天降り姫 ヒルコの夢 -1-

第4章 春のおとずれ( 1 / 4 )

 

 昨夜の喧騒が嘘のように静かに朝を迎えた。

 玄関に全員が集まっていた。

「おはよう!」

 新しい引き戸がつけられ、玄関の外で待っていたゲンブが笑顔を向けた。

「ぼく、今日は壊さなかったんだよ」

「遅いぞ、姫香」

 ヒルコがゲンブの肩から声をかけてきた。

「ビャッコ、おはよう!」

 ビャッコが一瞥をくれ、さっさと歩きだした。昨夜の気まずさがまだ尾をひいていた。

「みんな、気をつけてなぁ」

 村長と女房に見送られ、宿屋を出発した。歩きながら姫香はゲンブの肩に手を伸ばした。

「ヒルコのこと持つよ」

 その手を逃れるようにヒルコがゲンブの袋にダイビングした。

「姫香は危険すぎる。俺は、ゲンブがいい」

「そんなこと言うなら、二度と持たないからね」

「おお、それは有り難い」

「お姉ちゃん、怒らないでよ」

「怒ってなんか、ないっ!」

 姫香はビャッコの後を追った。

 海を背に畑にそって小道をいく。畑から村人が姫香に手を振っている。立ち止まり、姫香も手を振り返した。追いついてきたゲンブも懸命に手を振っている。いつの間にか、先ほどまでの苛立ちは消えていた。小道をゲンブと並んで歩きながら、姫香はふと気になったことを口にした。

「ねぇ、ゲンブ。この世界って花がないよね」

「ハナ?」

  ゲンブがしきりに鼻をさわっている。

「違う、違う。鼻じゃなくって、道に咲く花。この世界に花はないの?」

 草や木はあるのに花を一つも見ていない。

「花?  はな?  鼻?  それ、なぁに?」

  姫香は立ち止まり道端の植物を触った。

「ほら、芽ぶいて葉がつくでしょう。花が咲いて実ができるような植物はここにはないの?」

「目……歯……鼻……み?  耳?」

 体の部位を指で押さえていたゲンブが、目を輝かせて嬉しそうな声をあげた。

「わかった!  目、歯、鼻、耳がある植物って、人間のことだよね!  ね、ね、当たりでしょ?」

「人間と植物は違うよ」

「じゃぁ、答えはなぁに?」

 クイズだと思いこんでいるゲンブにどう説明していいかわからなくなった。

「植物も人も生きている。だから、同じだ」

 ヒルコが袋の中から言った。ゲンブがぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。

「じゃぁ、ぼくの答えで正解なんだね!  ね! ね!」

「あ、うん。ま、正解にしちゃおうか」

「わーい!  やったぁ!」

 花のことをこれ以上、説明する気には到底なれなかった。

 

