天降り姫 ヒルコの夢 -1-

第6章 迷宮( 1 / 3 )

 

 朝のきざ しに、姫香は重いまぶたをあげた。

 窓の隙間から幾筋もの黄金の矢が射し、外にまばゆい陽光が満ちたことを告げている。

 隣には姫香に腕枕をしてビャッコが眠っている。

(ビャッコとキスしようとした……そして……金朱雀が……セイが……)

 夢か現実かがわからず、混乱した頭を振った。その動きにビャッコが目を覚ました。

「さすがに昨日はきつかったな」

 大きく伸びをしてビャッコが笑った。その言葉で現実がはっきりと姫香に蘇った。

「そうよ、セイは?  セイが!」

「姫香っ!」

 ビャッコの制止も聞かず、廊下を走った。セイの部屋のドアを開け、逆光に目がくらんだ。

 光の中から徐々にセイの姿が浮き上がってきた。

「無事だったんだ……わたし……死んだかと……」

 泣き崩れた姫香を、あとから来たビャッコが抱き起こした。

「あいつが金朱雀だったんだぜ」

 涙を拭く。窓際に見たことのない三人がいる。

 身長2mほどの仏頂面をした青年は、僧侶のように頭を丸め、白い衣を羽織っている。

 ブルーの髪の青年は丈の短い黒色のワンピースを着て、満面の笑みをたたえている。

 その二人の奥に可憐な少女がたたずんでいる。

 身長は姫香より少し低いだろうか。燃えるように赤い大きな瞳。足元へと流れ落ちてる赤い髪。透き通るような白い肌には金色の着物。腕にかけた金の羽衣はごろも が、風もないのにたなびいている。

「あなたたちが、金朱雀?」

「まだ、寝ぼけているのか、俺はヒルコだ!」

 僧侶のような青年が怒鳴った。

「ぼく、ゲンブだよ」

 と、ブルーの髪の青年がにこっと笑った。

「ヒルコだけじゃなくて、ゲンブまで?」

「うん、すごいでしょ。お姉ちゃん」

 姫香より身長が伸びた今のゲンブに「お姉ちゃん」と呼ばれるのは変な感じだ。

 けれど、二人とも子供の時と中身は変わっていそうにない。

「どうぞ、こちらへ」

 セイが少女の手を取り、前へといざなった。

われ の名は、スザク。貴女に浄化された者ですよ」

 姫香より幼いが、高圧的な話し方と凛とした気品が、暗黙のうち に人を従わせる力を発散していた。

「スザクは霊力を持っているのです」

 セイがいとおしい者を見るような眼差しをスザクに向けた。

「それってセイの呪術よりすごいの?」

「はい。呪術など霊力の前には足元にも及びません」

 そう告げるセイをスザクもやさしい目で見つめている。

「どうやって呪縛解除したのか、教えてやれよ」

 ビャッコに言われ、セイが語りだした。

 

 金朱雀がセイに炎を吐いた直後、セイも金朱雀に向火を放った。その向火は桃と笹の力をえて迫りくる炎をしりぞけ、金朱雀を炙った。スザクの魂の浄化は清らかな火によってのみ促されるものだったのだ。

 

「どうだ、姫香。クールか?」

 ヒルコと名乗る青年が口をはさんできた。

『大人になったら、きっとクールな男になるよ』

 前に姫香がそう言ったようにヒルコは目鼻のすっきりした青年になっていた。けれども、今も眉毛と髪の毛はない。よく見ると着ている服はシーツだった。

「落とし物ですよ」

 スザクがネックレスを姫香の首にかけた。長い紐に七色なないろの勾玉がつむ いである。それが太陽の光を受け、虹のかけらを部屋中に振りまいた。

「きれい。でも、これ、わたしのじゃないよ」

八尺瓊勾玉やさかにのまがたま は貴女の腕輪が変化したモノですよ」

 たしかに姫香の腕からパラメータが消えている。ネックレスの勾玉はパラメータの赤、橙、黄、緑、青、藍に紫が加わった七色だ。紫がたぶん霊力をさす。

「詳しいことは案内役にお聞きになればよろしいのでは?」

 スザクがヒルコをちらりと見た。

「ヒルコも知っているの?」

 苦虫をかみつぶしたような顔でヒルコがぼそりといった。

「それは、三種の神器さんしゅのじんぎ の1つだ」

「1つって、まだあるの?」

 初めて聞く言葉に戸惑う。

「あと2つ。八咫鏡やたのかがみ と草薙剣くさなぎのつるぎ を見つけねばならん」

「ヒルコ、そんなこと今まで言わなかったじゃないの」

「今、わかった」

 スザクがひそかに笑ったようだった。

「えっと、スザクはあとの2つがどこにあるか知っているの?」

 姫香の問いにスザクが長いまつげをふせた。

「我は知りません。見つけるとしたら貴女でしょう」

「わたしが?」

「では、みな に見合った姿を差し上げましょう」

 部屋の片隅に玉をちりばめたきれいな琴が置かれている。スザクが琴の前にすっと座り、なめらかな手つきで弦を爪弾いた。

 

