天降り姫 ヒルコの夢 -1-

第3章 かすかな想い( 1 / 3 )

 

 すがすがしい早朝の日差しが蒼い海を照らし、白浜をわかつ大河が海へとうとうと流れている。

 海のほとりから10歳ぐらいの男の子が、ヒルコを肩に乗せて歩いてくる。明るいブルーのくせ毛。黒のワンピースは足元を隠すほど長く、身の丈より大きな剣を背負っている。肩から斜めにかけている小袋が歩くたびに腰でぷらぷらと揺れた。

「ぼく……ぼく……」

  近くにきた少年が砂地にがっくりと膝をついた。砂浜に突っ伏したまま少年は顔を上げない。

「どうしたの。泣かないで」

  少年の背中を撫でる。嗚咽をしながら、涙をいっぱいためたブルーの瞳が姫香を見上げた。

「ぼく……ヒック……ゲンブ」

「おい、ちゃんと謝れ!  姫香は死にかけたんだぞ。あれを見ろ!」

 少年の胸倉をビャッコがつかんで砂浜に体を向けた。その先には、ずたずたに引き裂かれた麻袋が落ちている。

「ビャッコ、小さな子に乱暴しないで。みんな無事だったんだもん」

「ぼくは、悪くないっ!」

 ビャッコの手を払ったと同時に、ビャッコの体が吹っ飛んだ。

「ぼくのせいじゃないっっっ!」

 癇癪かんしゃくを起こしたゲンブが地面を両手で叩くたびに砂が沈んでいく。体を起したビャッコが驚きの声をあげた。

「なんだ、こいつ。子供のくせにすげぇ力だぞ」

「うるさい、うるさい、うるさいっ!」

 駄々っ子のように泣き叫んで手がつけられない。

(ヤメロ、ゲンブ)

「だって!」

(ワカッタカラ、モウ、ヤメロ!)

「う……ヒック……うん」

 ヒルコの声にゲンブがおとなしくなった。

(ゲンブハ、体ノ一部ヲ、消サレテイタ。姫香ノ鼈甲べっこうデ、呪縛解除デキタ)

「べっこう?  わたし、べっこう飴なんか持ってなかったよ」

(馬鹿ヲ、言ウナ。鼈甲ハ、亀ノ甲羅こうらダ)

「え?  飴じゃないの?」

「なんだ、おまえ、鼈甲も知らねぇのかよ。褐色かっしょくっぽい黄色をして、茶色い斑点が入ってんだ」

 ビャッコがあきれたような顔をした。

「それって小箱のことかな。そういや、噛まれた時になにかが割れた音が」

 ポケットを探ったが、入れていた小箱がない。

「あの小箱が鼈甲かぁ。へぇ、そうだったんだぁ」

 感心している横でビャッコが頭を抱え、大きく息を吐いた。

「偶然で呪縛解除してんのかよ。おまえって運だけで生きているんだな」

「あっ、ごめんなさいっ。ゲンブもごめんね」

 ヒルコもビャッコも食べ物に弱い。だから、呪縛解除アイテムは食べ物だと思っていた。鼈甲のことを姫香が知っていれば、誰も傷を負うことはなかったのだ。

(ゲンブ、ヨカッタナ)

「うん!」

 二人はすっかり打ち解けている。

「ゲンブも夜刀を倒すための仲間になってくれるの?」

「仲間ってなぁに?」

 きょとんとした表情で聞かれ、姫香は言葉につまった。ビャッコがイライラして言った。

「おまえ、仲間も知らねぇのかよ。おれたちと一緒に旅をしたり、戦ったりしたいかってことだ。よっく考えろ。姫香、ちょっとこっちに来い!」

 波打ち際まで歩き、ビャッコが立ち止まった。

「おまえ、なに考えてんだよ。あんなガキ、仲間にしてどうすんだ」

「だって、ゲンブは強いよ」

「おまえらだけでも大変なんだ。おれはガキのお守りまでする気はねーぞ」

「そんな言い方しなくたって」

「そうだ。ゲンブは仲間だ!」

 ヒルコの声が姫香の足元から聞こえた。ビャッコが一歩、飛び退いた。

「わっ!  ヒルコが顔になったぞ!」

 鶏肉ボールが赤ん坊の顔になっている。

 今度は、目、鼻、口、耳ができたのだ。だが、髪の毛と眉毛がない。

「えっ?  俺の顔?」

 自分の変化に気がついてなかったらしくキョトキョトと目を動かしている。

 鏡をだして、砂地に立てる。

「ほら、かわいい赤ちゃんの顔だよ。大人になったらきっとクールな男になるよ」

「クールってなんだ。食べ物か?」

「違うよ。かっこいいってこと」

「俺がかっこいいのは、当たり前ではないか」

 ヒルコがうっとりと鏡に見入った。ゲンブが近づいてきて、ぺこりとお辞儀をした。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ぼく仲間になります。よろしくお願いします」

 ビャッコの様子をうかがう。

「ビャッコ、いい……よね?」

「仕方ねぇなぁ。姫香が面倒見ろよ。おれは子供だからって甘やかさねぇぞ。いいな」

「うん、ぼく、がんばる!」

 ビャッコが許してくれたことが嬉しかった。

「あ、そうだ。地図を見ようよ」

 砂浜に地図を広げる。平原と海、そして大河が彩色されている。中央の川が海へと繋がり、地図の絵では大河を渡らなければ、北岸村に来られないことになっている。

「いつのまに河を横断したんだろう。ここにきた時は海沿いに走ったよね」

 海へと流れこむ大河は、海岸を両断するぐらい大きい。

「沼のようなところを走ったじゃねぇか。あれが河だろ。お、絵が出るぞ」

 透明人間が筆で絵を描くように地図の北東に山の絵が現れた。東に滝の絵もつく。

 

