光の寝床 ヒルコの夢 -2-

第6章 光の寝床( 1 / 3 )

  

 清浄な空気がピンとはりつめている。

 はるか遠くの天井から楠樹の根が垂れている。その根と根の僅かな隙間から射す淡い月光が光の帯を作って降り注いでいた。静那が扉を開けたと同時に点いたと思われる壁面の明かりは青白く、その光が空間を埋め尽くしている氷に乱射して洞窟いっぱいに絹の衣を広げていた。

「冬に氷室池にはった氷をここに運んで氷室にしてたんやな」

 

 氷室とは冷蔵庫の無かった時代、冬の氷を夏まで貯えておくために作られた室のことだ。

 氷を採取するための氷池は全国にあるが、京都周辺にも昔は6ヶ所程度あった。

 

「あちこちにあった氷室は……光の寝床を隠すためのおとりか」

 静那が周囲をぐるりと見て、凍える体をさすった。壁の明かりに手を伸ばしたが、青白く揺れているだけで熱は無い。

「鬼火か? まるで、墓地みたいやん」

 広間の美しさに見とれていた渚は静那の言葉にはっとした。

「あれ、伊邪那岐の墓か?」

 渚が何かに引かれるように歩いていき、広間の奥に据えられているひときわ大きな氷の塊の前で止まった。氷の棺の中央に黒い木が埋まっている。静那がつぶやいた。

「人間っぽく見えんこともないけど、荒っぽくてへたくそやな」

 渚は遠い昔にこの人形を見たことがある。

「おれ、これを知っている」

「どうした、なんか変やぞ?」

 頭がぼんやりする。

「……大丈夫だ」

「渚、あそこ見てみぃ。ほら、上の方」

 部屋の中央に天井まで伸びるひときわ太い氷の柱がある。その氷柱の中に剣があった。

天之尾羽張 あめのおはばり。あれ、伊邪那岐の剣だ」

「どうやって柱の中に埋めたんや? この柱、けっこう太さも高さもあるけど繋いだとこが見えへんで」

「ほんとうだ、不思議だな」

  渚が柱に手を触れると怒涛のように過去の記憶が押し寄せてきた。

第6章 光の寝床( 2 / 3 )

   

(そうだ。オレは……兄上に連れられて行ったんだ……)

 好戦的な狗奴国 く なこくの男王、卑弥弓呼 ヒ ミ コ コは小さな国々を統合して勢力を拡大していた。そんな狗奴国が唯一手に入れられなかったのが和国わこくだった。

 ヒミココは和国に何度も兵を送ったが、荒くれ者どもが飼いならされた犬のようになって帰ってくる。最後にはもっとも信頼していた官の狗古智卑狗 ク コ チ ヒ コまで、「和国はその名の通り平和な所。我が国とも仲よく協力していこうとの仰せでした」とヒミココに言う始末。狗奴国の巫女も、「日の神子 ヒ ミ コ様の前ではすべてが無力でしょう」と告げた。和国は戦意を失わせる何かを発しているのだ。

 ヒミココは疑問を探るべく、幾人かいる息子から月読ツクヨミを選び、和国へ赴かせることにした。その時、まだ幼い須佐の弟スサノオが部屋にやってきた。

「父上、オレも義兄ツクヨミについていきたい。なぁ、いいだろ?」

「お前がか?」

 ヒミココは髭を撫でながら思案した。

 ツクヨミは知力すぐれ、参謀としての力はクコチヒコに並ぶだろう。スサノオはツクヨミとは正反対の性格だが、幼くしてこの国一番の剣の使い手で思い切った行動をする。乱暴者だがスサノオには人を惹きつける魅力があった。

「どちらかが和国をつぶすきっかけを作ればよし。ふたりとも思うまま動いてこい」

 こうして、スサノオもツクヨミに同行することを許された。和国へと近づくにつれて花や動物が多くなった。戦にあけくれる狗奴国の荒れた地しか知らないスサノオにとっては、はじめて見る珍しいものばかりだった。和国に着くと、歓迎の宴が用意してあった。古老が歩みでてにこやかに言った。