 人の姿がなくなり、左に折れる小道が見えた。ヒルコが袋からビャッコに叫んだ。

「その小道から山へ入れ!」

 突如、姫香の視界が低くなった。みんな、兎、虎、大亀へと変身している。パラメータは兎の前足につき、兎になってもゲージが見える。

 前方の田んぼ道から魔物が一頭やってくる。首から下はりっぱな毛並みの黒い馬だが、その首の上に白黒まだらの牛の頭が乗っている。

「顔だけ牛だって。ぜったい変。バランス悪すぎ、アハハハ」

 あまりにも奇妙きてれつな魔物に姫香は笑いがとまらなくなった。

「こらっ、姫香、不謹慎だぞ!」

 ヒルコの顔が大亀の甲羅の上部にはまっている。それがまた笑いを増幅した。

「ヒッ、ヒルコ。ハハハッ、か、か、顔が出ているよ!」

 笑いすぎてお腹が痛い。

「当たり前だ。顔ができた。こらっ、笑ってないで戦え!」

 顔が形成したことで戦闘中もヒルコが見えるようになったらしい。

 姫香はお腹を押さえ魔物に目をやった。

「ハ、ハハッ……あれっ、牛はどこに行ったの?」

 前方にいた魔物がいない。

「きゃ!」

 姫香の横を突風が走った。何かがぶつかった音と振動に振り返る。

 亀の横腹に魔物が牛の角をたてている。

「笑っている場合じゃない。よーし!  キックだ!」

 魔物に向かってジャンプした。と同時に魔物の姿が消えた。

「まずい!」

 姫香は亀の甲羅を蹴って、バック転で地上に着地した。

「ゲンブ、蹴ってごめんっ!」

「ぼくは平気だよ!」

「こいつ、見た目より手強いぞ!」

 虎が興奮した声をあげた。虎を越したずっと先の道で魔物が前足で土をかき、鼻を鳴らしている。

「いつのまにあんな遠くへ?  2頭いるの?」

 腕を伸ばして魔物にパラメータを向ける。体力値5、攻撃力5、防御力5、俊敏力10

「じゅ、10?」

 俊敏力が異常に高い。

「俊敏力はビャッコが6、わたしが、あれっ?」

 記憶では数値はオール2だった。

 それが、体力値3、攻撃力4、防御力2、俊敏力9、と表示されている。

「どうやって、レベルアップしたの。きゃっ!」

 前方の魔物が消え、突風がまた横を走った。地響きと共に大亀が揺らぐ。魔物はゲンブを引っくり返す気なのだ。再度の風に姫香は目を凝らした。

「あっ!」

 今度は風の先に魔物の姿がはっきりと見える。目だけはスピードに追いついたのだ。

「ゲンブ、薬だよ。飲んで!」

 投げた治療薬を亀が吸いこんだ。体力値のゲージが6から8になった。

「ビャッコは刀を捨てて」

「なんでだよ」

「素手になれば俊敏力が9でしょ。それなら敵が見えるよ」

「どうやって捨てるんだ」

「刀って言えば、刀が空中に出るよ」

「刀、刀、刀っ!  おいっ、出ねぇぞ!」

「ええっ?」

 ゲンブが亀の頭をもたげた。

「いくらお兄ちゃんがすごくても、急に術なんてできっこないよ」

「うそ……」

 そんな難しいことをしているとは微塵も思っていなかった。

「もういい。姫香はゲンブの後ろに行け!」

「やだっ!  一緒に戦う!」

「勝手にしろ!」

 的外れに前足を振りまわす虎は牛の角に何度も宙に舞った。

「ぐぅぅ!」

 魔物が虎のわき腹を蹄で蹴りあげた。虎のゲージがぐんと低下する。

「体力値、1!」

 起き上がろうともがいている虎に駆け寄り、回復薬を口に入れた。

「く、くそぉ」

 虎がよろよろと立った。

「覚えて。白い治療薬が2。赤い回復薬が全回復させるの。きゃっ、なにすんの!」

 虎の前足が兎の体をさらい背中に乗せた。

「おれたちも合体するぞ!」

「ええっ、合体?」

 虎の背に乗ったというだけで身体的な変化はない。パラメータに目をやる。

「ゲージにも変化はないよ」

「できると思ったんだが」

 牛と馬が合体した姿を見て、ビャッコがそんな気になったのもわからなくはない。

「気分だけだよ。あ、左によけて!」

 魔物は二本の牛角で突き刺す気だ。

「次、右へ!」

 姫香の言葉に合わせ、虎は上手に攻撃をかわした。

「そうか。おまえがナビゲートすればいいんだ!」

 ビャッコは嬉しそうだが、兎の手でつかまっているのだ。虎の背中から落ちるのは時間の問題だった。

「今度は攻撃にまわるぞ!」

 ビャッコの攻撃がヒットすれば敵を倒せる、だが、俊敏力の差がありすぎる。

(動きを止めなくては。そうだ。動く歩道だ!)

 普通の道を走るより、動く歩道に乗って走る方が早く着く。それと同じ要領で、走る虎の上から飛んで加速する。そして、接合の弱そうな首をキックだ。たとえそれが決定打にならなくても動きをとめることはできる。

(動きをとめさえすれば、あとはビャッコがなんとかしてくれる。ええい、それでいく!)

「来たよ、道の中央へ!」

 ビャッコには見えていないが、魔物と正面衝突するコースだ。

(今だ!)

 虎の背中を蹴って飛びだした途端、ベタッと何かに張りつき呼吸がつまった。

「ああっ!」

 姫香はなんと牛の顔の中央に乗っているのだ。

 魔物がブルブルと頭を振り、一瞬、立ち止まった。血しぶきが吹きあがる。牛とも馬とも呼べない悲痛な声をあげ、魔物の体が大きく横に傾いだ。魔物から落ちる瞬間に見たのは、魔物の横腹が十字に引き裂かれた1コマだった。

「ぎゃっ!」

 どんと地面に兎の体が落ち、そのままゴロゴロと地面を転がった。

「う、うう」

 胸に激痛が走る。人間の手につくパラメータの体力値は1に近い。

「……まずい。ち、治療薬」

 白い霧の中を抜けて駆けてくるビャッコを見て、姫香は気を失った。

第4章 春のおとずれ( 2 / 4 )

 

 ゆらゆらと揺れている感じに姫香は重いまぶたをあげた。ビャッコにおんぶされて、山道を登っている。ビャッコがしきりに何かを喋っていた。

「敵に飛びこむなんて、誰が考えるんだ」

「飲めないなんてお姉ちゃんかわいそう」

 ゲンブの嗚咽。ヒルコも何か言っている。それを子守唄のように聞きながら姫香はまた深い眠りに落ちていった。

 

「いけないっ!」

 長く寝すぎた気がして飛び起きた。太陽が高い。かなりの時間寝ていたのは確かだ。

 兎の手につくパラメータを見る。体力値3、攻撃力4、防御力2、俊敏力9。

「回復してる!」

 森の中に亀の巨体が佇んでいる。その巨体の向こうに二頭の虎が見え隠れした。

 一頭は白、もう一頭は黄色。二頭は木々の間を跳躍し、組み合っては相手の体に爪をたてた。

「ギャァオオゥ!」

 唸り声をあげ、木を蹴った白い虎が黄虎の喉笛に一気に食らいついた。もがく黄虎を白い虎は放さず、より深く相手に噛みつき振りまわす。黄虎の首筋から血しぶきが立ち、そして、動かなくなった。白い虎がそれを無造作に草むらに投げ捨てた。

(……なんて恐ろしい光景なんだろう)

 今までもビャッコの戦闘を見てきた。今回は相手が同じ虎だから、よけい怖さを感じるのかもしれない。人間に戻ったビャッコがこちらに向かって駆けてくる。口や体に大量の血が飛び散る姿に姫香は心底ぞっとした。

