天降り姫 ヒルコの夢 -1-

第2章 竹林の少年( 1 / 3 )

 

(イツマデ、寝テル!  西ニ、行ケ!)

 ヒルコの声が姫香の頭の中をかきまわす。

「わかったから、何度も言わないで」

 あくびをして毛皮から立ち上がった。

「あれ?」

 手足に無数にあった傷が跡形もない。

「ヒルコ、変だよ。傷が治ってる」

 靴袋に向かって声をかけた。

(質問、スル、ナラ、チョコレートヲ、クレ)

「あ、いい。チョコがいるなら質問はしない」

 この世界は常識が通用しない。傷が治るのも普通のことなのだ。

「用意するから、もうちょっと待ってて」

 水壺から水を流して顔を洗い、鏡を見ながら櫛で髪をとかした。

 ヒルコに見えないように制服のポケットからチョコレートの箱をだして確認する。

 パッケージには12粒と書かれているが、8粒しか入っていない。

(あっという間に無くなりそう)

 重い気分でチョコレートをしまい、カバンを持ちあげる。

「出発します。ありがとうございました」

 姫香の前に夫婦が立ちふさがった。

「泊まり賃。水晶2個!  水晶、2個だ!」

「ああ、お金」

 喚き散らす夫婦に水晶を渡すと二人は満足そうな笑顔を見せて道を開けた。

 水晶は残り2個。どう考えても旅立ちには心細い。もう一度、交換をするため道具屋に足を向けた。

「おはようございまぁーす」

 ほら穴の中から全身に痺れるような冷気が吹きつける。言いようもない恐怖がふつふつと沸いてきた。

「お……じさん……?」

 視界が下に落ち、兎の白い足が目に入った。

「フフ……フフフ……」

 むぅっとする異臭が襲う。

「ヒッ」

 ほら穴の奥の暗闇に夜刀がいる。その足元には、体が捻じ曲がり赤い塊となった道具屋がいた。

「フフフフ……」

 夜刀がさも愉しそうに笑った。道具屋を踏みにじる白い足が赤くぬれぬれと光っている。

 恐怖と美しさの境界……。

 動くこともできずそれを凝視していた。

(逃ゲロ!)

 ヒルコの声にはじかれた。

「ぎ、ぎゃぁぁぁ!」

 ほら穴を飛びでて突っ走る。頭の中は真っ白だった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息が切れ姫香は地面に倒れ伏した。どこをどう走ったのか覚えていない。

「はぁ、はぁ」

 いつの間にか人間に戻っている。

「はぁ、はぁ……ここどこ?」

 周囲には立ち枯れた竹林が広がり、奥へといざなう一本のけもの道がある。

 昨夜の獣の声が気にかかる。しかし、後ろには夜刀がいるのだ。

「ヒルコ、どうしよう」

(サッキモ、助ケタ。質問、スル、ナラ、チョコレートヲ、クレ)

 チョコレートの数が頭をよぎる。

「いい。またあとで質問する」

 カバンから石斧をだして握りしめる。引き返せない以上、進むしかないのだ。

「出ない。出ない。怖いものはなーんにも出ないっ!」

 呪文のように唱えながら、けもの道を歩く。枯れて積もった竹の葉は踏みしめるとサクサクと音がした。かなりの時間歩いたが一向に竹林を抜ける様子がない。いつの間にか、けもの道もなくなっていた。

「引き返したほうが、きゃっ!」

 急に、大きくなった石斧が兎の手から落ちた。

「あ、またうさぎに!  どうなってんの!  ヒルコッ、どこにいるの!」

 頭の中にヒルコの冷めた声がした。

(オ前ニ、同化どうかシテイル)

「同化ぁぁぁ?」

 訳のわからぬ状況に泣きそうだ。

 カサッ、と葉ずれの音がした。その方向に体をまわす。

 竹やぶの暗がりに白地に黒い縞の虎がゆったりと寝そべっている。

(まさか、葦の原にいたホワイトタイガー?)

 あわてて周囲を見たが夜刀の姿は無い。ほっと胸を撫でおろした。

(この虎、毛並みがすごくきれい。そういや、テレビで白い虎が出てたよ。あれって、なんのテレビだっけ?)

 ぼんやりと虎を眺めていた。のそりと立ち上がった虎と、真っ向から目が合った。

「え?」

  虎が唸りながら竹を巡り、ゆっくりと姫香に近づいてくる。

「え、ええ?」

 獲物を見つけた黒い目がギラギラと光った。虎が背中を丸め姿勢を低くした。

「イヤァァァァァッ!」

 竹の間を必死で逃げるが、虎は俊敏で逃げる前へ前へと先まわりしてくる。遊びながら食べる気なのだ。

「ギイャァァッ!  食われるぅぅっ!」

 虎が姫香の正面に飛びでた。身構え狙っている。極度の恐怖で姫香の後ろ足に力が入った。兎の体が虎の頭を飛び越え、虎の背中に乗った。

(今ダ!  蹴レ!  連打ダ、連打ッ!)

 言われるまま、無我夢中で虎の背中を蹴る。小さな唸り声をあげて虎がうずくまった。

「どれだけ蹴れば、殺せるの!」

(チョコレート、貰ッテイイノカ)

「いいから、早く教えてっ!」

(兎ニ、虎ハ殺セナイ)

「じゃ、どうすればいいの!  はぁはぁ」

 息が切れてきた。蹴り続ける足が重い。

(コイツハ、夜刀ニ、惑ワサレテイル。呪縛解除じゅばくかいじょシロ!)

「その方法は、ギャッ!」

 虎に振り落とされ、兎の体が枯れた藪に突っこんだ。

(肉ヲ、食ワセロ。持ッテイル物ハ、言エバ出ル)

 ヒルコがあきれ声で言った。虎の顔が視界に大きく映る。

「うぇっ!」

 兎のお腹を前足で押さえられた。苦しくて息ができない。

 虎の口が開いていく。太い牙、大きな舌、ヨダレ、のどちんこまで見える。

(ぎゃーっ!  肉ーっっっ!)

 姫香が声にならない声をあげた直後、虎と兎の間に肉のかたまりが浮いた。

 虎の口めがけてそれを押しこむ。

「……げほ、げほっ!」

 姫香に呼吸が戻った。制服が目に入る。

「手……人間の手に……はぁ、はぁ……戻ってる……」

 

 姫香の少し先に、あぐらを組んで生肉をがつがつと食べる少年がいる。

(……同じぐらいの歳かな?)