「これは、天の沼琴あめのぬごと 

 心地いい琴の音色が響く。うっとりと耳を傾けて音がやんだ時、スザクの霊力にみんなが一斉に歓喜の声を上げた。

 ビャッコは、皮鎧かわよろい をつけ、肩当て、手甲てっこう 、膝当て、ブーツとどれもが白く輝いている。刀は、直刀の十拳の剣とつかのつるぎ に進化した。ビャッコいわ く、すばらしい剣だそうだ。

 ヒルコの小竹葉は、槍に似た武器、天の沼矛あめのぬぼこ になった。長柄ながえ に玉飾りの細工がされていて、すばらしく美しい。服は、白絹のあわせ とラップパンツ。一番身長が高いこともあって、モデルみたいだ。

 ゲンブの剣は、生太刀いくたち という名の更に大きな剣になった。黒く光るよろい とブーツが青年になったゲンブのイメージにぴったりだ。

 セイが火口に落としたカズラは銀の弓と矢のセットアイテム、生弓矢いくゆみや として蘇った。

 

「さぁ、しもべも揃い、旅立ちの時が参りました。夜刀招来やとしょうらい の儀式を行う時がきたのです」

 スザクが凛とした声でそう宣言した。

「そんなこと急に言われても。それにしもべって言い方、変だよ。みんな仲間じゃない」

「仲間ではありません。貴女はあるじ 。我らを導く天降り姫です」

 一同が姫香に向かってひざまずいた。

「冗談はやめて」

 みんなじっと動かない。

「やめてよ、さっきまで……ついさっきまで仲間だったじゃない!」

主従しゅじゅう の関係に揺るぎはありません。どうぞ、ご命じください」

 スザクが冷たく言った。

「こんなの……やだ……」

 燃えるような目に射すくめられ、動くこともできない。

「な、なんだ、今、頭がぼうっとしたぞ」

 頭を振りながらビャッコがそばにきて姫香の肩を抱いた。

「姫香をいじめるんじゃねぇ。こいつはおれのモノだ」

「貴方の、モノ?」

 スザクが驚いたように目を見張った。ヒュッとヒルコが口笛を吹いた。

「おいおい、ビャッコ、いつから二人はそんな仲になったんだ」

 ヒルコが立ち上がり、ゲンブと顔を見合わせて二人が姫香の隣に並んだ。

「俺もゲンブも姫香の仲間だ」

 青年ゲンブが姫香を心配そうに見た。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 セイがすっと立った。

「スザク、今はこれでよいではありませんか」

「皆はそれが望みなのですか?  セイ、貴方も?」

 うなずいたセイを見つめ、スザクが一拍おいて告げた。

「ならば、天降り姫。我もその仲間に入れてくださいますか?」

「う……うん。もちろんだよ」

 みんなが安堵の表情を浮かべた。

「あとスザク。儀式はもう少し待ってほしいの」

 スザクが姫香をしげしげと見た。

「なにゆえですか?」

「わたしは神器を揃えなければ夜刀を倒せないと思う。だから、わたしが三種の神器を見つけるまで待ってほしい」

 尻込みしているのかもしれない。しかし、考えるゆとりがほしかった。

「それが貴女の望みなら、そうなさればよろしいでしょう」

 スザクがそっと目を伏せた。

 

 ノックの音がして、頬をはらした宿屋の主人がドアから顔をだした。

「あのぉう、天降り姫さまにお話があるんですが」

「なんだ、てめー。また殴られたいのか!」

 ビャッコがずかずかと亭主の前に進んだ。

「あ、滅相もございません。うちの息子がとんだことをしでかしまして。ほら、こっちに来いっ!」

 主人の背後から体中包帯だらけの青年がやってきた。顔は青や赤に膨れ上がっているが頭に巻いた包帯の間から紫の髪がのぞいている。昨日、姫香を襲った青年が紫頭を深々とさげた。

「すんませんでした」

 主人がゴマをする手つきで媚を売った。

「いやぁ、みなさんがお偉い方とは知りませんで大変失礼いたしました。お詫びに、部屋をご用意させていただきました。もちろん、無料でけっこうでございます」

 そして、気前よく部屋を割り当てた。みんなは二階の部屋。姫香だけが一階になった。

 それぞれの部屋に散ったあとも、ビャッコだけは姫香のそばにいた。

「おまえの部屋、いいじゃねぇか」

 今度の部屋は以前の部屋より倍以上広く、塵一つないほどきれいに掃除されている。

 無言で部屋からでた姫香をビャッコが追いかけてきた。

「おい、どこに行くんだ。様子が変だぞ」

「かまわないで」

「いつもすぐ泣く癖に、おまえさっきは泣かなかったよな。それって、しもべって言われたことがショックだったからじゃねぇのか」

 確かに今でもみんなの態度が急変したことに困惑していた。

「そういや」

 ビャッコがじろじろと見た。

「なに?」

「いや、なんか、おまえとスザクって似てねぇか?」

「あんな美人と似てるわけないでしょ」

「そうだよな。なんでそう思ったのかなぁ?」

「ビャッコ、ビャッコ!」

 スザクの澄んだ声がした。スザクが二階の欄干らんかん から手招きをしている。

「なんだよ?」

「ビャッコ、お聞きしたいことがあります。こちらへ来てくださいませんか」

「おれになんの用だよ」

 階段を上がりかけたビャッコが姫香の方へ振り返った。

「ここで待ってろ。いいな」

 ビャッコが身軽に階段を駆け上がり、ドアの閉まる音が聞こえた。

 しばらく待ったがビャッコはもどってこない。待つ時間が永遠のように思えた。

「ごめん……わたし……もう待てないよ」

  誰に言うでもなくつぶやいて、宿屋の玄関を開けた。

 