「ようこそおいでくださりました。伊邪那岐さまも伊邪那美さまもお会いするのを心待ちになさっておりました。お二人のところへお連れします。さ、さ、どうぞこちらへ」

 和国の中を通り過ぎるうちにいつの間にか連れてきた部下は消えていて、宮殿の前まで最後にたどり着いたのはツクヨミとスサノオだけだった。

「スサノオ、いつ敵が襲ってくるかわからん。剣をすぐに出せるようにしておけ」

「任せろ、オレがぜんぶ殺す」

 身構えるふたりの前に現れたのはやさしい目をした若い男女だった。

(なんて美しい人たちなんだ)

 伊邪那岐と伊邪那美を見てスサノオは素直にそう思った。

 姿かたちだけではない。二人には内面から溢れる光があった。誰に聞くでもなく彼らが日の神子だとわかった。ツクヨミも同じように感じたのだろう。二人の前に立った兄からは戦意が消えていた。兄が伊邪那岐、伊邪那美と接見している間、やんちゃなスサノオは和国を探検した。

 田畑は豊かで実り多く、山は深くて水は清らかだった。スサノオはその澄んだせせらぎに顔を突っこんで飲んだ。水は甘く、ころころと音をたてて喉を潤した。

「ふふふ、変な飲み方。動物みたい」  

 川から顔をあげると生成りの上下を着たおかっぱの少女がそばに立っていた。

「なんだ、おまえは!」

 馬鹿にされた気がしてスサノオは草薙剣をだして威嚇した。少女はスサノオと同じ10歳ぐらいか。普通の人間なら剣に驚き逃げていく。だが、この少女は違った。

「すごぉい、どこからその剣が出てきたの?」

  少女は目をキラキラさせて草薙剣とスサノオを見つめた。

「ね、ね、あたしは、鏡を持っているんだよ、ほら」

  少女が差しだした手の中でゆらゆらと何かが揺れた。最初は水たまりのようだったモノがしだいにはっきりと形を持ち、少女の瞳のようにキラキラと輝く鏡になった。

「きれいだな」

 少女に対してか、鏡に対してかはわからなかったがスサノオはそうつぶやいていた。

「これね、ヤタノカガミって言うの。伊邪那美  ひ めさまが教えてくれたんだけど、この鏡はあたしのギョウシュクされた想いなんだって。だから、あたしが困った時はこれを見ればどうすればいいのかがわかるんだって。ね、不思議でしょ?」

 少女がおしゃまさんっぽく笑った。

「ああ、不思議だ」

「あんたの剣もキレイ。心がキレイだと持つ物もキレイに輝くんだって」

「おまえ、誰?」

「あたし、トヨ。姫さまがあんたと遊んでおいでって。だから、一緒に遊ぼうよ」

「なんで、おまえなんかと」

「えーっ、ダメなの?」

 トヨの太陽の笑顔が曇った。心を揺さぶられ、スサノオは鼻をこすってトヨを見た。

「まぁ、どうしても遊んでくれって言うなら遊んでやってもいいぞ」

「ほんと!  うれしい!」

「それからオレはあんたじゃなくてスサノオだ。スサノオ様と呼べ」

 トヨがスサノオを上目遣いに見た。

「うーん、そんなの呼びにくいよ。あ、そうだ、スサって呼んでもいい?」

「ああ……まぁ、それでもいい」

 キラキラと輝く瞳にスサノオは戸惑っていた。

(なんでこいつはオレを怖がらないんだろう)