 ビャッコがパンと手を打った。

「よし!  宝を探すぞっ!」

「あ、待って。宝はぼくが持ってるよ」

 ゲンブが腰の革の小袋から、長刀を引きずりだした。

「びっくり! なぜそんな小さな袋からそんなに長い刀が出るの?」

 ゲンブの顔や耳たぶが赤く染まった。

「一番初歩の呪術だよ。そんなに驚かれると恥ずかしいや。はい。この刀はお兄ちゃんに」

「おおっ、石斧よりかっこいいぜ、気に入った!」

 ビャッコが石斧を砂浜に投げ捨て、手馴れたように刀を腰につけた。すらりと引き抜いた白銀の刃が太陽を反射してギラリと光る。刃先を前方に向けて中段に構えたビャッコは、じっと前を見据え微動だにしない。その姿が美しいと姫香は素直に思った。

「いい刀だな」

 満足したのかビャッコがゆっくりと刀を鞘に収めた。

「刀を使ったことがあるの?」

 初めて刀を持つようには見えなかった。

「物心つく前からって感じかな」

「なにか思い出したの?」

「いや、そんな感じが……なぜだろう……」

 ビャッコは腰をおろし、黙りこんでしまった。

「これはお姉ちゃんに」

 白い靴とベレー帽だ。

「わぁ、かわいい。ありがとう!」

 上履きを脱いで靴を履いた。なめし革で作られた靴はあつらえたようにぴったりで履き心地がいい。ボンボンが付いた白い毛の帽子も寒い時に重宝しそうだ。

「これ、お姉ちゃんのでしょ。落ちていたよ」

 ゲンブが手にしているのは、5㎝幅の白い平たい輪だ。

「わたしのじゃないよ」

「これ、どうしよう」

「太めのブレスレットみたいね。ちょっと貸して」

 持ってみたが重さをほとんど感じない。左腕につけると吸いつくように姫香の腕にはまった。

「ふぅん」

 輪には長方形のくぼみがあり、それを10に区切るように9本の線が彫られている。バランスを考えて腕にはめたつもりだったがなにか物足りない。

「何かがこの長方形の所に入っていたんじゃないかなぁ」

  くぼみに姫香が指を触れると、長方形の部分が白く光りだした。それを下から上に走る赤、橙、黄、緑の光の棒線が映しだされた。

「何、これ!」

 慌ててブレスレットを腕からはずす。すううっと、光が消えた。

「どこかに電池でも入っているのかな?」

 そんな場所は見当たらない。もう一度腕につけるとまた光の線がくぼみを走った。

「きれいだなぁ」

 ゲンブが不思議そうにブレスレットをのぞいた。それに合わせ光の長さが変わる。

「なんだ。おれにも見せろ」

 ビャッコが身を乗りだした。また光の長さが変化する。どうも光の線はブレスレットの前にいる者と連動しているようだ。

「光の下にある模様にも意味がありそうだけど」

 ビャッコとゲンブに見せたが二人は知らないという風に首を振った。

「俺はそれを知ってる」

 ヒルコが自慢げに鏡から顔をあげた。

「え、ほんと? なら、教えてよ」

「質問するならチョコレートをくれ。1つじゃなくて1粒だぞ。間違えるな」

「はいはい、わかりました」

 しぶしぶチョコレートをヒルコの口に入れた。チョコを舐め終わったヒルコが満足そうに話しはじめた。

「それは、パラメータという物だ。光によって、ステータスゲージが出ている」

「ステータスゲージって?」

「状態表示だ。色の長さが、マックス、つまり最大数値を示している。赤色の光の下には、体力と書かれている。次の橙が攻撃。黄色が防御、緑が俊敏だ」

 長方形のくぼみを区切っている横線は、長方形を10に分けている。その上を色が縦に走っているから、1色のマックスは10ということだ。

「ねぇ、二人とも元気だよね」

「うん、ぼくは元気だよ」

「ああ、おれも元気だ」

(……みんなが元気だということは)

 健康な状態で所持する能力の最大数値が、各色となって表示されているのだ。

 みんなのゲージを砂に書く。

 

  姫香         体力値2、攻撃力2、防御力2、俊敏力2。

  ビャッコ   体力値8、攻撃力8、防御力8、俊敏力6。

  ゲンブ      体力値9、攻撃力9、防御力9、俊敏力2。

 

「俺はどうだ」

 ヒルコにパラメータを向けたがゲージは表示されない。

「案内役は、例外ってことかな」

「おもしろくない」

(……顔だけでどうやって戦う気なんだか)