 ひたいに落ちる髪が邪魔なのか少年が頭を振った。

(あ、かっこいい)

 姫香を睨んだ黒い瞳はきれいな二重で、精悍な顔立ちをしている。細身だが筋肉質の体には、白い毛皮の袖なしシャツと短いパンツを着け、手甲、ベルト、サンダルは黒い革だ。そのコーディネートが嫌でも虎を連想させた。

「あっ、あなた。夜刀の虎……ぎゃ!」

 言い終わるより早く、地面に叩きつけられた。姫香の背中に少年が馬乗りになった。

「うるせぃ、あの変な野郎にたぶらかされただけだ!」

 体重の重みに息が詰まる。

「ううっ……苦し」

「このバカうさぎが。おれさまに勝てるとでも思ったか」

「苦しい……お願い……どいて」

(モウ、ヤメロ。ソレハ、天降リ姫ダ)

「えっ、天降り姫?」

 少年が飛びのいた。姫香が顔をあげると猫目が大きく見開かれていた。

「おまえ……本当に天降り姫か?」

「う、うん……成り行き上、天降り姫やってます」

「悪かったっ!」

 急に土下座した。

「おれ、知らなかったんだ。許してくれ!」

 少年からすこし距離をとる。

「もうひどいことしない?」

「ああ、もうしねぇよ」

 安堵した途端、姫香は涙がとまらなくなった。ひとしきり泣いて顔をあげると、少年が食べ終わった手を猫のようにペロペロとなめていた。

「お、泣きやんだか」

 姫香に微笑みかけ、肉を包んでいた紙を丸めて藪へ投げ捨てた。

「あ、ゴミを捨てちゃ駄目!」

「けっ、うるさいヤツ」

 言葉は乱暴だが少年の口の端に笑顔が浮いている。それを見て姫香の気持ちもほぐれた。

「あなた、名前は?」

「ああ……おれは……ビャッコ。よろしくな、天降り姫」

「わたしのことは天降り姫じゃなくて、姫香って呼んでくれる?」

「天降り姫じゃないのか?」

 目線が強くなった。姫香は腕を大きく左右に振った。

「わたしの生まれた所では氷室姫香って名前なの。そっちの方が慣れているから、姫香って呼んでくれる?」

「ふぅん、おまえがいいならそれでもいいけどよ」

 気まずい空気が流れた。いつ食われるかと思うと冷や汗がでた。

「ちょっとごめん。落し物を拾ってくる」

 ビャッコを目の隅に入れながら落ちている石斧を拾う。小声でヒルコに話しかけた。

「ね、ヒルコ。このまま全速力で逃げる?  それとも戦う?」

(ドッチモ、オ前ニハ無理ダロウ。ナゼ、ソンナ事ヲ言ウ)

「あれ、本物の虎だよ」

(ビャッコハ、下部ダ)

「しもべって……あれは虎だよ。生肉を食べてたもん」

(オ前モ、兎ダッタ)

「そうじゃなくて」

「おい、その肉も食っていいのか?」

 ビャッコが顎をしゃくった。視線の先は靴袋に向かっている。

(俺ヲ、食オウナンテ、思ウナ!)

「な、なんだ、今の声!  そういや、さっきも同じ声がしたぞ」

 ビャッコがキョロキョロとあたりを見ている。以前の自分を見るようだ。苦笑いしながらカバンを下ろし、靴袋を地面に置く。中からヒルコが這ってきた。

「彼の名前は、ヒルコ。仲間だよ」

「この肉が仲間ぁ?」

 猫目を見開いている。

(俺ハ天降リ姫ノ、案内役ダ)

「へぇぇ、おまえ、実はすげえんだな」

 ジロジロとビャッコがヒルコを見た。その視線を逃れ、ヒルコが落ち葉にもぐった。

「ヒルコ、これからどこに行くのかを教えて。ほら、チョコ……」

 チョコレートの箱の中を見て姫香はギョッとした。5粒しか残っていない。

「なに、これっ。誰が3粒も食べていいって言った?」

(モウ、食ベタ)

「ヒルコッ、どこに行ったのっ、出てきなさいっ!」

 落ち葉を掻きまわしたが、どこにもヒルコの姿がない。

「なにをやっているんだ?  もう仲間割れか?」

 ビャッコの無神経な言葉も姫香のかんにさわった。

「そうだ、ねぇ、ビャッコ。ヒルコをちょっとかじってみない?」

「ええっ、いいのか?」

 すごく嬉しそうな声がビャッコからあがった。

(ワーッ!  教エル!)

 落ち葉の中からヒルコが、姫香の胸へ飛びついてきた。

「おい、かじらせろよ」

 ビャッコが伸ばした手を姫香がはばんだ。

「冗談に決まっているでしょ。まさか、本当に食べる気だったの?」

 ビャッコは不満を露骨に顔にあらわしている。

「食べる気なんかねーよ!」

「わたしたちを食べないって約束する?」

「ああ、約束するよっ!」

 ビャッコが怒って後ろを向いた。

 本当に食べないのか不安は残る。だが、約束をしたことで今は良しとするしかない。

(姫香ハ、柔ラカクテ、気持チイイナ)

 腕の中のヒルコが甘えたように体を擦りつけてきた。ぐにょぐにょしたヒルコまで平気で抱けるようになった。姫香もこの世界で少しはタフになっていた。

 

「ヒルコ、これからどうすればいいの?」

(姫香ハ、ビャッコニ、石斧ヲ、渡ス)

「渡すとどうなるの?」

(変身シタ時ニ、ビャッコノ、攻撃力ガ、増ス)

 ビャッコが石斧を強引に奪い取った。

「あっ、何するのっ!」

「石斧を持てばもっと強くなるんだろ」

 ニヤリと笑ったその目には凶暴な光が宿っている。あまりの恐ろしさに姫香は一歩退いた。戦力としては心強いが、気分次第で牙をむくかもしれない。敵の攻撃力を増すようにしか思えなかった。

「それを持つってことは、わたしたちの仲間になるってことだよ。わかってる?」

「仲間?」

「そう、対等の仲間ってこと」

「ふぅん、わかった。対等な」

 ビャッコがニヤリと笑って、石斧をクルクルと軽そうに回した。

 

「ああっ!」

 キラキラとした木漏れ日がシャワーのように射してきた。やわらかな風が頬を撫でる。サラサラという葉ずれの音がして、枯れていた竹林が生き生きとした緑の葉で覆われた。

「ヒルコ、これ、どうなってんの!」

 竹のいい香りがあたり一面にたちこめた。

(グ……グ……ググググググゥゥゥゥ……)

 ヒルコが急に苦しみもだえて丸くなった。

「ヒルコ、どうしたの!  大丈夫なの!  きゃ!」

 ギョロリ、と、鶏肉ボールに人間の目ができた。

(グ、グ……オ前ガ、姫香カ。カワイイ、ジャナイ、カ)

 キョロキョロとよく動く瞳は金色をしている。

「おい、なんなんだよ。こいつはぁ」

「わ、わたしにだって、わかんないよ」

(目ダ。俺ニ、目ガ、デキタ)

 頭の中にヒルコの嬉しそうな声が続いた。

(コノ地ヲ、夜刀カラ、解放シタ。ダカラ、景色ガ元ニ、戻ッタノダ)

「でも、この変わりようはすごすぎるよ」

 夜刀の計り知れない力にひしひしと恐怖を感じた。

「ま、この方が殺風景じゃなくていいんじゃねぇか」

 ビャッコは意にも介していない。

(ビャッコ、宝ヲ出セ)

「おれは、なにも持ってねぇぜ」

(腰ニ、アル)

「なんだ、これがおれの宝かよ。しょぼいな」

 腰にさしている革の巻物を抜きとり、ビャッコが地面に広げた。

 30㎝四方の薄手の革に絵が描かれている。中央には葦の川原。その左横に岩山とほら穴がある。

 竹林が一番左に描かれているから、この竹林が西と考えればいいのだろう。

 葦の河原と岩山は、緑と茶色できれいに色が塗られているが、ほかは黒一色だ。

「ヒルコ、これって」

オノゴロノ、地図ダ)

