光の寝床 ヒルコの夢 -2-

第7章 伊邪那美( 1 / 4 )

  

「おかえり。夏希ちゃんならやれると思ってましたえ」

 家に帰った夏希はみんなからあたたかい言葉をもらった。夏希が洋服に着替えて診察室に戻るとさっきまでのやわらかい空気が一変していた。

 みんながテレビの画面を食い入るように見つめている。昨日歩いた場所も映っているから京都の街だ。その街にゾンビのような死者が無数に徘徊している。

「それなんの映画ですか?」

「違う、ほんまもん」

 胴着の日那子がそう言った。夏希も画面に釘付けになった。

 寺の墓地や賀茂川の河川敷など至る所からまるで生えるみたいに死者が湧いている。服は古い物も新しい物も入り混じっていて皮膚はただれ腐敗している。画面から臭いを感じるほど醜悪だ。それが生きている人々を襲い建物を壊していく惨状は恐ろしい。勇敢なレポーターがマイクを片手に恐怖まじりの声で叫んだ。

「みなさん、この映像はほんとうに京都の街で起こっていることです。これは生放送です。死者が甦ったのです。わ、こっちへ来るなぁ。ゾンビめっ!  ひぃぃ!」

 中継のアナウンサーが死者の大群に呑み込まれ血が飛び散り、映像が途切れた。画面がザーザーと音を立ててテレビ局内へと画面が切り替わった。

「今の映像は作り物ではありません。状況がつかめ次第、ニュースをお知らせします。では先ほどの映像を再度お見せします。これは作られた映像ではありません。今、京都の街で起こっていることです」

 アナウンサーが鬼気迫る声を上げた。

「あなた……」

 綾乃の不安そうな顔に龍覇がうなずいた。

「どうやら始まったね。もうじきにここも戦場になるだろう。長期戦になるかもしれない。綾乃は何か食べられる物を。あと、そうだな、塩壺も頼む。日那子は雨戸、鍵、連絡通路まで全部閉めて、戦いに使えそうな物を集めてきてくれ」

「あの、あたしは」

「なら、夏希ちゃんは水那子を連れてきてくれるかな」

「わかりました」

 夏希はすぐに水那子を連れてきた。

「あたし、綾乃さんの手伝いしてきます」

 そう言って、また夏希はばたばたと部屋をでていった。

「お待たせしました~!」

 魔法瓶を持った夏希の後ろから綾乃がお盆におにぎりをいっぱい乗せてきた。

「ちょっとでも食べておきましょ。渚くんと静那にも持たせてあげたらよかったわ」

 がらがらと音を立てて日那子がスーツケースをひっぱってきた。

「診療室に籠城。お父さん、それでええんやろ?」

「動けないからそれしかない」

 スーツケースの中には家じゅうの日本刀と木刀が入っていた。それを日那子が診療机に並べた。急に部屋の電気がふっと消えた。

「うち、怖いっ」

 水那子が龍覇にしがみついてぶるぶる震えた。

「大丈夫だよ、水奈」

 龍覇がやさしく水那子の頭を撫でた。

「ちょっと待っとり」

 日那子が非常用のランプとロウソクを手に戻ってきた。

「ブレーカーは落ちてへん。きっと電線をやられたんやわ」

 日那子がマッチでロウソクに火をつける。部屋がほんのりと明るくなった。

「もう、大丈夫やろ、水奈」

「う、うん」

「さ、みんなもすこし落ち着いこう。母さんのおにぎりはうまいぞ」

「腹が減っては戦ができませんもんね」

 夏希がカラ元気をだした。みんなでおにぎりを頬張っていると、リリリンと机の上の携帯電話が鳴った。

「病院からの呼び出しかもしれんな」

 綾乃が携帯電話の表示を見た。

「あなた、慶雄みちおさん!」

 龍覇が急いで携帯電話を受け取った。

「もしもし」

 受話器を耳に当てた途端、慶雄の切迫した声が部屋に響いた。

「兄さん、姫香はどうしているんです?  まさか、テレビに映っていたのは姫香じゃないんでしょうね!」

「すまない、慶雄。姫香ちゃんは必ず助ける。信じて待っていてくれ」

「兄さん、頼みます。頼みますっ!」

 ブツリと電話が切れた。基地局までやられたらしい。沈黙したままの龍覇を日那子がそっとのぞきこんだ。

「お父さん、うちらはこれからどうしたらええ?」

 日那子の問いに龍覇がにがく笑った。

「京都は戦乱が多くあった地だ。市内にいてもあの死人の数……わたしたちは衣笠山きぬがさやまのそばにいる。その意味がわかるか?」

 綾乃と日那子が意味深に見つめ合い、夏希と水那子は「わからない」と答えた。

山州さんしゅう名跡志めいせきしに、平安時代、宇多うだ天皇が真夏に雪景色を思い立ち、山に白い絹をかけさせた、とあるんだ。この伝説から山の名を絹掛山きぬかけやまといい、そののちに、衣笠山と呼ぶようになったんだよ」