 自分でも乱暴だと思うほど粗野で、しかし、それがまかり通るほどの権力があり、狗奴国では気軽にスサノオに声をかける者などいなかった。

「おまえ、変なヤツだな」

「普通だと思うけど……スサは変なヤツだと遊んでくれないの?」

「そんなことはない」

「うふふ、よかった!」

 スサノオはこの人なつっこい少女のことをもっと知りたくなった。

 トヨがまず案内したのは一面に花咲く草原だった。

「ここきれいでしょ。あたしが一番好きな場所なの」

「ふぅん、女は花が好きだもんな」

 花を蹴散らして歩くスサノオのおしりをトヨがパンッと叩いた。

「なにすんだ!」

 スサノオはひどく驚いた。今までスサノオを叩く者などいなかった。

「スサも花に同じことをしてるもん」

「なんだと、ただの花じゃねぇか」

「花もあたしたちと同じように生きてるんだよ。痛いと言えないだけでスサが痛いように花も痛いんだよ」

「なんだ、こんな花っ!」

 花を踏みつけるスサノオをトヨがにらみつけた。

「あたし、弱いモノを守れない人は嫌いっ!」

「オ、オレは……」

 悪いことを悪いとスサノオに言う者はいなかった。スサノオがすこし力を入れれば殺せる者が、毅然とした態度をとっていた。

「ごめん、悪かったよ」

「ふふふっ」

 トヨが笑顔でスサノオに抱きついた。

「な、なんだよ」

「スサならきっとわかってくれると思ってた」

 トヨはやわらかくていい香りがした。スサノオは兄と狗奴国へ帰る時にはすっかり和国とトヨが好きになっていた。

「トヨ、オレのこと、好きか?」

「うん、好き。大好き!」

「なら、一緒に来い。妻にしてやる」

 耳まで真っ赤にしてスサノオは言った。初めての恋だった。

「これを見て」

 トヨが空中に鏡をだした。

「この鏡はあたしの心の中を写すことができるの。前にそう話したでしょ」

「ああ」

「だから、スサも一緒に見て」

 鏡には伊邪那岐と伊邪那美とスサノオが並び立っていた。

「これがあたしの本心。スサのことが好き。でも今はお二人とも離れたくないの」

「じゃぁ、オレがここに残る」

「そんなことしたら狗奴国と戦争になっちゃうよ。それに結婚するには、あたしたちはまだ子供だよ。あたしたちが運命でつながっているならきっとまた会える。その時はスサと……結婚する」

 トヨも頬を赤らめて言った。

「今度会う時はオレのものにする、絶対にだ」

 そして、二人は後ろ髪を引かれるようにして別れた。以前のスサなら、欲しいものを力づくで手に入れたろう。けれども愛を知り、トヨを思いやる気持ちが芽生えていた。

「少し……少し待つだけだ」

 スサの母はスサを生んですぐ亡くなり、王の本妻の子という地位だけをスサに残した。スサは暮らしに困らなかったが、王は多数の女を有しており、その女たちからの刺客はあとを絶たなかった。スサはトヨにその被害が及ぶことを恐れた。

「もう少し、あと少しだけの辛抱だ」

 父王ヒミココは急速に弱っている。そう遠くないうちに王位継承の儀式となろう。王位が確定すれば、トヨを嫁にすると言おう。それならば安心してトヨを狗奴国に迎えられる。スサは初めて愛した人のために『待つ』ことを選択した。

 数年後、あれだけ栄華を誇っていた和国が次第に衰退しだした。政治に無頓着なスサにもそれが狗奴国にとっての好機だとわかった。

「伊邪那岐、伊邪那美……あの二人に会った時は、常人ならぬその人となりに和国をあきらめた。だが、今なら簡単に彼の地を奪えそうだ」

 ツクヨミは戦の準備を始めた。スサはトヨを救いに行きたかった。しかし、父ヒミココが死の床に臥しているときに王の継承順位第一位のスサが和国に入るということは、戦闘を意味していた。伊邪那岐が国を出奔したという報告が入った。スサはツクヨミと後を追い、阿波岐原 あ は き はらでやっと伊邪那岐に追いついた。

(なんて、みすぼらしい……こいつ本当にあの伊邪那岐なのか)

 以前とは比べようも無いほど、脆弱で臆病な男に伊邪那岐は成り下がっていた。それを見てツクヨミは和国を手中に収めたとほくそ笑んだ。

「伊邪那美は死んだ」

 伊邪那岐はそうつぶやくばかりだった。

「ウソだ」

 忠義にあついトヨが伊邪那美と伊邪那岐から離れるはずがない。スサノオは拳を握った。

「トヨはどこへ行った。伊邪那美が死んだならトヨはあんたと一緒にいるはずだ」

 伊邪那岐に問うたが答えはなかった。

「伊邪那美……は……死んだ……」

 ぼそぼそとひとりごとを言いながら伊邪那岐が歩きだした。

「おい、待てっ!」

 スサがとめるのも聞かず伊邪那岐は歩いていく。

(どうする……あいつと一緒にいればトヨに会えるのか?)