 北西には草むら。北には数件の家が黒墨で描かれている。その他は空白だ。

「この地図、4分の1しか載っていないよ」

(他ハ、進メバ出ル)

「地図に勝手に出てくるの?」

(ソウダ)

「この地図にねぇ。ふぅぅん」

 地図を眺めているとビャッコが鼻で笑った。

「ようは、空白を埋めれば敵に辿り着くってことだ」

「あ、見てっ!」

 透明の見えない手が地図に色でも塗っているように、竹林にきれいな緑が塗られていく。

「ほら、勝手に地図に色がついてくよ!」

「うるせいな。進めば出るってさっきヒルコが言ったろ」

「動じないヤツ……」

「なんだと?」

「いや、なんでもないです。あ、北のこのしるしはなに?」

 一軒の家には、巻き貝の絵。もう一軒には二枚貝が描かれている。

(村ガ、アル。巻き貝ガ、道具屋。二枚貝ガ、宿屋ダ)

「ふぅん」

 ビャッコが興味なさそうに地図から目をそらした。

(夜刀ヲ倒セバ、全テノ望ミガ、叶ウノダ)

「おれの望みは夜刀を倒すことだ。ヒルコ。どこに行けばいい。教えろ」

(北ニ、行ケ。他ハ、進メバ、出ル)

「まずは、北だな!」

 勢いよくビャッコが立ち上がった。

「あ、地図、返すよ」

 地図を押し戻された。

「石斧をもらったからな、地図はおまえにやる。さ、行くぞ!」

 ヒルコを靴袋に入れ、ビャッコを追いかけた。

「ビャッコ、方角はそっちであってるの?」

「おれがそう思うんだから、こっちに間違いねーよ」

「なにそれ。野性の勘ってこと?」

「けっ、嫌ならついてくんなよ」

 ビャッコは慣れた足どりで竹と竹との間を歩いていく。

「もう少しゆっくり歩いてよ。仲間でしょ」

「おれの仲間なら、早く歩け!」

 ビャッコの姿がとうとう見えなくなった。

「ヒルコ。あいつ、わたしたちを置いてっちゃったよ」

(モット、早ク、歩ケバイイ)

「そういうことじゃないでしょ!」

(モット、早ク、歩ク事ダ)

「もうっ。都合が悪くなると同じこと言いだすんだから!」

 少し先の藪で石斧をまわしながら待っているビャッコが見えた。

(……口は悪いけど、やさしいところもあるのかな)

 そう思いたかった。 

第2章 竹林の少年( 2 / 3 )

  

 竹林を抜けると大きな道になり、草原になった。空はまたうす曇り、涼しい風が枯れた芝生の上を吹き抜けている。前方で羊が二頭、枯れ草をはんでいる。

「羊だよ。どこかで飼っているのかな。あっ!」

 前方にいたビャッコが白い虎に変わり、姫香も兎になった。虎の前に走りでる。

「ビャッコ、どこかに魔物がいるよ!」

「おまえ、バカか。あいつらが敵だ!」

 虎からビャッコの声がした。

 羊たちの白い毛が細く鋭いトゲになり、ハリネズミのようになった。そのトゲがゴムのように伸び縮みしている。

「邪魔だっ!」

 虎の前足が兎を後方に振り飛ばした。羊の体から飛びでたトゲが、姫香の目の前の芝に突き刺さった。

「うわ、うわ、うわっ!」

 次々にトゲが間髪なく降ってくる。そのトゲをかいくぐり必死で逃げる。虎は一頭を爪で引っくり返し、トゲのない腹に噛みついている。

「あれ、あれれ?」

 しばらくして簡単にトゲをよけていることに気がついた。兎だから普段より敏捷に動けるのだ。

「なぁんだ。よぉし!」

 もう一頭の魔物に狙いをつける。後ろ足をふんばりキックの態勢をとった。

(何ヲ、シテイル。トゲニ、蹴リハ、効カナイゾ)

 慌てて足の力を抜いたが、草の根が後ろ足にからんだ。

「やだっ、こんな時に!」

 どうしても草が外れない。姫香に向かって雨のようにトゲが降ってきた。

「きゃあぁぁ!」

 姫香は絶叫して目を瞑った。

 静寂……。

「こらっ!  おまえ、戦う気ねぇだろ!」

 ビャッコの怒鳴り声に姫香は驚いて目を開けた。

 トゲがクルクルと毛糸玉を巻き取るように羊の体に入っていく。二頭の周りに白い霧が湧き、その霧が分散して羊たちが消えた。

「な、なにが起こったの?」

「おれが倒したんだっ!」

 人間に戻ったビャッコが腕組みをして立っている。姫香はあわてて立ち上がった。

「助けてくれてありがとう」

 石斧を渡したからだろうか、初めて会った時より強くなった気がする。

「おまえ、弱っちいな。おれは、おまえらのお守りかよ。何が対等の仲間だ。いいか、よっく聞け。これからは、自分のことぐらいは自分でなんとかしろ。なんだあの戦い方は。逃げ回ったあげく、腹出してすっ転びやがって。おれならあんな戦い方するなら死んだ方がましだ。恥を知れ恥を!」

 繰り返される罵詈雑言ばりぞうごんにどんどん腹が立ってきた。

「誰も助けてなんて言わなかったよ。それに、仲間を殺してどーすんのよ!」

「なにおぉ!」

(ヤメロ!  今ノハ、夜刀ノ使イ魔つかいまダ。仲間ニハ、ナラン)

 靴袋からヒルコが半身を見せた。

「えっ、仲間になる魔物とならない魔物がいるの?」

(ソウダ。喧嘩セズ、宝ヲ探セ)

「ここにも宝があるの?」

(魔物ハ、宝ヲ持ッテイル。ビャッコノ時ニ、教エタゾ)

「ええ?  ああ、そうだっけ」

「聞いたことも覚えてねぇのかよ!  あーあ、こんなのが天降り姫とは思いやられるぜ!」

 嫌味を言ってビャッコが離れていった。

(……ああ、そうか。そういうことか)

 今頃になって理解ができた。

 ヒルコは一度チョコレートを渡せば、関連した質問には無料で答えているのだ。

 チョコレートをポイントで使えれば、もっと効率よく動ける筈だ。

「あれ?」

 ビャッコが魔物の消えた場所にうずくまっている。近寄ると息があらい。

「ビャッコ、どうしたの?」

 手を払われた。

「なんでも……ねぇ」

「さっきの魔物になんかされたんじゃないの?」

 ヒルコが靴袋からのたりと地面に落ちた。

(ソンナ、様子ハ、無カッタ)

「苦しそう。どうすれば治せるの?」

(ワカラナイ)

 ビャッコの背中をさする。

「気持ち悪いならぜんぶ吐いた方がすっきりするよ」

「う……る……さい」

 しばらくさすっているとビャッコの息がましになってきた。

「もう……大丈夫だ」

 姫香を押しやりビャッコが立った。

「吐き気は?」

 ビャッコが大きく伸びをした。

「ああ、治った。あんなに苦しかったのが嘘みたいだ。ありがとよ」

「ふふっ、素直じゃん」

「ちっ、礼を言っただけだろ」

「ふふふ、やっぱ口が悪くてもビャッコは元気な方がいいよ」

 ビャッコが照れくさそうに握りこぶしをだした。

「宝って、これのことじゃねぇか?」

 開いた手に赤い玉が2個乗っている。

瑪瑙めのうダナ。水晶ノ、5倍ノ金額ダ)