「夏に雪山とはまた豪華な」

 夏希があきれ声をだした。

「けれど本当のところはね、この山は上代むかしから風葬の場として遺骸をそのまま放置する、葬送の山らしくてね」

「放置って……置きっぱなしってことですか?」

「そ。放置した遺骨を隠すために衣を掛けたらしいんだ。絹掛山ってのはね、その衣が累々とたなびいた景色から起こった名らしいんだよ」

 水那子は青い顔で綾乃にしがみついている。

「そのうえ、衣笠山周辺には歴代天皇の火葬塚や御陵ごりょうが集中している。昔は衣笠山から船岡山一帯は、蓮台野れんだいのと呼ぶ葬送の地で、すこし昔までは原谷はらだにに至る道に、蓮華谷れんげだに火葬所があったんだ」

 みんなが目を丸くした。

「それって、ものすごい死者の数じゃないですか。光の寝床に引き寄せられて伊邪那美が来たら」

 日那子が夏希を見た。

「そやね、ここは死者の群れに囲まれるわ」

 龍覇がゆるりと寝台から足を下した。

「あなた!  動かんと寝ててください」

「心配ない、無理はしないから」

 寝台に腰を下ろし、龍覇がほうと息を吐いた。

「わたしはあまり動けないが、できる限りの力でこの診療室に結界を張る。しかし、もし死者が入ってきたらみんなにも戦ってもらわなきゃならない。覚悟しておいてくれよ」

「おとう……ちゃ……」

 水那子の体がへなへなと脱力して意識を無くした。綾乃が水那子を抱えて寝台に寝かせた。龍覇が水那子を愛おしそうに見つめ、次に夏希に目をやった。

「水那にはこれからのことは酷だからね」

「さて、夏希くんはどうする?」

「あたしは生きるためにあがきます」

「そうか、じゃ、夏希ちゃんも武器を選びなさい」

「はい」

 机の上の刀と木刀から夏希は刀を取った。

「おはっ、刀って重い」

 木刀に変えた夏希が一度振って苦笑いした。

「あは、これでも重い……けど、力の限りやっつけます」

 日那子が真剣をきりりと腰にさした。

「うちかて、まだ静那には負けへんつもりや。うちが死者を始末する。夏希ちゃんは母と水那を守ってや」

「はい、がんばります!」

「日那子、わたしにも刀を」

「お父さんは手術したあとが開いたら足手まといや。そうならんように、よろしく」

 そう言って、日那子が龍覇に刀を渡した。

「ははは、こりゃ一本取られたね」

 龍覇が壁にもたれ愉快そうに笑った。

「日那子、頼むえ」

 綾乃が心配そうに日那子の手を取った。

「うん。お任せあれ」

 綾乃がお盆の上にあった塩壺を見た。

「そや、あなた、お塩はどうしたらよろしいの?」

「部屋に撒いてくれ。塩には浄化や邪気払いの効果がある。すこしは役に立つ」

「あ、あたしも手伝います」

 夏希と綾乃が塩を撒き終わると、ばたんと診療室の外玄関の扉が開き、木刀を手にした少年が転がりこんできた。

「先生っ!」

 荒い息、その姿は泥だらけの汗みどろだ。その形相から必死にここまでやって来たことがわかる。

「セイさんから電話をもらってかけつけました」

 夏希が高階を指差した。

「あっ、あんた、あの時の!」

「庭では失礼しました。すみませんでしたっ!」

 高階が大きく一礼した。

「先生、お怪我は大丈夫ですか」

「きみの家も大変だろうに、すまないね」

「そんなことはいいです。先生、地面からゾンビが湧いとるんです。俺、全力をつくしてご家族をお守りしますよって、ご安心ください」

 日那子が嬉しそうにうなずいた。

「はは、生意気いっちゃって。くれぐれも無理せんとね」

「はい!」

 決意をした目で高階は机の上の日本刀を手慣れた手つきで腰に差した。

「ところで、ぼくは真剣の使い方をまだ教えてないんだけどな?」

 龍覇がじろりと視線を走らせた。高階が龍覇に深くおじぎをして叫んだ。

「すんません! 俺、はよう真剣を使えるようになりとうて、セイさんに愚痴ったんです。そしたらセイさんが稽古をつけてくれはって。体の鍛え方まで教えてくれはって。セイさんは悪うないんです。ぜんぶ、俺が悪うて。先生、ほんまにすんません!」

「ふふふ、そりゃまた静那もがんばったもんだ。刀の付け方で成長がわかる。静那は甘くないだろうに。それを吸収したきみもすごいよ。ぼくは怒ってないよ、本心から嬉しいんだ」

「先生……ありがとうございます!」 

 高階は再度、龍覇に深く頭をさげると、汗と涙をぬぐい高階が医療器具の入った棚を動かしだした。窓やドアの前に置いて堤防にする気らしい。夏希と綾乃も手伝う。

「高階くん、ひとくぎりついたらそこの水道で手を洗っておにぎりを食べなさい。静那と渚くんが動いてはいるが、長丁場になるかもしれない。無理してでもお腹に入れておきなさい」

