BLACKJACK

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佛さま わが掌に乗りてい給へや ひとりとなるは あまりにさびしき

 

北小路功光 著「説庵歌抄」より

 

 

 

あの女が父と離婚し、家を出た当時、私は五歳だった。


 


しかし、その頃の彼女について私が記憶しているのは、着物を着替えている時の長襦袢姿だけである。


 


その後、彼女は困窮する実家によって、売られるように、ある資産家の家に嫁がされた。


ちなみに、彼女と父の離婚はその身売り婚のためではなく、単に夫婦仲の悪さ故であった。


 


はっきり言って、離婚原因は父にある。父は非常に情緒不安定な人で、常に夫として父として、一家の主として相応しくない言動をとっていた。


 


「妾の子のくせに」と踏みにじられ続けた父は、同じく妾の子であった自分の妻に、踏みにじられた自身を重ね合わせていたのかもしれない。「妾の子」と、彼女を詰り続けた。


 


同時に、同じ出生である妻に苦痛を分かち合って欲しくもあったのだろう。彼女に強く執着もしていた。


 


しかし、相手を不快がらせぬよう愛を乞うには、父の精神はあまりに未熟であった。父はまるで、幼児のまま体だけが大人になった人のようであった。


 


離婚後、彼は恐喝罪で逮捕されたが、子爵の肩書のためかとくに何の咎めを受ける事もなく釈放された。


 


そんな父の墓前に、私は今こうして佇んでいる。


 


一度も息子の私に父親らしい愛情で接した事の無い、この父だが


私はなぜか恨んでも、憎んでもいなかった。かと言って、愛おしんでもいない。


もちろん若い頃は、嫌った時期もあったが、今ではもうどうでも良くなっている。強がっているわけでなく、本当の意味でどうでも良かった。


 


ひょっとしたら、父・母・私の3人で最も哀れなのは、この父なのかもしれなかった。


誰にも愛されず、誰も愛さず、実の息子の中ですらどうでも良い存在となっている。


体だけ成長した幼児のまま、何も築かず、泣き叫び、我が儘を言う事でしか愛を乞う事を知らないまま、家柄に守られていたとはいえ、その死に様は犬死にと言っても良い惨めなものであった。


一体、この人は何のために産まれて来たのだろう?


 


そんな父のかつての妻であり、私の母でもある女の嫁いだ資産家の男は、女から親子程も歳上であった。


彼は裸一貫で財を築いた成り上がりで、この上は天皇の親戚筋にあたる女を妻にする事で、血筋、名家の何某かを手に入れたかったらしい。


しかし意外にも、この男は妻に愛情を持っていたらしく、歌人である妻の歌集を出版する費用や、歌人らを招いての会合等の接待を始め、彼女のための財や労苦を惜しまなかった。


 


しかし、使用人との関係、価値観の相違などのすれ違いは避けられなかった。そのあたりについて、私は全くの部外者であったため、詳しい事情は分からない。


ただ、関係者の話を聞いていると、どちらが悪いとも言えず、ただやむを得ず上手くいかなくなったという風な気がした。


 


やがて女に男ができた。何でも、年下の帝大生である。


女はその男と駆け落ちした上、新聞に離縁状を載せたので、世の中は大騒ぎになった。


 


すっかり面目を潰された、資産家の男は反論する文を対抗して載せたが、それ以上は何もせず、姦通罪で訴える事もせず、憤る一族の者にも、女に一切手出しせぬよう言いつけたので


 


私は酷く落胆した。


それは、私を顧みなかったあの女に、資産家の男が私に代わって復讐してくれるのでは、という女々しい期待をしていたからである。


 


同時に、その資産家の男が羨ましかった。


彼は、惜しみなく人を愛する事ができ、その愛を裏切られたとしても、傷つく事の無い自尊心を持っているのだから。


 


相手を憎むというのは、その相手に囚われている状態と言っても良い。


私はあの女に囚われなかった、資産家の男を羨んだ。私はこの歳になっても未だ、あの女に囚われ、振り回され、悩まされ続けている。


 


相手を愛するというのは、その相手から自由な状態にあるという事だ。


つまり私は、あの女を愛していない。しかし強く執着していた。おそらく、父以上に。


素直に認めてしまえば、あの女に、強く期待せずにいられなかった。


 

私は、あの女の死を望んでいるわけではなかった。


あの資産家の男によって、命を落とすのではなく、不幸のどん底に落ちてほしかったのだ。


そうする事で、あの女に捨てられて、私の感じていた苦痛以上の苦痛を、あの女に与えたかった。


そうなる事で、私の抱える苦痛をあの女に、分かち合ってほしかった。


 


しかし、あの女は駆け落ちした男と再再婚し、その男との間に子も産まれ、何の咎めも受ける事なく幸せな家庭を築いている。


 


その幸せまでの道のりに、私の知らぬ苦労があった事は察せられるが、今現在、私の存在しない世界で報いられ、幸福を得ている事が、私には腹立たしかった。


私という存在無しに、あの女が幸せを得、満足しているであろう事が許し難かったのだ。


 


