑み、綾乃に顏を向けた。

「あの、すみません。ぼく、稽古をしないと。道場をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「遠慮せんと好きにつこてくれたらよろしよ」

 綾乃がにこりと笑った。

「ええ子ぶりやがって」

 ぼそりと言った静那ををちらりと綾乃が見た。あわてて顔を伏せた静那を見て、日那子が嫌味たっぷりに言った。

「静那、あんたも一緒に練習したらどーえ?」

「う、うるさいわ。ぼくは用事があるんや」

 静那が携帯電話を見ながらバタバタと部屋をでていった。日那子がくすくすと笑った。

「ほな、あたしも洗車に行ってこよ」

 日那子も外出した。困ったような顔で座っている渚に綾乃が言った。

「渚くん、ここにいる間は気にせずに好きなだけ道場を使ってくれたらええのんよ。ほら、姫香ちゃんのママもよく言うやない」

 綾乃が人差し指を立ててそれを横に振った。

「若者は遠慮しないものよ、いいわね、って」

「わー、そっくりぃ!」

 姫香と夏希と水那子が大笑いした。一瞬遅れて渚も笑いを噴きだした。照れたように綾乃がちろりと舌をだした。

「あら、やだ。みつ子さんには内緒よ」

 みんなでにぎやかに笑った。

 

 それぞれが引き上げて静かになると、台所の椅子に座り、綾乃が枝付きの枝豆を外しだした。綾乃の横に水那子がちょこんと座って、一つ枝を取った。

「まだ早いし、ゆっくりやるから寝ててええのんよ」

「うん、でも手伝う」

「起きるならネグリジェを脱いで来たらどうえ」

「うん、そやけど」

 枝豆をいじりながら水那子はそわそわと辺りを見ている。

「なんか言いたいことがあるん?」

「お母ちゃん、アワシマちゃんはどこ行かはったん?」

「なんやのん、アワシマちゃんって」

「小学生ぐらいの、水色の髪したかわいい男の子が来てはったやろ?」

「そんな子、来てはらへん。夢でも見たんでしょう」

「夢やったんかなぁ。変ななぁ」

 水那子はもう一度アワシマに会いたいなと思った。

 

 

 部屋に戻った夏希が姫香の顔を心配そうにのぞいた。

「姫香、あんた眠いんじゃないの」

「うん……なんだろ、疲れちゃったのかな」

「まだ4時すぎだからちょっとだけ寝ちゃえば」

「昼寝にしては遅いけど。うーん、夏希は」

「あたしは持ってきた本の続きを読む」

「なら、15分だけ寝ようかな」

 夏希にタオルケットを渡されて数秒後にはぐっすりと姫香は寝入っていた。

「ありゃ、もう寝ちゃったよ」

 クスリと笑って夏希はしおりを次の頁に入れようとした。

「えっ?」

 さっきまで頭の中で小さく鳴っていた鈴の音が急に大きく鳴りだした。音が大きくなるにつれて頭もガンガンした。

(なにこれ……頭が……姫香……姫香を起こして……助けてもらわなくちゃ)

 そう思う一方で、自分が自分でないような気がした。姫香を呼ぼうと思っているのに、やっている行動は違う。勝手に立ち上がり、手にしている本を鞄にしまった。そして、夏希は襖を開けて廊下へとでた。鈴の音が夏希を呼んでいた。

(あたし……どこへ行くんだろう……)

 玄関に回って靴を履き、裏庭に向かう。細い川に沿って薄暗い小道をゆらゆら歩く。

「なんやねん、お前は」

 急に少年に胸倉をつかまれた。

(え? え? ええ?)