 ふらふらと抜け殻のように歩く伊邪那岐の姿は哀れだった。

(トヨはオレに弱いモノを守れと言った。トヨが大切にしていた人を守らなきゃ。おっさんを守らなきゃ)

 トヨを想う心がスサノオに決心をさせた。

「兄上、オレ、あのおっさんに着いていく。じゃぁな」

 困惑した表情でクコチヒコがツクヨミの前にひれ伏した。

「ツクヨミさま、おとめしなくてよろしいのですか?」

 王ヒミココはそれほど時を待たずして死ぬだろう。すでに実権を握るツクヨミが今までスサノオに不満を持たなかったのは、あの天真爛漫な性格が好きだったからだ。ツクヨミはスサノオが王になるその成人 ときを待ち、影の王として一生を終えるつもりでいた。

「ツクヨミさま、弟ぎみが遠くに行ってしまわれます」

「よい。須佐の地に二人の王はいらぬ。須佐の弟 ス サ ノ オが王の座を捨てるなら、継承順位第二位のわたしが須佐の王 ス サ ノ オだ」

 振り返りもせず行くスサノオの後ろ姿を、兄はあたたかな眼差しで見送った。

 

 

 スサは伊邪那岐と共に長い月日を歩んだ。ある日のこと、伊邪那岐はスサがいることにやっと気がついた。

「おまえは、どこまで着いてくる気だね?」

「さぁ、ずっとかな?」

「名はなんと言うのだね?」

「スサ……だ」

「ふぅぅん、スサは変な子だね」

 伊邪那岐はそっけなかったが旅の途中でふと見せるやさしい態度にスサは惹かれた。伊邪那岐もまた乱暴だがまっすぐなスサの性格を快く思った。

 永い時を経てスサは光り輝くような立派な大人になっていた。多賀に来てからの伊邪那岐はめっきり体が弱くなり床に伏すことが多くなった。伊邪那岐は何かから逃れようと必死であがいていた。スサはそれが自分のことのようにつらかった。

「ほらよ、おっさん」

 ふせっている伊邪那岐のそばにスサは等身大の黒光りする木をどかりと置いた。

「それはなんだね?」

 伊邪那岐が不思議そうにスサに聞いた。

「流れ着いたと献上してきたやつがいてさ。これを削って燃やすといい香りがするんだ。そんな木って珍しいだろ。だから、オレ、おっさんに似るようにがんばって彫ったんだぜ」

 粗雑な作りだが人形ひとがたに見えなくもない。

「ほぅ、それで何をする気だね?」

「オレはおっさんをずっと見てきたからわかる。おっさんは伊邪那美に会いたいんだろ?」

「ああ、たしかに……会えるものなら会いたい。今、わたしのそばにはスサ、おまえがいてくれる。それと同じように伊邪那美が死ぬまで、わたしはあれのそばにいてやるべきだった。あれはどんなに心細かったろう。わたしは悔やむ。あれのそばにいてやれなかったことを。今はただただ伊邪那美に会いたい。そして、愛していると言ってやりたい。それだけが心残りで生きているのだよ」

「へへへ、やっぱりな。だからこれを作ったんだ。おっさん、前に言ったろ。丈夫な殻があれば伊邪那美にまた逢う時まで生きられるのにって」

「確かにそう言った。だが、もう伊邪那美は死んだのだ」

「ほんとにそう思っているのか?」

「それはどういう意味だ?」

「伊邪那美っておっさんと同じ力を持っていたんだろ? なら、そう簡単に死ぬとはオレには到底思えねぇよ。おっさんだって伊邪那美は死んでないと思ってるから、ずっと探してたんじゃねぇのか?」

「わたしは探していたのか?」

「そうだろ?」

 和国は狗奴国によって滅び、そのあとをアマテラスという人物が治めていると風の便りで聞いた。その話を聞いた時、スサはトヨがどこかで生きていると直感した。もし、伊邪那美が死んでトヨだけが生き残ったのなら、トヨは死に物狂いで伊邪那岐の元に来る筈だ。実際、スサもそれを待ち望んでいた。しかし、いつまで待ってもトヨは来ない。その結論は一つしかない。伊邪那美は生きているのだ。

「これには人のような関節がない。動かすことはできぬよ」

「だから、伊邪那美を見つけるまでこの中で眠ってろよ。見つけたら叩き起こしてやる」

「おまえの祖先も昔はわたしと同じモノだったのかもしれぬ。だが、その力は人と交わることで薄れた。おまえの持つ高天原の力はほかの人間よりは強いが、わたしよりうんと希薄だ。わたしのように長くは生きられはせぬ」

「そんなことは知ってるさ。あれを見ろよ、おっさん」

 伊邪那岐は頭を上げてスサの指さす窓の外を見た。この地の子供たちが元気に外を走り回っている。

「子らがどうしたね?」

「オレはまだ若く健康だ。オレだってそのうち嫁をもらい子ができる。その子らは何世代も先まで生きて地上を埋め尽くすさ。そうすりゃいつか伊邪那美にたどり着くだろ。どうだ? おっさんが不自由な体でゆるゆる伊邪那美を探して生きるより、オレやオレの子らに希望を託す方が早いんじゃねぇか?」