東京大学に通うため、という口実で、私はあの女と再再婚相手とその間にできた子供の暮らす家に下宿するようになった。


 


一家は快く私を迎え入れた。あの女は私に悪びれる様子も無く、客人をもてなすように敬語で接した。


 


私がこの家に来る際、密に抱いていた望みは無残に打ち砕かれた。


 


私はあの女に、私を捨てた事を詫びてほしかった。私を捨てた事を後悔しており、私の事を忘れた事は一度たりとも無かったと、泣きながら私との再会を喜んでほしかった。私と離れている間も、私の事を心配していたと、言って欲しかった。


 


そして私は、あの女に自分を捨てた事を詰りたかった。恨み言を全てぶちまけたかった。


そんな、幼稚な不満や愚痴を、あの女に優しく受け入れて欲しかった。


 


つまり私は、あの女に甘えたかった。


 


父はそれを、誰彼構わずぶつけていたが、私はそれを一人、胸に押し込めている。


父と私は本質的には同じなのかもしれない。


 


しかしあの女は、私と距離を置き、他人行儀に接する。私は父と違い、他人に幼稚な言動をとれる程、幼稚ではなかった。


 


あの女は他人ではない。血の繋がった母親である。そして私もそうである事を、母親である事を望んでいた。


しかし相手の方は、あの女は、私と精神的な意味で、他人の関係である事を少しも苦痛に感じておらず、むしろそれを望んですらいるようで、それが私に、心が引き裂かれるような苦痛を感じさせる。


私に対する他人行儀に比べ、再再婚相手との間にできた子供たちへの、母親としての態度がより一層、私を僻ませた。


 


全ての望みを絶たれたような気がした私は、この家に住まう事を苦痛に感じるようになり、帝大を中退し、海外に留学する事にした。


その事を打ち明けた時も、あの女は非常に冷静で、厄介払いできたという風でもなかったが、心配だとか、寂しくなるという風でもなく、他人事のように、軽い励ましの言葉を述べただけだった。


 


家を出るだけでなく、海外へ行き、あの女からできる限り、遠くへ離れたかった。あの女を忘れたかった。あの女が私を忘れた以上に、私もあの女を忘れたかった。


 


なのに、気づけば再び日本に、あの女の住む場所の近くに戻って来ている。母恋しさからである、と認めざるを得ない。全ての望みを絶たれた気がしたのに、それでも期待せずにいられないのだ。


 


帰国した私は、結婚した。恋愛結婚ではなく、親戚や家の取決めによるものだったが、私も妻も不満は無かった。


妻と私的な話を交わした事は一度も無い。ただ籍を入れ、住まいを共にしているだけの関係。本当に、ただそれだけの関係であった。


 


それでも私達夫婦に不満は無かった。妻にとって重要だったのは、天皇の親戚筋の男と結婚したという事実、皇族、旧皇族らとの関係、体裁だけが全てであり、心の拠り所であった。


馬鹿にできない。私だって、同様だ。人は何かに心の拠り所を求めずに、生きられない。


 


「不満は無い」というのは実は嘘だ。真実満足し得る、心の拠り所が得られないので、偽物で満足しようと、目を逸らしている。


妻も哀しい人間なのかもしれなかったが、私には何もしてやれなかった。哀しい人間同士でできる事は、傷の舐め合いぐらいがせいぜいなのだ。


 


哀しい人間は、他人どころか自分にすら、何もしてやれない。自分を幸福にしてくれない人間に、人は近寄ろうとはしないだろう。だから私は、実質いつも一人ぼっちだ。


 


寂しくないなんて、ただの強がりだ。寂しいに決まっている。


もし、仏というものがこの世にあるのなら、なぜ寂しい人間に寄り添ってはくれないのだろう。


我々は皆、仏の手のひらに載せられ、仏はそんな我々を眺めているのだ。だから、仏は我々の存在を関知できるが、我々にはできない。


仏が情け深い存在ならば、そんな事はせず、むしろこの掌にでも居て欲しい。


こんな私でも、仏ならば、私の心に寄り添ってくれる気がした。


甘ったれても、許してくれる気がした。


 

私は長らく、歌詠みを避けていた。理由は言わずもがな、あの女が歌人だからである。


しかし心に溜まる、鬱屈を吐き出すためには、歌しか無かった。歌詠みしか、できる事が無かったのである。


 


私の歌は、あの女と違い、評価される事も、人を惹きつける事も無かった。


理由は詠んだ本人が一番よく分かっている。


 


作品は、製作者そのものを表すと聞く。人を不快にさせる、哀しい人間である私の作品が、人を魅了するはずがなかった。


詠んだ当人ですら、読み返して不快に思う程だ。


むしろ、私の作品を好きだと言う人が居たら、私は不快に感じた事だろう。


 


私は歌で、あの女への呪詛を吐き出し続けた。「淫売」と蔑み、失明すれば「盲ひ」と何度も罵倒した。


 


なぜ「淫売」と呼ぶのか。身売りするように、資産家の男の元に嫁いだからだろうか。それは彼女の意思によるものではなかったし、私はそれ自体を蔑んでも、恨んでもいない。


 