「お前、盗み聞きしてたんかっ!」

 朦朧としていた状態が吹き飛んだ。

「あたし、なにも」

 逃げようとしたがそのまま引きずり倒された。

「あんた、なかなか可愛い顔をしとるやん。俺、好みかも」

 手を振りほどこうとしたが、どんなに夏希が力を入れてもびくともしない。

「やだ、やだ! 静那、助けて! 静那っ!」

 少年が少し驚いた風に木陰に目をやった。がさがさと音がして静那の声がした。

「誰や、誰かいるんか」

「静那、助けて!」

 竹林から静那がでてくると、少年は逃げた。

「なんや、どないした」

「変な男の子が。怖かった、怖かったよ」

 近寄ってきた静那に夏希はすがりついた。

「おまえ、こんなとこになんで来たんや」

「わかんない。頭の中で鈴の音がして……頭が痛くて……勝手にここまで……」

「変なやっちゃな」

 少年が走り去った方に静那が目をやった。光の先に少年の姿が小さく見える。

「あいつを追いかける。そこを曲がると道場に入る裏扉があるよって、おまえはそこから家に入れ、ええな」

「う、うん。静那も気をつけて」

 静那が複雑な表情で、「ああ」と言って駆けだした。夏希も立ち上がってよろよろと小道を曲がる。

「きゃ!」

 ぶつかる寸前、夏希は足をとめた。目の前に綾乃が涼しげな笑みを浮かべている。

「待ってましたえ。ほな、夏希ちゃん行きまひょか」

 夏希の耳元で鈴の音がリンと大きく鳴った。

第3章 岐路( 3 / 4 )

 