「はい!」

 高階はお茶で流しこむようにして、おにぎりをガツガツと食べた。

 

 パリンと何かが遠くで割れた音がした。

「来たようだね、みんな頼むよ」

 龍覇は腰を下ろしたまま目を閉じ、意識を集中している。ガシャンとどこかの窓が割れた。

「きゃ……」

 夏希が悲鳴をあげた。溢れかえるほどの死者が窓にへばりついている。龍覇が苦しそうに息を吐いた。

「くぅ、すごい量だ」

 死者の重みに耐え切れず診療室の窓という窓が割れた。

「いやぁぁぁ!」

 夏希が寝台のそばで体を折り曲げ頭を抱えた。綾乃が気丈に塩壺を持ち、塩を窓に投げつけた。一瞬、死者がひるんだ。

「やるで、高階くんっ!」

 掛け声と共に日那子と高階が外にでて玄関ドアを背に刀を構えた。

「来いっ!」

 わらわらと診療室に近づく死者の群れを刀が切り裂いた。

 

 

「はぁはぁ……くそ、もう腕があがらん」

 死者は尽きることのなく、倒しても倒しても蘇ってくる。

「高階くん! 危ない、後ろっ!」

 日那子の叫び声と同時に、高階の背後に突風が吹いた。その風は死者を巻きこみ、爆音をあげて診療所の玄関ドアを吹き飛ばした。

「な、なにが……起きたんや?」

 高階が顔をぬぐい立ち上がった。日那子も土煙りの向こうへと目を凝らした。

「あの、その、えっと、大丈夫ですか?」

 土煙りの中に刀を手にしたアワシマがもじもじしながら立っている。日那子が不審げにアワシマを見た。

「アワシマ、今度は何を企んでるん」

「え、ぼく、あの……」

 夏希が診療所から顔をだして、よろこびの声をあげた。

「わー、姫香の仲間のアワシマ? ゲンブだったアワシマちゃん?」

「え、あ、はいっ。そうです」

「うわぁ、姫香からかわいいって聞いてたけど予想以上だよ。すごく、かわいいぃ!」

 先ほどまでの恐怖を忘れたように夏希が飛びでてきてアワシマの手を握り頭を撫でた。

「え、ぼく。そんな……ありがとうございます」

「ね、あたし、姫香の親友の夏希。で、こちらのみなさんは姫香の親戚さんとそのお弟子さん。あたし、アワシマちゃんが助けに来てくれてうれしいよ。ほんと助かったよ」

 アワシマが偽水那子になった状況を知らない夏希がうれしそうに言った。

「あの、ぼく、見張ってろって言われただけで……」

「あたし、姫香の親友だよ。こんな状況なら助けるっしょ、普通!」

「どうなんだろ、ぼく、いいのかなぁ」

  そう言いながらアワシマが後ろ手で剣をかるく振った。周囲の死者が根こそぎ吹っ飛んだ。一瞬目を丸くした日那子がアワシマに強い視線を向けた。

「水那子はショック受けたのに、あんた悪いことしたとは思わへんの?」

「思っています」

「なら、助けるんがスジちゃうん!」

「あ、はい。わかりました。ぼく、みなさんを助けます!」

 龍覇が奥の寝台からにこりと笑った。

「助太刀してくれるのはありがたいね。ついでにわたしの傷も治してくれないかな。少しでもキミの手伝いができると思うんだ」

「ぼく作り出すことも治すこともできないんです。できるのは壊すことだけ」

 アワシマが悲しげに微笑んだ。近づく死者がアワシマの剣の一振りでまた吹っ飛んだ。

 

 もうずいぶん長い時間、日那子はアワシマの横で刀を振り続けていた。

「はぁはぁ、切っても切っても甦るなんて……なんなのよ、こいつら!」

「ぼくにもなぜかわかんない!  わっ!」

 ワラワラとあふれでた死者に覆いかぶさられアワシマの姿が消えた。

「アワシマッ!」

 死者を持ち上げアワシマが放り投げた。

「ふぅ、この体じゃ長い時間は持たないよ」

 死者は壊しても壊しても再生し続けた。

第7章 伊邪那美( 2 / 4 )

  

 奇妙な形の高い建物、反吐が出そうになるネオンと呼ばれる灯り。自然の美がことごとく破壊されたこの地は不快でしかなかった。伊邪那美の苛立ちがバチバチと雷となって周囲を飛び交う。いつしか、伊邪那美は雷を操る鬼神となっていた。

 将軍塚からぬっと大きな腕が現れた。ボコボコと土を蹴って巨大な土の将軍が這いだす。甲冑の音をガシャガシャとたてて、鉄の弓矢を伊邪那美に向かって放ち、矢が無くなると将軍は太刀をかかげて伊邪那美を威嚇した。北の地から玄武げんぶ、東から青龍せいりゅう、南から朱雀すざく、西から白虎びゃっこが現れて、伊邪那美のまわりを回った。