「なぜ、そこまでわたしのために?」

「さぁ。ま、一緒に旅した仲ってことでいいんじゃねーか」

「スサ……おまえと言うやつは」

 伊邪那岐は初めて涙を流した。そして、涙をぬぐい、しっかりと見上げた顔は若かりし頃の伊邪那岐を思い出させるほど、すがすがしい面もちをしていた。

「この剣、天之尾羽張あめのおはばりをおまえに託す。伊佐那美に出会えたらこの剣で起こせ」

「ああ、任せとけっ!」

「目覚めるときまで汝に伊邪那岐の名をやろう。イサと名乗り、長子には必ずナギという名をつけよ。それが盟約のしるしだ」

「おぅ!」

 伊邪那岐が人形に憑依すると伊邪那岐の体は跡形もなくなった。それほどの年月、伊邪那岐が生きた証だった。イサはその地に社を作り土地の人々に伊邪那岐、最後の地としてそこを祀ることを命じた。

 そして、イサは伊邪那岐の依り代を後世まで守れる場所と、伊邪那美を探すという二つの大きな使命を持って旅立った。

 多賀の地で友となった男もイサと行動を共にした。そうして、長い時を経てやっと『光の寝床』に伊邪那岐を安置した。その躯を守護する役目をイサの友は進んで請け負った。その友が氷室だった。

 イサは氷室と別れた後、長きに渡って伊邪那美とトヨを捜したが見つけることは叶わなかった。だが、その思いは子孫へと確実に引き継がれていった。

第6章 光の寝床( 3 / 3 )

  

 咄嗟に渚は顔をそむけた。

「ん?  どないしたんや?」

「ああ、なんでもない。目にゴミが入っただけだ」

 そっと頬に手をやる。涙で濡れている。

(どうしたんだろ。勝手に……)

「変なやっちゃな」

 渚を気遣ってなのか、しばらく静那はあたりを歩きまわっていた。

「すまない、もう大丈夫だ」

「そうか。で、なんかわかったか?」

「伊邪那岐を起こすためには、氷の中にある剣がいる」

「あの氷柱は大黒柱や。あれを壊せばここ崩壊するで」

「剣だけあそこから出す方法はないのだろうか?」

「そんなもんはない。あれを守るんが氷室家の役目や。なぁ、渚、おまえの剣も不思議な剣に違いないんや。それでさっさと起したれや」

「ああ……そうだな」

 草薙剣をだして渚は古い木の人形に対峙した。

「伊邪那岐、いま永劫の闇から目覚めよっ!」

 渚が氷の棺に草薙剣を突き立てた。氷が派手に砕け散る。

 

…………静寂。

 10秒か30秒か。それとも、もっとたったのだろうか。静那の声が空気をつんざいた。

「なんも起こらんやないか!  もっと深く突き刺せ!」

「いや、無理だ」

 氷はもう砕いている。だが、どんなに力を入れても古びた木の人形に刺さらないのだ。

「天之尾羽張じゃないとダメなんだ」

「ほな、どないしたらええんや」

  焦りと苛立ちが二人の間に流れた。 

第7章 伊邪那美( 1 / 4 )

  

「おかえり。夏希ちゃんならやれると思ってましたえ」

 家に帰った夏希はみんなからあたたかい言葉をもらった。夏希が洋服に着替えて診察室に戻るとさっきまでのやわらかい空気が一変していた。

 みんながテレビの画面を食い入るように見つめている。昨日歩いた場所も映っているから京都の街だ。その街にゾンビのような死者が無数に徘徊している。

「それなんの映画ですか?」

「違う、ほんまもん」

 胴着の日那子がそう言った。夏希も画面に釘付けになった。

 寺の墓地や賀茂川の河川敷など至る所からまるで生えるみたいに死者が湧いている。服は古い物も新しい物も入り混じっていて皮膚はただれ腐敗している。画面から臭いを感じるほど醜悪だ。それが生きている人々を襲い建物を壊していく惨状は恐ろしい。勇敢なレポーターがマイクを片手に恐怖まじりの声で叫んだ。