「これ、5倍もするの!」

「石がなんの役に立つんだ?」

「道具屋や宿屋でお金として使えるのよ」

「おれはいらねぇ。ほら、おまえにやるよ」

「ほんとう?」

「ああ、介抱してもらったしな」

「ビャッコって……」

「なんだよ!」

「ほんとうは、いい人?」

「そんなの当たり前だろーが。変なヤツ」

 ビャッコも悪い気はしなかったらしく口の端に笑みを浮かべている。

「ただし、うまくねーぞ」

「んん?  それ、どういう意味?」

 受け取った瑪瑙が、べっとりした液体で濡れている。

「あーっ!  これっ、ヨダレーッ?  汚たないっ!」

 あまりの驚きに瑪瑙を地面に落とした。

「おれのは、汚くねーぞ」

 ティッシュペーパーで地面の瑪瑙を拾う。

「こんな物食べるから気持ち悪くなったんじゃないの?」

「味を見ただけで食ってねぇ」

「バッカじゃないの!」

「なんだとぉ!」

 ヒルコが大きなため息をついた。

(イイ加減ニ、シロ。北ヲ、目指スンダ)

 ビャッコとはどうもそりが合わない。喋る気にもなれず黙々と歩いた。

 

 

 草原がとぎれ、荒れ果てた砂浜が見えてきた。

 肌にしみる冷たい風は魚の腐敗臭を伴って吹きすさび、海には泥色の氷が一面に張っている。

(北ハ、寒イ)

 ヒルコの声が震えている。姫香も体を抱きしめた。

「凍えそう。寒ぅぅい」

「あーあ。この程度でもう文句かよ。お姫様は我慢もできねーんだな」

 そこまで言われたら我慢するしかない。

 砂浜を越えた所に枯れた松並木があり、その奥にぼんやりと建物が見える。

「あれが村だね。わたし、村まで走るっ!」

 寒さをしのぐため駆けだした。

「先に行くぜっ!」

 追いついてきたビャッコが姫香を追い越していった。その姿がみるみる小さくなる。

「はぁはぁ、ビャッコはオリンピックに出たほうがいいよ」

 タイムを計れば世界記録に違いなかった。

 砂浜の半分ほどまで来た時、疲れから速度をゆるめた。

「なに、ここっ!」

 足がずぶずぶと沈む。砂だった地質が泥に変わっているのだ。

(走レ!  トマレバ、沈ムゾ!)

「足が、足が抜けないのよ!」

 膝まで泥につかり動けない。

(走レ、走ルンダ!)

「動けないんだよ。まさか、ここ、底なし沼じゃないよね!」

 腰まで泥に埋まった。

「誰か助けて!  た、助け……て……!」

 口元を泥が覆った。視界が消えた瞬間、祖母の部屋が陽炎かげろうのように揺らめいた。

 

 

 遠い、遠い所で、誰かが話をしていた。

「あれの潜在能力は比類なく高い。それに好奇心も旺盛だ」

「でも、あの調子じゃすぐに死んじゃうよ」

「すでにくさびは深く打ちこまれた」

「もう助からないの?」

「中和剤が必要だ」

「これはどうしたらいいの?」

「渡せ。執着がこの地への楔となる。殺さぬ程度にうまくやることだ……うまくな」

 声が遠のくと、祖母の部屋も遠のいて消えた。

第2章 竹林の少年( 3 / 3 )

 

 目を開けると木の天井があった。体に薄っぺらな掛け布団が体にかかっている。枕元ではヒルコがスヤスヤと寝息を立てていた。

「……助かったんだ」

 姫香はほっとしてあたりを見まわした。床の間のある六畳ほどの和室。畳は毛羽立ち、部屋を仕切るふすまも黄ばんでいる。

「なんだっけ……なんか夢で聞いたんだよね」

 大切なことだった気がするのだが、記憶は戻らなかった。

「入るだよ」

 襖が開き、一重の着物を着た老人と中年女性が入ってきた。

 あたたかな笑顔の老人は少なくなった白髪でまげを結い、いかにも好々爺といった感じだ。

 女性は無造作に髪を後ろでまとめていて、日に焼けた肌とくりっとした目が働き者のお節介おばさんっぽい。姫香のそばに座り女性が身を乗りだした。

「うちは宿屋だ。安心してゆっくりすればいいだ。けんど、お兄さんがあんたを連れてきた時は、泥だらけでびっくらこいたべ」

「お兄さん、ってビャッコのこと?」

 老人がニコリと笑った。

「こいつはわしの女房だ。遠慮せんでなんでも頼むとええ」

「はい。ありがとうございます」

 正座して頭をさげた。女房が老人の肩を押した。

「あんたは、もう行かんと。北岸村ほくがんむらの村長が遅れてはなんねぇだ」

「村長さん……なんですか?」

 その言葉を待っていましたとばかりに、女房が勢いよく喋りだした。

「おらたちの海に魔大亀まおおがめっちゅう魔物が住みついて、夜になると暴れるだよ。これから集会で生け贄いけにえにする娘を決めるんだ。こりゃ、北岸村はじまって以来の大変な決め事だベさ」

「そうなんですか……」

 魔物を倒さねば前へ進めない。今は強いビャッコもいる。姫香は勝負しても勝てるとふんだ。

「待ってください。わたしが魔大亀を倒します」

「あんたがかぁ?」

 二人が顔を見合わせた。

「そのかわり条件があるんですけど」

 それを村長は快く承諾してくれた。

 

「わたし、もう出かけます」

 魔大亀が現れる夕方までにビャッコを捜し、道具屋でアイテムを揃えなければならない。

 寝ているヒルコを靴袋に入れて手に下げた。

「おばさん、腕時計がなくなっているんですが」

「なんだね、それは?」

「左腕についていた物です」

「はじめっから、なんもなかったべさ」

 底なし沼で落としたのだ。

「玄関まで送ってやるだ」

 女房に連れられて廊下をいくつも曲がる。広いうえに何度もの建て増しで迷路のようだ。どこもかしこも静まり返っていて客どころか働いている人にも会わずに玄関にたどり着いた。がりがまちに置いてあった上履きに足を入れる。

「じゃ、行ってきます」

「いく前に、宿代をくれろ」

「わたしが魔大亀を倒すんですよ。だから、タダにしてください」

「それとこれとは話が別だべ」

「でも……」

瑪瑙めのう1個だ。持ってるんは知っとる。さっさとくれろ

 渡した瑪瑙を手に女房がニタリと笑った。

「気をつけて行くだよ」

 その言葉すら姫香にはしらけて聞こえた。

 玄関をでて振り返る。宿屋は平屋建てで、ひなびた温泉地にある旅館に似ている。門の横にはアサリがモニュメントのようにうず高く積まれていた。

「これが地図にあったしるしだね」

 道を挟んだ松の木の下にビャッコがいた。小走りでビャッコへ寄る。

「助けてもらわなきゃ死んでたよ。本当にありがとう」

「大げさだな。村の入り口で倒れてんのを宿屋に運んだだけだろ」

「ビャッコが泥沼から助けてくれたんでしょう?」

「おれじゃねぇよ」

 ヒルコはまだ靴袋の中で寝ている。

「そっか、ヒルコが起きたら聞いてみる」

「ああ、そうしろ」

「わたしね、村長さんに魔大亀を倒すって約束したの」

「ふーん」

「ビャッコも一緒に戦ってくれるよね?」

「おまえが勝手に約束したんだろ。おれは付き合わねぇぞ」

 やはり薄情だ。用意しておいた奥の手を使う。

「魔大亀を倒すかわりに、村長さんにもらったんだけどなぁ」

 肉のかたまりをビャッコの前で左右に動かす。とたんにビャッコの目の色が変わった。

「おまえだけじゃ不安だな。条件によっては、一緒に戦ってやってもいいかな」

 そわそわして我慢している。

「お肉をあげる。それなら、一緒に戦ってくれるよね?」

「お、おう。任せとけ!」

「じゃ、どうぞ」

 肉を渡すとビャッコが肉にかじりついた。それを靴袋から金色の目がぼんやりと見ていた。

「あ、ヒルコ、起きたんだ」

(アア……)