「さ、ヒルコ、ゲンブ、行くぞ!」

 姫香を見ようともせずビャッコが歩きだした。ゲンブも、ゲンブの肩の上にいるヒルコも姫香と目を合わせない。

「みんな?」

 牛馬魔物での失敗にみんなが腹を立てているのだ。

「みんな、迷惑かけて、ごめん!  許して!」

 まるで透明人間になったように誰も見ようとしない。だが、今は臆している場合ではなかった。

「ごめんってば!」

 ビャッコに伸ばした手が弾かれた。

「おまえとはここまでだ。おまえは北岸村に帰れっ!」

「なぜ、そんなことを言うの。ねぇ、何があったの?」

「あの……お姉ちゃんもやっぱり一緒に」

 ゲンブがぼそぼそと口ごもった。

「ゲンブ、やめろ!」

「何よ、それ。言いたいことがあるなら、わたしにはっきり言いなよ」

 ビャッコがにがにがしげに舌打ちした。

「まだ、わかんねぇのか」

「わからないから、聞いているんじゃない!」

「なら、術で薬を出してみろ」

「そんなの簡単にできるよ。薬、出て!  薬!  薬っ!」

 どうしても薬が出現しない。

「やっぱりおまえは、変身中しか術を使えないんだな」

「え、そうなの?」

「今、出せないってことは、そういうことだろうがっ!  ゲンブ、治療薬を出せっ!」

 空中に浮いた薬をビャッコが指さした。

「今度は何よ」

「この薬を飲んでみろ」

「はいはい、飲めばいいのね」

 薬を取り、口に運ぶ。だが、口が硬く閉じて、何度やっても薬が入らない。

「やっぱり飲めねぇんだな。来いっ!」

 乱暴に手首を掴んだビャッコが姫香を強引に歩かせた。

「痛いよっ!  どこに行くの!」

 姫香が放りだされたのは、さっきビャッコが魔物と戦っていた所だ。目の前にまだ死にきれない虎の魔物が倒れている。魔物にパラメータを合わせると、すべてのゲージが0に近かった。

「こいつを生き返らせたら、考えを変えてやってもいいぜ」

 腕組みをしたビャッコが冷ややかに言った。

 魔物は血だまりの中に沈んでいる。半眼を開けているがその目はうつろで何も見えてはいないようだ。

「虎さん、ほら、薬だよ。飲んで」

 だらりと舌をたらしている口に薬を入れようとした。急に口が閉じる。

「飲めば助かるんだよ。ほら、飲んで」

 薬を入れようとするとキュッと口が閉まる。姫香と同じでどうしても口が開かないのだ。

 姫香は振り返りみんなの顔を見た。この結果を知っていたとみんなが無言で告げていた。

 薬を飲めないことが仲間になって戦えないことを裏付けている。姫香はそっと虎の頭を撫でた。

「助けてあげられなくて、ごめんね」

 虎の魔物の姿がビャッコの姿とだぶった。倒さなければ殺されてしまう。その状況は姫香も魔物も同じだったのだ。その巡り合わせが悲しかった。

「今度会う時は仲間に……お友達になろうね」

 目がゆっくりと閉じ、虎の体の力が抜けた。霧が魔物を包み風に流れて消えた。そこにはもう虎の姿も血だまりもなかった。

 ビャッコが姫香の手の平の薬を取って飲んだ。瞬時に血の汚れと傷が消え、さけていた服が直った。

「もうわかっただろう。おれたちはいつでも飲める。けど、普段食べないおまえは薬も飲めないんだ。おまえが持っていた薬はゲンブに渡したぜ。薬がなきゃ、おれたちも終わりだからな」

「薬が飲めなくったって、宿屋と呪縛解除で」

「おまえがそんなもので治るもんか。普通の人間なら宿屋に入ればすぐに治る。ゲンブを呪縛解除した時もおまえが治るのにずいぶん時間がかかった。おまえはおれたちとは違う世界の人間なんだ」

「がんばって食べるようにする。だから、そんなこと言わないで」

 ヒルコが冷たく言った。

「食べられはせん。もし万一、食べることが叶ったとしても、ヨモツ国に戻れば一夜を待たずして死ぬ」

「食べたら、死ぬ……」

「おまえを守りながら夜刀と戦うのは不可能だ。だから、おまえとはここで別れる。みんなでそう決めたんだ」

「そ、そんな……」

 たしかに体力値が低いわたしは小さな傷でも死ぬだろう。けれど、元の世界に帰るために辛いことにも耐えてきた。ここに残るか元の世界に帰るのかを選択するなら、わたしは元の世界に帰る方を選ぶ。

「わたし、死んだりしない。元の世界に帰るんだもん。だから、みんなと一緒に行く」

「これだけ言ってもダメか」

「当然でしょ。絶対に一緒に行くっ!」

 ビャッコの目は氷のように冷たかった。

「じゃぁ、着いてこられないようにしてやるよ」

 横でキラリと何かが光り、ちん、と刀身を鞘に収める音がした。

「ううっ!」

 足から力が抜け、姫香はその場にくずおれた。制服のスカートが斜めに切れ、生ぬるいものが足をつたった。

「何……」

 地面に赤い色が広がっていく。太ももを刀で切られたのだ。そう自覚した途端、熱をともなった激痛がやってきて気が遠のきそうになった。

「ゲンブ、行くぞ!」

 ビャッコが体をひるがえして山道を歩きだした。一瞬躊躇したゲンブもビャッコの後ろを着いていく。

「ゲンブ待って、ヒルコ、行かないで!」

 誰も振り返らない。

「一人になるのは嫌。置いていかないで!」

 足の痛みをこらえて立ち上がり、足を引きずりながら姫香は追いかけた。足の痛みよりも置きざりになることの方が何倍も恐ろしかった。

「ビャッコ、待って!」

 距離がどんどん開いていく。

「嫌、嫌、嫌っ!」

 死に物狂いでビャッコに追いつき、その背中にしがみついた。

「絶対に死なない。だから、一緒に!」

 ビャッコが振り返り、姫香の体を引き離した。ビャッコの視線が足に注がれている。

「治ったんだな」

 姫香も視線を落とした。切られたスカートが直っている。血の痕もない。ビャッコが姫香の肩をつかみ体を揺すった。

「どうやって治った!」

「わかんない!  わかんないよ!」

「思い出せ!  それがおまえの生き残る道だ!」

「わたし、みんなと離れたくない。死なないって思ったから」

  ヒルコが鼻で笑った。

「自己治癒をやっと自覚したようだぞ」

「そうか、ならいい」

 ビャッコがそっけなく言って、近場の木の根元にどかりと座った。ヒルコが意地悪い笑みを浮かべた。

「敵の力は強い。これからの戦いは凄絶を極めるだろう。おまえは俺たちのかなめ なのだ。だからこそ、己の力を知らねばならん。ビャッコを恨むな」

 ゲンブが天使のような笑顔で、小袋から肉をだした。

「ぼく、ハラハラしすぎてお腹すいちゃったよ」

「おい、おれにも肉だ!」

 ゲンブが肉を渡すといつものようにビャッコが肉を食べだした。

「あの、ビャッコ。わたしも一緒に行っていいの?」

「そういうこと」

 ビャッコが今までで一番の笑顔を見せた。その笑顔ですべてがわかった。

(……わたしのことを真剣に考えてくれたから)