「ぼく、よくわかんないや」

「うん、説明するね」

「ビャッコは全体的にバランスがいい。ゲンブは動きが遅いけど」

「ぼく、のろまだから」

 今にも泣きそうだ。

「動きのほかは、わたしたちよりうんと優れているんだよ」

「そうなの?」

 ゲンブの顔が明るくなった。姫香はほっと胸を撫でおろした。

「おれとおまえの力を合わせりゃゲンブより上じゃねぇか。それなのに、なぜあんなに苦戦したんだよ」

 今度はビャッコが不満そうだ。

「ゲージではそうなっているんだもん」

「本当にこれがおれたちのステータスなのか?」

 砂地に落ちている石斧が気にかかる。

「刀をはずして、石斧を持ってみて」

 体力値6、攻撃力6、防御力6、俊敏力8。

「やっぱり。俊敏力以外がダウンする。刀の威力がすごいんだよ。そうだ。今度はゲンブの剣を持ってみてよ」

 ビャッコも興味があるらしく、ゲンブから剣を受け取った。

 刀より数倍大きい両刃の剣だ。どんな風にレベルアップするのか、ワクワクした。

「ひゃぁ、ゲンブ。おまえこんなに重い剣を持っているのか」

 ビャッコが驚きの声をあげた。

 ビャッコの数値は、体力値3、攻撃力3、防御力3、俊敏力3。

「あー、ゲージがぜんぶ、レベルダウンしちゃった」

「なんだ。ダメじゃねぇか」

 剣を返すと、体力値5、攻撃力5、防御力5、俊敏力9になった。

 ビャッコは今、すべての武器を外している。これが武器を持たない時のビャッコの数値なのだ。

「刀を持つと俊敏力が落ちるよ。刀が重いせいかも」

「速さは強さでカバーしてみせるさ。な、ゲンブ!」

「うん、がんばる!」

 ゲンブが嬉しそうに剣を一振りして背中の鞘に戻した。

 姫香は砂浜に落ちている石斧を持った。ゲージはぴくりともしない。

 持つべき人間が武器を持たないと役に立たないということなのだろう。

「なんだ、おまえ。石斧も持てねぇのかよ」

「うん、そうみたい」

「おまえが使えないなら、これはいらねぇな」

 石斧を取りあげ石斧を海へ放り投げた。ぼちゃんと音をたてて石斧が海に沈む。

「なにすんのよ!  ほかに仲間ができたら使えるじゃないの!」

「おまえなぁ。おれたちより弱いのを仲間にしてどーすんだよ」

 先のことを何も考えていないビャッコに腹が立った。

「もういい。ちょっと一人にして」

「急に怒りだすなんて。変なヤツ」

 もう何を話してもケンカになるだけだった。離れていくビャッコに大きくため息をつき、深呼吸して姫香は砂に書いた数値に目を落とした。

 記憶しておけば戦いの時に困らないはずだ。パラメータの光が消えれば、0ゼロ

 その時が死ぬ時なのだ。

 

「よし、覚えた。ねぇ、このパラメータは誰が持つ?」

「おれはいらねぇ」

「ぼくもいらなーい」

「俺には細いから無理だ」

 ヒルコがすずしい顔で答えた。

(……顔につけてどーすんのよ)

「じゃ、わたしが着けるね」

 みんなが生死の境へ踏みこむ危険を回避できるかもしれない。

「お姉ちゃん、これも」

 ゲンブの手に5粒の真珠が乗っている。

「うわぁ、大きな真珠だね。それはゲンブが使えばいいよ」

「ぼく使い方わかんない」

 ヒルコがゲンブの腕に飛び乗った。

「ゲンブには使いこなせん。真珠は瑪瑙の20倍の金額だぞ」

「うわ、そんな大金、わたしだって使えないよ」

 ビャッコがゲンブの手から真珠を取って、姫香に握らせた。

「これはおまえが持っとけ。ただし、薬は買えよ。死にたくねぇからな」

「うん、買ったら渡すね」

「渡さなくっていい。逃げ足はお前が一番なんだろ。死にたくなきゃ逃げろ。わかったな」

 その言葉に喉の奥に熱い塊が引っかかった。

 ビャッコなりのやさしさ。いつでも見捨てて逃げだせばいいと言っている。

(でも、もう決して現実から逃げたりしないよ)

 命をかけることで小さな連帯感が生まれていた。

第3章 かすかな想い( 2 / 3 )

 

 宿屋に到着すると、村長と女房が駆け寄ってきた。

「村は救われただ。村長としてこんなにありがたいことはないだ。宿代はもうタダでええ。みんなで遠慮なく泊まってくれればええだ」

「よく帰って来ただな」

 村長の女房が姫香を強く抱きしめ、みんなを宿屋に招きいれた。

 ゲンブが魔大亀だったことも正直に話したが、信じてもらえなかった。

「祭りももうじき始まるで、わしゃ、祭りの用意に行く。あとは頼むべ」

 そう言って村長がでかけた。

「お祭りだって。ぼく行ってみたーい。ねぇ、行こうよ、行こ」

 女房が玄関の隣の部屋を指さした。

「その前に部屋を覚えてくだ。男たちはそこを使うだ」

「わたしは?」

「あんたは前に使ってた部屋だからわかるべ」

「前の部屋は遠くて覚えてないんですけど」

「ややこしかったかね。なら、もう一度案内するだ」

 女房の袖を取る。

「わたしもみんなの近くの部屋にしてください」

「それはできん。男は別館、女は本館と決まっているべさ」

「そんな」

「おい、姫香。ゲンブがうるさいから先に行くぞ」

「あ、うん」

「さ、行くべ」

 女房に背中を押された。部屋につくと祭りの笛と太鼓の音が聞こえてきた。

「そこの引き戸が表につながっているから、そこから出るといい。あの子らにはすぐ追いつくべさ」

 姫香の白い靴を女房が笑って差しだした。

 引き戸から外にでて壁沿いに歩くと、すぐに玄関脇に着いた。

「なぁんだ、ぐるぐる歩いたのが嘘みたいだよ」

 

 宿屋の前の道にはすでに露店がぎっしりと並んでいる。

「縁日もあるんだ」

 露店商たちが掛け声をはりあげ、その間を村人たちがうろついている。

 焼いた魚や肉を売っている店。まんじゅうや揚げた菓子など、姫香にも食べられそうな物がある。

「お腹がすかない。食べたくもない。これって、どういうことなんだろう?」

 食べ物の匂いを嗅ぐだけで吐き気がする。人ごみから離れようとして少女にぶつかった。

「あ、ごめんなさい」

「あ、ん?」

 姫香を見たおさげ髮の少女が奇声をあげた。

「あぁーっ、ねぇちゃん、村を助けてくれた人だべ。おら、生け贄にならずに済んだだ。助かっただ。感謝するだ!」

 途端に人だかりができた。

「人が多いね。この村、何人ぐらい住んでいるの?」

「田畑の方からも来たで多いだよ」

 明るく答える少女の後ろから、見知らぬ青年が不安そうな面持ちでつぶやいた。

「今度は東の滝に行くんか?」

 その言葉がみんなに影を落とした。おさげ髪の少女がひときわ大きな声をあげた。

「ねぇちゃんが、滝にいる銀蒼龍ぎんせいりゅうを倒してくれるだ!」

 少女の言葉にみんなが沸きかえり、阿波踊りのごとくみんなが踊りだした。飛び跳ねているおさげの少女を捕まえる。

「ギンセイリュウって?」

「魔物だべさ」

「どんな?」

「おら、知らねぇだ」

 少女は踊りに夢中でもう姫香の話を聞いてくれそうもない。

「銀青龍ってどんな魔物ですか?」

 数人に聞いたが、銀蒼龍という名前以外は誰も知らなかった。周囲はすでに狂乱状態に近く収拾がつかない。姫香はそっとその場を離れた。

 