「……姫……香……」

 誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。

 薄暗い部屋はクーラーがほどよく利いている。頭をめぐらしたが夏希の姿はない。体を起して目をこする。6時を過ぎている。

「寝すぎだよ!」

 立ち上がった時、本のしおりがフワリと畳に落ちた。

「夏希、どこに行ったんだろ?」

 小机にしおりを置く。障子を開けると外の空が赤く照り映えていた。懐かしい気持ちが溢れ、縁側のサンダルを履いて庭におりた。

「姫香……会いたかった」

 山に続く道から今度は声がはっきりと聞こえた。その声の方を見る。

「う……そ……」

 一瞬クラリとした。オレンジ色の光の中にビャッコがいる。

 服は白い毛皮の上下、黒い皮のサンダルとベルト、腰には草薙剣

 異界と同じようにビャッコが笑顔を向けていた。懐かしすぎて心が痛い。

「姫香、元気だったか?」

「ほんとうにビャッコ……なの?」

 姫香の携帯電話が鳴った。ワンピースのポケットから電話をだして、表示を見た。画面の名前は、『渚』と表示されている。

「ビャッコ、ちょっと待って」

 あわてて電話にでる。

「渚、いまどこにいるの?」

「姫香こそどこに……あっ!」

 白い稽古着の渚が携帯電話を耳にあてながら庭にきた。

「え、渚?」

 姫香はビャッコと渚を何度も見比べた。

「なぜ、あいつが……ビャッコがいる?」

 渚の声が電話からダブって聞こえた。ビャッコがすらりと剣を抜いた。

「おれにそっくりじゃねぇか。魔物か?」

「ビャッコ、駄目っ!」

「行くな、姫香!」

 渚の声をあとに姫香は、ビャッコのかいなに飛びこんだ。抱き合う二人を見て渚はぼう然とその場に立ち尽くした。

「な、んで。うそ……だろ」

「剣を収めて。お願い!」

 ビャッコの顔を見上げた瞬間、姫香は意識を失くした。

「やっと……手に入れた」

 姫香の体を抱えて、ビャッコがニタリと笑った。

「おまえ、誰だ」

「おれか? フフフ……おれは」

 ビャッコの黒曜石の瞳がクルリと金色に裏返った。ビャッコの姿が崩れ、男の姿が構築した。金色の髪が赤い空の色を映して燃えている。

「ヒルコ!」

 ポーズを作り以前より幾分か伸びた金色の巻き毛をかきあげた。長いまつげが白い頬に影を落としている。ヒルコがけだるそうな金色の瞳を渚に向けた。

「フフ、ご無沙汰」

 黒のシャツとパンツがヒルコの背をより高く見せていた。姿形が美しいというだけではない。全身から発する神々しいオーラが背に白き羽を広げている。

「おまえ、天使にでもなった気か?」

「ほう、おまえ、衣が見えるのか」

 ヒルコがわずかに微笑み、しなやかな指で姫香の頬を撫ぜた。渚は手に草薙剣をだした。

「冗談はいい加減にしろ、ヒルコ。姫香を返せっ、でないと!」

「でないと、なんだ」

「ヒルコォォォ!」

 駆けた渚が草薙剣をヒルコに打ち下ろした。

「ぐっ!」

 剣を持った両手首がヒルコにがっしりとつかまれた。脇腹から二本の腕が突きでて姫香を抱いている。ぎりっとねじられた渚の手から草薙剣がポロリと落ちて消えた。

「俺に歯向かえると本気で思っているのか?」

 ヒルコがクククと笑った。

「ヒルコ、きさまっ!」

 渾身の力を込めてヒルコを蹴とばした、と思った刹那、渚の体は吹っ飛んでいた。

「ぐはっ!」

 衝撃を受け流すように誰かが渚の体を回転させて地面に落とした。

「ナイスキャッチ……ですな、龍覇さん」

 ヒルコが意地悪い笑みを浮かべた。

「大丈夫か、渚くん」

 背広姿の龍覇が渚の肩に手を置いた。

「は……い」

 龍覇がいなければ縁側の上がり口にある沓脱石くつぬぎいしに体ごとぶつかっていた。助かったとはいえ、息がつまり体がきしんだ。

「動かなくていい。まだ休んでなさい」

「すみません……」

 渚の肩をおさえ、龍覇が眼鏡をくいっと上げ、返す手で空中から刀をだした。

 ヒルコが口角をあげた。

「お早いお帰りで。スーツ姿もよくお似合いですな、龍覇さん」

「ヒルコくん、悪戯いたずらもほどほどにしていただきたい」

「ほほぅ、俺をご存知とはさすがですな」

「お父ちゃん、危ないことせんといて!」