「ビャッコ、ありがとう」

 照れくさそうにビャッコが肉にかじりついた。

 ヒルコがゲンブの肩からおりて姫香の前にきた。

「俺にはチョコレートを1粒だ。1粒分だぞ」

「あ……うん」

 木の葉をお皿がわりにしてチョコレートを2つ置く。箱の中に残ったチョコレートはあと1つ。姫香の胃がキリリと痛んだ。ヒルコがチョコレートに覆いかぶさった。すでにみんなは食べ物にしか意識が働いていない。かがんでビャッコの顔をのぞく。

「虎の宝を取ってこようと思うんだ。わたしを置いて行ったりしない?」

 肉から目を離して、ビャッコがにこりと笑った。

「もう、あんなことしねぇよ。おまえがどこにいてもちゃんと迎えにいく。安心しろ」

「ほんとうに?」

「ああ、食ったらすぐ迎えに行ってやる」

 食べるのをがまんしているのがわかる。

「じゃ、取ってくるね」

 みんなの方を何度も振り返りながら、姫香は虎が消えた所に向かった。

 

「ここら辺だったよね。あれかな?」

 地面には素焼きの小さな壺が1つ、ぽつんと置かれている。壺の中はからっぽだ。

「水壺と同じ?」

 壷を持つと、壷から黄色い液体が溢れた。手を離すと水壺と同じように液体がひく。手についた液体からは油の匂いがした。

「油なら、火種が手に入れればいろいろと使えそう。なんて呼ぼうかな。オーソドックスに油壺あぶらつぼでいいかな」

 油壺をそばに置き、姫香は木陰に腰をおろした。木々は新緑に輝き、さわやかな風に葉がゆらゆらとダンスをしている。さっきまでこの美しい景色すら目に入らなかった。みんなと一緒にいられることが幸せだった。

 カバンの中のアイテムを確認する。

 毛皮の帽子、呪術書、魚、海老、青菜、治療薬9個と回復薬5個。

「ゲンブに薬を渡したって言ったくせに。ぜんぶは取りあげなかったんだ」

 そのことに涙腺が緩んだ。

 あとは、水晶2個、瑪瑙7個。真珠3粒。

「真珠が多い」

 村を出発した時、真珠は1粒だった。牛馬の合体魔物の時に手に入れたのだろうか。

「あれっ?」

 姫香のパラメータのゲージが、オール2になっている。

「変身中とゲージが違う。もしかしてわたしは、装備強化しても変身後しか能力表示がされないの?」

 だとしたら、ゲージをあげる物が何か他にあるのだ。

 体を見たがゲンブにもらった靴しかない。並べたアイテムをカバンに片付け、ゲンブにもらった帽子をかぶる。

「おーい、姫香、出発するぞ!」

 坂の上でビャッコが手を振っている。

 姫香は並び立っている仲間に向かって走った。 

第4章 春のおとずれ( 3 / 4 )

 

「カバン、持ってやろうか」

「ううん、大丈夫」

 藪を切り開きながらビャッコが時々振り返っては姫香に聞いてくれる。

 足手まといになりたくないが、岩ばかりの急斜面を登るのは正直きつかった。

「ゲンブも疲れたでしょ。休もうか?」

「ぼくは元気だよ」

 ゲンブは歩くのは遅いが、大きな剣を背負っているのに息もあがっていない。

「ヒルコ、静かだね」

 ゲンブの小袋をのぞくとヒルコが気持ちよさそうに寝ていた。

「だらしないなぁ」

 疲労のあまりつい本音がこぼれた。

 岩場をのぼりきると一枚岩の広い崖にでた。崖下には暗い森に囲まれた湖が夕日を受けて赤く煌き、正面にそそり立つ崖からは神々しい滝が流れ落ちている。滝が霧となって湖面に吸いこまれるさまは、まるで絵か写真のように美しい。だが、あまりにも整いすぎた景色が逆に姫香の胸をざわつかせた。

 

 不安を助長するかのようにみんなが変身した。夕焼け空が一変し、黒い雲が重くのしかかってきた。

 上空でなにかが動く気配がする。それなのになぜか虎と亀は下を向いている。

「ビャッコ、ゲンブ、油断しないで。雲の中にいるよ!」

 二人に激を飛ばした。だが、二人とも顔をあげようとしない。

「どうしたの?」

 踏みだした姫香の足は、白いハイヒールを履いている。

「へ、変よ。うさぎに変身していない?」

 姫香は体を見まわした。白いレオタードを着て、お尻に丸い尻尾がついている。

「か、鏡!」

 鏡に映った姿に仰天した。頭に兎の耳までついている。これではバニーガールではないか。

「きゃぁぁぁぁぁっ!  なに、この恰好!」

 体を抱きしめる。新たに被った帽子がこんな変身を引き起こしたのだ。

「ゲンブ、これ、帽子の力ね!」

「ぼく、知らなーい」

 亀が頭を甲羅の中にすごすごと入れた。

「胸はもっと大きい方がいいが、左胸の痣は色っぽいぞ」

 甲羅からヒルコが姫香をいやらしい目つきで見ている。

「どこ見てんのよ。ヒルコのエッチ!」

 そ知らぬ顔で白い虎が空を見上げた。

「ビャッコもどこ見ているのよ、あっちだよ!」

 上空の雲のひとつを指さした。

「あ、そうだ。わたしのゲージ」

 体力値5、攻撃力4、防御力4、俊敏力9。

 この恰好はいただけないが、帽子を被る前よりレベルアップしている。それにゲージにはない集音能力も格段にあがっている。周囲の様々な音がやかましく、聴覚のレベルを意識的にさげた。その直後、大音響を轟かせかみなりが湖面に落ちた。