「みなさん、この映像はほんとうに京都の街で起こっていることです。これは生放送です。死者が甦ったのです。わ、こっちへ来るなぁ。ゾンビめっ!  ひぃぃ!」

 中継のアナウンサーが死者の大群に呑み込まれ血が飛び散り、映像が途切れた。画面がザーザーと音を立ててテレビ局内へと画面が切り替わった。

「今の映像は作り物ではありません。状況がつかめ次第、ニュースをお知らせします。では先ほどの映像を再度お見せします。これは作られた映像ではありません。今、京都の街で起こっていることです」

 アナウンサーが鬼気迫る声を上げた。

「あなた……」

 綾乃の不安そうな顔に龍覇がうなずいた。

「どうやら始まったね。もうじきにここも戦場になるだろう。長期戦になるかもしれない。綾乃は何か食べられる物を。あと、そうだな、塩壺も頼む。日那子は雨戸、鍵、連絡通路まで全部閉めて、戦いに使えそうな物を集めてきてくれ」

「あの、あたしは」

「なら、夏希ちゃんは水那子を連れてきてくれるかな」

「わかりました」

 夏希はすぐに水那子を連れてきた。

「あたし、綾乃さんの手伝いしてきます」

 そう言って、また夏希はばたばたと部屋をでていった。

「お待たせしました~!」

 魔法瓶を持った夏希の後ろから綾乃がお盆におにぎりをいっぱい乗せてきた。

「ちょっとでも食べておきましょ。渚くんと静那にも持たせてあげたらよかったわ」

 がらがらと音を立てて日那子がスーツケースをひっぱってきた。

「診療室に籠城。お父さん、それでええんやろ?」

「動けないからそれしかない」

 スーツケースの中には家じゅうの日本刀と木刀が入っていた。それを日那子が診療机に並べた。急に部屋の電気がふっと消えた。

「うち、怖いっ」

 水那子が龍覇にしがみついてぶるぶる震えた。

「大丈夫だよ、水奈」

 龍覇がやさしく水那子の頭を撫でた。

「ちょっと待っとり」

 日那子が非常用のランプとロウソクを手に戻ってきた。

「ブレーカーは落ちてへん。きっと電線をやられたんやわ」

 日那子がマッチでロウソクに火をつける。部屋がほんのりと明るくなった。

「もう、大丈夫やろ、水奈」

「う、うん」

「さ、みんなもすこし落ち着いこう。母さんのおにぎりはうまいぞ」

「腹が減っては戦ができませんもんね」

 夏希がカラ元気をだした。みんなでおにぎりを頬張っていると、リリリンと机の上の携帯電話が鳴った。

「病院からの呼び出しかもしれんな」

 綾乃が携帯電話の表示を見た。

「あなた、慶雄みちおさん!」

 龍覇が急いで携帯電話を受け取った。

「もしもし」

 受話器を耳に当てた途端、慶雄の切迫した声が部屋に響いた。

「兄さん、姫香はどうしているんです?  まさか、テレビに映っていたのは姫香じゃないんでしょうね!」

「すまない、慶雄。姫香ちゃんは必ず助ける。信じて待っていてくれ」

「兄さん、頼みます。頼みますっ!」

 ブツリと電話が切れた。基地局までやられたらしい。沈黙したままの龍覇を日那子がそっとのぞきこんだ。

「お父さん、うちらはこれからどうしたらええ?」

 日那子の問いに龍覇がにがく笑った。

「京都は戦乱が多くあった地だ。市内にいてもあの死人の数……わたしたちは衣笠山きぬがさやまのそばにいる。その意味がわかるか?」

 綾乃と日那子が意味深に見つめ合い、夏希と水那子は「わからない」と答えた。

山州さんしゅう名跡志めいせきしに、平安時代、宇多うだ天皇が真夏に雪景色を思い立ち、山に白い絹をかけさせた、とあるんだ。この伝説から山の名を絹掛山きぬかけやまといい、そののちに、衣笠山と呼ぶようになったんだよ」

「夏に雪山とはまた豪華な」

 夏希があきれ声をだした。

「けれど本当のところはね、この山は上代むかしから風葬の場として遺骸をそのまま放置する、葬送の山らしくてね」

「放置って……置きっぱなしってことですか?」

「そ。放置した遺骨を隠すために衣を掛けたらしいんだ。絹掛山ってのはね、その衣が累々とたなびいた景色から起こった名らしいんだよ」

 水那子は青い顔で綾乃にしがみついている。

「そのうえ、衣笠山周辺には歴代天皇の火葬塚や御陵ごりょうが集中している。昔は衣笠山から船岡山一帯は、蓮台野れんだいのと呼ぶ葬送の地で、すこし昔までは原谷はらだにに至る道に、蓮華谷れんげだに火葬所があったんだ」