 食べ物屋の臭いを避け、店を見てまわる。

 露店の薬屋には、回復薬のほかにも治療薬という薬があった。

「白いやつが治療薬だ。これは、少しばかりの傷を治す。水晶2個でいいだ」

 効果はともかく、値段が格段に安い。

「うーん、どうしようかなぁ」

 姫香が開けた財布を見て、薬屋が大声で笑った。

「そんなに真珠を持っていて、なにを迷う必要があるだ。治療薬はこまめに使えて、便利このうえないべ。それにおらの店にあるのは、回復薬が10個、治療薬も30個だけだ。ぜーんぶ買っても真珠2粒でお釣りがくるだよ」

 薬屋が真珠を2粒、姫香の財布から抜き取った。

「あ、待って。もうちょっと考えてからに」

「戦いに薬は必需品だべ。全部売ってやるだ。ほら、お釣りだべ。あんがとさん」

 有無を言わせず、姫香のカバンに薬袋を2つ放りこみ、手に瑪瑙を8個握らせた。

「さ、今日は店じまいだ。これでおらも楽しめるだ」

「あ、あの……」

 姫香が呆気にとられている間に薬屋は人ごみに消えた。

 

 古物商では古びた巻物を見つけた。

 読めると感じたが、姫香の読めない文字で書かれていた。

「それは呪術の秘伝書だ。呪術書は呪術師しか使えん。あんたにゃ無理だ」

「ゲンブっていう呪術師が仲間なんです」

「それなら安くするべか。大まけして真珠2粒だ。それ以上はまかんねぇぞ!」

 直感を信じて購入した。ほかにも口のうまい露店商に海老と魚を売りつけられた。瑪瑙1個で「おまけだ」と言って、山ほどの青菜と分厚い肉を4枚くれた。すでに手に持て余す量だ。

「重いし、もう限界。宿屋に一度戻ろう」

 宿屋の方向を確認しようと頭を巡らせた。少し先にすらりとした体つきの少年がいる。その後ろ姿に目が引き寄せられた。あれは姫香と同じ学校の学生服だ。

「わたし、あの人のこと知ってる」

 少年の顔を見ようと人ごみをかき分けて走る。

「待って、そこの人、待って!」

 曲がり角を曲がったところで誰かと強かにぶつかり、手に抱えていた荷物が派手に散らばった。

「うぐっ!」

 お腹に石がぶつかったような痛さにかがみこんだ。

「わー、ぼくごめんなさい!」

 聞いたことのある声。薄目を開けてその声の方を見た。

「え、う、ゲンブ?」

「ごめんなさい!」

「わたしもちゃんと前を見てなかった。ごめんね。大丈夫?」

「うん、ぼくは平気」

 すでに学生服の少年の姿はない。ゲンブに手を貸してもらい人通りから外れてしゃがんだ。腹の痛みがひいた。ゲンブが散らばった荷物をかき集めてきた。

「どう? お姉ちゃん?」

「うん、ありがと。もう平気」

「荷物、たくさんだねぇ」

「うん、買いすぎちゃった」

「カバンに入れちゃえば?  ぼく、袋の中を広くする術ならできるよ」

 ゲンブがカバンに呪文らしき言葉を唱えた。

「お姉ちゃん、荷物を入れてみて」

「う、うん」

 カバンの口を開けて荷物を置いた。大量の荷物がカバンの中に吸いこまれた。

「わぁ、ありがとう!」

 持ち上げたがカバンの重量さえ無い。

「ね、これ、どうやって出すの?」

「欲しい物を思えば……ほらっ」

 空中に魚が浮かんだ。

「それならわたしにもできる」

 肉を思い描く。だが、何も起こらない。術を使う時のかるい衝撃もなかった。

「お姉ちゃん、手を入れても出せるよ」

 たしかに呪術書をつかめたが、物を選ぶことができない。

「うーん、練習してみる。この呪術書、ゲンブなら読めるでしょ?」

 開いた巻物を見て、ゲンブが悲しそうに首を振った。

「ぼくには難しくて読めないよ」

「そうかぁ、残念」

 呪術書を巻き戻す。ふと見るとゲンブが目に涙を溜めていた。

「ぼくって何をやってもダメだね」

「なぜ、そんなことを言うの?」

「ヒルコさんが、ノロマで学習能力がないって」

「そんなことないよ。ゲンブはまだ小さいんだもん。大きくなったらなんでもできるようになるよ」

 顔色をうかがうようにゲンブが顔をあげた。

「ほんとう?」

「うん、ほんとうだよ」

「ぼく、お姉ちゃんがお母さんだといいなぁ」

 ゲンブがはにかんでうつむいた。

「お母さんはどこにいるの?」

 姫香でも母を思うのだ。幼いゲンブなら尚更だろう。

「ぼく、捨て子なんだ」

 一人で苦労してきたに違いなかった。

「お母さんにはなれないけど、困ったことがあったらお姉ちゃんになんでも言ってね」

 姫香がゲンブの頭を撫でると、ゲンブが嬉しそうに笑った。

「ビャッコとヒルコどこに行ったんだろうね」

「ヒルコさんは袋にいるよ」

 空中に浮いたヒルコをゲンブが手のひらに乗せた。ゲンブの手の中でヒルコが体をもぞもぞさせた。

「う……んんんん……つい……眠ってしまった」

「ねぇ、ヒルコさんなら呪術書、読めるよね」

 ゲンブがそう言うから姫香は呪術書を開いた。ヒルコが目をしばしばさせた。

「読めぬように、あちこち細工されているな……」

「ヒルコさんでも無理なの?」

 ゲンブの言葉に文句を言うこと無く、ヒルコが読みだした。

われ……、言霊ことだまはっす。山のめぐ此処ここつどえ、と書かれている」

「やっぱ、ヒルコさんってかしこぉぉい!」

「ヒルコ、もう一回読んで」

「我、言霊を発す。山の恵み此処に集え、だ」

「我、言霊を発す。山の恵み此処に集え、か。ふぅん」

「何かを育てる呪文だな」

「ね、ね、ヒルコさん、次は?  次も読んでよ」

 ゲンブは乗せ上手だ。ヒルコの視線に合わせて姫香は最後まで呪術書をゆっくりと開いた。最後の頁になったところでヒルコがうっとうしそうに目を閉じた。

「はじめの以外はすべて未完の呪文だ」

「うわぁ、そこまでわかるなんて、さすがヒルコさんだよ!」

 はしゃぐゲンブの横で、残念な気持ちで姫香は呪術書を巻き取った。

(大金を使って無駄な買い物をしちゃったな。でも、一番の発見はゲンブかも……)