「誰がわたしたちを沼から助けてくれたか知ってる?」

(俺ガ、助ケタ)

 肉をかじりながらビャッコが笑った。

「ははは、手足がない癖にどうやって助けんだよ。寝ぼけてんのかよ」

(俺ガ、助ケタ)

「はいはい、知らないならもういいよ。そうだ、チョコ、食べる?」

 チョコレートの箱をだす。

(クレ!  クレ!)

 ヒルコも目の前のごちそうを我慢できるタイプではない。

「チョコを1つあげる。その前に、魔大亀の倒し方をぜんぶ教えてくれるかな?」

(ウ、ウム。ワカッタ)

「で、倒し方は?」

(ウム、呪縛解除用ノ、アイテムガ、必要ダ)

「魔大亀も仲間になるんだね。そのアイテムは?」

(ソレハ、ワカラ、ナイ)

「あとは何か知ってる?」

甲羅こうらニ、頭ヲ入レルト、傷ガ治ル)

「甲羅ってことは。そうか、魔大亀ってぐらいだもんね。亀の魔物なんだ。それから?」

(知ッテイル事ハ、全部、教エタ。チョコレートヲ、クレ!)

「なーんだ、情報ってそれだけ?」

(チャント教エタゾ!  チョコレートヲ、クレ!)

「はいはい。ほかにも気がついたら教えてよ。はい、チョコ」

  チョコレートを1つ、靴袋に入れた。

(……コレダケカ?)

「そ、1つって約束したもんね」

 笑いがこみ上げるのを呑みこむ。さっき村長にチョコレートを全部半分に切ってもらったのだ。

「なーんにも問題ないでしょ」

 備えあれば憂いなし。ヒルコの恨めしそうな視線を避け、ビャッコの顔をのぞく。

「ねぇ、ビャッコ。魔大亀のこと聞こえたでしょ。どうやって戦うか相談しようよ」

「うっせーな。食うまで待ってろ!」

 ガツガツと生肉を食べる姿と血なまぐさい匂いに気持ちが悪くなってきた。

「吐きそう。先に道具屋に行って来ようかなぁ」

「ああ、そうしろ!」

(待テ!  俺ヲ、置イテイケ。ビャッコトイル!)

 小さなチョコレートがヒルコを怒らせたようだ。だが、これ以上チョコを渡す気は毛頭なかった。

「いいよ。一人で行ってくるもん」

 ビャッコの横に靴袋を置いて、その場をあとにした。

 

 

 村には粗末な掘っ立て小屋が立ち並んでいる。各々の家には投網が干してあり、その様子は時代劇の貧しい漁村にそっくりだった。

「あれが道具屋かな?」

 大きな巻き貝が軒先にぶら下がっている。

 土間には籠や木箱が無造作に置かれ、その奥に一段高い板の間がある。その板の間の座卓に男が二人座っている。一人はがりがりに痩せて鼻の下にちょびひげをはやし、もう一人はでっぷり肥えていて赤ら顔だ。ざんばら髪に一重の着物が落ち武者みたいだ。