 目の前に広がる景色に姫香は息を呑んだ。

 神名火山のあった場所にはどこまでも続く、真っ青な海。街を貫通して流れる川は河口付近で大きく広がり、海へと続いている。白く輝く石灰で作られた建物の間を人々は陽気に闊歩し、街路樹は新芽で覆われている。空気には清涼感が漂い、街全体が活気に満ちていた。

「まるで……まるで違う街」

 地図を広げる。すべての方位に色が塗られている。

 方位の外周には円が描きこまれ、北から南に向かって円を分断するように川が逆S字を描く、勾玉を交互に組み合わせた大極図たいきょくず の形になっている。地図はオノゴロが外界のない閉じた世界だと教えていた。

「今まで、装備強化と敵攻略のアイテムをそれとは知らずに手に入れてきた」

 あのスザクさえ手玉にとる敵。夜刀を偶然に打ち破るなど皆無に等しい。

「三種の神器は必須アイテムなんだ」

 それを持たずして最終ステージをクリアできるはずがなかった。

第6章 迷宮( 2 / 3 )

 

 神器が見つかることを期待して姫香は街中を歩いた。

「どこかにヒントがあるはず。それはどこにあるの?」

 立ち止まれば何かに押しつぶされそうな、切迫した気持ちだった。

 高台に上り、街を見下ろす。街を歩いている人の中に学生服の少年の姿があった。

「あの人だ!」

 急いで少年のいた場所に向かう。そこに着いた時には少年の姿はなく、少年を見た人もいなかった。

「あの人のことを知っている気がするのに」

 白い霞がかかったようにどうしても思い出せなかった。

 

 西日が射しだした頃、道具屋に足を運んだ。

「昨日はほんとうに悪いことをした。許してくれるかね」

 道具屋の老婆はしきりに頭をさげた。

「おばあさん、今日は殺すっていうのは無しにしてくださいね」

「もちろんだよ。もう二度とあいつらを近づけやしないよ」

 老婆がさもすまなそうに背中を丸めた。

「八咫鏡と草薙剣がほしいんです。ありますか?」

「そんなものはうちにはないよ」

「桃は?  それだけでも……」

「悪いねぇ。桃はあれしかないんじゃ」

「そう……」

「お嬢ちゃんには素晴らしいしもべがいるんじゃ。新しい武器など、必要ないじゃろ」

「しもべなんかじゃない。みんな、仲間です!」

「そうか。そりゃぁ悪いことを言ったのぉ」

 よたよたとフロアにきて、老婆が椅子に座った。

「ほら、お嬢ちゃんも座るといいよ」

 老婆と座っているとのんびりした気分になった。

「お客さん、来ないね」

「お嬢ちゃんがいるじゃないか」

「だって、ほかにもお客さんが来てくれないと儲からないでしょ?」

「誰からもカネはとらん。儲かるもんかね」

「えっ?  わたしからは、とるじゃないですか」

「旅人からは、カネをとらねばならん」

「どういうこと?」

「わしの家で品物を揃え、魔物を倒しに行く。そうじゃろ?」

「そうだけど」

「そういう旅人からは、カネをとるんじゃ。それがさだめじゃ」

「それって、わたしのほかにも旅人がいるってこと?」

「ああ、そうじゃよ」

「もしかしたら、学生服を着た男の人が来なかった?」

「最近はおまえさんだけじゃよ」

「なら、わたしの前に来た旅人って、どんな人?」

「ずいぶん前のことでよう覚えとらんが」

 首をかしげて老婆は考えこんだ。

「お嬢ちゃんに似た女の子じゃったな」

「その子も天降り姫って呼ばれてた?」

「いや、そんな風には呼ばれとらんかったな。そうそう、犬と猿ときじ を連れとった」

「それって、鬼が島に鬼を退治しにいく桃太郎みたい」

 老婆が、ぽんと膝を打った。

「そうじゃ、女桃太郎と呼ばれとった。桃の絵のきれいな鏡を持っておったのぉ」

「桃の絵の鏡……女桃太郎?」

 祖母から女桃太郎の話を聞いたことがある。それは、普通の御伽噺おとぎばなし の桃太郎とは、似て異なるものだった。女の桃太郎を食べようと悪鬼が続々と襲ってくるのだ。幼い頃にその話を聞き、恐怖に泣きじゃくったことを覚えている。

「その人、那美モモって名前じゃなかった?」

 姫香の苗字は氷室だが、祖母は母方だから苗字が違う。

「さぁのぉ。知らんなぁ。そうじゃ、桃はその時に仕入れたんじゃ」

 老婆はそれ以上のことを思い出しはしなかった。話がつき、道具屋をでると黄昏時になっていた。

 