 素直に答えるヒルコも以外だったが、ゲンブはヒルコに物を一つも渡さずに答えを聞きだしたのだ。

(そして、ヒルコのくれた答えにゲンブは素直に感動している……)

 その純粋さがまぶしかった。

「ね、ヒルコ、お菓子、売っているよ。なにか買おうか?」

「チョコレートしか、いらない」

「チョコは売ってないんだよ」

「ならいい。おれは……もう少し……寝……る……」

 そう言ってヒルコはまた眠ってしまった。

「静かだとかわいいよね」

 ゲンブと一緒に笑った。

「ゲンブは? お腹減ったでしょ?」

「ううん、大丈夫」

「でも……」

 はっと、誰かの視線を感じた。その視線の先を追うと、少し先の露店にいるビャッコと目が合った。

(なんだろう……この感じ……前にも……)

 デジャブを見るような妙な感じだった。

「買いもんすんだのか?」

 しかめっ面のビャッコが近づいてきた。

「うん、終わった。二人とも食べたい物を言ってよ、買うから」

「おれはいらねぇ」

「ぼくも食べたくなぁい」

「二人とも何か食べた方がいいよ」

「いらねぇって言ってんだろ。もう宿屋に帰るぞ」

 ビャッコの機嫌はすこぶる悪かった。

 みんなで露店を抜けて宿屋まで来ると、ゲンブが玄関に駆けていき引き戸に手をかけた。

「ただいまぁ!」

 引き戸を開けた途端、大音響をあげて玄関が崩壊した。もうもうと砂塵が舞いあがる。

「はぁぁ、またか」

 ビャッコがあきれはてたように息を吐いた。

「またって?」

「おれと一緒のあいだは、ずーっとこの調子で物を壊していたんだ。で、泣く」

「あああーん!  ぼく、また壊しちゃったぁぁぁ!」

 すさまじいほどの大泣きにビャッコがうんざり顔になった。

「ほらな。おれはこいつを部屋に連れていく。姫香は村長に謝っとけ。いいな」

「ええっ、わたしがぁ?」

「当然だろ。ほら、歩け、ゲンブ!」

 ビャッコが泣きじゃくるゲンブの背中を押しながら、瓦礫を乗り越えて宿屋に入った。

 

「どうしただ、これは!」

 村長の声が後ろからあがった。村長は外から戻ってきてこの惨状にでくわしたのだ。

「あ、あの、あの……」

 姫香がおたおたしている間に村長は瓦礫をまたいで中に入ってしまった。姫香も瓦礫を乗り越える。廊下におりて靴を小脇に抱え村長を追う。廊下を何度か曲がり村長にやっと追いついた。

「待って、待ってください!」

「ん、なんだね?」

 村長が振り返った。

「あのっ、すみません。玄関があんなことになっちゃって、本当にごめんなさい!」

 頭をさげた姫香の肩に、村長がやさしく手を置いた。

「壊れたもんは直るだ。あとで飯を出すでな、部屋で待っていたらええ」

「本当にすみませんでした」

「ああ、気にせんでええだよ」

 笑顔で村長にそう言われ、姫香は村長とそこで別れた。

 

「あ、れ?」

 部屋に向かって歩いているつもりが、自分の部屋はおろか玄関にすら辿り着かない。

「うそっ、これって迷子になったってこと?」

 迷子の時は動きまわらずその場にいること。そう祖母に教えられた。

 薄暗い廊下の隅に座る。一人になるといろいろな考えがよぎった。

「なぜ食べたくないんだろう。喉も乾かないし、トイレだって行ってない」

 銀青龍という名前も、ずっと喉に刺さった魚の骨のように引っかかっていた。

「どこかで聞いた名前なんだよね。……名前……名前……ギンセイリュウ、ヒルコ、ビャッコ、ゲンブ……ギンセイリュウ……ビャッコ、ゲンブ……」

 無意識に名前を連呼しているうちに点が線になった。

「あ!  風水ふうすい!」

 ヒルコを別にすれば、ビャッコとゲンブは風水のテレビ番組で聞いた名前だ。

「たしか……たしかこう言っていた。風水は古代中国で誕生した……」

 必死になってテレビ番組の記憶をたぐる。

 

 風水は気の流れを読み、活用する思想です。天の東西南北の方角を司る神獣のことを四神しじんといい、その四神に守られた土地がもっとも理想的な土地とされています。

 

「四神と方角の関係は……東が青竜せいりゅう、西が白虎びゃっこ、南が朱雀、すざく。北が玄武げんぶ

 仲間の名前と方角が一致している。とすれば、青竜と朱雀も仲間にできるのだ。推論ではあったが、何も見えてこなかった今までと違いひとつの希望を感じた。

 

「こんなところで何をしてるだ」

「ひっ!」

 突然の声に、姫香は心臓が飛び出るかと思った。

 蝋燭を手にした村長の女房が姫香を見下ろしている。

「さ、行くべ。みんな、待っているだよ」

 やさしく女房が笑った。 

第3章 かすかな想い( 3 / 3 )

  