「こんにちはぁ」

 挨拶しても二人はけだるそうに姫香を見やるだけだ。

「魔大亀の好きそうな物がほしいんですけど」

「あぁー、カネは?」

 千円札を置くとちょび髭にじろりと睨まれた。

「ひやかしなら、とっとと帰れ」

 やはり宝玉でないと駄目らしい。水晶2個と瑪瑙1個を座卓に置く。

「なんだ、持ってるべ。ふんふん、ちょっくら待つだ」

 そう言って、ちょび髭が赤ら顔に目配せした。

 赤ら顔がのろのろと動き、幾つもの壺や籠を引っくり返しては座卓に物を乗せていく。

「こんなもんだべ」

 ウツラウツラしているちょび髭に赤ら顔がはじめて声をかけた。ちょび髭が薄目をあけた。

「あぁー、そんなもんだ」

 座卓に並んだ物は、分厚い牛肉が1枚。白菜に似た形の青菜1玉。大きな海老が1尾。両手にあまる魚が1尾。どれも大きくて重量がある。

「これで、水晶2個だ。もう買えねぇだ」

「瑪瑙も使っていいんですけど」

「そう言われても、あとは薬だけだもんなぁ」

 二人が顔を見合わせてうなずいた。

「薬って?」

 赤ら顔が小さな素焼きの壺を引っくり返すと、血のように赤い丸薬が1個転がった。

 ちょび髭がそれをつまんで手のひらに乗せた。

「これが、回復薬だ。すんげえ薬でよぉ。瀕死の重傷でもきれーに治しちまうだ」

「本当にそんなに効くんですか?」

「ああ、ほんとだ。オノゴロのもんはみんなこれで治っとる」

「それ、買いたいです」

「そったらこと言ってもよぉ。これは瑪瑙が2個いるだ」

「瑪瑙1個に負けてくださいっ。魔大亀を倒すんだからお願いしますっ!」

「おらんとこは、そんな商売はせん。負けられねぇだ」

「えー、そんなぁ」

 万一の時のためにどうしても欲しい。

 男たちのざんばら髪を見ているうちに姫香にいい考えが浮かんだ。

「そうだ。これはどうでしょう。瑪瑙のかわりになりませんか?」

 カバンの中から下敷きをだす。二人から興味は感じられないが、はったりをきかすしかない。

「実はこれ、すんげえ物なんですよ。いいですか。よーく見ていてくださいよぉ」

 服で下敷きを強くこすり、姫香はぼーっと立っている赤ら顔の髪にあてた。

「ひいゃぁぁぁーっっ!」 

 間断なくちょび髭が叫んだ。

 姫香ですら静電気の凄さを実感するほどすさまじい量の髪の毛が立っている。ましてや初めて見た人間には効果覿面こうかてきめんだった。

「す、すんげぇ。な、な、な、な、何がほしいだ!」

 ちょび髭のだらけた態度が急にシャンとした。

「回復薬をほしいんですけど」

「だーっ!  回復薬は1個しかないんだぁ」

 頭をかきむしっている。

「あのっ、回復薬と交換ってことで」

「回復薬1個とそんな高価なもんを交換なんかできないべぇぇぇ。ああ、なんでもっと仕入れとかなかっただぁぁぁぁ」

 赤ら顔がぼーっと立っている。その横でちょび髭が転げまわって悔しがった。

「いいです。下敷きはあげますから」

 下敷きで物を交換しようと考えたことが恥ずかしくなった。

「そりゃ、なんねぇ!  もらうなんて商売人の恥だ。そうだ、これがいいだ!」

 ちょび髭がふところから黄色い貝で作られた小箱を取りだした。

「浜辺で拾ったんだ。こりゃ高価なもんだ。食べもんと回復薬にこれをつけるだ」

「拾った物は困ります」

「うちで買ったといえばいいだ」

「水晶と瑪瑙とは取ってください」

「もらえん。こんなすごいもの、おら、見たことねぇだ。どうやって使うだ。教えてくれ」

 ちょび髭に下敷きの使い方を説明している横で、赤ら顔が麻袋に品物を詰めてくれた。

「ありがとうございました」

 麻袋を肩から斜めにかけ、貝の小箱をポケットに入れる。

 外にはすでに夜の闇が忍び寄っている。

「ひいやぁぁぁぁ」

「どうだべ、すごいべ!」

 店の中から赤ら顔の叫び声と、ちょび髭のいばった声が聞こえてきた。姫香は重い荷物を持ち上げ、北風にかじかむ手を握りしめた。

「いい人たち……」

 喜んでくれたことが心をあたたかくしていた。

 

 

 兎の耳がピンと立った。海の中から何かが上がってくる音が聞こえる。

「姫香、こっちだ、急げ!」

 虎が姫香の横を駆け抜けた。ヒルコがボール玉のように弾んで姫香の体にぶつかり同化した。

 姫香も虎を追って浜辺に向かう。砂浜にある篝火が闇夜の海を不気味に照らしている。

 どどーんと大音響があがった。泥氷を突き破り巨大な影が海から現れた。

「あれが、魔大亀!」

 真っ黒な甲羅が篝火の光を受けてヌメヌメと光っている。深緑色の角質化した顎は鳥のくちばしのようだ。太い前肢は鋼鉄に似た爪、後肢は海亀に似たオールだ。

 ヒュンと音をたて鞭のような尾がしなった。巻き起こった強風に篝火が倒れ、火の子が舞い上がる。

「おれが攻撃をしかける!  おまえは頭を入れさせないように甲羅を蹴れ!」

 魔大亀に向かって虎が飛ぶ。その地面を魔大亀の太い腕がえぐった。虎は魔大亀の攻撃を身軽にかわしながら、亀の腕や頭に噛みついている。

(姫香、グズグズスルナ!)

 ヒルコの声が体を押した。 

「うん!」

 ヌルヌルした海藻に足を取られながら小高い丘のような甲羅をあがる。

(傷ヲ回復シテルゾ。早ク蹴レ!)

 魔大亀の頭が甲羅の中に入っている。

「わかった!」

 キックを開始した姫香を追い払うかのように魔大亀の尾が甲羅を払った。

「えいっ!」

 縄跳びの要領で尾を飛び越えたが、風圧に体が流された。

 空中で態勢を立て直し、砂浜に着地する。姫香に向かって虎が吼えた。

「口を開けたぞ!  アイテムだ!」

「え、もう?」

「早くやれ!  グアッッッ!」

 魔大亀の爪が虎の背を払った。スローモーションで虎が宙を飛び、砂浜へ激突した。

 

「ビャッコッ!」

 砂を蹴って虎のそばへ駆け寄る。かぎ裂きの傷口から血がドクドクと流れ、白い毛皮が真っ赤に染まっていく。

「ビャッコ……死……」

 すうぅっと姫香の意識が遠のいた。

(回復薬ガ、アルゾ! 薬ヲ使エ!)

 ヒルコの怒鳴り声で我に返った。

「か、回復薬!」

 空中に浮いた赤い丸薬を虎の口に入れる。空気中にミントの匂いが広がった。

 地響きを立て、魔大亀がのそりのそりとこちらにやってくる。

「いけない。ビャッコから遠ざけなくては!」

 魔大亀の前に飛びだし、挑発するように左右に飛ぶ。ビャッコの血が現実を見据えさせた。

「これは夢じゃない!  倒さないと殺されるんだ!  死ぬんだ!」

「やるぞ!  姫香!」

 白い虎が元気に走ってくる。

「はいっ!」

 姫香は丘のような甲羅へ、今度は一気に飛び上がった。

 

 魔大亀の攻撃が数多く繰りだされ、戦いは激しくなった。

 頭に噛みついた虎をなぎ払うように爪が一閃する。飛びすさった虎の腹から血がにじんだ。一声吼えた虎が魔大亀の腕にくらいつく。姫香もキックを連打し、振ってくる尾の攻撃を何度もかわしていた。

「もう薬はない……」

 ビャッコが死にかけた時の光景が頭をよぎる。

「死んじゃう。倒さなきゃ、ビャッコが死んじゃう!」

 虎が大きく跳躍し、魔大亀の右目を引っかいた。魔大亀が大きく口を開けた。

 すかさずビャッコの声が砂浜に轟く。

「今だ、姫香!  アイテムを!」

「わかった!」

 甲羅から飛び降りようとした姫香にヒルコが怒鳴った。。

(待テ!  ココカラ、アイテムヲ、投ゲロ!)

「そんなの無理だよ!」

 魔大亀の前に行かねば口に入れられない。それに兎の手で投げるのは不可能だ。

(届ク!  ヤッテミロ!)

「わかった。海老、出て!」 

 物が現れた時の手ごたえをはっきりと感じた。空中に浮いたアイテムを魔大亀の口の中へ誘導するイメージを描く。海老が赤い放物線を描き、魔大亀の口へと消えた。

「できた!」

 しかし、呪縛解除の反応はない。

「魚!」

「青菜、行け!」

 どちらからも変化がない。

「お肉っ!  これが最後のアイテムなんだよ。お願い、変身を解いてっ!」

 肉が空中をすべり、魔大亀の口に消えた。肉からも変化の兆しはない。

「うそ……」

 予想もしていなかった結果に姫香は放心状態に陥った。

(姫香、聞コエナイノカ!  早ク、降リロ! 降リルンダ!)

 ヒルコの声が耳に届いた。魔大亀の傷がみるみるうちに消え、愚鈍だった魔大亀の動きが俊敏さを増していた。

(降リロ! 振リ落トサレルゾ!)

 せかされ焦りが生じた。あっ、と思った時には、ぬめりに足が取られていた。

「きゃぁぁ!」

 甲羅の下まで一気に滑り落ちる。姫香から分離したヒルコがコロコロと魔大亀の正面に転がっていく。

「ヒルコ、危ないッ!」

 ヒルコを助けようと魔大亀の前にでた瞬間、姫香の全身に激痛が走った。

(魔大亀に……噛まれた?)

 血がぼたぼたとこぼれ落ち、パキンと骨の折れる音が聞こえた。ゆっくりと死が暗闇とともに近づいてきた。

(わたし……死ぬ……こんな所で……)

 

 

 遠く、遠くの方で誰かの声がした。

「開……け……ろ……」

 知っている人の声だ。

「開け……るんだ……」

 暗闇から伸びてきた手が、姫香の手を握った。

(あたたかい……)

 ほっとするようなぬくもりだった。

「目を開けるんだ!  開けろ!」

(……誰?)