「陳腐な、くだらぬ」

 ドスンと音がした途端、将軍が見えない腕で握り潰されたようにはじけ、土くれになった。間髪を入れず四神が伊邪那美を取り巻いたが、それすら雲を蹴散らすごとく伊邪那美は雷で消し去った。

「くだらぬ、くだらぬ。醜いこの地には死者がふさわしい」

 伊邪那美が宙をすべるように飛ぶ。トヨとヒルコも伊邪那美を追いかけて空を切った。土やアスファルトを押しのけて、地下から無数の死者があふれだしてくる。

「ホホホホホ、すべて壊しておしまい」

 炎を焚き、闇を開いて黄泉の国から死霊を呼んでいる。

 トヨが伊邪那美の袖をとった。

「死者を蘇らせてはいけません。みなが苦しみます」

「このような不浄な世界は滅べばよい。我が願いは伊邪那岐の抹殺。伊邪那岐が作ったものすべてを消し去ってくれる!」

「姫さま……おやめください。姫さま!」

 トヨの手を伊邪那美は乱暴に振りほどいた。

「トヨ、おまえも消されたいかっ!」

 炎宿る目をトヨは見た。伊邪那美は狂気に支配されていた。もうすでにトヨの知る伊邪那美ではなかった。

「ホホホ、殺せ! みな殺してしまえ……」

「……あたし……どうしたらいいの」

 地上では死者が建物を壊し人々を無残な死へと追いやっている。ヒルコがトヨを冷たい目で見た。

「お前の望んだことはこれなのか?」

「違う、けれど」

「お前はどうしたいのだ?」

「わからない。あたしは姫さまを裏切れない。けれど、あたしは……あたしは」

「お前の心は八咫鏡が教えてくれるのだろう。鏡で本心を見るがよかろう」

 ヒルコの言葉にトヨがうなずき、手の中に八咫鏡をだした。

「あたしの心は……」

 八咫鏡には涙が滝のように流れるトヨの顔が映っていた。

「あたし、こんなに泣いている……」

  ヒルコにもその顔が見えた。

「違う。泣いているのは姫香だ」

 鏡に取りつきヒルコが叫んだ。

「今だ、出てこい!  姫香っ、こっちだっ!」

 

(呼んでいるのは……ヒルコ?)

 姫香は自分の体が奪われるのを感じた。心は伊邪那美とトヨのそばにあり、その悲劇に姫香はずっと涙していた。トヨも今やっと姫香に気づいたのだ。

 