 夕方近い浜辺に石でかまどが作られ、赤々と燃える炭の上に網が乗っている。

「焼肉ですよね。タレはどこですか?」

 調味料を探す姫香を見て、村長の女房が笑った。

「なんもつけんでもうまいだよ。さぁ、焼いてやるで、どんどん食べるだ!」

 手際よく肉を焼く女房に負けず劣らず、ビャッコもゲンブも勢いよく食べた。

「これうめぇ。生っぽい方がうまいぜ。姫香も食ってみろよ」

「お姉ちゃん、ほんとぉにおいしいよ」

 木の箸と皿を受け取ったが、手をだす気になれなかった。

「そんなものより、チョコレートの方が数倍うまいのだぞ!」

 睡眠をたっぷりとったせいか、ヒルコはすこぶる元気だ。

「ヒルコはチョコ、食べる?」

「おお、くれ!」

 ヒルコは嬉しそうに小さなチョコレートを食べた。

「そうだ。わたし気がついたことがあるんだ。風水の四神のことなんだけど」

 話をはじめるとヒルコの機嫌が悪くなった。

「銀青龍は味方にはならん」

「え、そうなの?」

「呪縛解除できねぇなら、殺すしかねぇな」

 そう言って、ビャッコが肉をぱくりと食べた。

「ギンセイ……なにそれ、ぼくわかんない」

 話に入れないゲンブの目に涙が浮かんでいる。

「ごめん、ごめん。せっかくの時間だもんね。もっと楽しい話をしよう。ゲンブは今日、何か楽しいことあった?」

「うん、あのね、祭りの踊りがすっごくおもしろかったんだよ」

 ゲンブがはしゃいで踊ってみせた。みんなが笑顔で火を囲み、キャンプのようだ。ふと、妙に静かなヒルコが気になった。置きっぱなしにしていたチョコレートの箱にヒルコが乗っている。

「ヒルコ?」

 持ち上げると、たらり、と、ヒルコから鼻血がたれた。

「もう、なにやってんのよ!」

 ヒルコを膝に乗せ、ティッシュで鼻血を拭く。先ほど口に入れた分と合わせて2粒は食べている。

「ヒルコ、この分は貸しだからね」

「う……うむ」

「それとね。チョコは精が強いからたくさん食べるなって、わたしも子供の頃におばあちゃんに言われたよ。ヒルコはまだ小さいんだから、調子に乗っちゃダメ。わかった?」

「うむ……以後、気をつける……」

 心配そうにゲンブがヒルコに声をかけた。

「ヒルコさん、大丈夫?」

「う、うむ……うう……」

 ぐったりしたヒルコを見て、ビャッコがせせら笑った。

「肉なら鼻血なんか出ねぇのによ。ほら、姫香も食えよ」

 目の前に突きだされた肉に姫香はかるい吐き気をもよおした。

「わたしはいい。二人でぜーんぶ食べていいよ」

「お、そうか?  悪いなー」

 ビャッコとゲンブは争うように山盛りの肉を食べた。

「どうしたの?」

 肉がなくなると、今度はゲンブが急に静かになった。目がとろんとしている。

「眠いんじゃない?」

「う……ん。ヒルコさんと宿屋に帰ってもいい?」

「ヒルコが一緒でいいの?」

「一緒にいると安心なんだ」

「ふぅん、そうなの」

 本人が言うからには本当なのだろう。ゲンブはヒルコを抱え、ふらふらと宿屋へ帰っていった。ビャッコの姿もいつの間にかなくなっている。片付けている女房を手伝おうとした。

「お客さんは片付けんでええ。終わったんなら、どっか行くだ。ほらほら」

 その場から追い立てられた。

 

 すぐに部屋に戻る気にもなれず夕映えの浜辺をぷらぷらと歩いた。

 縁日で見た学生服の少年はいったい誰だったのだろう。たしかに知っている人だった。

「オノゴロに来て、もう3日」

 姫香が消えて、母や父、友達はどんなに心配しているだろう。

「帰りたい。早く帰りたいよ」

 不安と寂しさに冷えた体を抱きしめた。

 浜辺にビャッコが座っているのが見える。

(……こんな気持ちの時に一人でいたくない)

 そう思うと自然とビャッコに近づいていた。

「姫香か」

 ビャッコは振り返りもしない。

「うん」

 スカートの裾を気にしながら隣に座る。ビャッコの横顔がさびしげに見えた。

「なにか思い出したの?」

「いや、なにも」

 同じようにビャッコも不安を抱えている。そう思うと身近な存在に思えた。

「ビャッコって、本当にこの世界の人なの?」

 一瞬、きょとんとした顔をして、はじけたようにビャッコが笑った。

「ハハハッ。おまえってほんとに変なヤツだな。じゃぁ、おれはどこの人間なんだよ」

 ビャッコが同じ世界の人ならと、無意識に思っていたのかもしれない。

「おれはオノゴロの人間だよ。それは、はっきりわかる」

 姫香の顔を見て、ビャッコが意地悪な笑みを浮かべた。

「なに真っ赤になってんだよ」

「な、なんでもない」

「おまえ、ウサギみたいに肌が白いんだな。だから、真っ赤に……なるんだ」

「う、うるさいなぁ」

「って、あ、そうか。おまえ、おれに惚れたんだな」

「はぁぁ?」

「悪ぃな。おまえは違う世界の人間だからな。おれがおまえに惚れることは決してねぇ」

「やめてよ。そんなこと考えたこともないよ。バッカじゃないの」

「なんだとぉ」

「あ、待った!  ケンカはよそうよ。せっかく今日は楽しかったんだもん」

「ま、そりゃそうだな」

 笑顔だったビャッコの顔が急に殺気をはらみ、真っ黒な海を凝視した。

「なに、どうしたの?」

 姫香もその方向に目をやる。仄かな光を放ち、夜刀が海の上をすべるように渡ってくる。

「姫香、離れていろ!」

 ビャッコが刀を抜いて駆けだした。

「待って!  わたしたち変身してない。変だよ!」

「ククク、れはな。の力がの地を席捲せっけんしておるからよ」

 夜刀の声が砂浜に響いた。さっきまで海の上にいた夜刀がもう浜辺にいる。夜刀にせまったビャッコが刀を構え、防御の姿勢をとった。ビャッコの体に幾筋もの切創がつき、風もないのに血が後ろに流れた。前に進めないほどの力でビャッコが圧されているのだ。

「吾が飼い猫で在った時を忘れたか」

「嘗めんじゃねぇ!」

あくたは芥らしくしておれ」

 血まみれのビャッコが砂浜にどっと倒れた。

 ほら穴で道具屋が血の海に沈んでいた光景が、脳裏をよぎった。

「やめて、やめてっ!」

 駆けてビャッコの体に覆いかぶさった。即座にパラメータを見る。

「体力値、1……」

「此の地に不似合いな着物、そして、風変わりな物」

 夜刀が足でカバンを押さえた。

(……ポケットにも薬はある……だけど)