「宣戦布告らしいな」

 虎が空を睨みつけた。突如、雷が閃き、みんなを襲ってきた。

「狙って落としているぞ。姫香、隠れていろっ!」

「おあいにくさま、こんなの目を瞑っていてもよけられるよ」

「ちえっ、知らねぇぞ」

 急に焦げたような匂いが姫香の鼻をついた。ゲンブが雷に当たったのだ。ゲンブの体力値が、9から6にレベルダウンしている。

「ゲンブ、持っている薬を飲んで!」

「うん、わかった!」

 治療薬がゲンブの前に浮き、くちばしがそれを吸いこんだ。体力値が8に変わる。

 湖の水が渦を巻き、竜巻が勢いよく湖面の水を上空に吸い上げていく。のそのそと亀が崖っぷちに向かっていく。

「ゲンブ、勝手に動いちゃダメ!」

「ぼくがやっつけてくる」

「わ、俺を置いていけ!」

 ヒルコが叫んだと同時に、亀の巨体が崖から湖に落ちた。どどーんと大きな水しぶきが立った。

「あ~あ、ヒルコを連れてっちゃった」

 さすが亀、水の中では自由で素早い。あっという間に舞いあがる竜巻に乗って雲間に消えた。

「気をつけてねーっ!」

 聞こえないだろうが、声をかけずにいられなかった。

 

 天地を揺るがす怒号が響いた。騒がしかった雷鳴がぴたりとやむ。垂れこめた暗雲を押しつぶし、巨大な龍が出現した。

 長い胴体に四本の足。二本の角とひげ。まさしく絵で見る龍の姿だ。銀蒼龍という名の通り、青いウロコが稲光にあわせキラキラと銀色の星のかけらを振り撒いている。

「あっ、ゲンブ!」

 銀蒼龍の喉に亀が食らいついている。ゲンブを喉からぶらさげる銀蒼龍の全長は、ゆうに100mを超す。

 ゲンブにパラメータを合わせる。ゲージは体力値8を維持している。

「どれほどの敵なの?」

 銀蒼龍にパラメータを向けたが、ゲージが表示されない。

「レベル表示もできないぐらい強いってこと?」

 虎がそばに駆けてきた。

「おれを銀蒼龍まで飛ばせ!」

「そんなの無理だよ」

 アイテムとビャッコでは重さが桁違いだ。それに銀蒼龍が大きいから近く見えるだけでかなり距離がある。小さな薬ですら50mほど離れると術の力が落ちる。そんな時には姫香が近づいているのだ。薬を供給しているからそれはビャッコもわかっているはずだ。

「やりもしないでわかるもんか」

「じゃ、やってみる」

 姫香は虎が空に浮くイメージに集中した。急に虎がレオタードの尻尾をくわえて飛び退いた。雷が岩盤を焦がす。

「無防備すぎる。術をかける間、おれに乗っていろ」

「やだよ。恥ずかしい!」

 今だって充分赤面ものなのだ。

「そんなこと言っている場合か、乗れっ!」

 しぶしぶ虎の背中にまたがり、姫香はまた飛ぶように念じた。虎が空中に少し浮き上がった。

「よし、降りろ」

 姫香がおりると虎の体も地面へ着いた。

「クソッ。やっぱりダメか」

 けれども姫香には手ごたえがあった。何度かチャレンジすれば飛行術を習得できそうだ。

「勝手にあきらめないでよ」

 虎の首につかまりふたたび背中に乗る。

「なにをやっているんだ。できるんならおれだけを飛ばせ」

「わたしがそばにいなきゃ無理っ!」

 ひときわ大きな雷が目の前に落ちた。雷の衝撃に一枚岩がばきばきと割れていく。虎が破片の上を飛び移りながら叫んだ。

「ぶっつけ本番だ。しっかりやれっ!」

「ええーっ!」

 白い虎が最後の一片から銀蒼龍めがけてジャンプした。

「飛べ……飛べ、飛べ!」

 一瞬の下降。姫香は目を閉じ、飛ぶイメージを強く描いた。

(飛べ、飛べ、飛べぇぇぇぇっ!)

「よしっ、いいぞ!」

 その声に姫香は目を開けた。空を虎が駆けている。銀蒼龍のうねる尾が間近にせまり、尾の先へ着地した。稲光を飛び越え頭部に向かって駆けあがる。ウロコの一枚一枚が鉄板を濡らした状態だ。その上を走る虎の爪がギャリッギャリッと音をたてた。横を流れる銀蒼龍のたてがみが闇色の林に見える。大きな鹿の角を越え千畳敷のような顔面にでた。

「おりろ、姫香」

 言われるまま虎の背中からおりる。虎が半身を姫香に向けた。

「おまえは、すぐに帰れ」

「わたし、アイテムを試したい」

「なにをバカなことを。ヒルコが言ってたろう。こいつは呪縛解除できねぇんだ」

「わたしは銀蒼龍に仲間になってほしい。だから、アイテムを試したいの」

「なら、やりたいだけやれ。ただし、おまえのことはかまってやれねぇぞ」

「うん、平気」

「死ぬんじゃねぇぞ。それだけは約束しろ」

「約束する。ビャッコも死んじゃいやだよ」

 虎の首に抱きついて頬をよせた。

「ああ、まかせとけ!」

 虎が照れたように姫香の手を抜けて駆けていった。

 姫香は空に飛び、上空からみんなを見た。虎は銀蒼龍の目に爪を立てている。亀が銀蒼龍の首から表情のない目を姫香に向けた。攻撃によるダメージは感じられない。みんなを失わないためにもできることをするしかない。

「魚、行けっ!」

 魚が空中を駆け、銀蒼龍の口に入った。効き目はない。

(食べた。呪術解除の可能性は皆無じゃない!)