「この人……が、あたし……」

 トヨがぽとりと鏡を落とした。鏡が白く光って消え、生成りの服が小花柄のワンピースに変わった。

「わたし……わたし? 戻ったの?」

「姫香……姫香だな?」

 姫香がうなずいた。

「トヨはどうした?」

「わたしの中にいる。八咫鏡がわたしと彼女を結んだの」

 姫香が怯えたようにちらりと伊邪那美を見て、ヒルコに耳打ちした。

「すごい力……ヒルコなら伊邪那美を助けられる?」

「いや、将軍と四神を動かしたが瞬殺だ。俺の力では太刀打ちできん」

「伊邪那岐なら?」

「それしか手はなかろう」

「あっ、ね、いま何か聞こえたよ」

「アワシマだ。さっきから助けを呼んでいる」

「ここにいても何もできないよ。アワシマのところに行こうよ」

「よし、掴まれ!」

 瞬時に家に飛んでいた。みんなが疲労困憊の様子で刀を振るっている。

「アワシマ、待たせたな!」

「お兄ちゃん!  お姉ちゃんも来てくれたの!」

 疲れてへろへろになったアワシマが笑みを見せた。

「アワシマ、あとはわたしにまかせて!」

 姫香が発した白い光が死者を滅し、みんなの傷と疲れを治した。

「すごい、姫香っ、すっごーいっ!」

 夏希が姫香に飛びついてきた。みんなが姫香の帰りを喜んでいた。

「みんな、無事でよかった」

「姫ちゃん、おかえり」

 笑顔で龍覇が寝台から立ち上がった。はらりと巻いていた包帯が落ちた。

「お父さん、立ったらあかん。傷が開く。え、ええ?  嘘っ!」

 日那子が龍覇を診て驚愕の声を上げた。

「縫合した痕まで無くなってる」

「お父ちゃんの傷、治ったん?」

 意識の戻った水那子が龍覇の寝巻の袖にしがみついた。

「お父ちゃん、もう痛うないん?」

「ああ、心配かけたね。もう大丈夫だよ」

 水那子がアワシマに気づいた。

「あ、アワシマちゃん」

「水那ちゃん、ごめんね。ぼく……」

 龍覇が水那子の頭を撫ぜた。

「水那、アワシマくんを許しておあげ。わたしたちのために今までがんばってくれたんだよ」

「そうなん?」

「うん、ぼくがんばったよ」

 二人がにこりと笑いあった。姫香がヒルコをにらみつけた。

「ヒルコッ、わたしに隠れてまた何か悪いことしたのね」

「嘘はついていない。夏希には何もしていないぞ」

 龍覇がクスクスと笑った。

「ああ、確かに。ヒルコくんは、夏希ちゃんにだけは何もしなかったよ」

「もうほんとにヒルコったら、ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」

 姫香がみんなに頭をさげた。

「それにしても、姫ちゃんは少し見ない間にずいぶん力が増したね」

「伊邪那美のそばにいて力の使い方がわかったんです。おじさま、渚はどこにいるんですか?  セイちゃんは?」

「二人は光の寝床に向かったんだ」

 あちこちでぼこぼこと土が盛り上がりふたたび死者が甦ろうとしていた。姫香が白い光を発し、浮き上がっていた土が静かになった。

「この辺りの死者は滅したのに」

 ヒルコがあたりを見まわした。

「骨のある無しの問題ではない。伊邪那美は時空を超えすべての死者を揺り起こしているのだ。伊邪那美を倒さない限り、死者は何度でも甦る」

 龍覇がヒルコと姫香を交互に見た。

「きみらには静那と渚くんのあとを追って光の寝床に向かってもらいたい。あそこには伊邪那岐が眠っている。もし、伊邪那美がその気配に気づいたら必ず光の寝床に行く」

「わかった。伊佐を追おう」

「あと、アワシマくんにはここに残って手伝ってもらえるとありがたいが。どうだろうか?」

「それしか方法はないようだな。アワシマ、彼らを守れ!」

 ヒルコの指がパチンと鳴る。子供だったアワシマの体が、青い長髪をした美青年に変わった。中世の騎士のような鎧はマリンブルーに輝き、手には長剣を持っている。同時に壊れていた家が元のように修復した。

「すっげえ。これ、どうなってん。マジックか?」

 高階が驚きの言葉をあげた。

「アワシマちゃん、かっこいい。がんばってな」

 水那子にアワシマが大きくうなずいた。

「うん、ぼくがんばる!」

 長剣を青年アワシマは軽がると振った。

 夏希がアワシマとヒルコを見てヘラヘラと笑った。

「ヒルコさんといい、アワシマちゃんといい。美しい、美しすぎるよ。ダメだ、見ているだけで顔がほころんじゃうよ。ほんっとに異界ってすごい美形揃いだったんだね、姫香」

「やだ、こんな時に夏希ったら」

「ふふっ……」

 笑顔だった夏希が急に泣きそうな顔になって姫香に抱きついた。

「姫香、静那と先輩をお願い。そして、みんなで無事に帰って来てね。ぜったいだよ」

「うん。夏希も気をつけてね」

 高階が姫香に頭をさげた。

「おれ、高階といいます。セイさんから姫香さんのことはお聞きしてます。どうか、セイさんをよろしくお願いします」

「ふふ、わたしもセイちゃんから高階さんのことをお聞きしてますよ。すっごく楽しい後輩ができたって」

 高階がうれしそうな顔でより深く頭をさげた。ヒルコがイライラした様子で言った。

「さ、行くぞ、姫香」

「あ、もうちょっとだけ待って。これじゃ動きにくいから着替えてくる」

 ヒルコが笑って指を鳴らした。

「ありゃ」

 途端にワンピースが巫女装束に変わった。

「おまえの正装はそれだろ?」

「ふふ、そうか、そうだね!」

「防御強化に千早ちはやも羽織っていけ」

 ヒルコが広げた薄い白無地の衣に手を通し、緋色の胸紐を結ぶ。薄絹だからか着ていないかのように軽い。

「ありがと、ヒルコ」

 にこりと笑って姫香がみんなをぐるりと見た。

「じゃ、行ってきます!」

 夏希たちの前に現れた時のように二人の姿がかき消えた。

 龍覇が刀を構えしなやかな指で眼鏡をついっとあげた。

「さて、わたしたちはここを守るとしようか」

「はい!」

 みんなが心強い返事をした。

第7章 伊邪那美( 3 / 4 )

  