「おまえは今日、よくやったよ。さ、帰ろうぜ」

 オレンジ色の光の中にビャッコがいた。

「三種の神器はきっと見つけるから」

「そんなモンいらねぇよ。おれが守ってやる」

「三種の神器がなきゃ、夜刀を倒せないよ」

「必ず倒す。約束する」

「どうして約束ができるのよ!」

「おれが倒すって決めたからだ」

 天をあおいだビャッコの頬が夕焼けのせいか赤く見える。

「おまえは夜刀を倒しても帰れなかったらどうするんだ?」

 そんなことを考えたこともなかった。元の世界に帰れない時は死ぬ時だと思っていた。

「その時は、おれとここで暮らさないか?」

 ビャッコの顔は耳たぶまで真っ赤になっている。

 求婚されていることに気づき、姫香は頬を赤らめて下を向いた。

「おれが、ずっと守ってやる。どうだ?」

「わたし……わたしは……」

 ビャッコがいてくれればこの世界で生きていけるかもしれない。

「それは、ダメだ!」

 だしぬけにヒルコが建物の陰から現れた。

「姫香は天降り姫だ。三種の神器を集めること、夜刀を倒すことを宿命としている。それを叶え、そしてヨモツ国に帰る。それ以外に道はない」

「倒しても本当に帰れるかは、わからないんでしょう?」

「そうだ。だが、オノゴロは姫香の国ではない。帰れなかったら死ぬのだ」

「どうして、そんなことが言えるの?」

「俺は今でもお前の案内役だ」

「そんなこと、今まで言わなかったじゃねぇか。おまえ、なにか腹があったんだな!」

「俺のいしずえ にと思ってな」

「て、てめぇ。馬鹿にしやがって!」

 殴りかかったビャッコをヒルコはかるくいなした。

「仲間でしょ。喧嘩なんて、らしくないよ」

 怒りで真っ赤な顔のビャッコと冷淡なヒルコを見比べた。ビャッコが切れて、地面を大きくひとつ踏み鳴らした。

「もういいっ!  おれが言ったことはすべてなしだ。二人ともわかったなっ!」

 ヒルコと姫香を睨み、ビャッコが走り去った。ヒルコが苦笑いを浮かべた。

「忠告してやる。女から告白するのは愚の骨頂だぞ」

「なっ、なに言ってんのよ!」

 姫香は今、はっきりとビャッコから拒絶されたではないか。

「ヒルコのバカッ!」

 その場から姫香は走って逃げた。

 

 宿屋のすぐ近くまできた時、横道からでてきた人とぶつかり尻もちをついた。

「きみ、大丈夫?」

「すみません。……大丈夫です」

 涙でぐしょぐしょになった顏をあわててぬぐった。

「あまり大丈夫には見えないな。無理しちゃだめだよ」

「え?」

 姫香と同じ学校の制服を着ている。けれど、顔は逆光で見えない。

「もしかして、先輩ですか?」

 現世では先輩と話したこともなかった。けれども、先輩に似ている気がした。

「ほら、魔物が来たよ。がんばって」

 その人が指さす方向に目を凝らした。街の街路灯に明かりがつく。

「何もいないです。先輩? 先輩!」

 すぐそばにいたはずの姿がどこにもなかった。

第6章 迷宮( 3 / 3 )

 