 体を大きくのけぞらせ銀蒼龍が咆哮した。虎が空中に振り飛ばされる。

「ビャッコ、止まれ。止まって!」

 必死の願いに虎の体が空中で停止し、姫香が虎に追いついた。

「助かったぜ。乗れ!」

 虎の背中にまたがる。銀蒼龍がゲンブを喉につけたまま、体をうねらせ向かってくる。ワニのような鋭い牙が開く。

「ビャッコ、そのまま前を抜けて!」

「おおっ!」

 青菜。次に海老を飛ばす。

「こいつ、食うのか!」

 ビャッコが驚きの声を発した。

 だが、変身は解けない。

 眼前を通り過ぎる時に姫香は呪術書を見せた。ギロリと睨むように動いた目が印象に残った。銀蒼龍の横腹を抜けながら油壺を傾けて振りまく。稲光に火がつき炎が流れたが、表面を焦がしもしない。

「姫香、残りのアイテムは!」

「もうない」

「目をつぶす。いいなっ!」

「うん、わかった」

 呪術書を握りしめる。

(ヒルコが村で読んでくれた呪文……呪文……)

 あの時の記憶を呼び起こすしかない。

 ビャッコは姫香を乗せ、銀蒼龍の右目をがりがりと引っかいている。しかし、その目は強化ガラスででもできているように傷一つ、つかない。

「ビャッコ、呪文を試す!  銀蒼龍の前に出て!」

「わかった!」

 虎がくるりと踵を返し、銀蒼龍の眼前の空中に躍りでた。はたはたとなびく呪術書を前に突きだす。

「我、言霊を発す!  山の恵み此処に集えっ!」

 唱えた呪文を銀蒼龍があざ笑ったかのように見えた。直後、龍の尾が虎をなぎ払った。

「きゃ!」

 即座に体を立て直したが姫香のそばにビャッコがいない。必死になって探す。

「ああっ!」

 真紅に染まった腹をだし、虎が湖面にぷかりと浮いた。ベキベキと何かを割る鈍い音が背後で起こった。銀蒼龍が亀の甲羅をはがそうとしている。

「や、やめてっ!」

 銀蒼龍の前脚から甲羅のはがれた亀が湖へと転がり落ち、大きな水しぶきがあがった。

「みんな……みんな……嫌だ……こんなの嫌だよ」

 湖を血の色が染めていく。絶望とはこういうものなのかとはっきりと思い知らされた。

(誰か……助けて……)

 みんながいてくれたからこの世界で生きてこられた。

 

(楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。さぁ、歌なと歌っておわっしぇよ)

 

 祖母の歌がぼんやりと聞こえた。

 

「春の……小川は……」

 いつしか姫香は歌を口ずさんでいた。

「さらさら流る……」

 銀蒼龍が近づいてくる。

「岸のすみれや……れんげの花に……」

 だが、姫香には逃げる気力すら残っていなかった。

「にほひめでたく……色うつくしく……」

 なぜか、銀蒼龍は姫香の前でとどまっている。

「咲けよ咲けよと……ささやくごとく」

 歌いきった時、木々が新緑に変わった。

 地面からは数え切れないほどの芽が吹きだし、その芽が急激に成長して、葉となり群生した。巻きひげはつるとなって木々にからみ、黄緑色の小さな花があちこちについた。色とりどりの花々が競うように花を開いていく。

(なに……これ)

 銀青龍に変化が起こった。ウロコをぽろぽろとはがし、銀青龍のあちこちから芽が生えだした。それらが蔓となって銀青龍の体を拘束した。丸い塊と化したその隙間から、青い閃光が幾本も瞬く。光の衝撃に押され、姫香は湖へと落ちていった。

 

(力が……出ない)

 どんどん沈んでいく。変身が解除され制服になった。

(息を……していない)

 けれど、水を飲みもしないし息苦しくもない。

(わたし……死んじゃったの?)

 深淵に住んでいた街並みが、家が、ぼんやりと見える。

(帰りたい……家に……帰り……たい)

 夜刀の声が耳元で囁いた。

「帰りたくば、吾がもとに来い」

 背後から伸びてきた腕が姫香をぐいっと抱えた。

(イヤだ!  イヤ!  夜刀のところはイヤッ!)

 必死で抵抗したが強い力になすすべもなく水面へと押しあげられた。水面を破って空気中に飛びでた途端、怒鳴り声が轟いた。

「このバカ!  暴れるんじゃねぇ、また沈むだろうがっ!」

 ビャッコが目の前にいた。

「生きていたのね、よかった!」

 強く抱きついた。

「バカだな、おれが死ぬかよ」

 姫香が顔をあげるとビャッコが笑っていた。

「ぼく、気絶しちゃってた」

 背後からゲンブの声がした。ヒルコが小さな腕でゲンブにつかまっている。

「ゲンブもヒルコも無事だったんだね!  よかった!」

 姫香の目からうれし涙が溢れた。

「おい、流されているぞ。早く岸へあがれ」

 そう言って、ヒルコが大きなくしゃみをした。

第4章 春のおとずれ( 4 / 4 )

 