 氷柱の上部を静那が指さした。

「渚、あそこに女がいてるっ!」

 黒い着物の美少女が氷柱の剣の前に浮かんでいる。

「われはイザナミ! 人間どもひれ伏すがよい!」

 伊邪那美が手を振りかざした。ビシビシと柱に亀裂が走り、大音響をたて柱が崩れた。

「わ、それ大黒柱やぞ。無茶苦茶しよるっ!」

 氷に閉ざされていた天之尾羽張が空中に浮いた。

「イザナギッ、おまえのアメノオハバリ、手に入れたぞっ!」

 叫んで手を伸ばした伊邪那美の前からその剣がかき消えた。ゆうるりと伊邪那美が顔を向けた。

「おもしろいことをするではないか」

 タンッと渚が静那のそばに飛び降りた。渚の手には天之尾羽張が握られている。

「逃げろ、静那」

「わ、わかっとるっ!」

 大黒柱を失った洞窟の天井が氷と岩の大きな塊になって上空から渚と静那に降り注ぐ。

 静那と渚は崩れた氷や岩をよけて走った。

「あかん、山が崩れとる。逃げれん!」

 静那が頭を抱えた瞬間、大量の瓦礫が空中で静止した。

「なんや、どうなっとんのや」

 瓦礫が息を吹き返したように上空に舞い上がり、吹き抜けた天井から外へと噴出した。空気が入れ替わり、夜空の星が妙にきれいに見えた。

「許さぬ!」

 怒りの形相で伊邪那美が雷光を渚と静那に降らせた。

「もう、やめてっ!」

 二人をかばうように誰かが飛びだし、頭上で閃光が大きな花火のように弾けた。

「渚、無事だったのね! よかったっ!」

 巫女姿の姫香がふわりと渚の腕に飛びこんできた。

「姫香……ほんとにおまえなんだな。無事だったんだな」

 抱き合う二人を静那とヒルコは無言で見つめていた。伊邪那美が炎を宿した目で睨んだ。

「トヨ、ヒルコ、裏切るかっ!」

 二本の電光が走り二人の直前で割れて弾けた。ヒルコが雷を防いだのだ。

「油断するなっ!」

 そう叫んだヒルコに静那が弓を向けた。

「妖怪め、あの女の仲間かっ!」

 姫香が静那の袖を引いた。

「セイちゃん、ヒルコは仲間っ!」

「ほんまか?」

「うん、本当!」

「見ろ」

 ヒルコが指さす方向で伊邪那美が巨大な雷の塊を作っている。

「俺と姫香で二重結界を張る。姫香は俺の後方。イサと静那は伊邪那岐を甦らせろ!」

「なに指図しとんねん」

「静那、それしか手はない。行くぞ」

「ちっ!」

 渚のあとを追って静那も走った。

「渚、がんばって!」

 ヒルコの背後で姫香も結界を張る。

「無駄なあがきを」

 伊邪那美が冷たくつぶやいた。周囲に閃光が走り、轟音が鳴り響く。伊邪那美の手の動きに合わせて八つの雷が周囲を駆け巡った。落雷がヒルコに集中攻撃した。

「死ね!」

 ヒルコはそれに必死に耐えた。

「早くしろ……持たん!」

 ヒルコが雷に呑まれて消滅した。

「おっさん、起きろ!」

 渚が天之尾羽張を振りかざし、勢いよく木の人形に突き刺さした。木片が飛び散り人形が強い香を放って消えた。

「やったぞっ!」

 とんっと軽く何かがあたり、姫香の体が渚の足元でくずれた。

「え?」

 眠るように目を閉じている姫香の顔は美しい。姫香の白い薄絹が炎をはらんで舞い落ちてきて、燃え尽きた。

「姫ちゃ……!」

 静那がへなへなとその場に腰を落とした。

「姫香、どうした?」

 抱き起こすとあたたかなものがぬるりと手に触れた。姫香の下腹部はむしりとられたように大きくえぐれ、ぼたぼたと落ちる生暖かい血が渚の足を流れ落ちた。

「しっかりしろ、姫香っ!」

 息も鼓動もない。揺り動かしても人形のようにがくがくと頭が動くだけだ。

(姫香が……)

「うおぉぉお!」

 狂ったような咆哮をあげ、渚は草薙を振りかざして伊邪那美に突進した。

(死んだ……姫香が……死んだ、死んだ、死んだ!)

 渚が突っこんでくるのを見た伊邪那美が雷で細身の剣を作った。渚は伊邪那美に向かって草薙剣を何度も打ち下ろした。だが、渚のするどい打ちこみを伊邪那美は軽くいなす。

「ふふふ、己が力を知らぬ馬鹿者め」

 渚を援護するように静那も矢を射った。

「姫ちゃんの仇っ!」

「こざかしい」

 静那の矢を伊邪那美が袖で払い落した。渚が憎しみに震えて叫んだ。

「伊邪那美ぃぃぃぃっ!」

 草薙剣から竜に似た白い光がでて、伊邪那美に食いつこうと覆いかぶさった。しかし、伊邪那美はその光の首根っこをしっかりと押さえつけた。

須佐の男スサノオの血も薄れたものよのう!」

 伊邪那美の高笑いが聞こえた直後、巨大な光が渚の発した光を丸呑みした。伊邪那美の体から発せられた光は異界で見た八俣の大蛇ヤマタノオロチの姿そのものだった。雷が大蛇のようにうねり、周囲を駆け巡った。

「ぐぐっ!」

 降り注ぐ雷を受けた草薙剣が折れ飛び、渚の体が瓦礫の中へ激突した。電流が体を突きぬけ草薙剣が消えた。渚がゴボッと血を吐いた。

(意識が朦朧とする。こげた臭い。火傷を負ったのか。あと、肋骨を何本か、内臓もやられた。頭からも出血してる……)

 目の前が真っ赤に染まっていく。

(……姫香)

 伊邪那美を殺したかった。それなのに、体が動かない。

(……また、守れなかった)

 涙が頬を伝った。

(ごめん……姫香……ごめん……)

 渚の上に誰かの影がかぶった。

「スサ、おまえは約束を守ってくれた。ありがとう」

(誰……?)