要は、「淫売」でも「あばずれ」でも何でも良く、女性に対する蔑語を、私を捨て、すっかり私の事なんて忘れて幸せになった、あの女に用いたかっただけである。


 


失明したあの女は、再再婚相手やその間にできた子供たちに労われ、それでも幸せそうであったので、私は腸が煮えくり返る思いであった。


「盲ひ」「盲ひ」と何度も歌に詠み、彼女に届くことの無い罵倒を続けた。


 


本当は、あの女に気付いてほしかった。しかし自分の歌集を持って、あの女に見せに行く勇気も無く、私が歌を詠んでいる事を知ったあの女が、気になり、私の歌集を手に取るような事を望むばかりで、つまり私は、やはり甘ったれていた。


 


彼女が私の歌を読んで、そして次に、私は何を求めているのか。


彼女への呪詛を彼女が読み、そして…やはりそれを優しく受け入れてくれる事を望んでいた。ああ、やはり私は甘ったれている。幼児のまま大人になった、あの父と本質的には同じなのだ。


私は、そんな自分にこそ、最もうんざりしていた。同時に、そんなうんざりする自身を優しく受け入れてくれる存在を求めていた。私自身ですら、受け入れる事のできない自身を、厄介者の私を喜んで受け入れてくれる存在を。


 


しかし、それを他人に要求するというのは、無理な話である。実母にすら、私の場合は期待できない事を、私は知っているので、諦めたふりをしている。いや、諦めようと苦心している。


真実、心から渇望する事を諦めるなど、不可能なのだ。だから相変わらず、あの女への望みを絶つ事ができず、あの女に囚われ続けているのだった。


 


しかし、とうとう、その望みが決定的に絶たれる時が来た。


 


あの女が死んだのだ。再再婚相手と、その間にできた子供たちに看取られて、安らかに息を引き取ったという。


 


再再婚相手は、「僕と結婚して以降の妻は、確かに幸せだった。」と語った。


 


つまり、それまでは幸せではなかった。私を産んだ時、私と暮らした時期は幸せではなかったという事だ。


 


再再婚相手が、そんなつもりで語ったのではない事を、私は知っていた。なぜそんな思考に行き着いたかと言うと、僻みっぽい、捻くれた根性の私自身が、そう思っているからである。


そして本当は、「そんな事は無いよ」と誰かに言って欲しいのだ。


 


「そんな事は無いよ」と、自分に言ってやりたくて、あの女の著作等を漁り読んだ。しかしあの女は、生前私について微塵も言及したり、作品に書いたりした事も無かった事が分かり、私は悔しさや悲しさ、絶望感でいっぱいになった。


あの女は、私について脳裏をよぎる事すら無かったらしい。私は今の今まで、そしておそらくこの先もずっと、彼女への憎悪に苦しめられているというのに。


 


だから私は、母を母と呼ばずに「あの女」と呼ぶようになったのだ。


彼女が私を子と思わなかったように、私の方だって母とも思わぬ。そんな幼稚な強がりからである。


 


あの女は、死後もまるでヒーローのように持ち上げられている。ある著名な小説家は、あの女をモデルに、あの女を称賛するような小説を書いた。


私が、罵倒してもし足りない程憎んでいる、あの女へのそんな世間の風潮を、私は腹立たしく感じていた。


 


しかし、私を苛み、苦しめているのは、考えてみればあの女というより、あの女への私の抱える憎悪である。


彼女が私を産んだ当時、まだ15歳であった。それだけでなく、あの夫である。無理やり結婚させられたと聞く。そしてきっと、強姦同然による妊娠だったであろう。


母親の自覚が持てずとも、やむを得ぬと、私は思えなかった。そんな彼女の境遇を思いやる、心の余裕は無く、ただただ父のように、自らのルサンチマンを主張する事しかできないのだ。


 


また、「私を捨てた」と言ってはいるが、長男である私を手放さずに、離縁できるはずが無かった。あの父との生活に耐え得るはずがない事を、かつて父を嫌い、家を出た私なら分かるはずだった。そう、頭では分かるが、納得できなかったのだ。


 


あの父との生活を、それでも私の為に喜んで耐えて欲しかった。そんな不遇な出生すらどうでも良いと言い、私を慈しんで欲しかった。


 


なんて甘ったれた、自分勝手な願望だろう。こんな勝手な願望は、生涯叶う筈がなかったが、困った事に、私の心から渇望してやまない願望であり、おそらく代替が利かないのだ。


 


そんな、幼児のまま大人になった状態で歳を重ね、私は今、死の床に居る。


私の生涯は、正に憎悪に囚われ続けたものであった。あの女、ではなく、憎悪という名の魔物のような存在である。


 


誰も愛する事のできない心は寂しいもので、スカスカの心に憎悪ばかりが溜まっていったのだ。


そしてもう間もなく、この世を去るという時になり、ようやくこの魔物は、私を解放しようとしていた。


しかし、今更もう手遅れである。だから、解放してくれるのかもしれなかった。


今は、ただただ、後悔や虚しさのみを感じている。

 

 

麺平良
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