「ブフォォ」

 荒く吹きつける息のような音がする。けれど、どこを向いても街の人がのんびりと街路を歩くのどかな景色だ。

「あっ、変身している!」

 何度変身しても慣れないバニーガール姿を手で覆う。この姿を先輩にさらさずほっとした。

「くそっ、魔物か!」

 宿屋からビャッコが剣を抜いてでてきた。姫香と目が合うとビャッコが気まずそうに目をそらした。

 空を暗雲が隠していく。

「ブ、ブフォォ」

 また鼻息が聞こえた。

「ビャッコ、あの音!」

「なにも聞こえないぞ。あれか!」

 家々の屋根をぴょんぴょんと飛び移り、五匹の魔物がやってくる。

 街路灯に照らされたその姿は猿だが、腹に犬の顔がついている。それが建物のベランダに制止した。

「ブフォォ」

 鼻息は、猿や犬の息づかいではない。誰もいない右方向から聞こえているのだ。

 宿屋の二階の窓からスザクが猿を見た。

猿犬マシライヌ は、体力値10、攻撃力10、防御力8、俊敏力10。たいしたことはないですわね」

 スザクは明らかに魔物を馬鹿にしている。

 道路沿いにあった一本の街路樹が、幹の根元からバキバキッと折れて倒れた。もうもうとした土埃に葉っぱが舞い踊り、街路にいた人々が悲鳴をあげて逃げまどった。

「ブフォォ!」

 巨大な猪が、倒れた木の幹を越えてのそりと道路へ踏みだした。

 濡れた鼻と長く太い牙。目は血の赤。全身を覆う茶色の毛は槍を背負ったように逆立っている。

イノコ は、体力値10、攻撃力10、防御力10、俊敏力5。こちらもたいしたことはない」

 スザクがあざ笑うかのように言った。道なりにきたヒルコがスザクに怒鳴った。

「たいしたことないなら、お前が倒せ!」

 ヒルコの後ろにはいつのまにかゲンブがくっついている。

「あとは、おまかせしますわ」

  嫌味なほどの笑顔を見せて、スザクが窓を閉めた。

「能力値が、10なのよ。スザク、一緒に戦って!」

 叫んだが窓は開かない。

「畜生、なめやがって。おれが猿をやる。ヒルコ、ゲンブ、おまえらはそっちの猪だ」

「わ、わたしは?」

「おまえは元の世界に帰りたきゃ、見学してろ!」

「バ、バカッ!」

 ビャッコが近くの木の幹を蹴って向かいのベランダへと飛び移った。あざけるような声をたて、マシラ犬たちが散り散りになる。

「お姉ちゃん、危ない!」

 その声に反応して、突進してくる猪を飛び越えた。

 イノコが宿屋の壁に突っこみ、がらがらと宿屋の外壁が崩れ落ちた。

「ブフォ!」

 大きな鼻息をあげ、猪がのそりと体をまわした。

「ぼくらがやる!」

 ゲンブが立ちはだかり生太刀を構えた。ヒルコも天の沼矛を面倒くさそうに向けている。

 直線攻撃を仕掛けるイノコに、スピードの遅いゲンブと戦闘経験のないヒルコは妥当といえる。

 ビャッコは瞬時に的確な判断をくだしたのだ。

(……だけど、わたしの扱いは間違っている)

 それを証明するために姫香はマシラ犬に向かって飛び上がった。

 ビャッコはマシラ犬を追い、家から家へと飛び移っている。ゲージはわからないが、今のビャッコの俊敏力は姫香と同レベルに見える。しかし、姫香のように空中で自在に動けないビャッコは苦戦していた。

 さすがに俊敏力10は速い。そのうえ、猿の腹から臍帯さいたいのようなもので繋がった犬の頭が、油断を見透かし飛びでてくる。

「ビャッコ、助けてあげる!」

 マシラ犬を追うビャッコの背を踏み台にして、姫香はより高く飛んだ。一度ついた加速を維持して空を飛び、猿と犬の頭をよける。

「姫香っ、引っこんでろ!」

「いやだっ!」

 犬の頭を超え、臍帯をジャンプ台にして姫香はもう一段飛び上がった。その時、悲鳴をあげマシラ犬が墜落した。それをビャッコが叩き切った。

「そうか!  結合部分が弱点なのね!」

 姫香は犬の頭が出るのを狙い、臍帯をヒールで蹴っ飛ばす。面白いようにボトボトとマシラ犬が下へと落ちていく。姫香の力では弱いダメージしか与えられないが、ビャッコが下にいるのだ。それで十分だった。落ちたマシラ犬をビャッコが次々と切り裂き、霧に変えていく。最後の五匹目を倒した時、ビャッコが姫香に向かって叫んだ。

「おまえなぁ、人を踏みつけにするんじゃねぇ!」

「見学してろ、なんていうからだよ」

 ビャッコのそばの地面へ降り立つ。

「もう言わねぇよ。そのかわり今度はおれも空を飛ばせろ」

「それはセイに頼んでよ」

「ちぇっ、戦う時にいないヤツに頼めるもんか」

「あはは、そりゃそうだよね」

 いつものように二人で笑い合っていた。

「ブフォ!」

 イノコを待ち構え、ゲンブとヒルコが剣と槍で突き刺した。大きく唸り声をあげ、猪が霧になって消えた。武装が解ける。

「ぼくらもやっつけたよ!」

 満面笑顔のゲンブが姫香たちに駆け寄ってきた。ヒルコはふたたび広がりだした夕焼けの中を渋い顔で悠然と歩いてくる。薄情なスザクのおかげで姫香たちの間に流れていたわだかまりが消えていた。それに能力値の高い魔物に勝てたことでみんなに自信が溢れている。

(……ああ、なんて楽しいんだろう)

 戦いがではない。みんなと共にいることが楽しいのだ。

 