「フフ、こんなに長い時を隔ててもおまえは変わらず泣き虫で、無茶をするのだな」

 その人の手が渚の頬に触れた。渚の体から痛みがひいていく。見上げると涼しげな顔の美青年が渚にやさしく微笑んでいた。耳の両脇で束ねたみづらの黒髪、白い筒袖のきぬにゆったりとしたはかま。会ったことはないが渚はなぜかその青年を知っている。

「……イザナギ?」

「わたしはあれと話さねばならぬ。おまえはあののそばにいておあげ」

「死ねぇ、イザナギィィィ!」

 伊邪那美の雷が降り注いだ。だが、伊邪那岐はそれらすべてを身内に吸収した。

 

「姫香、しっかりしろ、姫香っ!」

 ヒルコが姫香に何度も呼びかけている。

 渚と同時に静那も姫香のそばに入った。

「姫香!」

「姫ちゃん!」

 姫香の体は治っているが、瞳は朦朧として生気がない。渚はヒルコの胸ぐらをつかんだ。

「姫香はどうなってるんだ!」

「すまない。殻が壊れ一瞬、俺の力が消えた。そのせいで姫香が衝撃をもろに浴びたのだ。伊邪那岐が俺と姫香の体を元に戻してくれたのだが……」

「意識を戻せ!  おまえならできるだろ!」

「無理だ」

  渚の手をほどき、ヒルコが悲しそうに目を伏せた。

「俺が操れるのは表層意識だけだ。姫香が死を自覚したため、すべての意識が表層意識から潜在意識に移行している」

  静那がヒルコを睨みつけた。

「そこまでわかってんのやったら、はよそっち探さんかい!」

「潜在意識は深いだけでなく、表層意識の九倍の広さがある。姫香とのアクセスに何日かかるか予測もできん」

「言い訳はいい、姫香を見つけろ!」

  ヒルコがつらそうに首を振った。

「姫香が精神をリンクしていたトヨという少女も表層意識下にいない。二人が潜在意識下で同一化している可能性もある。もし、そうなら、姫香を無理に表層意識下へ引きずり出せば人格障害を起こす。どちらかが出てくるまで待つしかない」

「どんだけ待てばええねん。待ったら姫ちゃんが治るっていう保障はあるんか」

「潜在意識は常に一人称だ。そこには時間も空間もない。時間がたつことで同一化が進むか、解除されるか、それとも死への道をたどるのか、それすら判断できん」

 渚がつぶやくように言った。

「探し出せば話すことはできるのか?」

「イメージや感情には反応するだろうが、トヨと姫香に深く関わった者でないと逆に混乱を招くだろう。命取りになりかねん」

「おれならどうだ」

「そうだな。お前はトヨにも姫香にも深い絆がある。見つけ出せれば、あるいは」

「なら、どうすれば潜在意識に入れるんだ?」

「殻を捨てれば、姫香の潜在意識化に直接入り込める」

「ようは死ぬってことだな」

「ああ、意識だけを飛ばすにはそれが一番てっとり早い。しかし、時間内に自分の体に戻れなければ本当に死ぬ。それに伊佐の意識を保てなければ、スサに体を乗っ取られるかもしれん」

「それでもいい、早くやってくれ」

「ぼくも行くで!」

 静那が身を乗り出した。ヒルコが待てというように手をあげた。

「俺にも限界がある。確実な方が行け」

 静那が渚の顔を睨むように見た。

「必ず姫ちゃんを連れ戻すんやぞ」

「ああ!」

「姫香に触れるな。意識同士がスパークすれば二人とも死ぬ。脳がダメージを受ける前に体に戻す。それほど時間は無いぞ。いいな、急ぐのだぞ!」

「わかった」

「やるで、渚っ!」

 静那が弓を構え、渚の心臓に矢を突き刺した。

 

 

 そこは色の洪水。まるでシュルレアリスムの世界のようだ。姫香が身にまとっている情報の波がどこかに向かって流れていく。読み取ることはできないが、それらは醜悪なものではなく心地よいモノだった。渚は姫香の姿を求めて走った。

「姫香!  どこだ、返事をしろっ、姫香っ!」

 声に反応したように天をつく大きな木が現れた。その木に白い服を着た姫香が半身埋まっている。瞳に精気がない。力づくで引きずり出せば精神が崩壊してしまうかもしれない。渚は姫香の前で大声で叫んだ。

「姫香!  取りこまれるんじゃない。こっちに出てこいっ!  しっかりするんだ、おれだ、渚だ!」

「な……ぎ……さ」

「そうだ、伊佐渚だっ!  おれたち、ずっと一緒にいるって約束したろ!」

「なぎさ……なぎさ?」

  姫香の形骸が別れて二人になった。そのうちの一人がつぶやいた。

「あ……なた……誰?」

  渚の形骸も伊佐とスサで揺れている。

(ああ、やっとトヨに会えた)

 スサが喜びで沸き立つ。

(トヨに触れたい。オレのものにしたい!)