 銀色の半月が暗雲を押しのけ月光が世界を覆っていく。

 湖は川へと変化を遂げ、その川面に映る星影が地上の星のように光った。花々の輪郭が淡く輝き、むせ返る花の香りに酔いそうだ。

 かわいい赤ん坊が、よろよろと水からあがって川原に立った。身長70㎝ほど。今まで顔しかなかったのが嘘のようだ。けれども、相変わらず眉毛と髪の毛はない。

「あれが銀青龍か」

 ヒルコの視線の先を見る。

(なんて……きれいな……人……)

 20歳前後の青年がはかなげな風情で花をバックに立っている。

 さわやかな風にサラサラとなびく腰まである銀色の髪。背が高くスリムな体には聖職者のごとき濃紺の服。天使の顔立ちに透きとおる白い肌。月光を浴びたその姿は息をのむほど美しかった。

 銀蒼龍が片膝をつき、会釈の姿勢をとった。

「姫さま、ご無礼の数々、どうかお許しください」

「あの、銀青龍さん。頭をあげてください」

「どうか、わたくしのことはセイとお呼びください。呪術師でありながら、未熟ゆえ、夜刀に幻惑されました。姫さまが奏でられた呪術を見て、ようやく心を取り戻すことができました」

「わたしが……呪術を……?」

「はい。生み出す呪術で、山の恵みが萌えいづりました」

 立ちあがったセイが周囲へと腕をまわした。

 育てる呪文と歌が呪術を完成させたのだ。銀青龍の解除アイテムは物ではなく、呪術を見せるという行為だったのだ。

 