「夜が来る前に宝を探せ」

 ヒルコに言われ、みんなでほうぼう探し回る。

「これだけしかなさそうだな」

 魔物の宝は、酒壺さかつぼ と金貨5枚だった。

「酒は俺が預かっておこう」

 ヒルコがうれしそうに言った。

「お酒を飲んで酔っ払わないでよ」

「わかっている」

 ヒルコがゲンブに酒壺を放り投げ、それを受け取ったゲンブが腰の袋に入れた。

 ビャッコがつぶやいた。

「水に油に酒か。なんだか、壺ばっか集めている気がしねぇか?」

 それを聞いて姫香は気がついた。

「そうか、そうなんだ」

 壺の中身に色々な物が入ることで、壺の名前が変わる。

「ねぇ、ビャッコかゲンブの剣が草薙剣に進化するんじゃないの?」

「おれたちの剣が、か?」

 二人とも自分の剣を不思議そうに見つめている。

「だって、パラメータが八尺瓊勾玉になったんだよ。、それに、まだまだビャッコもゲンブも強くなるよ。今の戦いでわかったじゃない」

「ふぅぅん。お気楽な考え方だな」

 ヒルコが呆れたように手をあげた。

「あと、ヒルコは鏡を返して」

「俺は知らん」

「まさか、なくしちゃったの?」

「それって、おまえの鏡が八咫鏡になるってことか?」

 ビャッコは姫香の意図を察したらしい。

「たぶん。物が変化や進化をしてそうなるなら」

「おい、ヒルコ。どこに鏡をやったんだ。思い出せ!」

 ヒルコは相変わらずそ知らぬ顔だ。歩きながら、ゲンブが首をかしげた。

「ぼくは東だと思うな。だって、あそこからヒルコさん、鏡を見ていないもん」

 夕闇がたれこめている空を見上げた。

「今からじゃ、あそこまで行けないね」

「飛行術で取りにいけば簡単なことだ。明日、セイに頼もうぜ」

 ビャッコが宿屋の扉を開けた。

「そうそう、前に来た子は女桃太郎って名前で、犬と猿と雉を連れていたらしいよ」

「犬と猿って、いま殺したやつらか?」

「何匹もいたとは言わなかったから、あれとは違うと思う」

「それは誰が言ったのだ?」

 ヒルコが刺すような目を姫香に向けた。

「道具屋のおばあさんから聞いたよ」

「道具屋が知るはずがない。それは、夜刀の入れ知恵だ」

「なんのために?」

「姫香に不安を与えているのだ」

 階段を先にあがっていたビャッコが振り返った。

「不安になるような話なのか?  女桃太郎はどうなったんだ?」

「夜刀がまだいるってことは、死んじゃったのかも」

「そりゃぁ、不安だな。でも、おまえにはおれたちがいるんだ。おまえは家に帰れるさ」

 口の端を無理に上げてビャッコが笑顔をつくった。

 

 部屋に戻り姫香はベッドに寝転んで天井を見た。

 一人になれてほっとできるはずだった。疲れてもいた。それなのに眠ることもできず、姫香の頭はどんどん冴えていった。

「スザクは、皆はしもべといった」

 そして、みんなも一度はスザクに従ったのだ。

「あのビャッコやヒルコまでが」

 思い返せば、しもべという言葉をヒルコも使っていた。なじみのない言葉だったから姫香が勝手に仲間と置き換えたのだ。スザクは苦手だが、嘘をついていないのはわかる。素直に聞くのが早道なのだ。

「嫌だけど、聞くしかないか……」

 真実を知り、みんなとここで別れることになったとしても……。

「仕方がない」

 そうやっと決心がついた。

 死刑宣告でも受けるような気分で二階のスザクの部屋の前に立った。

 ドアがほんの少し開いていて、中が見える。神秘的なランプの光が部屋を照らしている。その中でセイとスザクが向かい合って立っていた。

「スザクと出会い、わたくしもやっと本来の記憶を取り戻しました」

「我もこうやって再び出会えたことを嬉しく思いますわ」

(なんだろ、あれ……)

 スザクとセイがそれぞれに手に捧げ持つのは時計の針だろうか。その先端は赤く濡れている。鉄臭い匂いがふっと鼻をついた。

(まさか……血?)

「スザク……いとおしい人……」

 そう言って、セイがスザクを抱き寄せた。

(ええっ! う、うそっ!)

 咄嗟に姫香はドアから離れた。

(な、なに。どういうことなの?)

 思いもかけなかったセイの言動に気が動転していた。

(ビャッコ、ビャッコなら)

 すがるような気持ちでビャッコの部屋へ向かった。ビャッコの部屋の前まできて、はっと気がついた。

(どう言えばいいの。焼き餅を焼いているみたいじゃないの)

 それをビャッコに指摘されたくなかった。

 扉の前で躊躇していると部屋の中から、ヒルコの憤慨した声が聞こえてきた。

「おれたちをしもべと言ったんだぞ」

 (……しもべ?)

「一瞬であろうと俺たちを惑わしたのだ」

「確かに一瞬意識が飛んだよな。だけど、あれってほんとにスザクのせいか?」

「あの二人は夜刀の元からきた。なにか企んでいるに違いないのだ」

「服や武器まで新調してくれたじゃねーか。もう信用してやれよ」

 ビャッコらしい答えだ。

「服ごときがなんだ!」

「この服より大亀の方が、ぼくは好きだったな。ね、また亀に変身させてよ」

「こらっ、ゲンブ。いらぬことを言うな」

「おい、今のはどういう意味だ。あれは夜刀の呪いじゃなかったのか」

「お前たちの力を強化したのだ」

「まさか、おまえがおれを虎にしたのか!」

「強化せねば魔物には勝てなかったろう」

「おれはなぁ、虎にならなくても強えぇんだよ!」

「う、ぐぇぇ!  首をしめるな、首を……」

「あ、お兄ちゃん、暴力はダメだよ」

 ドスンという音が轟いた。

「痛てぇぇ!  ゲンブ、おまえなぁ、手加減はねぇのか!」

「あっ、ごめん」

「ふぅふぅ。おお、苦しかった」

「お兄ちゃん、怒らないでよ」

「ちっ、過ぎたことだし仕方ねぇか。けど、これからは勝手なことすんじゃねぇぞ。わかったな」

「ああ、わかった」

 姫香は手をまじまじと見た。

(わたしをうさぎにしていたのは、ヒルコ?)

 弱っている心に釘を打たれた。

「あーっ、ねぇ。これ、おいしいよ。お兄ちゃんも食べたら?」

 何かを食べている。

「ゲンブ、もうやめとけ。そんなもん食って、腹を壊しても知らねぇぞ」

「腹など壊さん。戸喫へぐい はヨモツ国へのくさび になる」

「ヨモツ国って姫香の国だよな。で、ヘグイってのはなんだよ」

「そのうちわかる」

「ヘグイの意味を聞いてんだ」

「そのうちわかる」

「チッ、都合が悪くなると同じことばっか言いやがって。いい加減、頭にくるぜ!」

 どかどかと足音がして急に目の前のドアが大きく開いた。

 目を見開いたビャッコがドアの前に立っている。

「お、おまえ……」

「あ、あの、その……な、なんでもないの。ごめんなさいっ!」

 姫香はビャッコの前から逃げた。

 