「させない、姫香はおれのものだ。おれだけのものだ!」

 身が半分に引き裂かれそうだ。

「ダメだ。このままではスサに意識を持っていかれる」

 渚は非常な努力で拳を握った。

「おれは……伊佐……伊佐渚だ」

「伊佐をわたしは知らない」

「おれのことを知らなくてもあんたはスサを知っているだろう?」

「知っている。スサは、大好きな人」

「スサからの伝言だ。スサもトヨを愛してる。ずっと一緒にいたかったと」

「スサとトヨは同じ気持ち?」

「ああ、同じだ」

「……スサも同じ……ずっと一緒に」

 トヨの形骸が壊れ、完結した想いが大木に呑みこまれた。

(やめろ……トヨ、行くな、トヨ……)

 トヨのあとを追ってスサが分離した。そのスサを渚は草薙剣で切り捨てた。スサの形骸がはじけて消えた。

「悪いな、スサ。おまえは寝てろ。おれが姫香と未来を繋ぐ」

 姫香が木の幹からズルリと抜け出て、根元に倒れ伏した。

「姫香っ!」

 抱き起こしたい気持ちを必死で抑える。

「おれだ、渚だ。しっかりしろ!」

 声の限り叫ぶ。

「な……ぎさ?」

「そうだ、渚だ」

「渚は……大人……わたしが……いなくても……大丈夫」

 目を閉じたまま、姫香の頬に涙が一筋つたった。

「は?  何を言ってる。そんな訳ないだろう!」

「渚は完璧……わたしには似合わない」

「やめろ。おれは大人でも完璧でもない。おれはずっとおまえを失うのが怖かった。大事にしなきゃ壊れそうで。だから、大人の振りをして見栄をはってただけだ」

 くん、と何かが渚の体を引いた。引きはどんどん強くなっていく。ヒルコが体を治したのだ。渚は姫香に向かって祈るように叫んでいた。

「愛してる。おまえを愛してるんだ。おれとずっと一緒にいてくれ! おれのそばにいてくれ! 頼む、頼む……」 

第7章 伊邪那美( 4 / 4 )

   

「イザナギィ……」

 業火のような吐息を伊邪那美が吐いた。

「あれらには手を出さないでやっておくれ。わたしの命は持って行くがよいから」

「イザナギィ」

「さぁ、わたしをお殺し。わたしの望みはお前のそばで死ぬことなのだから」

 そう言って伊邪那岐が伊邪那美の足元に膝をついた。

「望みだと!  おまえはわれを捨てて逃げたではないか!」

「そうだ。捨てた!」

 伊邪那岐が苦しそうに息を継いだ。

「覚えているかい。昔、わたしたちは死と無縁だった。死がおまえに宿るのを見て、己が上にも死が訪れるのだとわたしは初めて知った。その恐怖にわたしは逃げたのだ。だが、逃げても死はずっと追ってきた。逃げて逃げて、そして、やっとわたしにもわかったのだよ。おまえがわたしのそばからいなくなることが、一番の恐怖だったのだと。それに気がついた時、わたしはおまえから遠く離れたあとだった。だからね、おまえに再び会うために待つことにしたのだよ」

「われに会ってどうしようと!」

「あやまりたかった。おまえが一番心寂しく思っている時にそばにいてやれなかった。ほんとうにすまなかった。それだけを言いたかった」

 伊邪那岐が地に頭をつけてわびた。

「今更……あやまっても……許しはせぬ!」

「そうだね。許せるはずがあるものか。わたしも許してもらおうとは露ほども思ってはいないよ。わたしはね、おまえと会えたのだからもう悔いはないのだよ。さ、殺しておくれ。そうして、昔のようなやさしい伊邪那美に戻っておくれ」

「イザナギ……」

 伊邪那美がはらはらと涙を零し、膝を折った。

「伊邪那岐……さま……ごめんなさい」

 伊邪那美が伊邪那岐にすがりついた。

「わたくし、恐かったの。あなたに置き去りにされて。恐くて、不安で、あなたをうらんでしまった。ごめんなさい。ごめんなさい」

「おまえは悪くない。わたしがすべて悪かったのだよ」

 伊邪那岐がやさしく伊邪那美の髪を撫でた。

「伊邪那岐さま……」

「伊邪那美……」

 互いを慈愛に満ちた目で見つめあった。瞬間、周囲の氷が水しぶきをあげた。

 瓦礫と化していた洞内にさわやかな風が流れ、辺りが虹色の光に包まれる。虹色を写し取った色とりどりの花々が一瞬にし周囲を埋め尽くした。氷柱のあった所には、桜や梅、桃、コブシ、木蓮、レンギョウ、ツツジ、山吹、ユキヤナギなどの春の花木が満開となって枝をはった。足元には絨毯のごとくスミレ、菜の花、レンゲソウ、タンポポ、水仙、天人唐草など数え切れないほどの四季の花々が色濃く咲き乱れ、それらが競うように芳香と淡い光を放った。

 天井の抜けた夜空には、満天の星がキラキラと宝石のように瞬いていた。 

たきもと裕
光の寝床 ヒルコの夢 -2-
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