 薬を思いとどまった。意識をなくしてもビャッコは刀を放さない。回復すれば、死ぬとわかっていても戦うに違いなかった。

「お願い、ビャッコを殺さないで、お願いっ!」

 すでに力の差は歴然としていた。

「ククク……吾に願うか」

「お願いします!」

 意を決して姫香は夜刀を見上げた。その目には怨念が暗黒となって凝り固まっている。体の芯から恐怖が噴出した。

「ひぃぃ……」

 姫香はビャッコにすがった。ただただ、恐ろしかった。

は此の芥を助けたいと見える。ならば、答えよ。名は?」

「……」

 がくがくと体が震え、恐怖で声がでない。

「此れが死んでも良いのか」

「わ……たし……の名……は……天降り……姫」

 渾身の力を振り絞って声をだした。

「フフン、たわむれの名だろう。本当の名は何だ」

「ひ……氷室……姫香……」

「ふぅむ、ナミでは無いのか。では」

 夜刀がふところから一枚の紙をだした。竹林でビャッコが捨てた肉の包み紙だ。

の地はどうだ」

 白い紙面にぼんやりと祖母の部屋が映っている。

「それ、わたしのうちよ。そこに帰して!」

 姫香の反応を見て、夜刀がひそかに笑った。

「汝はナミである自覚すら無いのかえ」

 紙が青白く燃えて消えた。

「天降り姫、半身ではさぞ辛かろう」

 夜刀がゆるりと手をあげた。

「汝が望み、吾が叶えよう。いざ、吾が元に」

(望みが……叶う?  夜刀と行けば帰れる……の?)

 祖母の部屋を間近に見たことで、姫香の心は激しく動揺していた。

「天降り姫、答えは如何いかに?」

 ビャッコの顔は青白い。全身から血が流れているのだ。一刻の猶予もなかった。

「ビャッコを……助けてくれるなら……わたし……」

「ダメだ、お姉ちゃん!」

 黒い影が姫香の前に滑りこんだ。

「遅くなってごめん!」

 ゲンブが剣を構えた。そして、ヒルコが姫香の肩に乗った。

「夜刀から離れろ!  お前の恐怖が夜刀の力を増幅する!」

 姫香はじりじりと後ろにさがった。夜刀が白髪をかきあげ冷たく笑った。

「フフフ、邪魔が入った。今宵は引くとしようか。なれど、汝は、いずれ吾がモノ……」

 夜刀がふいっと消えた。ゲンブがほっとしたように剣をおろした。

 姫香も全身の力が抜け、砂浜にくず折れた。ヒルコが姫香から飛び降りた。

「姫香、ビャッコに薬を飲ませてやれ」

 震える手でビャッコに飲ませる。すぐにビャッコの意識が戻った。

「う……あいつは……夜刀は?」

「あれは消えた」

「ち、畜生っ!」

 ギリッと歯噛みをして砂浜に拳を打ちこみ、ビャッコは宿屋に向かって駆けていった。

 姫香をヒルコが鋭く睨んだ。

「あれは悪だ。夜刀がお前の力を得れば全てが滅ぶのだぞ。いいか、惑ってはならん!」

「う、うん……」

 静かに打ち寄せる波を背に、暗澹あんたんたる思いで姫香は歩いた。

 夜空には半月に満たない橙色だいだいいろの月が昇っていた。 

第4章 春のおとずれ( 1 / 4 )

 

 昨夜の喧騒が嘘のように静かに朝を迎えた。

 玄関に全員が集まっていた。

「おはよう!」

 新しい引き戸がつけられ、玄関の外で待っていたゲンブが笑顔を向けた。

「ぼく、今日は壊さなかったんだよ」

「遅いぞ、姫香」

 ヒルコがゲンブの肩から声をかけてきた。

「ビャッコ、おはよう!」

 ビャッコが一瞥をくれ、さっさと歩きだした。昨夜の気まずさがまだ尾をひいていた。

「みんな、気をつけてなぁ」

 村長と女房に見送られ、宿屋を出発した。歩きながら姫香はゲンブの肩に手を伸ばした。

「ヒルコのこと持つよ」

 その手を逃れるようにヒルコがゲンブの袋にダイビングした。

「姫香は危険すぎる。俺は、ゲンブがいい」

「そんなこと言うなら、二度と持たないからね」

「おお、それは有り難い」

「お姉ちゃん、怒らないでよ」

「怒ってなんか、ないっ!」

 姫香はビャッコの後を追った。

 海を背に畑にそって小道をいく。畑から村人が姫香に手を振っている。立ち止まり、姫香も手を振り返した。追いついてきたゲンブも懸命に手を振っている。いつの間にか、先ほどまでの苛立ちは消えていた。小道をゲンブと並んで歩きながら、姫香はふと気になったことを口にした。

「ねぇ、ゲンブ。この世界って花がないよね」

「ハナ?」

  ゲンブがしきりに鼻をさわっている。

「違う、違う。鼻じゃなくって、道に咲く花。この世界に花はないの?」

 草や木はあるのに花を一つも見ていない。

「花?  はな?  鼻?  それ、なぁに?」

  姫香は立ち止まり道端の植物を触った。

「ほら、芽ぶいて葉がつくでしょう。花が咲いて実ができるような植物はここにはないの?」

「目……歯……鼻……み?  耳?」

 体の部位を指で押さえていたゲンブが、目を輝かせて嬉しそうな声をあげた。

「わかった!  目、歯、鼻、耳がある植物って、人間のことだよね!  ね、ね、当たりでしょ?」

「人間と植物は違うよ」

「じゃぁ、答えはなぁに?」

 クイズだと思いこんでいるゲンブにどう説明していいかわからなくなった。

「植物も人も生きている。だから、同じだ」

 ヒルコが袋の中から言った。ゲンブがぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。

「じゃぁ、ぼくの答えで正解なんだね!  ね! ね!」

「あ、うん。ま、正解にしちゃおうか」

「わーい!  やったぁ!」

 花のことをこれ以上、説明する気には到底なれなかった。

 