 一階の部屋へ駆け戻り、ドアの鍵をかけてベッドに力なく座った。

「あ……ああ」

 今までのビャッコなら追いかけてきたろう。しばらく待ってもドアがノックされることはなかった。

「こんな時、そばにいてほしいのに」

 道具屋からの帰りの出来事がにがく思い出された。

『おれが言ったことはすべてなしだ。二人ともわかったなっ!』

  プロポーズされた直後に、はっきりと振られたのだ。ぼたぼたと涙が膝に落ちた。

「わたし……ビャッコが好き……だったんだ……ね」

 恋は終わったのだ。

「しっかりしなくちゃ!  ちゃんと考えなくちゃ!」

 涙をぬぐって頬を強く叩く。

「セイとスザク。わたしたちの敵なの?  それとも味方なの?」

 スザクにセイを奪われたことが心を千々ちぢに乱していた。

 セイから月のようなやさしさを、スザクから太陽のような輝きをとれば夜刀に似ていなくもない。

 二人の手にあった血まみれの物も気にかかった。

「ヒルコもわたしたちを動物に変えるような力を持っていた」

 肉や赤ん坊の時が長かったから、ヒルコは何もできないと思いこんでいた。

「みんなは、わたしにどうしろっていうの!」

 夜刀の力は強大だ。

 三種の神器を手に入れても互いへの不信感を持った状態では敗北する。それは死を意味していた。

「ちゃんと考えなきゃ。わたしが天降り姫なんだから、しっかりしなくちゃ」

 頭をかかえた。誰にも聞けない疑問とみんなの命がかかっている責任感に押し潰されそうだった。

「みんな、強い力を持っている。それなのに、なぜわたしが天降り姫なの?」

 次々に押し寄せてくる不安に耐えられなかった。しんとした部屋が孤独感をより強くした。

「ママ、パパ助けて。先輩、助けて」

 体を抱きしめる。

 唯一、現世との接点がある少年。だが、彼に会う方法すら見つかない。

「わたしはどうしたら……どうしたらいいの?」

 色々な想念が頭を駆け巡り、一人きりの夜に心の迷路はより複雑なものになっていった。

  

「どうだえ。 がもとに来る気になったかえ」

 見上げると姫香のすぐそばに夜刀がいた。 

第7章 最後の聖戦( 1 / 2 )

 

「どこに行ったんだ!」

 もぬけの殻の姫香の部屋を見て、ビャッコは暴れまくった。

「おまえが一人にしてやれと言うから、こんなことになったんだぞ!」

 ヒルコに飛びかかろうとしたビャッコを、ゲンブが取り押さえた。

 ゲンブの目から大粒の涙が零れ落ちている。

「やめて、もうやめてよ、お兄ちゃん!」

 八尺瓊勾玉は小机に無造作に置かれ、カバンの中身が床に散らばっている。

 それらを愛おしそうにヒルコがカバンに詰めた。

「たしかにもっと注意しておくべきだった。夜刀はわれらの隙をつき姫香を捕らえたのだ」

「はぁはぁ……もう暴れない。離せ、ゲンブ」

 涙と鼻水でぐしょぐしょの顔のゲンブに、ヒルコが小さくうなずいた。

 拘束がとけたビャッコが、痛そうに腕をさすった。

「誰かが夜刀の手引きをしたとしか思えんが」

 ヒルコが背後にいるセイとスザクに鋭い目を向けた。セイがヒルコを見返した。

「我らは夜刀とたもとをわかちました。それが姫さまのためになると信じたからです。だからこそ、我らはあなたが奪った肉体の制約をふたたび受けることにしたのです」

「おい、どういう意味だ、それは」

 ビャッコが怒鳴った。

 スザクたちはヒルコに以前、殺されたと言ったのも同然ではないか。スザクがヒルコを睨みつけた。

「我らと敵対したくなくば、イサを解き放ちなさい」

「この前もおれにイサを知らないかとしつこく聞いたよな。おい、スザク。イサって誰だ!」

 いらだつビャッコに向かってセイが悲しげに微笑んだ。

「姫さまとイサは一対なのです。ですから、イサも必ずこの地におみえになっています」

「それは姫香と同じ世界の人間がいるってことか?」

「そうです。お二人が力を合わせれば元の世界へもお帰りになれます。前回、お見えになった姫さまはイサとお帰りになったのですから」

「帰った?  それはどういうことだ?」

 誰もが知っている風なのにビャッコに答える者はいない。

「もういい!  結局のところ、おまえら全員、同じ穴のムジナじゃねぇか。姫香を利用してるだけだ!」

 スザクが鼻で笑った。

「そういう貴方はどうなのですか。天降り姫とイサの邪魔をして貴方は何を得るのですか」

「邪魔……だと」

 ビャッコが大きく深呼吸をして手を見た。

「おれはただ姫香が好きなだけだ」

 ビャッコが強く拳を握った。セイが静かに首を横に振った。

「イサは姫さまと同じようにこの地の物をお食べになりません。だから、あなたはイサにはなれない。姫さまを本当に想うなら、姫さまの前から消えるべきです」

「うるせぇ!  誰だろうと姫香はぜったいに渡さねぇ!」

 ビャッコが剣を握った。

「お姉ちゃんを返せ!」

 ゲンブが武器をかかげた。

「イサを執拗に探すのは、夜刀の為か!」

 ヒルコが目を怒らせた。スザクが挑戦的な笑みを浮かべた。

「天降り姫をヨモツ国に無事お返しすることが我らが望み」

「どうか、イサをお渡しください」

 セイが強いまなざしでスザクを守るように弓を構えた。

 