 水那子が淡いピンクのネグリジェ姿で庭に駆けてきた。

「水那、こんなとこに来ちゃ駄目だ。部屋に戻っていなさい」

「そやかて」

「いいから、はやく行きなさい」

「う、うん……」

 龍覇は水那子が後ろ姿を見せて歩きだしたのを視界の角で確認した。

「さて、ヒルコくん。姫香ちゃんを返してもらいましょうか」

「それは無理な話というものですな」

 ヒルコが不敵な笑みを浮かべ、すっと手を上げた。

 龍覇が刀を構えて、ヒルコに集中した。その一瞬の隙をヒルコはついた。

「ぐっ!」

 龍覇の体がどさりと地面に倒れた。龍覇の肩から腰にかけて背広が十字に切れ、血の線がにじんでいる。倒れた龍覇の背後で水那子が血塗られた刀を手にしていた。

「ごめんね、おじちゃん」

 頭をさげて父親の横を走り抜け、水那子がヒルコのそばに立った。そして、かわいく頭をかしげた。

「これでいいんでしょ?」

「ああ、うまくやった。用心深くコピーした甲斐があったと言うものだ」

 渚がよろりと立ち上がり龍覇のそばに寄った。

「……龍覇さん」

「わたしは大丈夫だ。動揺するな」

 龍覇にうなずいて、渚はヒルコを睨んだ。

「水那子ちゃんに何をしたんだ」

「彼ほどの使い手になると俺も少々骨が折れるんでね。手短に事が進むようにしただけだ。おやおや、騒ぎを聞きつけてみなさんお見えだ」

 玄関から庭をまわって家に入ろうとした静那の目に飛びこんできたのは、渚の横で地面に倒れている父とその背中の傷。そして、姫香を抱えた金髪の男と水那子だった。

「なんや。どうなってんのや」

「お父さん?」

 日那子と綾乃が廊下にやってきてその場に立ちつくした。その背後に水那子の姿が見える。水那子が水色のワンピースのすそを掴んだ。

「あの子、うちとそっくりや」

 二人の水那子を見比べて、みんなが目を見張った。

「なんで水那が二人おるんや」

「みんな……駄目だ。水那……離れていなさい」

 体を起そうとした龍覇の傷口から血が吹き上がった。

「あなた!」

 綾乃が素足で庭に飛び降り、龍覇の体に覆いかぶさった。

 ヒルコが指をパチンと鳴らすと、偽水那子の姿が透明な水になり、ブルーの髪をした少年の姿が現れた。静那が目を丸くした。

「お、おまえらなんじゃ!  妖怪かっ!」

「はははっ、おもしろいことを言う子だね」

 ヒルコがさも愉快そうに笑った。

「アワシマ、みなさんを驚かしすぎたようだよ」

「兄さま、約束だよ。水那ちゃんの体を治してあげて」

「もう体は前以上に治した。精神面は知らんがな」

「……お母ちゃん、うちの部屋に来たん、あの子や」

 水那子が指さした。ブルーの髪の少年が深く頭をさげた。

「ぼく、アワシマ。水那ちゃん、ごめんね。ちょっときみの姿を借りたんだ」

「うちのせい?」

 愕然とする水那子の肩を日那子が抱いた。

「違う、水那子のせいやない。卑怯者の言い訳や」

 龍覇が苦しそうに息を吐いた。

「その通りだ。水那のせいじゃない」

「でも、お父ちゃんが……」

 泣き伏す水那子をアワシマが悲しそうに見つめた。

「さて、アワシマ、もう用事はすんだ。俺たちはこれで失礼しようか」

「はい、兄さま」

 アワシマがヒルコから姫香を受け取り、軽く抱きあげた。

「アホぬかすな、姫ちゃんを返せっ!」

 静那が弓矢をかまえヒルコに狙いを定めた。

「静那っ、ダメだ!」

 龍覇の制止を聞かず静那が矢を放った。ヒルコが手でかるく矢をはじいた。

「ほう、すこしは力を使えるのか。だが、まだまだだな」

 ヒルコがパチンと指を鳴らした瞬間、静那の体は庭の木に激突していた。

「ぐうっ、こんなもん!」

 静那が立ち上がろうとして腰を落とした。

「くそ……力が!」

 水那子が叫んだ。

「アワシマちゃん、こんなん嫌や。やめて!」

「水那ちゃん、ごめんね」

 アワシマと姫香がふっと消えた。

「ヒルコッ、きさまぁぁぁぁっ!」

 駆けぬけた渚がヒルコに草薙剣を打ち下ろした。刃先をかわして渚の横にスルリと入ったヒルコが、渚の耳元でささやいた。

「姫香はビャッコの方が好きらしいぞ」

 渚に冷笑をあびせヒルコがかき消えた。

「ヒルコォォォッ!」

 怒号した渚ががっくりと腰を落とした。

 