 重いまぶたをゆっくりとあげると、ビャッコの顔が間近にあった。

 いつの間にビャッコに抱きかかえられたのだろう。死ぬかと思えたほどの痛みもなくなっていた。

「ばかやろう。おまえって、どーしようもねーヤツだな」

 言葉は乱暴だがやさしい響きだった。 

第3章 かすかな想い( 1 / 3 )

 

 すがすがしい早朝の日差しが蒼い海を照らし、白浜をわかつ大河が海へとうとうと流れている。

 海のほとりから10歳ぐらいの男の子が、ヒルコを肩に乗せて歩いてくる。明るいブルーのくせ毛。黒のワンピースは足元を隠すほど長く、身の丈より大きな剣を背負っている。肩から斜めにかけている小袋が歩くたびに腰でぷらぷらと揺れた。

「ぼく……ぼく……」

  近くにきた少年が砂地にがっくりと膝をついた。砂浜に突っ伏したまま少年は顔を上げない。

「どうしたの。泣かないで」

  少年の背中を撫でる。嗚咽をしながら、涙をいっぱいためたブルーの瞳が姫香を見上げた。

「ぼく……ヒック……ゲンブ」

「おい、ちゃんと謝れ!  姫香は死にかけたんだぞ。あれを見ろ!」

 少年の胸倉をビャッコがつかんで砂浜に体を向けた。その先には、ずたずたに引き裂かれた麻袋が落ちている。

「ビャッコ、小さな子に乱暴しないで。みんな無事だったんだもん」

「ぼくは、悪くないっ!」

 ビャッコの手を払ったと同時に、ビャッコの体が吹っ飛んだ。

「ぼくのせいじゃないっっっ!」

 癇癪かんしゃくを起こしたゲンブが地面を両手で叩くたびに砂が沈んでいく。体を起したビャッコが驚きの声をあげた。

「なんだ、こいつ。子供のくせにすげぇ力だぞ」

「うるさい、うるさい、うるさいっ!」

 駄々っ子のように泣き叫んで手がつけられない。

(ヤメロ、ゲンブ)

「だって!」

(ワカッタカラ、モウ、ヤメロ!)

「う……ヒック……うん」

 ヒルコの声にゲンブがおとなしくなった。

(ゲンブハ、体ノ一部ヲ、消サレテイタ。姫香ノ鼈甲べっこうデ、呪縛解除デキタ)

「べっこう?  わたし、べっこう飴なんか持ってなかったよ」

(馬鹿ヲ、言ウナ。鼈甲ハ、亀ノ甲羅こうらダ)

「え?  飴じゃないの?」

「なんだ、おまえ、鼈甲も知らねぇのかよ。褐色かっしょくっぽい黄色をして、茶色い斑点が入ってんだ」

 ビャッコがあきれたような顔をした。

「それって小箱のことかな。そういや、噛まれた時になにかが割れた音が」

 ポケットを探ったが、入れていた小箱がない。

「あの小箱が鼈甲かぁ。へぇ、そうだったんだぁ」

 感心している横でビャッコが頭を抱え、大きく息を吐いた。

「偶然で呪縛解除してんのかよ。おまえって運だけで生きているんだな」

「あっ、ごめんなさいっ。ゲンブもごめんね」

 ヒルコもビャッコも食べ物に弱い。だから、呪縛解除アイテムは食べ物だと思っていた。鼈甲のことを姫香が知っていれば、誰も傷を負うことはなかったのだ。

(ゲンブ、ヨカッタナ)

「うん!」

 二人はすっかり打ち解けている。

「ゲンブも夜刀を倒すための仲間になってくれるの?」

「仲間ってなぁに?」

 きょとんとした表情で聞かれ、姫香は言葉につまった。ビャッコがイライラして言った。

「おまえ、仲間も知らねぇのかよ。おれたちと一緒に旅をしたり、戦ったりしたいかってことだ。よっく考えろ。姫香、ちょっとこっちに来い!」

 波打ち際まで歩き、ビャッコが立ち止まった。

「おまえ、なに考えてんだよ。あんなガキ、仲間にしてどうすんだ」

「だって、ゲンブは強いよ」

「おまえらだけでも大変なんだ。おれはガキのお守りまでする気はねーぞ」

「そんな言い方しなくたって」

「そうだ。ゲンブは仲間だ!」

 ヒルコの声が姫香の足元から聞こえた。ビャッコが一歩、飛び退いた。

「わっ!  ヒルコが顔になったぞ!」

 鶏肉ボールが赤ん坊の顔になっている。

 今度は、目、鼻、口、耳ができたのだ。だが、髪の毛と眉毛がない。

「えっ?  俺の顔?」

 自分の変化に気がついてなかったらしくキョトキョトと目を動かしている。

 鏡をだして、砂地に立てる。

「ほら、かわいい赤ちゃんの顔だよ。大人になったらきっとクールな男になるよ」

「クールってなんだ。食べ物か?」

「違うよ。かっこいいってこと」

「俺がかっこいいのは、当たり前ではないか」

 ヒルコがうっとりと鏡に見入った。ゲンブが近づいてきて、ぺこりとお辞儀をした。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ぼく仲間になります。よろしくお願いします」

 ビャッコの様子をうかがう。

「ビャッコ、いい……よね?」

「仕方ねぇなぁ。姫香が面倒見ろよ。おれは子供だからって甘やかさねぇぞ。いいな」

「うん、ぼく、がんばる!」

 ビャッコが許してくれたことが嬉しかった。

「あ、そうだ。地図を見ようよ」

 砂浜に地図を広げる。平原と海、そして大河が彩色されている。中央の川が海へと繋がり、地図の絵では大河を渡らなければ、北岸村に来られないことになっている。

「いつのまに河を横断したんだろう。ここにきた時は海沿いに走ったよね」

 海へと流れこむ大河は、海岸を両断するぐらい大きい。

「沼のようなところを走ったじゃねぇか。あれが河だろ。お、絵が出るぞ」

 透明人間が筆で絵を描くように地図の北東に山の絵が現れた。東に滝の絵もつく。

 

 ビャッコがパンと手を打った。

「よし!  宝を探すぞっ!」

「あ、待って。宝はぼくが持ってるよ」

 ゲンブが腰の革の小袋から、長刀を引きずりだした。

「びっくり! なぜそんな小さな袋からそんなに長い刀が出るの?」

 ゲンブの顔や耳たぶが赤く染まった。

「一番初歩の呪術だよ。そんなに驚かれると恥ずかしいや。はい。この刀はお兄ちゃんに」

「おおっ、石斧よりかっこいいぜ、気に入った!」

 ビャッコが石斧を砂浜に投げ捨て、手馴れたように刀を腰につけた。すらりと引き抜いた白銀の刃が太陽を反射してギラリと光る。刃先を前方に向けて中段に構えたビャッコは、じっと前を見据え微動だにしない。その姿が美しいと姫香は素直に思った。