「貴様、なにを企んでいる!」

 ヒルコが刺すような目でセイを睨んだ。

 ゲンブが剣を構えた。敵意まるだしの二人にセイが悲しげな表情で言った。

「企むなど。姫さまは魔物の死にすら悲しまれるお方。姫さまの望みが戦いではなく仲間となることなら、わたくしはその望みを叶えたいと思ったのです」

「敵の癖に何を甘いことを言っているのだ!」

「ヒルコ、よせ。呪縛解除をしたろ。こいつは仲間だ。ゲンブも剣をひけ」

 ビャッコが二人を押しとどめた。

「あ、うん。わかった」

 ゲンブが素直に剣を収めた。

「こらっ、ゲンブ、やっつけるんだ!」

「この馬鹿め。いい加減にしろ」

 ビャッコがヒルコの耳をつかんだ。 

「痛いっ、はなさんかっ!」

「おまえの情報のせいでみんな死にかけたんだぞ。ちっとは反省しろっ!」

「ゲンブ、はやくやっつけろ!」

 ヒルコがビャッコの手を逃れゲンブの後ろにまわった。ゲンブは今にも泣きそうだ。

「お姉ちゃん、ぼくどうしたらいいの?」

「ゲンブ、泣かないで。ちょっとだけ待っててね」

 ゲンブの頭を軽く撫で、姫香がビャッコを見た。

「な、なんだよ」

「ビャッコはセイが仲間になってもいいの?」

「いいだろ。口だけのヤツはしゃくにさわるが、強いヤツは好きだ」

 何もしなかったヒルコにビャッコが腹を立てるのはもっともだ。

 呪縛解除の可能性を否定されていなければ、もっと違った戦い方があった。偶然とはいえ、呪縛解除をしたことが仲間のしるしではないか。ゲンブの後ろのヒルコに声をかける。

「ねぇ、ヒルコは、仲間を増やしたくないの?」

「仲間は揃っている」

 ヒルコは言いだすときかない。だけど、セイを仲間にするには納得させるしかない。

「夜刀を倒す天降り姫は誰だっけ?」

「それは、お前だ」

「なら、わたしが仲間を決めてもいいんでしょ?」

「そうだ」

 仏頂面がより深みを増した。

「じゃぁ、セイには仲間になってもらう。わたしが決めるんだから文句ないよね?」

「うむ、わかった。姫香もあとで文句を言うな」

 捨て台詞を吐いて、とうとうヒルコはそっぽを向いてしまった。

「ゲンブはどう?」

「ぼくはいいよ」

「決定!  セイも仲間だよ」

「姫さま、ほんとうによろしいのでしょうか」

「うん、いいの」

「ありがとうございます。では、どうぞよろしくお願いいたします」

「うん、こちらこそよろしくね」

 セイが指揮者のように手を振り、巻物が空中に浮いた。姫香の腕に青い光がよぎる。

「呪術書、お返しいたします」

「それ、セイが持っていて。わたしには使えないもの」

「姫さまがそうおっしゃるのでしたら」

 手の一振りで呪術書が消えた。裸のヒルコがみんなの間をちょこちょこと走りまわっている。セイがヒルコに視線をやった。

「あ、ヒルコのことは気にしなくていいよ。すぐに機嫌は直るから」

 ヒルコを捕まえ、ハンカチを胸の前で縛る。

「ほら、これで洋服になったよ」

 花柄のハンカチがムームーみたいだ。それを見てビャッコが大笑いした。

「ぶはははっ、おもしれぇ恰好だなぁ、おいっ!」

「俺は裸でいい。これをはずせ!」

 セイがヒルコに向かって手をかざし、歌うように唱えた。

「いざたま え、着衣の祝いを」

 ハンカチが白絹のワンピースに変わる。ヒルコがニヤリと笑った。

「不満はあるが、これなら許してやるか」

「こらっ、ちゃんとセイにお礼を言いなよ」

 ヒルコは笑い転げているビャッコにキックをしている。

「姫さま、わたくしは薬草と銀貨を差し上げられます」

 空中にでた緑の葉からはミントの香りが鼻をついた。姫香の周囲をめぐるように浮かぶ10枚の銀貨が、月の雫にも思える光彩を放った。

「ねぇ、銀貨って真珠より高価なの?」

「真珠の10倍の価値があります」

「高額すぎる。それは両方ともセイが持っていて」

 セイのうなずきと共に薬草と銀貨が消えた。ゲンブが姫香の腕を引っ張った。

「ねぇ、お肉は出ないの?  ぼくお腹すいちゃった」

「え、まだ持っているでしょ」

 ビャッコが手を大きく振った。

「もうねぇよ。牛の戦いのあとと、虎のあとに食ったろ」

 魔物を倒すたびにビャッコとゲンブは肉を食べていたのだ。

 セイがみんなの顔色をうかがい、おずおずと言った。

「肉なら出せますが……」

 ゲンブとビャッコが喜んで奇声をあげた。

「肉ごときに騙されるな!」

 ビャッコがヒルコをひょいと抱えて、ぶらぶらと体を揺らした。

「おい、また川で泳いでくるか? きっと気持ちがいいぞ」

 明らかに脅している。ぼそりとヒルコが答えた。

「いや、泳ぐ気はない」

「いい子だ。ものわかりがいいな」

 地面におろされたヒルコがゲンブの後ろに隠れた。クスリと笑って、姫香はセイを見上げた。

「セイ、お肉を出してくれる?」

「かしこまりました」

 セイの手が優雅に動く。

天降り姫のめい を ちて饗膳きょうぜんよ、いざ給え」

 肉のかたまりが空中に浮いた。それにビャッコとゲンブが飛びついた。

「ヒルコさん、これ本物だよ!」

 うれしそうにゲンブが叫んだ。

 姫香の目の前にもふわふわと肉のかたまりが1つ浮かんでいる。

「これは、セイが食べて」

 セイが呪術でだしたのだ。セイも肉を食べるに違いなかった。

「では、いただきます」

「あ、そうだ。これも増やせないかな」

 ポケットからチョコレートの箱をだす。

「ヒルコはチョコしか食べないのよ」

「変わった物がお好きなのですね」

 箱を受け取ったセイが、チョコをカタカタと鳴らして、箱を左右に振った。何度か振るうちに箱から音がしなくなった。

「いかがでしょうか?」

 セイから手渡され、箱を開ける。

「わぁ、手品みたい!」

 12粒のチョコレートが箱にぎっしりと詰まっている。

「お食べになっても増えていきます」

「それも、うれしいぃぃ! ありがとう!」

 今までずっとチョコレートの心配をしてきた。それをセイはいともたやすく解消してくれたのだ。

「ねぇ、呪術で元の世界に帰れる?  わたしの家に!」

 セイならなんでも叶えてくれる気がした。

「呪術ではそのようなことはできません」

「だよね。さすがに簡単に帰れるはずないよね」

 セイが姫香に一礼して肉を持ち、川原に座っている二人の方へ歩いていった。

「なんで、ビャッコとあんなに違うかなぁ」

 肉を持つ姿さえ優雅だ。

 制服のスカートの裾がツンツンと引っ張られた。赤ん坊のヒルコが裾を握っている。

「チョコレートと鏡をくれ」

「ねぇ、先にセイにお礼を言っておいでよ」

「俺が青竜になる予定だったのだ。あいつが予定を狂わせたのだぞ。それを寛容にも許してやったのに、なぜ俺が礼など言わねばならんのだ」

 鏡をヒルコが引ったくった。

「なに訳のわかんないこと言ってるの。お礼は言った方がいいよ」

「ならば、今は借りておく。チョコレートだ。チョコレートをくれ!」

 もう言うことを聞きそうもない。

「鼻血が出るから、気をつけてよ」

「そうする」

 ヒルコが素直にうなずいた。

 

 鏡を見ながらチョコレートを食べるヒルコの横に座って、姫香はパラメータを見た。みんなのゲージに変化はない。チラチラと視界に入る青い光が気になる。最後にセイに腕を向けた。

「あ、今はゲージが出ている」

 てっきりセイの能力値は表示されないのだと思っていた。

 体力値9、攻撃力9、防御力9、俊敏力9。驚きの数値だ。銀青龍が強かったのがわかる。

「こっちのゲージは何だろう」

 新たに青と藍色の光が点灯している。

「ね、ヒルコ」

「なんだ」

 セイに照準を合わせる。

「ね、この青と藍色の光の下にはなんて書いてあるの?」

「青色が呪術攻撃。藍色が呪術防御だ」

 目をこすり、ヒルコがまた鏡に目を落とした。

「ああ、セイは呪術師だもんね」

 呪術師用のマックスが表示されているのだ。呪術攻撃と呪術防御は、どちらも9を示している。

「強いはずだよね。ね、ヒルコ」

 ヒルコを見ると、チョコレートの箱と鏡を抱えて眠っていた。

「さっきまで起きてたのに。あーあ、あちこちチョコだらけじゃないの」

 ティッシュペーパーでヒルコの口の周りと手を拭く。

「風邪ひいちゃうぞ」

 姫香は上着を脱いでヒルコをくるみ、胸に抱いた。ヒルコが小さく、うん、とうなって薄目を開けた。

「あ、起しちゃった?」

「抱かれるというのは……気持ち……いい……ものだな」

 そうつぶやくとヒルコがまた眠りに入った。

「寝てると天使みたいにかわいいんだけどなぁ」

 姫香はヒルコの寝顔に微笑んだ。

「そうだ、見ておかなきゃ」

 カバンから地図をだす。東の滝にはすでに色が塗られている。

「東、クリア!」 

 ヒルコを起さないように姫香は小さくガッツポーズをとった。

 東南には山脈。南には煙を吐く大きな山と家々が描かれている。

「東、西、南、北。全部そろった」

 南は夜刀の待つ、最終ステージに違いなかった。 

たきもと裕
天降り姫 ヒルコの夢 -1-
0
  • 0円
  • ダウンロード