 人の姿がなくなり、左に折れる小道が見えた。ヒルコが袋からビャッコに叫んだ。

「その小道から山へ入れ!」

 突如、姫香の視界が低くなった。みんな、兎、虎、大亀へと変身している。パラメータは兎の前足につき、兎になってもゲージが見える。

 前方の田んぼ道から魔物が一頭やってくる。首から下はりっぱな毛並みの黒い馬だが、その首の上に白黒まだらの牛の頭が乗っている。

「顔だけ牛だって。ぜったい変。バランス悪すぎ、アハハハ」

 あまりにも奇妙きてれつな魔物に姫香は笑いがとまらなくなった。

「こらっ、姫香、不謹慎だぞ!」

 ヒルコの顔が大亀の甲羅の上部にはまっている。それがまた笑いを増幅した。

「ヒッ、ヒルコ。ハハハッ、か、か、顔が出ているよ!」

 笑いすぎてお腹が痛い。

「当たり前だ。顔ができた。こらっ、笑ってないで戦え!」

 顔が形成したことで戦闘中もヒルコが見えるようになったらしい。

 姫香はお腹を押さえ魔物に目をやった。

「ハ、ハハッ……あれっ、牛はどこに行ったの?」

 前方にいた魔物がいない。

「きゃ!」

 姫香の横を突風が走った。何かがぶつかった音と振動に振り返る。

 亀の横腹に魔物が牛の角をたてている。

「笑っている場合じゃない。よーし!  キックだ!」

 魔物に向かってジャンプした。と同時に魔物の姿が消えた。

「まずい!」

 姫香は亀の甲羅を蹴って、バック転で地上に着地した。

「ゲンブ、蹴ってごめんっ!」

「ぼくは平気だよ!」

「こいつ、見た目より手強いぞ!」

 虎が興奮した声をあげた。虎を越したずっと先の道で魔物が前足で土をかき、鼻を鳴らしている。

「いつのまにあんな遠くへ?  2頭いるの?」

 腕を伸ばして魔物にパラメータを向ける。体力値5、攻撃力5、防御力5、俊敏力10

「じゅ、10?」

 俊敏力が異常に高い。

「俊敏力はビャッコが6、わたしが、あれっ?」

 記憶では数値はオール2だった。

 それが、体力値3、攻撃力4、防御力2、俊敏力9、と表示されている。

「どうやって、レベルアップしたの。きゃっ!」

 前方の魔物が消え、突風がまた横を走った。地響きと共に大亀が揺らぐ。魔物はゲンブを引っくり返す気なのだ。再度の風に姫香は目を凝らした。

「あっ!」

 今度は風の先に魔物の姿がはっきりと見える。目だけはスピードに追いついたのだ。

「ゲンブ、薬だよ。飲んで!」

 投げた治療薬を亀が吸いこんだ。体力値のゲージが6から8になった。

「ビャッコは刀を捨てて」

「なんでだよ」

「素手になれば俊敏力が9でしょ。それなら敵が見えるよ」

「どうやって捨てるんだ」

「刀って言えば、刀が空中に出るよ」

「刀、刀、刀っ!  おいっ、出ねぇぞ!」

「ええっ?」

 ゲンブが亀の頭をもたげた。

「いくらお兄ちゃんがすごくても、急に術なんてできっこないよ」

「うそ……」

 そんな難しいことをしているとは微塵も思っていなかった。

「もういい。姫香はゲンブの後ろに行け!」

「やだっ!  一緒に戦う!」

「勝手にしろ!」

 的外れに前足を振りまわす虎は牛の角に何度も宙に舞った。

「ぐぅぅ!」

 魔物が虎のわき腹を蹄で蹴りあげた。虎のゲージがぐんと低下する。

「体力値、1!」

 起き上がろうともがいている虎に駆け寄り、回復薬を口に入れた。

「く、くそぉ」

 虎がよろよろと立った。

「覚えて。白い治療薬が2。赤い回復薬が全回復させるの。きゃっ、なにすんの!」

 虎の前足が兎の体をさらい背中に乗せた。

「おれたちも合体するぞ!」

「ええっ、合体?」

 虎の背に乗ったというだけで身体的な変化はない。パラメータに目をやる。

「ゲージにも変化はないよ」

「できると思ったんだが」

 牛と馬が合体した姿を見て、ビャッコがそんな気になったのもわからなくはない。

「気分だけだよ。あ、左によけて!」

 魔物は二本の牛角で突き刺す気だ。

「次、右へ!」

 姫香の言葉に合わせ、虎は上手に攻撃をかわした。

「そうか。おまえがナビゲートすればいいんだ!」

 ビャッコは嬉しそうだが、兎の手でつかまっているのだ。虎の背中から落ちるのは時間の問題だった。

「今度は攻撃にまわるぞ!」

 ビャッコの攻撃がヒットすれば敵を倒せる、だが、俊敏力の差がありすぎる。

(動きを止めなくては。そうだ。動く歩道だ!)

 普通の道を走るより、動く歩道に乗って走る方が早く着く。それと同じ要領で、走る虎の上から飛んで加速する。そして、接合の弱そうな首をキックだ。たとえそれが決定打にならなくても動きをとめることはできる。

(動きをとめさえすれば、あとはビャッコがなんとかしてくれる。ええい、それでいく!)

「来たよ、道の中央へ!」

 ビャッコには見えていないが、魔物と正面衝突するコースだ。

(今だ!)

 虎の背中を蹴って飛びだした途端、ベタッと何かに張りつき呼吸がつまった。

「ああっ!」

 姫香はなんと牛の顔の中央に乗っているのだ。

 魔物がブルブルと頭を振り、一瞬、立ち止まった。血しぶきが吹きあがる。牛とも馬とも呼べない悲痛な声をあげ、魔物の体が大きく横に傾いだ。魔物から落ちる瞬間に見たのは、魔物の横腹が十字に引き裂かれた1コマだった。

「ぎゃっ!」

 どんと地面に兎の体が落ち、そのままゴロゴロと地面を転がった。

「う、うう」

 胸に激痛が走る。人間の手につくパラメータの体力値は1に近い。

「……まずい。ち、治療薬」

 白い霧の中を抜けて駆けてくるビャッコを見て、姫香は気を失った。

たきもと裕
天降り姫 ヒルコの夢 -1-
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