「いい刀だな」

 満足したのかビャッコがゆっくりと刀を鞘に収めた。

「刀を使ったことがあるの?」

 初めて刀を持つようには見えなかった。

「物心つく前からって感じかな」

「なにか思い出したの?」

「いや、そんな感じが……なぜだろう……」

 ビャッコは腰をおろし、黙りこんでしまった。

「これはお姉ちゃんに」

 白い靴とベレー帽だ。

「わぁ、かわいい。ありがとう!」

 上履きを脱いで靴を履いた。なめし革で作られた靴はあつらえたようにぴったりで履き心地がいい。ボンボンが付いた白い毛の帽子も寒い時に重宝しそうだ。

「これ、お姉ちゃんのでしょ。落ちていたよ」

 ゲンブが手にしているのは、5㎝幅の白い平たい輪だ。

「わたしのじゃないよ」

「これ、どうしよう」

「太めのブレスレットみたいね。ちょっと貸して」

 持ってみたが重さをほとんど感じない。左腕につけると吸いつくように姫香の腕にはまった。

「ふぅん」

 輪には長方形のくぼみがあり、それを10に区切るように9本の線が彫られている。バランスを考えて腕にはめたつもりだったがなにか物足りない。

「何かがこの長方形の所に入っていたんじゃないかなぁ」

  くぼみに姫香が指を触れると、長方形の部分が白く光りだした。それを下から上に走る赤、橙、黄、緑の光の棒線が映しだされた。

「何、これ!」

 慌ててブレスレットを腕からはずす。すううっと、光が消えた。

「どこかに電池でも入っているのかな?」

 そんな場所は見当たらない。もう一度腕につけるとまた光の線がくぼみを走った。

「きれいだなぁ」

 ゲンブが不思議そうにブレスレットをのぞいた。それに合わせ光の長さが変わる。

「なんだ。おれにも見せろ」

 ビャッコが身を乗りだした。また光の長さが変化する。どうも光の線はブレスレットの前にいる者と連動しているようだ。

「光の下にある模様にも意味がありそうだけど」

 ビャッコとゲンブに見せたが二人は知らないという風に首を振った。

「俺はそれを知ってる」

 ヒルコが自慢げに鏡から顔をあげた。

「え、ほんと? なら、教えてよ」

「質問するならチョコレートをくれ。1つじゃなくて1粒だぞ。間違えるな」

「はいはい、わかりました」

 しぶしぶチョコレートをヒルコの口に入れた。チョコを舐め終わったヒルコが満足そうに話しはじめた。

「それは、パラメータという物だ。光によって、ステータスゲージが出ている」

「ステータスゲージって?」

「状態表示だ。色の長さが、マックス、つまり最大数値を示している。赤色の光の下には、体力と書かれている。次の橙が攻撃。黄色が防御、緑が俊敏だ」

 長方形のくぼみを区切っている横線は、長方形を10に分けている。その上を色が縦に走っているから、1色のマックスは10ということだ。

「ねぇ、二人とも元気だよね」

「うん、ぼくは元気だよ」

「ああ、おれも元気だ」

(……みんなが元気だということは)

 健康な状態で所持する能力の最大数値が、各色となって表示されているのだ。

 みんなのゲージを砂に書く。

 

  姫香         体力値2、攻撃力2、防御力2、俊敏力2。

  ビャッコ   体力値8、攻撃力8、防御力8、俊敏力6。

  ゲンブ      体力値9、攻撃力9、防御力9、俊敏力2。

 

「俺はどうだ」

 ヒルコにパラメータを向けたがゲージは表示されない。

「案内役は、例外ってことかな」

「おもしろくない」

(……顔だけでどうやって戦う気なんだか)

「ぼく、よくわかんないや」

「うん、説明するね」

「ビャッコは全体的にバランスがいい。ゲンブは動きが遅いけど」

「ぼく、のろまだから」

 今にも泣きそうだ。

「動きのほかは、わたしたちよりうんと優れているんだよ」

「そうなの?」

 ゲンブの顔が明るくなった。姫香はほっと胸を撫でおろした。

「おれとおまえの力を合わせりゃゲンブより上じゃねぇか。それなのに、なぜあんなに苦戦したんだよ」

 今度はビャッコが不満そうだ。

「ゲージではそうなっているんだもん」

「本当にこれがおれたちのステータスなのか?」

 砂地に落ちている石斧が気にかかる。

「刀をはずして、石斧を持ってみて」

 体力値6、攻撃力6、防御力6、俊敏力8。

「やっぱり。俊敏力以外がダウンする。刀の威力がすごいんだよ。そうだ。今度はゲンブの剣を持ってみてよ」

 ビャッコも興味があるらしく、ゲンブから剣を受け取った。

 刀より数倍大きい両刃の剣だ。どんな風にレベルアップするのか、ワクワクした。

「ひゃぁ、ゲンブ。おまえこんなに重い剣を持っているのか」

 ビャッコが驚きの声をあげた。

 ビャッコの数値は、体力値3、攻撃力3、防御力3、俊敏力3。

「あー、ゲージがぜんぶ、レベルダウンしちゃった」

「なんだ。ダメじゃねぇか」

 剣を返すと、体力値5、攻撃力5、防御力5、俊敏力9になった。

 ビャッコは今、すべての武器を外している。これが武器を持たない時のビャッコの数値なのだ。

「刀を持つと俊敏力が落ちるよ。刀が重いせいかも」

「速さは強さでカバーしてみせるさ。な、ゲンブ!」

「うん、がんばる!」

 ゲンブが嬉しそうに剣を一振りして背中の鞘に戻した。

 姫香は砂浜に落ちている石斧を持った。ゲージはぴくりともしない。

 持つべき人間が武器を持たないと役に立たないということなのだろう。

「なんだ、おまえ。石斧も持てねぇのかよ」

「うん、そうみたい」

「おまえが使えないなら、これはいらねぇな」

 石斧を取りあげ石斧を海へ放り投げた。ぼちゃんと音をたてて石斧が海に沈む。

「なにすんのよ!  ほかに仲間ができたら使えるじゃないの!」

「おまえなぁ。おれたちより弱いのを仲間にしてどーすんだよ」

 先のことを何も考えていないビャッコに腹が立った。

「もういい。ちょっと一人にして」

「急に怒りだすなんて。変なヤツ」

 もう何を話してもケンカになるだけだった。離れていくビャッコに大きくため息をつき、深呼吸して姫香は砂に書いた数値に目を落とした。

 記憶しておけば戦いの時に困らないはずだ。パラメータの光が消えれば、0ゼロ

 その時が死ぬ時なのだ。

 

「よし、覚えた。ねぇ、このパラメータは誰が持つ?」

「おれはいらねぇ」

「ぼくもいらなーい」

「俺には細いから無理だ」

 ヒルコがすずしい顔で答えた。

(……顔につけてどーすんのよ)

「じゃ、わたしが着けるね」

 みんなが生死の境へ踏みこむ危険を回避できるかもしれない。

「お姉ちゃん、これも」

 ゲンブの手に5粒の真珠が乗っている。

「うわぁ、大きな真珠だね。それはゲンブが使えばいいよ」

「ぼく使い方わかんない」

 ヒルコがゲンブの腕に飛び乗った。

「ゲンブには使いこなせん。真珠は瑪瑙の20倍の金額だぞ」

「うわ、そんな大金、わたしだって使えないよ」

 ビャッコがゲンブの手から真珠を取って、姫香に握らせた。

「これはおまえが持っとけ。ただし、薬は買えよ。死にたくねぇからな」

「うん、買ったら渡すね」

「渡さなくっていい。逃げ足はお前が一番なんだろ。死にたくなきゃ逃げろ。わかったな」

 その言葉に喉の奥に熱い塊が引っかかった。

 ビャッコなりのやさしさ。いつでも見捨てて逃げだせばいいと言っている。

(でも、もう決して現実から逃げたりしないよ)

 命をかけることで小さな連帯感が生まれていた。

たきもと裕
天降り姫 ヒルコの夢 -1-
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