 日那子が綾乃の方を向いてたずねた。

「お母さん、診察室に担架、あったよね」

「ええ」

「静那、あんた立てるか」

「ああ、もう平気や」

「渚くんは?」

「はい。大丈夫です」

 立ち上がった渚は無表情だった。

「なら、二人で一緒に担架を取ってきて」

 静那が動きかけて振り返った。

「なぁ、姉ちゃん、救急車を呼んだ方がええんとちゃうか?」

「こんなん警察沙汰にできひんやろ。お父さんを診察台まで運ぶんや。早よしっ!」

「わかった。おまえ来い、こっちや」

 静那が招くように手を上げて走りだした。それを渚も追う。

「お父ちゃん、ごめんね、ごめんね」

 泣きじゃくる水那子に龍覇がやさしい目を向けた。

「水那子が泣くとお父さんまで悲しくなる。元気も出なくなりそうだ」

「うん、うん。うち、泣かへん。だから、はよ元気になって」

 水那子がしゃっくりあげながら龍覇の手をそっと握った。その小さな手を龍覇は弱く握り返した。

「さて、日那子、おまえの診断はどうだ」

 傷口をしげしげと見ていた日那子が龍覇にニッと笑った。

「アワシマってすごいわ。傷が、むちゃきれいに切れてるんよ。これやったら自然治癒が一番きれいに治ると思うねんけど」

「今はそんなに悠長にしてられない」

「傷口の縫合する?」

「ああ、それでよろしく」

 声に合わせて血がにじむ。綾乃がそっと背中に触れた。

「あなた、ほんとうに日那子にやらせるんですか?」

「日那子は医科大に行ってるんだ。縫合ぐらいできる」

「けど、あたし、実践経験が少ないし」

「お父さんは日那子がうまいの知ってる。クマのぬいぐるみを上手に作ったもんな」

「それ、あたしが小学校2年の夏休みの時やし」

「だから、頼もしいんじゃないか」

 龍覇がははっと力なく笑った。

「ああ、あなた、血が出ますよって動かないでください」

「綾乃、日那子の助手を頼む」

「ええ、あなた」

 渚と静那が担架を抱えて戻ってきた。診察室の寝台に龍覇を運ぶ。

 これから手術だというのに龍覇は最後までみんなの心配をした。

「静那、水那子を頼んだぞ。渚くんも英気を養え」

 そして、手術が始まった。

第3章 岐路( 4 / 4 )

 


「ヒルコは何を考えているんだ。夏希ちゃんまで、なぜ消えた」

 あちこち探したが夏希がどこにもいなかった。渚は苦渋の表情で道場に戻った。携帯電話を見つめ、姫香に電話をかける。すぐに留守電に切り替わった。

「姫香、おれだ。連絡をくれ……畜生ッ、おれはなにをやってるんだ!」

 壁に投げた携帯電話が壊れてはじけた。渚は頭を抱えた。ヒルコの金色の目を見てそれは瞬時にわかった。

「愛している者の目だった、あれは!」

 床を拳で何度も叩いた。

「畜生、畜生ッ!」

 最後にこれ見よがしに冷笑したヒルコの意地悪な顔が浮かんだ。

「姫香に何をする気だ!」

 嫉妬に身を焦がしそうだった。今まで姫香のそばに男がいても嫉妬などなかった。それは彼らに勝つ自信があったからだ。だがヒルコとなると話は別だ。ヒルコが脳をいじれば姫香は簡単にヒルコのモノになってしまう。そう考えただけで渚の理性はぶっ飛びそうだった。

 

(トヨは誰にもやらねぇ。トヨはオレのもんだっ!)

 突然の怒鳴り声に渚は頭の中を鷲づかみにされた。

 

「だ、誰だ!」

 ヨロリとよろめいた。周囲に目をやったが道場に人影はない。渚は頭に手を置いて、今聞こえた声をたどろうとした。

「おまえは誰だ? トヨって……誰だ?」

  頭の中に問うても先ほどの強烈な気配はもうない。今までに聞いたことのない声だがよく知っている声のような気もした。

「幻聴だ。しっかりしろ!」

 自分に言い聞かせるように渚は頭を強く振った。

 ドカドカと足音が近づいてきて、ガラリと扉が開いた。道場に入ってきた静那は瞳に憎悪を宿していた。床に散らばった携帯電話の残骸を見て静那がフンと鼻で笑った。

「……水那子ちゃんはどうだい?」

「ようやっと寝た」

「そうか、よかった」

「よかったことあるか、ショック受けまくりなんやぞ。それに、夏希はどこ行ったんや」

「探したけど、見つからなかった」

「は、見つからんやと。姫ちゃんのことも夏希のことも全部、知らんぷりか」

「そんなつもりはない」

「つべこべ言うても結果は一緒じゃ。全部おまえのせいやないか」

 静那が道場の裏木戸を開けた。

「ここを血まみれにしとうない。外に出てもらおか」

「今はきみの相手をしたくない」

 悪魔のように笑って静那が手を伸ばした。ヒュンと渚の横を何かが走った。

「武器を出せるのはおまえだけやないんやで」

 セイの生弓矢いくゆみやとよく似た弓矢が静那の手に握られていた。

「そうかさっきの矢は……」

 渚が静那を正面から見た。

「今のおれには手加減する余裕はないぞ」

「このええカッコしいが。ここでの主役はこのぼくやっ!」

 矢継ぎ早に降り注ぐ矢の攻撃を草薙剣がはじいた。

 

 