 みんなが目を丸くした。

「それって、ものすごい死者の数じゃないですか。光の寝床に引き寄せられて伊邪那美が来たら」

 日那子が夏希を見た。

「そやね、ここは死者の群れに囲まれるわ」

 龍覇がゆるりと寝台から足を下した。

「あなた!  動かんと寝ててください」

「心配ない、無理はしないから」

 寝台に腰を下ろし、龍覇がほうと息を吐いた。

「わたしはあまり動けないが、できる限りの力でこの診療室に結界を張る。しかし、もし死者が入ってきたらみんなにも戦ってもらわなきゃならない。覚悟しておいてくれよ」

「おとう……ちゃ……」

 水那子の体がへなへなと脱力して意識を無くした。綾乃が水那子を抱えて寝台に寝かせた。龍覇が水那子を愛おしそうに見つめ、次に夏希に目をやった。

「水那にはこれからのことは酷だからね」

「さて、夏希くんはどうする?」

「あたしは生きるためにあがきます」

「そうか、じゃ、夏希ちゃんも武器を選びなさい」

「はい」

 机の上の刀と木刀から夏希は刀を取った。

「おはっ、刀って重い」

 木刀に変えた夏希が一度振って苦笑いした。

「あは、これでも重い……けど、力の限りやっつけます」

 日那子が真剣をきりりと腰にさした。

「うちかて、まだ静那には負けへんつもりや。うちが死者を始末する。夏希ちゃんは母と水那を守ってや」

「はい、がんばります!」

「日那子、わたしにも刀を」

「お父さんは手術したあとが開いたら足手まといや。そうならんように、よろしく」

 そう言って、日那子が龍覇に刀を渡した。

「ははは、こりゃ一本取られたね」

 龍覇が壁にもたれ愉快そうに笑った。

「日那子、頼むえ」

 綾乃が心配そうに日那子の手を取った。

「うん。お任せあれ」

 綾乃がお盆の上にあった塩壺を見た。

「そや、あなた、お塩はどうしたらよろしいの?」

「部屋に撒いてくれ。塩には浄化や邪気払いの効果がある。すこしは役に立つ」

「あ、あたしも手伝います」

 夏希と綾乃が塩を撒き終わると、ばたんと診療室の外玄関の扉が開き、木刀を手にした少年が転がりこんできた。

「先生っ!」

 荒い息、その姿は泥だらけの汗みどろだ。その形相から必死にここまでやって来たことがわかる。

「セイさんから電話をもらってかけつけました」

 夏希が高階を指差した。

「あっ、あんた、あの時の!」

「庭では失礼しました。すみませんでしたっ!」

 高階が大きく一礼した。

「先生、お怪我は大丈夫ですか」

「きみの家も大変だろうに、すまないね」

「そんなことはいいです。先生、地面からゾンビが湧いとるんです。俺、全力をつくしてご家族をお守りしますよって、ご安心ください」

 日那子が嬉しそうにうなずいた。

「はは、生意気いっちゃって。くれぐれも無理せんとね」

「はい!」

 決意をした目で高階は机の上の日本刀を手慣れた手つきで腰に差した。

「ところで、ぼくは真剣の使い方をまだ教えてないんだけどな?」

 龍覇がじろりと視線を走らせた。高階が龍覇に深くおじぎをして叫んだ。

「すんません! 俺、はよう真剣を使えるようになりとうて、セイさんに愚痴ったんです。そしたらセイさんが稽古をつけてくれはって。体の鍛え方まで教えてくれはって。セイさんは悪うないんです。ぜんぶ、俺が悪うて。先生、ほんまにすんません!」

「ふふふ、そりゃまた静那もがんばったもんだ。刀の付け方で成長がわかる。静那は甘くないだろうに。それを吸収したきみもすごいよ。ぼくは怒ってないよ、本心から嬉しいんだ」

「先生……ありがとうございます!」 

 高階は再度、龍覇に深く頭をさげると、汗と涙をぬぐい高階が医療器具の入った棚を動かしだした。窓やドアの前に置いて堤防にする気らしい。夏希と綾乃も手伝う。

「高階くん、ひとくぎりついたらそこの水道で手を洗っておにぎりを食べなさい。静那と渚くんが動いてはいるが、長丁場になるかもしれない。無理してでもお腹に入れておきなさい」