 

 姫香の目から落ちた涙が水たまりに波紋を広げ、みんなの姿が揺らいで消えた。

「ビャッコ……みんな……」

 混沌とした泥色の空間。その地にできた水たまりを通して姫香は一部始終を見ていた。

(……すべてがはっきりと壊れてしまった)

 内部分裂しかけていたとはいえ、この状況を招いたのは姫香自身だった。そのことに心が引き裂かれそうだ。涙を拭き、背後でほくそ笑んでいる夜刀を見据える。

「夜刀、イサはどこにいるの?」

 みんながイサと言っているのは学生服の少年に違いない。

「夜刀はヒルコの付けた名。に名は無い」

「あなたはいったい何者なの?」

「吾はイサでありナミでもある」

「まさか……あなたがイサなの?」

「否。吾は個であり、個ではない。吾は死しても死ねぬ、イサとナミの魂が集いしモノ」

「ナミ? ナミって、まさかおばあちゃんの、那美家のことなの?」

「左様。は、吾が血を継ぐ子孫、ナミ」

「わたしは、ナミじゃない。氷室姫香だよ!」

「だが、汝は此処に来た。汝こそ、那美の血を受け継ぐただ一人の子女、違うか?」

 たしかに、今の那美家の子供は男子ばかりで、女子はいない。

「此の地は混沌。此処には全てのモノが無く、そして、また全てのモノが在る。故に、自らが望めば全てが叶う地よ」

「それってわたしが望めば元の世界に帰れるってこと?」

「ナミだけの力では叶わぬ。道を示すは現世への執着。吾は現世には執着しておらぬ。吾はイサとナミによって成る。故に、ナミだけを帰す事は出来ぬ」

「ああっ、もういい。希望を持たせ、惑わそうとしても無駄。ヒルコはあなたがこの世界の災厄の元凶だと言った。やはりそれが真実なのよ」

「笑止!  吾を悪に仕立てれば、人は善の心で倒そうとするであろう。天降り姫と名を貰い、使命感は生まれなんだか。ヒルコの言葉に踊らされていないと汝は言い切れるのか、どうだ!」

 夜刀の剣幕に姫香は呑まれていた。

隠匿いんとくしたイサをヒルコは決して出しはせぬ。先ずヒルコを殺さねばならぬ。イサを解き放つには其れしか無い」

「殺すって……そんなこと!」

「汝がヒルコと共に在るならば、子籠こごもりし産むしか現世に帰るすべはないぞ」

 ざわざわと姫香の背中に冷たいものが走った。

「子籠り?」

「イサの赤子をナミが産む。其の子がヒルコよ」

「わたしが子どもを産む? そんな馬鹿な話」

「ならば、汝はヒルコが鏡に映るのを見た事があるか」

「ヒルコは鏡が大好きだもの」

「あるか、と聞いておる」

 鏡に映るヒルコを見たことはない。

「其が答え。此の地は全てが叶う地。只一つ、ヒルコの体を除いてはな」

 混乱してまともに考えることが出来ない。

「そうだ。三種の神器を集めてイサを見つければ」

 夜刀がふくみ笑いをした。

「三種の神器などヒルコが作った足かせに過ぎぬ。頭をいじりたわむたぶらかしておるのよ」

 たしかにこの世界にきてから現世のことを忘れている。

「だけど……」

 どうしてもヒルコが悪とは思えない。頭を強く左右に振り、顔をあげた。

「ヒルコはひねてはいるけど、悪い子じゃない。きちんと話せば、あなたの苦しみだってきっとわかってくれる。それに子供を産むよりもっといい解決方法だって、みんなで探せば必ず見つけられるよ。だから、みんなでまず話し合おうよ」

「面妖な事を言う。吾が双腕そうわんであったセイとスザクが惹かれたのは、其処そこなのであろうな。だが、吾は決してヒルコを容赦せぬ」

「イサは?  もし、本当にヒルコがイサを隠しているんならイサまで死ぬかもしれないんだよ。あなたは子孫を殺してまでヒルコに恨みをはらすの?」

「ヒルコに付くモノは全て滅ぼす。時は満ちた。さ、戦いの場へ参ろう」

 来いというように夜刀が手をのばした。

 

「いやだ、行かない!」

 直感が姫香の口から流れでた。

 姫香は物事を論理的に思考するタイプではない。どちらかといえば、考えすぎて失敗するタイプなのだ。だから、迷ったときは直感に従う。それが今まで生きてきた上で最良の道だった。

「みんなを殺すと言うのなら、わたしはあなたと戦う」

 夜刀の目に宿る深淵を正面から見つめ返す。

「気丈なことよの。だが、吾に勝てはせぬぞ」

「絶対に負けない!」

 みんなといて楽しいと感じた気持ちに偽りはない。

「勝てはせぬぞ……勝てはせぬ……」

 哀しい笑みを残し、夜刀が消えた。 


たきもと裕
天降り姫 ヒルコの夢 -1-
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