「なんてヤツだ」

 竹に体をもたせかけ大きく肩で息をしながら渚は薄闇に目を凝らした。

「どや、もう降参か」

 どこからか静那の声がしたが、渚は動くことができなかった。

 今考えれば冷静さを失い静那をあなどっていた。静那がここでの主役は自分だと言った意味が今ならわかる。

 竹林の奥へ奥へと静那に誘われていることは感じていた。それもそのはず。静那はこの竹林のあらゆる所に仕掛けをほどこしていた。それは足を踏み込む程度の落とし穴や草と草とを結んだ簡単な罠だった。明るい場所なら惑うこともなかったろう。だが、日が暮れた今、その幼稚な仕掛けが命取りになりかねなかった。すでに渚は何度も窮地を寸でのところで逃れていた。

 渚にとっての不利はまだあった。草薙剣は淡い光を発する。その光が渚のいる位置を静那にはっきりと告げるのだ。だからといって草薙を出し入れすれば非常な力を伴う。このままずるずると時間が過ぎれば渚は静那の手に落ちるしかなかった。

「静那、卑怯だぞ。どうどうと戦え!」

  声を発した途端、矢が竹に当たり弾けた。身をひるがえしていなかったら確実に当たっていた。

「アホ言うたらあかん。接近戦の得意なヤツに近づくアホがいるか。ゆっくりいたぶり殺したるっ!」

「なぜ、おれを敵視するんだっ!」

「おまえみたいな盗人は殺して当然や」

「なにを盗んだっていうんだ!」

 タンタンタンと三本の矢が眼前の木の幹に刺さった。静那の腕は確かだ。

「姫ちゃんに近づくヤツは盗人と同じじゃ!  ぼくは姫ちゃんをずっと見守ってきた。あの輝きを手に入れるのはぼくや。誰がおまえになんかに姫ちゃんを渡すかっ!」

「馬鹿なことを。きみにもヒルコにも、姫香を渡す気は毛頭ないっ!」

 渚が飛び退くと同時に背後の竹に数本の矢が刺さった。

「きみ、言うな。うっとうしい!」

 草薙を構え、草薙の発する光であたりを照らす。静那はまた距離を取ったらしく姿が見えない。遠くから忍び笑いが聞こえた。

「どや、怖いか。これなら蝦蟇ガマに殺されてた方がマシやったやろう?」

「きみは気絶したふりをしていたよな」

「へへん、気がついてたんか」

「あんな姑息なまねをして、姫香の同情が得られるとでも思ったのか?」

「姑息か、よう言うてくれるわ」

 怒りを誘う言葉をあえて使った。それなのに静那は静観している。

(……なぜ、言葉に反応しない? なぜだ?)

 静那はむきになってかかってくるかと思えば、今のような薄い反応をする。その静那の動と静が渚には理解できなかった。

(あ……ああ、そうか。こいつ、姫香と同じなんだ)

 渚は相手の力量を見て計算の上で動く。だが、静那は姫香と同じように感情が先走るタイプなのだ。静那は自分が納得できないことに反応するのだ。だから、渚がどんなに先読みしても読めない行動を平気で取るのだ。

(ふふっ、ひねているようで、まっすぐなやつ……)

 姫香の母が静那に好意を持っていることがやっと理解できた。そして、そのことが渚の肩から力を抜いた。

「こらっ、なにしてけつかる!  もう動けんのか。それとも殺される気になったんか!」

 動いた青白い影に静那は矢を射った。

「ぐぅっ!」

 渚の苦しげな声とどさっと倒れた音。静那には確かに矢を当てた手ごたえがあった。地面に落ちている草薙剣の光もどんどん薄くなっていく。

「どうした、もう終わりか!」

 渚から答えはない。草薙剣の光も消えた。長い沈黙……。

(……倒したんか?)