「はい!」

 高階はお茶で流しこむようにして、おにぎりをガツガツと食べた。

 

 パリンと何かが遠くで割れた音がした。

「来たようだね、みんな頼むよ」

 龍覇は腰を下ろしたまま目を閉じ、意識を集中している。ガシャンとどこかの窓が割れた。

「きゃ……」

 夏希が悲鳴をあげた。溢れかえるほどの死者が窓にへばりついている。龍覇が苦しそうに息を吐いた。

「くぅ、すごい量だ」

 死者の重みに耐え切れず診療室の窓という窓が割れた。

「いやぁぁぁ!」

 夏希が寝台のそばで体を折り曲げ頭を抱えた。綾乃が気丈に塩壺を持ち、塩を窓に投げつけた。一瞬、死者がひるんだ。

「やるで、高階くんっ!」

 掛け声と共に日那子と高階が外にでて玄関ドアを背に刀を構えた。

「来いっ!」

 わらわらと診療室に近づく死者の群れを刀が切り裂いた。

 

 

「はぁはぁ……くそ、もう腕があがらん」

 死者は尽きることのなく、倒しても倒しても蘇ってくる。

「高階くん! 危ない、後ろっ!」

 日那子の叫び声と同時に、高階の背後に突風が吹いた。その風は死者を巻きこみ、爆音をあげて診療所の玄関ドアを吹き飛ばした。

「な、なにが……起きたんや?」

 高階が顔をぬぐい立ち上がった。日那子も土煙りの向こうへと目を凝らした。

「あの、その、えっと、大丈夫ですか?」

 土煙りの中に刀を手にしたアワシマがもじもじしながら立っている。日那子が不審げにアワシマを見た。

「アワシマ、今度は何を企んでるん」

「え、ぼく、あの……」

 夏希が診療所から顔をだして、よろこびの声をあげた。

「わー、姫香の仲間のアワシマ? ゲンブだったアワシマちゃん?」

「え、あ、はいっ。そうです」

「うわぁ、姫香からかわいいって聞いてたけど予想以上だよ。すごく、かわいいぃ!」

 先ほどまでの恐怖を忘れたように夏希が飛びでてきてアワシマの手を握り頭を撫でた。

「え、ぼく。そんな……ありがとうございます」

「ね、あたし、姫香の親友の夏希。で、こちらのみなさんは姫香の親戚さんとそのお弟子さん。あたし、アワシマちゃんが助けに来てくれてうれしいよ。ほんと助かったよ」

 アワシマが偽水那子になった状況を知らない夏希がうれしそうに言った。

「あの、ぼく、見張ってろって言われただけで……」

「あたし、姫香の親友だよ。こんな状況なら助けるっしょ、普通!」

「どうなんだろ、ぼく、いいのかなぁ」

  そう言いながらアワシマが後ろ手で剣をかるく振った。周囲の死者が根こそぎ吹っ飛んだ。一瞬目を丸くした日那子がアワシマに強い視線を向けた。

「水那子はショック受けたのに、あんた悪いことしたとは思わへんの?」

「思っています」

「なら、助けるんがスジちゃうん!」

「あ、はい。わかりました。ぼく、みなさんを助けます!」

 龍覇が奥の寝台からにこりと笑った。

「助太刀してくれるのはありがたいね。ついでにわたしの傷も治してくれないかな。少しでもキミの手伝いができると思うんだ」

「ぼく作り出すことも治すこともできないんです。できるのは壊すことだけ」

 アワシマが悲しげに微笑んだ。近づく死者がアワシマの剣の一振りでまた吹っ飛んだ。

 

 もうずいぶん長い時間、日那子はアワシマの横で刀を振り続けていた。

「はぁはぁ、切っても切っても甦るなんて……なんなのよ、こいつら!」

「ぼくにもなぜかわかんない!  わっ!」

 ワラワラとあふれでた死者に覆いかぶさられアワシマの姿が消えた。

「アワシマッ!」

 死者を持ち上げアワシマが放り投げた。

「ふぅ、この体じゃ長い時間は持たないよ」

 死者は壊しても壊しても再生し続けた。

たきもと裕
光の寝床 ヒルコの夢 -2-
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