 光のあった場所に静那はそろそろと近づいた。木の枝にかぶせられた白い着物に矢が刺さっている。

「あっ! しもたっ、おとりかっ!」

 はっとした時には静那のみぞおちに渚の拳が深くめりこんでいた。

「ぐはっ!」

 静那が膝をつき腹をかかえた。あっという間に後ろ手に腕が絞り上げられた。取り落とした弓が消える。

「暴れたら腕を折る」

「ぐっ、はぁ、はぁ、おまえ、手から……剣を離せたんか」

「まぁね。けど、距離をおいて維持するのはすごく力を使う。だから、きみが来るのがもうすこし遅かったら危なかったよ」

「おまえがこんな汚い手ぇ使うとは」

「きみはなんでもありだからね。おれも見習っただけさ」

「きみ、言うなっ!」

「ふふっ、おれって目立つらしくてね、不良にからまれやすいんだ。きみもそうだろ?」

 清水寺での不良たちのことを匂わせた。

「フ、フン!」

「ああいう人たちは正当な手段じゃ聞いてくれないからね。降りかかる火の粉は払うことにしてるんだ」

「なんのことか全然わからん」

「そういや、一人、別格がいたな。高階くんだっけ」

「そんなヤツ知らん」

「名札、道場にあったよ。六人が剣術をはじめた動機は、きみか龍覇さんの強さにあこがれてってとこかな。その中でも高階くんは筋がいいから伸びるの早いでしょう。その高階くんの姿を試合会場で見たことがない、ということは、剣術を始めてまだニ、三年てとこかな」

「分析すんな!」

「かわいそうに、おれが今年の伊邪那岐流の優勝者と知らずに挑んできたんだろうな」

「ボケがっ、お父ちゃんが学会で出られんかったから優勝できただけやろがっ!  第一、伊邪那岐流では暴力はご法度や!」

「あれっ、それ言っちゃうんだ」

「あっ!」

「そう、先に手を出したのは彼ら。いくら龍覇さんだって破門せざるおえないだろうね」

「う、うう……」

「まぁ、今回はきみに免じて、彼には稽古をつけてやったことにしてやるよ」

「く、くそぅ!」

  渚がひそやかに笑った。

「ま、こんな裏話は姫香にはとても言えないけどね」

「お、おまえ、腹の中、真っ黒やないけぇ!」

「おやおや、きみにそんなこと言われたくないなぁ」

 冷笑を含んだ眼差しを投げ、渚は静那の腕をより強く絞り上げた。

「ぐううっ、この悪党っ、殺す気なら、ちゃっちゃとやれっ!」

 静那が居直ったように視線をそらし唇を噛みしめた。

 渚からつい笑顔がこぼれた。

(……死より信念を選ぶところも姫香と似ているな)

「なにがおかしいねん!」

「おれは殺すのも殺されるのもイヤだ」

 静那をとんと突き放し、地面に落ちている稽古着の汚れを払って渚がさらりと着た。袴を直しているその姿を静那が怪訝そうにじろじろと見た。

「どんな裏があるんや」

「そんなものはない。ごめん、冗談がすぎた」

「冗談な筈あるか。おまえ、腹黒のドSやろが」

「悪かった。ヒルコのことでイライラしてたんだ。それにきみが強かったから八つ当たりした。ほんとごめん」

「なんや、それ」

「おれ、きみのこと嫌いじゃないよ。姫香に似ているから」

「きみ、きみ、言うな!  さぶいぼ出る!」

 大げさに静那がぶるりと体を振るわせた。

「静那ぁ、渚くぅーん!  どこにいるのぉ!」

 道場の裏木戸の方から日那子の声がする。

「手術終わったんやな。やばい、こんな泥だらけのカッコしてたらお父ちゃんに嫌味言われまくる。おい、渚、なにぼさっとしてんねん。さっさと着替えるで!」

 渚の返事も待たず静那が竹林を家の方へと下りていく。

「渚……か」

 静那に初めて名前を呼ばれた。渚は空を見上げた。満天の星が地上に降ってくるようだ。

「誘惑、後悔、嫉妬、恐怖、拒絶……おれが今まで知らなかったことばかりだ。姫香、おれはどうしたらいい。どうすればおまえを取り戻せる?」

 姫香の幻影が渚の目の前を通り過ぎていった。

たきもと裕
光の寝床 ヒルコの夢 -2-
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